第39話 セレンへの旅路 ~ヴェレーネ村
出発してから五日目。
俺たちは未だ旅の空にいた。
セレンへ至る街道は二本あり、一つは西方、お隣のフォルムスト男爵領を抜ける道。もう一つは南方でケーテン子爵領を抜ける道だった。後者は八歳の時、遠征の帰りに通った道でもある。
南方ルートは大回りなので、俺たちは無難に西方へ向かう。
旅立った翌日にはフォルムストに到着、持参した父からの手紙をフォルムスト男爵に届け、一晩、世話になった。男爵は皇帝派だが良好な関係を保っているため、特にトラブルもなく男爵領を抜ける。
その後は街道沿いの町村に泊まったり野宿し、順調に旅程を消化していたのだが。
「どうすんだよ、これ!?」
快晴の下、俺の目の前には巨体が転がっていた。
「いやぁ、そろそろ牛肉が食いたいんじゃないかなって」
「かなってじゃねえよ! 食い切れるか!」
息絶え、巨体を晒すのは牛の魔物ゴウサスだった。
昼の小休止の間、偵察に出たピドシオスが「あはは、でけえのがいたぞぉ」と引き連れてきたのだ。ダイラスが先制の一矢を放ち、ロランが突進を止め、マーカントとサルマが挟撃。あっさり倒したが、問題はその後である。
でかすぎたのだ。
エラス・ライノに比べたら可愛いが、それでも二トン近くはあるだろう。
ゴウサスといえば、庶民でもなんとか手の届く人気の食肉。できれば回収したいが……。
巨体と馬車を見比べ、荷台を覗き込む。
「荷物をすべて取り出せば――なんとか乗せられる、か?」
「お薦めしませんな。次のイルサナ村まで早くとも丸一日。これを積み込めばさらに遅くなり、馬や馬車に掛かる負担も増えるでしょう。たとえイルサナまで保ったとしても、そこを過ぎればセレンまで町や村はありません。途中でどちらかが潰れてしまえば、期日までの到着は難しくなります」
俺一人で走れば間に合うが、それはまずい。
男爵の息子が単独で、しかも徒歩でやってきたとなれば、家名に傷がつくどころじゃない。笑いものだ。
困り果て、元凶を睨み付ける。
そもそもこいつが悪い。なんでこっちに連れてくるんだよ。
視線に気付き、ピドシオスはへらへら笑った。
「そんなおっかねえ顔すんなって。大丈夫、マーカントなら半分くらい食えるから」
「マジかよ、挑戦すっか」
「すんな!」
まったく、どいつもこいつも……。
だが待てよ、解体するのは悪くないかもしれん。
横たわるゴウサスをぐるりと一周する。
血抜きと内臓の処理をすれば、重量は大きく下がるはず。皮なら徒歩でも運べるだろう。
頭の丸いのはどうしよう。これ、骨なのか? 牛の魔物と聞いていたから、てっきり馬鹿でかい角でもあるのかと思っていた。引っくり返したボウルを被っているように見えるな。こんな恐竜いたっけ。
俺があれこれ考えていると、再びピドシオスが口を開く。
「ならさぁ、近くの村に運んじまおうぜ。肉を分けりゃ、宿代もただになるんじゃね?」
「その算段をしてるんだが」
「そっちじゃねえって。街道を外れるけど北の方にあるんだよ。近いから日が出ているうちに到着できるぞ」
さも今思い出したような口ぶりだが、やけにタイミングが良いじゃないか。
「お前、始めからそれが狙いで呼び込んだな?」
「もう野宿なんかしたくねぇんだよー、酒飲んでベッドでぬくぬくしてぇー」
「……あっさり白状しやがった」
野宿と言ってもまだ二日目。冒険者なら日常だろうが。
考えてみれば、ピドシオスがゴウサス程度の魔物に見つかるはずないよな。
「ま、仕方ありませんね」
予想外にも、ロランが同意を示す。
「その村に運ぶしかないでしょう。解体して軽くすれば、とか考えておられるようですが、街道を血まみれにしないで下さい。他の旅人の迷惑です。私個人の意見を言わせてもらうなら、諦めてさっさと先へ進むべきです」
ロランはたまにずれたことを言う。諦めるなんて論外だろうに。
しかし、解体は駄目か。良い考えだと思ったんだが。
リードヴァルトからセレンまでは、およそ十日の距離。天候などで足止めされるのを考慮し、十五日前に出発している。これまで順調だったので、遅くとも九日目には到着できる目算だった。
西と北、どちらに進んでも余計に日数は掛かるが、日程に余裕はある。馬や馬車の負担が少ない北を選ぶしかないか。良いように操られる気がして不愉快だが、選択肢はなさそうだ。
マーカントたちに異論もなく、不服ながら俺たちは北へ向かうことになった。
◇◇◇◇
「あれが村か」
御者台から腰を浮かせ、目を細める。
丘陵に広がる草原、その中央に村落が見えてきた。
「ヴェレーネ村だ。ここのチーズは美味いんだよ」
ここは勾配のある浅い盆地で、中央に村落、それを覆う広大な草原、その先は森でいくつかの低山に繋がっていた。北の森からは細い川が流れ、村を経由して南西の森へ流れている。何かと人間に都合が良いので、元からあった草原を開拓してここまで広げたのかもしれない。
「お、早速いるぞ」
ピドシオスが草原の一角を指し示す。
見れば、無数のモップが蠢いていた。
「ふむ、新手の魔物だな?」
「アホか。羊だよ」
「嘘つくな。羊はもこもこして愛らしい生き物。あれはモップだ」
「ズヌー種ですね」
横からヴァレリーが口を開く。
ゴウサスが荷台を占拠しているため、俺は御者台、他の者は荷を背負っての徒歩だった。ちなみに元凶のピドシオスは、御者なので俺の隣に座っている。おかしいと思うのは俺だけだろうか。
「うちの村でも飼ってましたよ。飢えや寒さに強いので、貧しい村では何かと助かるんです。懐かしいですけど――この村はやけに多いですね」
「そういえば北東にウェルドがあったな。なるほど、ここはモップの生産工場か」
「たぶん正解だ。俺がチーズ食ったのもその町だし。あとモップじゃねえから」
ウェルドはセレンへの街道の北部にある男爵領だ。ここはその領内と思われる。
そんな話をしていると、モップの隙間から少女が顔を出す。
そしてこちらを見るなり、慌ててどこかへ走り去ってしまった。
警戒させたかな。
村へのルートが見つからなかったので、俺たちは森を抜け、道なき道を突き進んできた。いきなり十名にも及ぶ武装集団が現れれば、驚くのも無理はない。
村の周囲には畑が広がり、農作業をしている者たちも手を止め、こちらを窺っていた。
先頭を進む騎士然としたロランのおかげで騒ぎにはなっていないが、村を囲む柵の前には数人の男が俺たちを待ち構えていた。
働き盛りの男に紛れ、やや年配の男が立っている。身なりから彼が村長だろう。
馬車を少し離れたところで停止させ、俺は御者台を降り、村人たちの元へ向かう。
ロランも下馬し、俺の後ろに追随した。
「僕はアルター・レス・リードヴァルト。ここより東に領地を構えるリードヴァルト男爵の息子だ。お前が村長か?」
「はい、そうですが……」
「面倒なやり取りは好まないのでな。早速、本題に入らせてもらう。実は困っている」
村長は困惑して視線を彷徨わせた。
どんな無理難題を押しつけられるのかと思っていそうだ。
村長たちを誘導し、手っ取り早く現物を見せると、荷台一杯に押し込まれた巨体に目を丸くした。
「これはゴウサス――ですか?」
「そうだ。御者台でふんぞり返っている馬鹿の所為で倒す羽目になってな。ゴウサスは貴重な食糧、本来なら狩人や冒険者の手によって町や村を潤していたはず。捨て置くことも出来ず、ここまで運んだというわけだ」
「左様でしたか。しかし、ゴウサス一頭を買い取る余裕は……」
村長は顔を曇らせる。
まあ、そうだよな。ゴウサスはそこまで高額でないと思うが、買えるは買いたいと同義ではない。
「一頭、買い取って欲しいという話ではないんだ。有り体に言えば、一部と交換だな。多少の肉とすべての皮、頭の丸いのは――何かに使えるのか?」
後ろのロランに問いかける。
「バックラーの素材になりますね。軽量で硬いですが、意外と脆いです」
「じゃあ、いらないか。それらを除いた残りで取引したい。そちらには一晩の寝床、馬車の整備を頼む。ああ、そうだ。在庫があればチーズも分けてくれ。美味と聞いたぞ」
「そのくらいであれば、すぐご用意できますが……本当に宜しいので?」
「宜しいぞ。一番の目的はこいつを無駄にしないことだからな」
俺が本気と分かったのか、村長の表情が明るくなる。
うちの連中でも数十キロを消費するのが限界だ。重量を考えれば、可食部位は相当量になるはず。有利どころの取引ではないだろう。
話を聞きつけた村人たちも集まりだし、ゴウサスの巨体におっかなびっくりしながら礼を言ってきた。
それに応えつつ、俺たちは村長直々の案内で今夜の宿泊先へ向かった。