第33話 十歳児の日々 ~森の魔物
セレンに行くこと、そして『破邪の戦斧』に道中の護衛を依頼したいと父に告げると、二つ返事で了承してくれた。
母はまだ渋っていたので、手っ取り早くロランとの模擬戦を見学してもらうことにした。そのロランは中年になっても成長するらしく、いつの間にやら29レベルまで成長、名実ともにリードヴァルト最強の騎士となっていた。
貴族の淑女である母は庭の鍛錬場ならまだしも、兵舎に足を運んだことがない。模擬戦をまともに見るのも初めてだったようで、俺とロランの戦いにかなりの衝撃を受けてしまった。
ふらつく足取りで、無言のまま訓練場を去って行く。
母の中の俺と現実の俺が違いすぎたのかもしれない。
数日後、母は「不本意ですが」とセレン行きを了承してくれた。
これで全員の賛成を得たのだが、いざ行くとなると学院について知らないことが多すぎた。そもそも入学試験はどうなっているのか。
父に訊ねると、貴族は無条件で入学できるという。それで良いのか、学院?
一応の条件はあるそうで、手続き後に家長、我が家なら父の確認が必要らしい。それまでは入学しても生徒(仮)だそうだ。
また基礎的な学力や戦闘技術を確かめるため、入学試験も免除されない。
色々と雑で心配になったが、父に言わせれば「貴族の質の向上」が設立目的なので、無学だからと弾いてしまっては本末転倒とのこと。
ともあれ、試験が無いに等しいなら旅の準備を整えるだけで済む。
出発前は何かと慌ただしくなるので、俺は顔見知りとなった者たちへ早めの挨拶に回った。
惜しんでくれる者、平然としている者、惜しむ方向がずれている者と様々だった。
ちなみにネリオ、ラグニディグ、パヴェルの順番である。パヴェルがずれているのは、俺がいなくなるとポーションの納品が減少するだけでなく、将軍茶の生産者がいなくなるからだった。簡単に作れるので教えたのだが、「深みが足りません」と鑑定士みたいな口ぶりで自作の将軍茶をこき下ろしていた。飲ませてもらうとパヴェルの言うとおりだったので、たぶん『調合』スキルが関係しているのだろう。長旅には邪魔になるので、俺と兄の分を除き、残りを進呈することにした。
また気になることがあり、冒険者ギルドのヘリット支部長にも挨拶しに行った。
『破邪の戦斧』は護衛を終えた後も、セレン周辺に活動拠点を移すと言っている。彼らはリードヴァルト有数の冒険者だ。いなくなって治安は大丈夫なのだろうか。
それとなく聞いてみると、やはり抜ける穴は大きいらしい。それでもCランクはまだいるし、冒険者が移動するのは当たり前、と言った。また『破邪の戦斧』は旅費と活動資金を貯めるため、積極的に依頼をこなして荒稼ぎしているそうだ。次々と消化してくれるので助かるが、どうせなら前からこれくらいやって欲しかった、と笑っていた。
挨拶回りや旅の支度を調えながら、残りの期間、俺はいつもと変わらぬ日々を過ごした。
そして出発まで一週間が迫ったある日のこと。
午前の座学が終わり、自室で将軍茶を啜りながら一休みしていると、ロランがやってきた。以前は俺専属の護衛みたいになっていたが、最近は会う機会も減っている。部屋を訪ねてきたのも久しぶりだ。
何用かとロランを見れば、表情が芳しくなかった。
「さきほど報告を受けたんですが、狩人が一人、重傷を負ったようです」
驚いて立ち上がってしまう。
「ネリオか!?」
「それはなんとも」
駆け出そうとして、不意に違和感を覚えた。
「ちょっと待て、おかしいぞ。狩人が怪我をするなんて珍しくない。ネリオかどうか不明なら、なぜお前にまで報告が上がってくる?」
狩人が怪我した程度なら話は警備兵で止まり、騎士の耳に届くはずがなかった。
それなんですがね、とロランは眉を寄せる。
「その狩人、姿の見えない魔物に襲われたらしいんです。今、冒険者ギルドに問い合わせている最中でして。あちらも動くでしょうね。見えない魔物なんて厄介この上ないですから」
「姿の見えない魔物……」
アンデッド? なんと言ったか――半透明の幽霊みたいのがいたよな。それでなければ体質かスキル、外皮が光学迷彩の魔物がいても不思議じゃない。
「分かった。念のためネリオの様子を見てこよう」
ロランを残し、俺はネリオの元へ向かった。
ネリオの自宅周辺に人だかりはなく、いつもの平穏が流れていた。家の前に立てば、中から家主の気配も感じ取れる。どうやら大丈夫そうだな。
扉を叩くと、すぐにネリオが顔を出した。
少し驚いているようだが、特に怪我はしていない。
「やはり別人だったか。さきほど狩人が重傷を負ったと聞いてな。様子を見に来たのだ」
「そうでしたか」
俺が心配して駆けつけたと分かり、ネリオは嬉しそうな顔で礼を言った。
家に上がらせてもらい、何か知っているかと訊ねた。
「怪我したのはゴードという狩人です」
「前に協力してくれた者か?」
「いえ、違います。面識はありますが親しいわけではありません」
そうかと俺は頷く。
正直、知り合いでなくて、ほっとした。
しかしそれ以外に目新しい情報は得られず、俺はひとまず帰ろうと立ち上がる。
見送りに出てきたネリオは別れ際、
「ゴードは慎重な男です。それが大怪我したということは、かなりの相手だと思います。正体が分かるまで森へ入るのは止めた方が良いです」
と真剣な表情で忠告した。
改めて別れを告げると、思い立って冒険者ギルドに向かった。
ギルドにも変わった様子はなかった。
誰も慌てていないし、殺伐とした雰囲気もない。普段通りだ。
カウンターには初見の受付が座っていた。
俺は名を名乗り、ヘリット支部長に会いたいと告げる。
若干、笑顔に緊張を走らせながら、「少々お待ちを」と小走りで駆け上がっていく。そしてすぐに戻ってくると、俺を応接室に案内してくれた。
待ち受けていたヘリット支部長に挨拶し、早速本題に入る。
「狩人が怪我をしたと聞いた。それについて教えてもらえないか」
「それは構いませんが、お知り合いでしょうか?」
「いや別人だった。それでも気になってな。こうしてやってきたわけだ」
納得したようにヘリット支部長は首肯する。
「実は確認できていることは、ほとんど無いのです。ゴードという狩人がレクノドの森で狩りをしていたところ、不意に何者かの襲撃を受けたそうです。咄嗟にクト・ピラプを撒いたおかげで命拾いしたとか」
クト・ピラプ――唐辛子か。あれが効いたのならアンデッドの線は消えるな。
「ゴードはなかなかの腕前と聞いている。ギルドは把握しているか?」
「もちろんです、彼はよく素材を持ち込みますので。もし冒険者として登録していれば、Dランクは確実。Cランクも視野に入ります」
「予想以上の評価だな。そんなゴードが慣れた森で見えない存在に襲われた、か」
考え込む俺に、ヘリット支部長は躊躇いがちに口を開く。
「ここだけの話ですが、ゴードが襲われる前に出立したDランクのパーティーが行方不明になっています。彼らが受けた依頼は採取。早ければ日帰り、遅くとも二日程度で達成できるはずです」
「その冒険者たちも襲われたと?」
「推測の域を出ませんが。ただゴードが襲撃を受けた地点と、彼らが向かった方向が一致しています。ゴードも多人数が移動した痕跡があったと証言しています」
「可能性はあるか。相手は何だと思う? 勘でも構わない」
ヘリット支部長は悩む素振りを見せた。
「……勘で発言するのも出来かねる状況です。真っ先に疑われたのはインヴィジブルストーカーです。しかしゴードは爪の攻撃を受けていました。次に上がったのはヌークリプトです」
インヴィジブルストーカーは知っているが、ヌークリプトは初耳だな。ロランの講義でもネリオからも聞いていない。
それを正直に話すと、ヘリット支部長は当然とばかりに頷いた。
「極めて稀少な魔物ですので、ご存じないのも仕方ありません。一番近い討伐例は三百年前、それほど発見できないのです」
「透明なんだな」
「はい。透明化や幻覚を使うと言われています。そしてその正体は、ネズミです」
「ネズミか」
「ネズミです。犬並みに大きいそうですが」
あいつらなら何でも食べるし、かなり貪欲だ。襲われた説明も付く。
だが、それほど稀少な魔物が突然現れるか?
有り得んな。エラス・ライノやトゥレンブルキューブとは稀少さのレベルが違う。おそらく、魔物オタクみたいな職員や学者くらいしか知らないはずだ。しかも共通点は不可視で爪を持つくらい。結果が正解でも飛びつくのは早計である。
つまるところ、支部長が明言したように何の手がかりも掴めていないわけか。
「正体はひとまず棚上げだな。それで、どうするつもりなんだ? 僕が知っているくらいだ、当然、父にも伝わっている。ギルドが様子を見るなら騎士が出張るかもしれんぞ」
狩人が怪我したり冒険者が行方不明になった程度で領主は動かない。酷い話だが事実だ。
しかし、見えない魔物となれば話は変わる。それがいつ何時、町にやってくるか分からない。調査隊を送り込む、そうでなくとも巡回に命じて調査させる可能性は充分あった。
もしそれで解決してしまえば、犠牲者を出している冒険者ギルドの面目は丸潰れだ。
俺に言われるまでもなく、ヘリット支部長は承知していた。
「ご心配には及びません。すでにCランクのパーティーが調査依頼を引き受けました。明日にも調査に向かうはずです」
「『破邪の戦斧』とか言わないでくれよ」
ヘリット支部長は笑い声を上げながら否定する。
「受けたのは『深閑の剣』。探索能力に特化した者たちで、まさに適任と考えております」