第50話 学院一年目 ~学院の始まり
雑貨店を回り、当面必要な家具や日用品を買い揃えた。
空が見えない二階の部屋を寝室とし、残る一部屋を素材などの保管部屋とする。見える部屋をどうするかは、修繕が終わってからだ。
その修繕だが、専門家に任せると金貨が次々と飛び立ってしまう。
今は板で塞いでおき、落ち着いたら自力で補修するつもりだ。
寝るとき以外の生活拠点は、一階の大部屋に決める。
まずは小さなテーブルと椅子、棚などを配置。学院やこの生活に慣れてきたら、改めて本格的に揃える予定である。
最低限、新たな生活の基盤が整ったので、俺は滞在している宿を引き払った。
『破邪の戦斧』は依頼中のため留守にしており、宿の者に新たな滞在先を伝えておく。
俺が入寮すると知っていたらしく怪訝な顔をされたが、わざわざ説明する義理もないのでそのまま宿を出る。ちなみに俺がいなくなっても、『破邪の戦斧』の宿泊費は戻ってくるまでこちら持ちだ。その後は自腹を切って、別の宿に泊まってもらうことになる。行き違いは心配だが、そうなったら冒険者ギルドに伝言を頼めば良い。
それからも入学の準備と自宅の修繕に追われ、学院初日、入学式の朝を迎えた。
盥に《清水》を注ぎ、身だしなみを整える。
自宅から距離があるので早めに出発、朝のセレンを散歩気分で歩き出す。
道のひび割れで、春の花が揺れている。
世間は春真っ盛りだ。
それと、セレンは大通りや主要な道こそ石畳だが、大半は土のままだった。当然、自宅周辺も大半に属している。踏み固められているので普段は気にならない。雨が降ったら注意するとしよう。
大通りから学院の枝道に入ると、同じ方向に子供たちが進んでいく。
やや緊張した面持ちなのは新入生、そうでないのは在学生か。
やはり徒歩は平民ばかりで、貴族は先ほどから真横を通り過ぎる馬車の中身である。
あれでよく不安にならないものだ。貴族は戦場に駆り出されるし、領内に魔物が出たら陣頭指揮を執ることもある。身体を鍛えておかないと、いざというときまともに動けないだろう。俺なんか不安で仕方なかったぞ。生まれた時から。
正門に到着し流れに乗って学舎へ向かうと、上級生らしき男女が数名、「新入生は講堂へ向かってください」と声を張り上げていた。
講堂は学舎の一階で、その入り口には三十代の男が待ち構えており、「皆さん、詰めて座ってくださーい」と繰り返し指示を飛ばしている。こちらは講師のようだが、平凡な顔なのに髪だけが無駄にさらさらだった。創造神がパーツ間違えたんだな。
講堂はかなり広く、反して新入生の数は少なかった。
座席が生徒数だとしたら、六十人ほどだ。三年間は在学するので、最低でも百八十人。四、五年生は大半が卒業するだろうし、多くても全生徒数は二百人を少し超える程度と思われる。
三大学院はともかくとして、他の小さな学院は潰れそうだな。
いや、むしろ反対か。それらは平民の比率が多い。有名な学院ほど生徒数が少ないという、奇妙な状況に陥っているのかもしれない。
しばらくして座席が粗方埋まる。
それを見計らい、さらさら髪が「皆さん、静粛に」と声を張り上げた。
新入生が静まりかえると、壇上に老人が上がる。
老人は学院長のコルミスと名乗り、挨拶を始めた。
あまり覗き見るのは失礼だが、どうしても好奇心が勝ってしまう。
見た目は老練な魔法使い――どれほどの実力か。
『鑑定』し、思わず目を疑う。
まさかの『土魔法2』のみ。
魔法も片手で数えるほどしか習得していない。この程度なら冒険者にごろごろしてる。
魔法以外の能力を買われたのだろうか。いかにもな風貌とか?
改めてステータスを眺める。
称号に『セレン評議員』とあるので本人に間違いない。
能力で突出しているのは、知力の17だ。ステータス以外だとしたら、経営手腕を買われたのか? それは無いな。
学院長の挨拶は終わり、続いて講師の紹介となる。
それも終わると、入学式はあっさりとお開きとなった。
主席の挨拶や発表、在学生からの歓迎のお言葉もない。
この辺りも貴族への配慮だな。順位付けして揉めるなら、始めからやらなければ良いわけだ。
この後どうするのかと眺めていると、さらさら髪こと講師のフヴァルが新入生に呼びかける。
「受験番号を呼ばれた者は、こちらに集まってください」
学院の説明らしいが、なんで別れるのだろうか。
俺の番号も呼ばれたので、ひとまずフヴァルの元に向かう。
その数はおよそ半分で、こちらは貴族が多いようだ。その中には受験の時に出会ったエルフ少女もいる。身分で分けたのか? それにしては向こうにも貴族らしき姿はあるが。
その後、俺たちはフヴァルに教室まで誘導され、またもや適当に座るよう言われる。
教室には黒板がなく、生徒用の長椅子、長テーブル、そして教壇があるだけだった。
外観通りの石造りで、どこか寒々しい。
前世と似ているのは、大きな窓に填め込まれたガラスくらいか。
全員が着席すると、フヴァルが教壇に立つ。
「改めまして、講師のフヴァルです。僕は学問や一部の教養を担当しています。と言っても、何のことかさっぱりでしょう。まずは学院について説明します」
学院は大学に似た制度だった。
クラスは存在せず、全五科目のうち最低でも二科目を修了することで進学、三年分溜まると卒業資格となる。
科目は教養、学問、戦闘術、魔法学、錬金術の五科目で、やけに科目が少ないのは前世のように細分化されていないからだ。学問であれば算数や歴史、ヴェリアテス語などが含まれており、これらの総合評価で修了か判断される。
また教養だけは扱いが少々特殊で、全学院生が必ず履修しなければならない。
学院創設は貴族の質の向上が目的。教養くらいは身につけろという上からのお達しなのだが、内容は貴族の作法や舞踏、社会の常識だった。それで良いのか、皇帝陛下。
「それと、皆さんは不思議に思っていませんか? クラス分けがないのに、どうして新入生を半分に分けたのか」
フヴァルの言葉に、一部の生徒が奇妙な笑みを浮かべる。
「先ほど述べた科目には、大きな特徴があります。それは、他者から学びやすいかそうでないかです。教養と学問の二科目は、優れた者と椅子を並べても得るものは少なく、むしろ互いに足を引っ張り合ってしまいます。よって二科目に限り、成績優秀者とそうでない者を分けています。筆記試験で一定以上の結果を出した皆さんは、便宜上、ユークスと呼ばれます。もう一方はヴィエヌスです。これは一年間継続し、成績により毎年移動するか決まります。もちろん、教養はユークス、学問はヴィエヌスの生徒も出てきます」
火種を作らないがモットーの学院でも、明確な区分はあったんだな。
生徒が多かった頃の名残だろうが、ということは――。
さきほど笑みを浮かべた生徒たちを、ちらりと窺う。
全員、見事に貴族だった。
数少ない自尊心をくすぐる制度か。彼らはユークスに入るのが最初の目標だったんだろうな。うん、アホだ。たった二科目の上位者でしかないのに。
さらに細々とした説明が終わると、フヴァルは羊皮紙と筆記用具を配り始める。
手伝っているのは、上級生の男女だ。
彼らは四、五年生だそうで、三年過ぎると助手のような立場になるという。学舎前にいたのもお仲間か。
受け取った羊皮紙を眺める。
これに科目を記入するようだが――はて、どうしよう。
進学に必要なのは二科目。選ぶ数に制限はない。
教養は確定として、残りをどうするか。
セレンまでやってきたのは、学ぶためである。すべて履修すべきだが、科目が大雑把すぎて大変さの見当が付かなかった。
欲張って中途半端になるくらいなら、始めから削るべきだ。
あれこれ悩んだ末、俺は学問を除外した。
学年が上がると分からないが、現段階では小学生レベル。前世の知識でなんとかなるし、ヴェリアテス語は『言語習熟』で余裕だった。
さらさらっと記入し顔を上げたとき、一人の女生徒が同時に手を上げる。
フヴァルが発言を許可すると、なぜか女生徒は立ち上がり、教壇まで歩き出した。
そして皆に向け、お嬢様らしくお辞儀する。
「私はドリス・ヴィリアナ・ディオルトと申します。ご存じのとおり、ディオルト伯爵の娘です」
ご存じないよ。誰だ、そいつ。
「このカルティラール高等学術院の創設者、偉大なるアルファス・カルティラールは仰りました。この学院に身分は無いと」
生徒にざわめきが起きる。
なんか、面倒なこと言い出したな。それに本当に仰ったのかよ、名目は貴族の教育機関だろ。
「私はその考えに賛同いたします。学院生であるかぎり、身分は問わない。敬称なども不要と提言いたします。伯爵の娘であっても気軽にドリスとお呼びください。皆様は共に学ぶ仲間なのですから」
皆様の反応は様々だった。
一部の少女から拍手が上がり、貴族や騎士連中は微妙に渋面だった。多くの平民は頬を緩めて顔を見合わせたが、聡いのは冷めた目を向けている。
平民ではないが、俺もその一人だった。
当然だろう。身分の壁は越えられない。俺が気にしないと言っても、「不敬だ!」と手の平を返せば処罰できる。そんな相手を「気軽にお呼び」できるはずもない。
ざっと眺めたかぎり、伯爵の子は他にいなかった。
自分が最上位と見越した上での行動だろうが、何を考えてんのかね。このお嬢様。
◇◇◇◇
その後、学内の案内まで休憩となった。
皆は相手の身分を気にしつつ、思い思いに話しかけている。
試験の時に挨拶をぶちかましあったので、貴族は結構な数が知り合いのようだ。ドリスの取り巻きは、このとき誕生したのだろうか。
特にやることもないので観察していると、女子の方が交流に積極的だと分かった。
単なる性差かと思ったが、しばらくして理由に気付く。
これは立場の違いだろう。
男子はほとんどが次男以下。高い学費を払ってまで学院へ送られたということは、将来、父や長兄の補佐を期待されている。そんな彼らは将来がほぼ決まっているため、交流はさして重要ではない。
しかし女子は違う。
ほぼ確実に下級貴族、良くて同格に嫁がされる。
しかし、学院で身分の高い男子を射止めればどうなるか。
たとえ騎士でも、下級貴族より優雅な生活が送れるはずだ。
どうやら彼女たちも将来をかけて学院に来たらしい。
まったく学問と関係ないが。
まあ、すべてのお嬢様がそこまで考えていないだろうし、見るからに興味なさそうなのも混じっていた。
どちらが正しいかはさておき、どんな世界にも外れた人間はいるものだ。
「また会ったわね、失礼な男」
そんなことを考えていると、横から声を掛けられた。
そういや、ここにもいたな。規格外のお嬢様が。
「あんたか。まあ、あれだ。入学おめでとう」
「まるで心のこもってない言葉ね」
「そりゃそうだ。確定組だろ」
「違うわよ」
エルフ少女はドレスを摘まみ、ついとお辞儀する。
「宮廷魔術師ディオン・クローエットの娘、エルフィミア・クローエットと申します」
宮廷魔術師の娘?
そういや、称号に貴族の何たらってのがなかった気も……。
情報量が多すぎるんだよな、こいつ。
そんな挨拶が聞こえたらしく、周囲の生徒はざわめいていた。
子供であっても宮廷魔術師は珍しいのだろうか。
しかし当のエルフィミアは意に介さず、俺が挨拶を返すのをじっと待っていた。
それ、やっぱりするの? 注目浴びてるから恥ずかしいんだけど。
躊躇していると、切れ長の目が次第にジト目になっていく。
俺は見えないように軽くため息をつき、仕方なく立ち上がった。
「僕はアルター・レス・リードヴァルト。アルシス帝国東方の領主、リードヴァルト男爵アーバンの次男です」
こちらはざわめき一つ聞こえなかった。
男爵なので当然――そう思ったのも束の間、予想外にも反応が起きる。
「リードヴァルトだと? お前、リードヴァルト家か」
言いながら、背の高い少年がこちらへ歩み寄ってきた。
「俺はケーテンだ。ランベルト・アロイス・ケーテン」
「それって――お隣さんじゃないか」
思わず握手を交わす。
「まさか、学院でリードヴァルトと出会うとは」
「こっちもだよ。近隣に同い年がいるとは知らなかった」
ケーテンはリードヴァルトの南南東にある子爵領だ。
トゥレンブルキューブ撃退後の帰り道、あれを南下するとケーテンに到着する。
「ところで、後ろの彼は?」
ランベルトの背後に、もう一人の少年が立っていた。
俺と目が合うと、少年は頭を下げる。
「フェリクス・ゴルドと申します。ケーテン子爵に仕える騎士、ゴルドの三男です」
「堅苦しい挨拶はいらんぞ。敬称不要と言っただろ、ドリス様が」
あえて様付けで呼ぶと、二人は苦笑する。
「これが地ですので、お気遣いなく」
「そうか。無理してなければ良いんだ」
フェリクスとも握手を交わしていると、背後でエルフィミアが咳払いする。
「盛り上がってるところ悪いんだけど、私は無視?」
「決してそのような――」
そう言って頭を下げたのは、なぜかランベルトだった。
俺がきょとんとしていると、ランベルトが呆れた顔を向けてきた。
「宮廷魔術師は伯爵位と同格だぞ。知らんのか」
「まったく知らなかった」
なるほど、だから外野が騒がしかったのか。
宮廷魔術師が珍しいのもあるが、ドリスと同格だったんだな。
「私も敬称や言葉遣いは気にしないで良いわ。宮廷じゃ格下だし」
「そうさせてもらうか。今更だけどな。ところで――良いのか、あっちに混ざらなくて」
「冗談でしょ?」
飽きもせず繰り広げられる貴族の攻防を、エルフィミアは鼻で笑い飛ばした。
宮廷魔術師に世襲制度はなく、加えて実力主義だった。横の繋がりは大して意味を持たないので、馬鹿げて見えるのかもしれない。
ランベルトも同類なのか、そんな攻防を一瞥して視線を戻す。
「さきほどの会話が聞こえてしまったんだが、二人は知り合いなのか?」
「試験の時、少し話しただけだな」
「それ! こいつ失礼なのよ、私が女かって訊いてきたの!」
そう言って、エルフィミアは俺を睨み付けてきた。
根に持ってたのか。俺に言わせれば褒め言葉なんだけどな。
説明も面倒だったので、おとなしく頭を下げる。
「あれは悪かった。道中、色々あってな。見た目に騙されないと心に誓ったんだ」
「何よそれ。よく分からないけど、また騙されてるわよ?」
意味が分からず首を傾げていると、エルフィミアは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「私、エルフじゃないから」
「は?」
間の抜けた声を上げ、俺は目の前の少女を眺めた。
尖った耳といい、どう見てもエルフなんだけど。
「四分の一よ。お祖母様がエルフだったの。人間以外が宮廷魔術師になれるわけないでしょ」
クォーターだったのか。下手なエルフよりエルフっぽいのに。
だが、彼女の言うとおりである。
エルフなら両親ともにエルフでなければならない。アルシス帝国は人間の国、ハーフならまだしも、中枢の宮廷魔術師に他の人間種が登用されるはずがない。
しかし――と、俺は不敵に笑う。
「確かに騙された。驚きもした。それは素直に認めよう。だが、この程度の驚きは道中の足下にも及ばん。知ってるか。人は心底驚くと、口から蜂蜜酒が溢れ出すんだぞ」
「出ないわよ! どんな魔物!?」
ハーフリングだって人間種。差別はいけないぞ。
エルフィミア、それにランベルトたちまで何があったのかと聞いてきたが、俺は決して口を割らなかった。どれほど言葉を尽くしても、あれのあざとさは伝わらない。
そんな騒がしい幕開けで、俺の学院生活が始まった。
ランベルト、フェリクス、エルフィミア。
貴族やその同格にも、まともに会話ができそうな者たちがいた。
良くも悪くも、ドリスの一声は垣根を取り払う切っ掛けになったのかもしれない。
そんなお嬢様に感謝を――まあ、しなくて良いか。