第35話 十歳児の日々 ~高速の戦い
あれは無理だ。
あのハンターフィッチに勝てる者はリードヴァルトにいない。
『深閑の剣』はもちろん、『破邪の戦斧』やネリオ、ロランでも相手にならない。騎士団や冒険者ギルドが総力を上げても、小さな魔物一体に殺し尽くされる。
あれは――俺だ。
名前 :-
種族 :ハンターフィッチ(変異種)
レベル :12
体力 :45/45
魔力 :87/87
筋力 :13
知力 :15
器用 :16
耐久 :11
敏捷 :31+2(最高速:43、加速:46、機動力:40)
魅力 :16+1
【スキル】
言語理解、爪剣撃、白閃光華
最高速強化3、加速強化4、機動力強化2、気配察知3、隠密1、追跡2
爪術6
【魔法】
無し
【称号】
白銀の狩人
レベルや体力は低い。魔法も覚えていなかった。
しかし異常に高い敏捷により、あのハンターフィッチには誰の剣も届かない。
当たらなければ傷つかない。当たらなければ死なない。俺が十年間、やってきたことだ。
それだけではない。
「ミラーナ、使え!」
ピドシオスが指示を飛ばす。
ハンターフィッチはそれに反応し、ミラーナが懐から小袋を取り出した途端、彼女は二の腕から肩口まで切り裂かれる。
そう、このハンターフィッチはあらゆる言語を理解できた。
いかなる指示もこいつの前では筒抜け、判断する知力まである。
野生と知恵を持ち合わせた魔物。
人型の亜人でも、ここまで理解する魔物はそう多くないだろう。
「下がって、ピッド!」
サルマがピドシオスを背後にして、ハンターフィッチへ曲剣を向けた。
だが、実力者の集団である彼らも無傷は二人だけである。
他の三人が戦線に復帰できても、包囲が仇となり最初から陣形は崩壊していた。
そして合流を許すほど、甘い相手ではない。
ハンターフィッチの周囲に雪煙が上がると同時、ピドシオスが動く。
短剣を逆手に飛び出し、同時にサルマも曲剣を振るう。
二人とも見えていないと思う。勘を頼りに斬りつけただけだ。
当然、短剣も曲剣も空を切り、必死の追撃も当たらない。
それでも距離を取ったハンターフィッチに、ピドシオスは驚きながら視線を動かした。
「今のは、雷衝の短矢……?」
強引でも攻撃に転じたのはさすがである。あのままでは嬲り殺しにされてしまう。
とはいえ、足が速い亀を並べたところで兎に噛みつけるはずもない。
まあ、俺も躱されたんだが。
ピドシオスはハンターフィッチを警戒しながら、横目で射線を追う。
その視線を浴びつつ、俺はゆっくり近付いた。
二人の攻撃に便乗したが、手持ち最速の魔法をいとも簡単に回避されてしまった。
結果の予測がまるでつかないし、できることなら戦いたくない。
もし想像を絶する強敵だったら、『深閑の剣』を見捨ててでも情報を持ち帰るつもりだった。
しかし、こいつの情報を持ち帰ったところで何一つ解決しない。
視認困難な速度で襲いかかり、万が一追い詰めることができても、逃げに転じたら捕捉はまず不可能。正面からこいつと渡り合えるのは俺だけだ。そして今を逃せば、次の機会はいつになるか。ここで確実に仕留めるしかない。
「ヒーリングポーションは持っているな」
「あ、ああ……。お前は一体……?」
「仲間を連れて下がれ。あいつは僕が殺す」
あえて宣言すると、ハンターフィッチは俺を敵と認識した。
その直後――甲高い音が響き渡る。
甲犀の剣を構えながら振り返れば、ハンターフィッチが慌てて体勢を立て直していた。
振り抜かれた爪を甲犀の剣で弾き返したとき、ハンターフィッチから驚愕が伝わってきた。自分の速度についてこられたのは初めてなのだろう。
安心しろ。全速で防御したのは俺も初めてだ。
移動しづらいのか、ハンターフィッチが長く伸びた爪を戻していく。
自在に長さを変えられるようだ。『爪剣撃』というスキルだろうか。
どうあれ、待ってやる義理はない。
爪が戻りきる前に距離を詰める。
すでに《脚力上昇》は発動済み、今の敏捷は43。加速こそ劣っているが、走り続けて最高速を維持すれば問題ない。
袈裟斬りを躱したハンターフィッチは、大樹を蹴って反撃に転じた。
再び甲犀の剣と爪がぶつかり合い、純白の世界を黒と白が駆け抜ける。
交差のたびに甲高い音が鳴り響き、剣が白い獣を、爪が鎧を斬り裂いた。
無数の傷を浴びながらも、互いに止まらない。
「何だよ、これ……」
ピドシオスの呟きを抜き去り、俺は剣を振るった。
永遠に続くかのような斬り合い。
だが正直、俺は音を上げそうになっていた。
呼吸する暇があったら斬りつける、躱す。それが途切れることなく続いている。
そして対照的に、ハンターフィッチに苦しんでいる様子は見られなかった。
四足歩行の強みか野生の底力か、いずれにしても俺は止まらなければならない。
《脚力上昇》の持続時間は一分。それを過ぎれば速度は元に戻ってしまう。
甲犀の剣が爪と接触した刹那、刃筋を変えて強引に振り抜いた。
ハンターフィッチはそれを易々と回避する。
だが、欲しいのは距離。
《脚力上昇》の効果が切れ、すかさず再発動。脚部に魔力が流れ込み、網のように擬似的な補強具が展開されていく。
何事もなかった素振りで剣を構え直すと、ハンターフィッチはじっと観察していた。
うわ……気付いているよ、こいつ。やりづれえ。
俺は構わず突撃し、最高速の斬り合いを再開した。
『深閑の剣』はすでに撤退している。薄情な気もするが、的確な判断だと思う。
あの場に残っていても彼らにできることはないし、正直、居座られても困る。
最高速の俺とハンターフィッチは、二、三メートルの距離なら瞬きよりも早く駆け抜ける。『深閑の剣』を巻き込まないように気を遣ったら、どうしても動きに迷いが生じてしまう。
雪を跳ね上げて急旋回し、木々を足場に切り返す。
そうやって何度も交差するうち、速度の違いも掴めてきた。
俺は機動力を活かして速度を保ち、ハンターフィッチは方向転換の減速を加速力で補っている。似て非なるものだ。
安定した速度を保つ俺に対し、ハンターフィッチはわずかな緩急で森を駆けた。
そして交差の瞬間は、互いに最高速。
数秒、数十秒の間に幾度も斬り合い、そして再び一分が迫る。
攻撃の途中で魔法が途切れれば、死は免れない。
牽制しようと俺が剣を身構えた時、ハンターフィッチは切り返しに手間取り、わずかに動きを鈍らせた。
違う。効果が切れるタイミングを計っている。
予想どおり、俺の動きが速度が低下する直前、ハンターフィッチは一気に加速した。
同時に《脚力上昇》が切れ、全身が鉛のように重くなる。
だが、俺は口の端が吊り上がるのを感じた。
知恵は回るし言葉も理解できるが、表情までは読めないようだ。
俺は準備していた《雷衝の短矢》を『多重詠唱』で発動する。
いきなり出現した大量の矢にハンターフィッチは急停止するも、すでに手遅れだ。
「ぶっ飛べ!」
射出された十五本の電撃が雪の大地を走り、木々に激突する。
そしてハンターフィッチは短く鳴き、雪の上に落下した。
「まじかよ……」
思わず呆れてしまった。
至近距離から高速の矢を撃ち出し、命中したのはたったの一本。
能力値には反映されない、天性の柔軟性。
ハンターフィッチは流れるような動きで雷撃を掻い潜り、すり抜けた。
ちょっとそれは反則だろ。
ハンターフィッチは素早く起き上がり、怒りを込めた目で俺を睨み付けてくる。
慌てて《脚力上昇》を発動、その直後、煌めく爪を甲犀の剣で弾いた。
こうなったら、とことん付き合うしかない。
泥沼でも何でも飛び込んでやる。
◇◇◇◇
一進一退の攻防。
数えきれぬほど剣と爪を振るい、俺とハンターフィッチは雪の森を走り続けた。
これほどの全力は初めてだった。
トゥレンブルキューブに飲み込まれたときも全力だったが、あれは暴走に近い。何も考えず、魔法をぶちまけただけだ。
しかし、今は違う。鍛錬で会得した技術や経験――そのすべてを惜しみなく披露し、叩き付けている。本当の意味での全力。
それでも、決着はつかない。
俺とハンターフィッチは、どこまでも噛み合いすぎていた。
機動力に劣るハンターフィッチは加速力と四足歩行の利で隙を消し、俺の致命的な弱点である魔法の限界時間は、短矢系より範囲の広い《火塊の槌撃》を『多重詠唱』で牽制する。
互いに弱点を攻められず、薄皮を剥ぐような削り合いを続けたが、薄皮も剥ぎ続ければ肉に達する。
気付けば、どちらも血まみれだった。
それは体力というパラメータにも表れる。
ハンターフィッチはほぼ半減、俺は三分の二まで減少していた。俺が上回っているのは、元々最大値、そして唯一直撃した《雷衝の短矢》一本分だ。
そして何度目かの《火塊の槌撃》を多重詠唱で放った後、俺は問いかける。
「楽しくないか?」
ハンターフィッチの動きが止まり、怪訝そうな視線を向けてきた。
「お前は全力で戦ったことがあるか? 僕は今、この瞬間が初めてだ。昔の剣豪が強い相手を求め、さすらう気持ちが少しだけ分かった気がする。鍛錬を重ね、研鑽に励んだ技術をぶつけられる相手。殺し合いが楽しいなんて、血に飢えた狂人の戯言だと思っていたが。だから、お前も――」
不意に明白な怒気が叩き付けられ、俺は息を呑む。
生まれて初めて、戦いに充足感を感じていた。こいつにもそれに応えて欲しかっただけだった。
だが、反ってきたのは予想外の反応。
そして期せずして、要望どおりの結果となる。
ハンターフィッチの毛が逆立ち、純白の一本一本を濃密な魔力が覆っていく。
やっと、切り札を切るか。
『白閃光華』。
『鑑定』すら寄せ付けない稀少スキル。
ハンターフィッチの身体が一回り大きく見えた。
逆立つ体毛の所為ではない。明らかに筋肉量が増加している。
重心を低く構えるハンターフィッチ。
それを迎え撃とうと剣を構えた刹那、ハンターフィッチの輪郭がぶれた。
直感と条件反射で身体を傾け、俺の右胸が裂ける。
骨を削られた感触と激痛。だが、気にしている余裕はない。
どこに――!?
周囲の雪が跳ね、木々も揺れる。
それなのに視認できない。
『気配察知』がかろうじて存在を感知していたが、位置は目まぐるしく変化し、まるで特定できない。闇雲に《礫土の盾》を発動させるも、一瞬で両断されてしまった。
予想はしていた。名称から攻撃スキル、もしくは肉体強化だろうと。
だが、これほどとは……。
一方的な蹂躙。
音と気配を頼りに剣を振るが空振り、頬が裂かれ、腕を斬りつけられ、額を割られる。それでも必死に剣を振り、魔法の盾を展開し、『多重詠唱』で全方位に攻撃魔法を放つ。
ハンターフィッチはそれをすべて掻い潜り、俺を斬り刻んだ。
「くそッ!」
この人生で始めて使った汚い言葉。
そんな感慨に耽る暇もなく《礫土の盾》を『多重詠唱』、左右に壁を構築して一息に駆け出す。
次々に破壊される盾を再構築し、どうにか巨木に到達すると、怒りの形相と向かい合った。
『鑑定』を発動し、思わず頬が硬直する。
最高速52、加速55、機動力50。
見えないわけだ……。
いや、感心している場合じゃない。何か打開策を――。
だが、それを待ってくれるわけもない。
ハンターフィッチの姿が霞み、咄嗟に上げた左腕に衝撃が走った。
それと同時、頭部に軽い衝撃を受ける。
軽やかに宙を舞い、元の位置に着地するハンターフィッチ。
それを見て、何が起きたか察する。
こいつ、人の頭を足場にしやがったのか。
ふざけた行動に、怒りよりも冷静さを取り戻す。
俺はハンターフィッチを注視しながら、状況を整理した。
巨木を背にしているから背後からの攻撃はない。警戒するのは正面と左右のみ。
であれば――まずは即死を避けよう。
俺は青藍のマントを左肩から前面に回し、頭部と首筋、心臓を守った。
『斬撃耐性3』なら容易に斬り裂かれることはないはずだ。
防御を固め、俺はハンターフィッチを迎え撃つ。
次々と爪の斬撃が繰り出され、手足の痛みと出血が増えるも、わずかな隙を見つけて反撃する。その合間にも『鑑定』に視線を走らせ、打開策を探す。
それを繰り返すうち、一瞬、表記が明滅した。
今のは情報の更新?
そうか、魔力が減少している。ハンターフィッチは魔法が使えない。
ということは、『白閃光華』は魔力を消費するのか。
だが、減少は微々たるものだった。
使い切るより早く、俺が出血多量で死んでしまうだろう。
他に突破口は――。
そう思って見直したとき、別の変化に気付く。
いや、魔力だけじゃない。体力も減少している。
『白閃光華』を発動する前は半分以上、体力が残っていたのに、今は半分以下だ。
右腕を斬り裂き、反撃の剣を軽々と躱すハンターフィッチ。
その口元が赤く染まっているのを見て、俺は確信する。
こいつは一度も噛み付いていない。あれはハンターフィッチ自身の血だ。
自壊している。
『白閃光華』が強力すぎ、動くたびに自らも傷つけている。
こいつは、スキルを使いこなせていない。
俺は甲犀の剣を握り直し、左手に甲犀のスティレットを構えた。
要するに我慢比べだな。
俺が出血多量で死ぬか、こいつが限界を越えて自滅するか。
やってやろうじゃないか。




