第38話 プロローグ ~萌芽
投稿、再開します。
二章のプロローグと道中の話で、字数は三万文字となります。
アルシス帝国北西部に位置する帝都アルシス。
そこに至る主要街道には、帝都を守る壁としていくつかの街や砦が建設され、北北西にはその一つ、クルストがあった。
クルストは直轄領であり、統治するのは近衛騎士隊長である。彼らは職を退くと新たな領地へ赴き、後任に職とクルストを引き継ぐ。アルシスが帝都に定まってからの長きに渡る慣習だった。
柔らかい陽光が肌寒さをじわりと癒やす。
そんなクルスト郊外の丘に、十数人の人影があった。
簡素なテーブルと組み立て椅子。
それに座するは現近衛騎士隊長フィタリオ・クルスト、その愛し子リティウス・クルスト、残りはフィタリオが一介の近衛騎士時代からの側近であり、現在はクルストを守護する騎士数名。そしてテーブルの周りには従者たちが控え、主君らのひとときを邪魔しないように、また快適に過ごせるよう注意を払っていた。
「父様! このお菓子、美味しいですよ!」
「どれだね」
「赤い果物が入ってるのです!」
フィタリオは小さな指が指し示す菓子を摘まみ、口に放り込む。
しばらく味わい、満面の笑顔を向けると、リティウスは得意げな表情を浮かべた。
フィタリオが子を授かったのは六年前、三十八歳の時である。結婚して十年経っても子が出来ず、妻は第二夫人を持つよう薦めてきたが、フィタリオは「二人で老いていけば良い」と拒否していた。そしてすっかり諦めていたときの懐妊。無事にリティウスが誕生すると、配下や領民はもとより、皇帝までもが祝の言葉と大量の誕生祝いを贈りつけていた。
頬を緩ませ、リティウスは熱心に菓子を頬張っている。
フィタリオはゆっくり食べなさいと注意しながら、その柔らかく淡い金色の髪を優しく撫でた。
騎士たちはそんな親子の交流を、ただ黙って見守っている。
穏やかな時間が過ぎていく。
一見すれば散策の一幕。しかしフィタリオを始め、ほとんどの者が武装していた。
彼らがここにいる名目は、巡察だった。
数日前のこと。突然、フィタリオに領地の視察許可が下りる。
フィタリオは戸惑った。申請していないからだ。近衛騎士隊長という役割から、領地に戻るのは年に数回。それも日帰りが多い。クルストは帝国から借り受けた形の執政官が差配しているため、そもそもフィタリオにやることは何もなかった。にも拘わらず、視察の日程は三日だった。
手違いではないかと伝えたところ、皇帝フォルメスの指示と判明する。
思い返してみれば、クルストに戻ったのは半年前。またこのところ忙しく、息子と過ごす時間も少なかった。フィタリオはその配慮に感謝し、息子を伴って巡察という名の休息に赴くことにした。
リティウスは満足げな顔でカップを傾ける。
中身は柑橘系果物、アクルーの亜種タト・アクルーである。糖度が高く、リティウスのお気に入りだった。従者が空のカップに果実水を注いでいると、不意にリティウスが声を上げた。
「リスがいますよ、父様!」
指さす木立の枝に、小さな影が動いていた。
声に驚いたのか、リスは少し上半身を起こし、フィタリオたちを窺っている。
「外見に騙されてはいけないよ、リティ。小さい魔物もいるからね」
「では、あの子も……」
「あれはただのリス。魔物じゃない」
リティウスはパッと笑顔になる。
「じゃあじゃあ、お菓子、あげても良いですか!?」
「構わないが、食べないかもしれないぞ」
「大丈夫です、美味しいですから!」
菓子をいくつか掴み、木立に向かい駆け出してく。
二名の騎士がすっと立ち上がり、その後を追う。
木の下で懸命に腕を伸ばし、リティウスはリスに気を引こうと奮闘し始めた。
騎士の一人が目元を綻ばせながら、フィタリオに話しかける。
「良きお子様に育ちましたな」
「私には勿体ないくらいだよ。少々、過保護すぎるかもしれんがね」
フィタリオは笑う。
そして息子の背を眺め、少し表情を陰らせた。
「あの子は、近衛騎士になりたいそうだ」
「後継者ですね」
「そうなれば、これほど嬉しいことはないが――無理だろうな」
フィタリオは数ヶ月前の出来事を思い返していた。
息子の決意を聞いてから、少し稽古をつけてみた。結果は散々である。あらゆる武具に適性が無かった。ステータスを訊ねれば、能力は軒並み同年齢の子供と同じかそれ以下。優れた才能を持つ者は、若くして片鱗がある。自分自身がそうだった。せめてもと魔法の資質を調べてみたが、調査した宮廷魔術師は掛ける言葉も無いようだった。
「ただの騎士なら叶うだろう。帝都にはそんな輩がごろごろしている。だが、近衛は別だ。皇帝陛下の剣にして盾。たとえあの子でも私が認めない」
騎士たちは言葉に詰まる。
そんな空気を感じてか、フィタリオは笑い声を上げた。
「ま、陛下への忠義だけは見事だぞ。近衛に勝るとも劣らずだ」
空気が弛緩するのを感じながら、フィタリオは育て方を間違えたと思っていた。
近衛の在り方を伝えすぎてしまった。いつしかリティウスはそれに憧れ、自分もなりたいと思うようになった。もっと早く才能の無さに気付いていれば、このような事態にはならなかったはずである。いつの日か届かないと悟る。その時、どれほど傷つくか。
そんな心情が顔に出たのか、騎士の一人が呟いた。
「世が平穏であれば――」
内心、フィタリオも同意する。
そうであれば、近衛の役割も幾分、軽くなる。リティウスにも可能性が生まれるだろうし、認められなくとも許せたかもしれない。
「聖騎士殿は何をしておられるのか」
「大方、女の尻を追いかけるのに忙しいのだろうよ」
騎士たちが愚痴をこぼす。
聖騎士サヴィリアス。アルシス帝国最強の騎士にして、上級称号『聖騎士』の保有者だった。ただ称号とは真逆の人格であり、もし帝国が派閥に別れ相争っていなければ、とっくに処分されていたほど素行に問題が多い。
話の内容に危険を感じ取り、一人が話題を逸らす。
「せめて東の御方が味方してくれれば、陛下の御世は盤石となるのですが」
フィタリオは無骨な大貴族を思い浮かべ、やや自嘲気味に首を振る。
「ブラスラッド候か。あの御仁は動かんよ。むしろ呆れておいでだろう。ハーゼルやバロマットが力を蓄えているというのに、何を遊んでおるのかと――ッ!?」
言葉を切ると同時、一瞬でフィタリオは戦闘態勢となる。
一拍遅れ、騎士たちは剣を抜き、主を囲んだ。
「何者だ!」
騎士の誰何に男が一人、木立に寄りかかるようにして姿を見せる。
一目で冒険者と分かった。しかし、右腕と右脚は有り得ぬ方向に曲がり、剣を杖になんとか立っている。そしてフィタリオたちを見るなり、ぼろぼろと涙をこぼす。
「たす…けて……化け………」
男は途切れ途切れに声を発すると、その場に崩れ落ちてしまう。
「リティはどこだ!?」
フィタリオが見渡すも、息子の姿はどこにも無い。
丘には木立が点在し、その先は森。帝都周辺に騎士が後れを取るような魔物はいない。
だが、目の前の冒険者は立派な装備で身を固めていた。
血の気が引く思いで命令を発する。
「探せッ!!」
言いも果てず、フィタリオは走り出す。
一斉に騎士たちも木立へ散り、従者も後を追う。
轟音。
フィタリオは息を呑む。
木立を縫い、張り出す根を飛び越える。
そして茂みを切り払い、飛び込んだ瞬間、その脚を止めた。
(なんだ、これは……)
目の前の惨状に言葉を失う。
倒れているのは三人の冒険者と二人の騎士。
そしてヒルジャイアントだった。
巨人は冒険者の片足を握ったまま横臥し、ぴくりともしない。
歴戦の騎士が状況を理解できず、小さな姿に食い入った。
「あ、父様!」
リティウスが振り返る。
血まみれの顔は、美味しいお菓子を見つけたときのように、どこか誇らしげだった。
フィタリオは剣を握ったままゆっくりと近付き、巨人を見下ろす。
近郊に巨人種が住める土地は無い。
隷属の首輪。
冒険者たちが使役していた。
しかし制御に失敗、冒険者の片足をもぎ取り、それを武器に暴れた。
だが――なぜ頭部がこれほど変形しているのか。
小さな木槌で殴打し続けたように。
フィタリオはリティウスの両手が、ぐっしょりと濡れているのに気付く。
「僕が近衛騎士の息子だと言っても、この人は分かってくれなくて」
リティウスは、聞き分けのない子供を見るように巨人を一瞥。
そして、
「帝国の敵ですよね?」
と父を見上げ、微笑んだ。
その瞬間、フィタリオに何かの感情が沸き上がる。
恐怖、それとも歓喜。
自分でも分からず、フィタリオはただ、震える手で息子を抱き寄せた。