第56話 学院一年目 ~一人であること
講義が終わった途端、間髪入れず、講師のヘレナは教室から去っていく。
少しの余韻もない。
魔法学の講師、ヘレナ。
信念の人であり、自分を曲げない芯の強い女性。
ただし、そのすべては教育以外に向けられている。
噂では、上級魔法を覚えるためだけに講師をやっているという。
時間の融通が利き、研究施設も自由に使える。学院生は自主的に学習し、クラスもないから学業以外の相談を受けることもない。これほど楽な仕事もないだろう。
そんな彼女は当然、教育の熱意が欠片もなかった。
生徒を呼ぶときも「お前」、「そこの」で済ます。運が良ければ、「少年」や「少女」と性別で呼んでくれる。
さすが丸おっさんの同僚だが、意外にも講義内容は面白かった。
以前にも「生活魔法を基礎魔法と呼ぶべき」という発言に感心したが、今日の話も大いに考えさせられる。
魔法、そしてスキルとは何か?
なかなかに世界の根幹を突いたテーマだと思う。
通説によれば、魔法は体内の魔力を消費して発動、スキルは周囲の魔力を体内に通過させて発動するという。
ロランの『廻旋衝』は、エラス・ライノを封殺した。改めて考えれば、どれほど技術を高めても不可能だ。俺の『高速移動』も含め、周囲の膨大な魔力に後押しされるなら、人間離れした芸当もできよう。
さらにヘレナは「持論だが」と前置きし、この世界には元々スキルしか存在せず、それを模倣して編み出されたのが魔法ではないか、とも述べた。そこから「では魔法は劣っているか?」と続くのだが、それはともかく納得できる話である。スキルと魔法にはやたらと重複が多い。
ただこの前提だと、「ならスキルに魔法ランクがあるのは何故か?」という疑問が生じる。これに対してヘレナは、魔力を利用する技術が確立されたときスキルは発生する、と仮定していた。
それが正しければ、食材を魔力で乱舞させる料理人が登場するかもしれない。
「なに、ぼけっとしてるの?」
気付けば、エルフィミアが隣に立っていた。
「ちょっと講義の内容を思い返していた」
「ふうん。ところで、この前はどうだったの? 魔道具作るって張り切ってたけど」
「お前、分かってて聞いてるだろ」
「まあね。簡単に作れるなら魔道具職人なんていらないわ」
ならあの時、止め――られるわけか。
何を作るかで頭いっぱいだったし。これじゃゼレットを馬鹿にできんな。
学院長との遭遇後、高品質のヒーリングポーションに挑戦したが、見事に失敗した。
できたのは一段階下の良質で、これならシスラス草の蜜がなくとも作れる。素材の無駄だった。
実は調合の最中、失敗しそうな予感はあった。
妙な手応えで、辿ろうとする道筋を無理にずらされてる、とでも言えば良いのか。
どことなく、草王の酒薬を作成したときに似ていた。
それで気付いたのだが、どうも俺のやっていた調合は低難易度ばかりだったらしい。
素材が一つ増えても、効果を付随するのと大差ないと考えていたが、いざやってみたらまったくの別物だった。
あちらが機能の拡張なら、こちらは機能の改修。
完成品をばらし、さらなる高みに作り替える作業だった。
それほど難しい調合なので、ラッケンデールも成功すると思っていなかったようだ。俺が失敗しても満足げに悶えていた。ちょっと慣れてきた自分が嫌になる。
「お、いたいた」
聞き慣れた声にそちらを見れば、ランベルトが教室に入ってきた。
その後ろには相変わらずのフェリクス。この二人を見ていると時折、ロランを思い出す。
「まだ帰ってなかったのか」
「お前に用があってな。このあと暇か?」
「差し迫った予定はないが――」
あるとすれば、ラルセン商会に寄るくらいか。
甲犀の剣とスティレットを手入れに出している。そろそろ終わっている頃だろう。
「ならさ、街を案内してくれよ。武器の新調や手入れをしようと思うんだ」
「もうすぐ二ヶ月だぞ。店くらい見つけてるだろ。本心は?」
「お前の家を見てみたい」
「そんなことか……。別に構わんが」
ランベルトとフェリクスは手を叩き合って喜ぶ。
それを横目にエルフィミアは、
「家なんか見て、何が面白いの?」
と、冷めた目で教室を出て行った。
正直、同感である。
◇◇◇◇
学院を出ると、俺たちは大通りから枝道に入った。
大通りは例の如く曲がりくねっているため、余計に時間が掛かる。
セレン生活が二ヶ月にもなると、なんとなく方角が掴めるので枝道を利用することも多くなった。
この辺りは初めてだが、迷うことはあるまい。
大通り周辺の商業地区を抜けると、今度は大きな屋敷が増えていく。
猥雑なセレンの中では、開放感と落ち着きのある富裕層向けの区画だ。この中には借家もあるそうだ。もしサミーニにここを薦められたら、のんびり歩く暇もなかったろう。
門衛の怪訝な視線を浴びながら、俺たちは石畳を進む。
ちなみに出発前、馬車を使うかランベルトに訊ねている。
答えは「不要」だった。
ケーテンにいるときは父親の体面上、常に馬車を利用していたそうだが、鍛錬などで外に出ると、些細な距離で馬車に乗るのが煩わしくなったという。貴族の息子でもこういうのがいると分かり、ちょっと嬉しくなった。
「そういや、二人はいつからの付き合いなんだ?」
俺の質問にランベルトは首を傾げる。
「よく覚えてないんだよな。気付いたらいっつもそばにいたし」
「ランベルト様と俺はどちらも三男、しかも同じ時期に生まれてますからね。幼い頃から一部屋に放り込んで、まとめて面倒を見ていたようです」
「そうだったな。あの頃は兄弟だと思ってたよ」
ランベルトは懐かしそうに笑う。
子爵の子が騎士の子と同列に扱われる。身分ある家に生まれた宿命だ。
長男は後継者、次男は予備、それ以降はどうでもよい存在。よほどの価値を示さなければ居場所がなくなる。それに騎士であるフェリクスは、よりぞんざいな扱いだったと思う。
それでも、学院生はまだマシなのかもしれない。少なくとも投資される程度には期待されている。
苦楽をともにした盟友か。
二人の絆は固く、すでに主従。もしランベルトがケーテンから放逐されたら、フェリクスもついていくだろうな。
今もランベルトの背後を守り、前方を警戒している。
そんな姿が、再びロランと重なった。
「なにか?」
フェリクスが訝しげに問いかけてきた。
つい、口元が緩くなっていたようだ。
「すまん、ちょっと思い出してな。うちのロランも幼い俺を守るため、よく背後に立っていたな、とね」
「リードヴァルト最強の騎士ですか。それは光栄だ」
フェリクスは嬉しそうに笑顔を見せる。
その時、彼の視線が動く。
何気ない仕草。
瞬時に『気配察知』を発動し、周囲を索敵する。
それでも意識を戦闘に切り替えなかったのは、フェリクスの仕草が驚いたように見えたからだ。
そばに人はいない。
視線を追い、納得した。
この辺りにしては小さな家。
その庭先で花の手入れをしているのは、エルフの女性だった。
女性は俺たちに気付き、微笑む。
「ああ、やっぱりエルフは綺麗だなぁ……」
ランベルトが呟いた。
「学院にもいるじゃないか。エルフっぽいのが」
「あんなのお子様だろ」
「四分の一ですし」
本人がいないのを良いことに、言いたい放題だった。
聞かれたら氷漬けにされそうだな。
エルフはハーフリングと同じく、多くはメズ・リエス地方に住んでいる。
それ以外でもいくつかの森に居住地を作っているそうだが、その所在はほとんど知られていない。ご多分に漏れず彼らの容姿は美しいため、奴隷狩りに狙われるからだ。
その点、さすがセレンと言えよう。
ここの支配層は魔法至上主義者、ぶっちゃけて言えば、魔法大好き人間。魔法の素質に恵まれたエルフにとって、居心地の良い街だろう。
尤も、それは街の中だけの話である。
エルフィミアの小さな背を思い浮かべた。
見た目エルフのエルフィミアは、この街で自由を謳歌しているようだ。
だが、外で魔法の練習をするのは、やはり危険だと思う。
魔物だけでなく、悪意を抱く人間も少なくない。
魔道具で固めても彼女は魔法使い。手数に制限がある。
私生活に踏み込むべきか悩み、未だに忠告していないが、一度、はっきり言うべきだろうか。
◇◇◇◇
「いらっしゃいませ、アルター様」
ラウリが慇懃に頭を下げる。
ラルセン商会に入ると、すぐに若い店員は奥へ引っ込み、ラウリがやってきた。俺のような安い客相手に会頭がわざわざ姿を見せるのは、ひとえに甲犀の剣の扱いにくさが理由である。イスターがエギルの剣を扱えるか気になるのだろう。
「手入れは済んだようだな」
さきほどの店員が細長い包みを大事そうに抱えていた。
俺は甲犀の剣を抜き払い、剣身を検める。
白い刃が魔法の角灯に照り映えると、ランベルトが、おお、と感嘆の声を上げた。
ゆっくり角度を変え、鞘に戻す。
甲犀のスティレットも確認。こちらも問題なし。
やるじゃないか、イスター。
頼んだときは血反吐を吐きそうな勢いだったのに、まるで新品だ。光沢に斑もないし、くすみも抜けている。
「完璧だ。これならエギルにどやされずに済む」
「どやすんですか」
「手入れを怠ると凄い剣幕でな。これでも領主の息子なんだぞ?」
ラウリは笑顔を見せながら、さもあらんと頷く。
職人が気難しいのは共通のようだ。まあ、エギルはその中でも別格だろう。はっきり言えば苦手だ。ラグニディグは愛嬌あるが、エギルはひたすら頑固である。甲犀の剣の制作者でなければ、接触を控えたと思う。
「それと、もう一つの品も仕上がっております」
差し出してきたのは、小ぶりな肩掛け鞄だった。
素材は道中で倒したゴウサスの革である。ポーションなどは革袋に収納しベルトにぶら下げていたが、取り出しにくかった。これで少しは咄嗟の対応が早くなるだろう。
料金は剣の手入れで金貨六枚、鞄は金貨二枚と銀貨八枚だった。
結構な出費になってしまうが、セレンではイスター以外に任せられないし、ラウリ経由なら万が一があっても補償してくれる。
その後、ランベルトとフェリクスは手入れを頼んだり、店内の武具を物色した。
ただランベルトは品揃えが気に入らないのか、心ここにあらずの様子だった。
そして皆が用件を済まし店を出ると、すぐにその理由が判明する。
「凄いな、その剣! 真っ白だったぞ!」
腰に差した甲犀の剣を見ながら、ランベルトは興奮した口調で捲し立てた。
どうやら気に入ったらしい。
「素材はエラス・ライノの角だ。リードヴァルトのエギルに頼めば作ってくれるぞ。角はどこかで手に入るだろう。稀少品ではないそうだからな」
ランベルトは「おお!」と喜色を浮かべたが、すぐに難しい表情となる。
「だが、どうせなら自分で仕留めた角で作りたい」
「それは大変だ。僕の時ははぐれだったが、普通は群れらしいからな」
俺の言葉にランベルトは悩んでしまった。
それにランベルトは王道の剣士スタイルなので、軽量の甲犀の剣は不向きだ。
それでもほしいならいくらでも力を貸すが、俺でもかなり苦戦すると思う。あんなのが何頭もいれば、全方位がエラス・ライノで埋め尽くされてしまう。『高速移動』は使いづらいし、体力があるので魔法でもどれほど削れるか。
その後も雑談しながらセレン中心部へ、そこから北門への大通りを進む。
車道では隊商や辻馬車、歩道にはセレンの住民や冒険者が行き交っている。
しばらくすると露店が増え始め、多くの人々が呼び込みに釣られたり店主と交渉していた。
そんな活気溢れる光景を楽しんでいると、そのうちの一つが目に留まる。
串焼きの店――肉は猪と鹿だな。野菜の串まである。
よし、今日の夕食にするか。
ランベルトたちに断り、露店で立ち止まる。
肉が大振りなので六本を均等に頼み、袋に詰めてもらう。
ふと気付けば、ランベルトたちも購入し、齧り付いていた。
「食わんのか?」
「ん……ああ、そうだな」
袋から鹿肉の串焼きを取り出す。
肉は少し固かったが、噛みしめるたび独特の旨味が滲み出た。
それを味わい、辺りを見回す。
帰宅途中に友人と買い食い、か。
こういう経験は――初めてかもしれん。
学院に入学、いやセレンに向けて出発してから、俺は一度も帰宅していなかった。
家を借り、学院に通い、今は冒険者までやっている。
一人で暮らし、日々の生活に追われるようになってから、俺の誇りが誰かの支えで成り立っていると気付かされた。それも、今の生活に慣れた最近のことだ。
その事実が突きつけられたとき、自分がどれだけ子供だったかと痛感した。
これもまた、成長なのかね。
自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「どうした?」
「いや、ちょっとな」
「それにしてもお前、買いすぎだろ」
ランベルトが串で、皮袋を指し示した。
「夕食だからな」
「夕食って――もう少しまともなものを食えよ」
「野菜だって買ってるぞ。それより行くんだろ、家」
「近いのか?」
「もうすぐだ」
俺は先頭に立って歩き出す。
大通りを曲がり、細い路地を抜ける。
そして自宅に到着すると、ランベルトたちは唖然としていた。
「ひび割れてるぞ、壁が!」
「言葉は正確にな。ひび割れが直された壁だ」
民家を風が吹き抜け、自宅を撫でる。
俺たちの目の前で、パタリと音がした。
「おい、板が落ちてきたぞ!」
「言葉は正確にな。それは屋根だ」
「板だろ!?」
まったく、見分けも付かんとは嘆かわしい。
屋根を壁に立てかけ、俺は振り返る。
「折角だ、お茶でも飲んでいけ。安物の紅茶だけどな」
二人を自宅へ招き入れる。
そして扉を閉めるとき、ふと東を振り仰いだ。
薄い青空に、柔らかな雲がゆったりと流れている。
あの下には――何があるだろうか。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
誰かがいたら、また違ったのかもしれない。
どうあれ、しばらくは休部だ。