第29話 八歳児の日々 ~青藍
「おうアルター、来てやったぞ!」
引きつった顔のグレアムが、ラグニディグを伴って庭に入ってくる。
さすがドワーフ。マーカントでさえ父の前では敬称をつけるのに、我関せずだ。こんな調子で世界を渡り歩いていけるんだから、大した種族である。
「よく来てくれたな、ラグ」
「おう。へんな酒が飲めるんだろう、来ないわけにも行くまい」
俺はラグニディグとがっちり握手を交わす。相当な腕力のはずなのに、絶妙な握力で握り返してきた。この辺りは、さすが器用さが売りの彫金師である。
そして不機嫌そうないつもの顔で、ラグニディグは集まっている面々を見回した。
「やけに多いのう。誰なのだ?」
「紹介しよう」
家族にラグニディグを紹介すると、「おお、お主が領主殿か。そういや貴族の息子だったな!」と豪快に笑った。屋敷に来といて忘れるなよ。
「儂はドワーフのラグニディグ。アルターの家族であればラグで良いぞ。ああ、それと妙な言い回しはできん。人間の言葉は面倒でな。これが精一杯だ」
「私はアーバン・ビアス・リードヴァルト。知っての通り領主だ。言葉使いも構わんぞ。息子が友人を招いた席だからな」
「うむ、わきまえておる」
暗に公式の場では困るぞ、と父は注意し、ラグニディグはそれを了解する。丁寧な言葉遣いが苦手なだけで、教養や常識が欠けているわけではないのだ。
母と兄も挨拶を終え、次いで『破邪の戦斧』とパヴェルを紹介する。
皆と簡単に言葉を交わすと、ラグニディグはヴァレリーに顔を向けた。
「お前さんがなんとか病に罹っとった娘か」
「あ、はい。貴重なお酒を提供して頂きありがとうございました」
「治ったのなら良い。酒も浮かばれよう。しかし細いのう、ちゃんと食っとるか?」
「半月ほど寝込んでいましたので」
「うむ、ならば食え。遠慮するでない」
「それは僕の台詞だ。それよりもラグ、持ってきてくれたか?」
「おう、そうだった」
ラグは空いているテーブルを探すと、皮袋から小さな包みを並べていく。
何事かと皆が集まってくる。
並べられた包みは五つ。それをラグが細やかな手つきで開いていく。一つ目を開いたところで誰かが感嘆の声を上げ、すべてが開き終わると皆は言葉を失ってしまった。
その出来映えに俺も驚いていたが、平静を装い口を開く。
「察していると思う。これらはラグニディグがトゥレンブルキューブの魔石から作り出した装身具だ。本来なら換金して分配すべきだが、自由に魔石を使わせることがサクリオ酒を譲り受ける条件だった。非常時ゆえ、勝手に決断させてもらった。もし金銭が良いのであれば遠慮なく申し出てほしい。言い出しづらいかもしれんが、人には事情がある。気にせず言ってくれ」
「文句なんか無いが――」
マーカントはブローチを取り上げ、小さく感嘆の声を上げた。
それに続き、それぞれが手近な装身具に手を伸ばす。用意されていたのはブローチ、チェーンブレスレット、リング、ネックレス、フィブラというマントなどの留め具だ。どれも深い青の魔石が填め込まれている。種類がばらばらなのはラグの気分と好みだ。俺は「統一したら?」と意見を述べたが、「好きなように作る」とやりたいように作りまくった。その結果である。ちなみに、どう考えても彫金師の仕事から逸脱しているが、装身具作りはただの趣味であり、何か作らせろ、というのはそういう意味だったらしい。
俺は、好みがかぶったり皆に拒否されたらどうしようとか思いつつ、ラグニディグに説明を求めた。
「トゥレンブルキューブの魔石を砕き、磨いたりカットしてから台座に填め込んだ。装身具としての種類は様々だが、能力は一緒だ。水属性や酸に対する耐性が高まり、一日に三回、初級の盾魔法《水流の盾》が発動できる。防御力は所持者に依存するから、魔法が不得手ならあまり期待するな。それと土台に使っているのはすべて銀だ。魔石の影響で普通の銀よりは硬くなっとる。だが所詮は銀、頑丈に作ったが乱暴に扱えば破損するだろう」
本当に好き勝手に作ったようで、種類だけでなくデザインの方向性までどれ一つ重なっていない。ただ、すべてが優れた工芸品であり、特殊な能力がなくとも高値がつくことは容易に想像できた。
満足げなラグニディグに苦笑を送りながら、俺は皆を促す。
「さ、気に入った物を選んでくれ」
俺の言葉に『破邪の戦斧』は顔を見合わせると、マーカントがヴァレリーを押し出した。
「快気祝いでもあるしな。お前からだ」
ヴァレリーは遠慮したが、視線は一つに釘付けだった。
何度か皆に促され、やっとのことでネックレスを手に取る。台座には精緻な彫金が施され、大きめの魔石が填め込まれていた。銀の鎖は微弱な光にも輝き、留め具は目視できないほど彫り込まれている。五つの中で最も繊細な装身具だった。
それを目の高さまで持ち上げながら、ヴァレリーはため息をつく。
続く男性陣は簡単で、装飾よりも邪魔にならないもの、役立つものを選んだようだ。
マーカントはチェーンブレスレット。太い銀の鎖を繋ぎ合わせた装身具で、大小三つの魔石が使用されている。戦闘時は鉄板補強の革手袋をつけるので、チェーンなら邪魔にならないと考えたようだ。
ダニルはフィブラを選んでいた。マントの留め具なので、一番目立つ装身具だ。中央にボタンのような魔石、そこから左腕に向かって大きさを変えた魔石が三つ並んでいる。銀の夜空を流れる流れ星を連想させるデザインだ。大ぶりなので彫金仕放題なのだが、なぜか装飾は控えめだった。交渉役が多いダニルは、商人などを相手にしたとき過剰にならず、かといって軽んじられないだろう絶妙な存在感に惹かれたらしい。
そしてオゼはブローチだった。小ぶりながら中央と上下左右、十文字に魔石が填められている。外周は鎖を模した装飾が施されていた。これを選んだのは彼らしい理由で、服の裏でもつけられるから、だった。
さてリングが残ったか。
俺はロランを振り返り、その腕を叩いた。
「これはお前のだ」
「は? いやそれはアルター様のでは?」
「僕は別に注文している。少々面倒な品なので、今回は間に合わなかったのだ」
「いやいや待って下さい。こんな洒落たリング、俺に似合うわけないでしょう。そもそも指に入りませんよ」
リングも銀製で、サイズの問題から大きな魔石は使われていない。その代わり、幅5mmほどのリング全体に小さな魔石が散りばめられていた。さながら銀の大地を流れる魔石の川である。耐久性を考え外周部分に装飾は無いが、内側には精密な彫金が施され、所々に透かしが入っていた。重量感の割りに華やかな仕上がりである。
確かに、中年のおっさんにはちょっと似合わないかもしれん。よし、絶対に押しつけよう。これでさっきの失言はチャラにしてやる。
「ロランにも分配を受ける権利があるんだぞ、遠慮するな。それとも金貨が良かったか? いかなる訳あって金貨の方が良いのかは知らぬが、それも致し方ない。どこかで換金すると良い。ラグが苦心して作ったものなれど、事情があるのではな。無理強いはせん」
ロランの視線が泳ぎ、ラグニディグとかち合った。
そのまま彷徨い、オゼの手にあるブローチに向かう。オゼが何か言おうと口を開き掛けたが、それを目で押さえる。交換なんてさせん。
最後は諦めたように吐息を漏らした。
「分かりましたよ。受け取ります」
肩を落とす姿に、ちょっと可哀想になった。
さすがに意地が悪かったか。
「ラグ、燻せるか?」
「おう、簡単だぞ」
「それお願いします!」
「任せておけ。何だったら鎖で首からかけるか? 手頃なのがあるぞ」
ラグは懐から鋼の鎖を引っ張り出した。リングはサイズの影響を受けやすい。こんなこともあろうかと用意していたのだろう。
鎖を通した指輪を見て、ロランは嬉しそうだった。
「燻せば良い感じに落ち着くが、指には入りそうもないの。常にペンダントとしてぶら下げておけ」
「ん、それでも魔道具の効果はあるのか?」
「今回のはな。肌に密着してなくても発動するぞ」
ということは、密着していなければ発動しないのもあるってことか。サイズの自動変更もほとんどの魔道具はないようだし、思っていたより扱いづらそうだな。
そんなことを考えていると、マーカントがブレスレットを撫でながら、ぼそりと呟いた。
「そういや、名前とかあんのかね」
誰に言うともない言葉だったが、俺に向けているのは分かった。
酒の所為で警戒心が薄れているのか、ここにいる全員が『鑑定』のことを知っていると思っているのか。魔道具も一般の道具と同じで、大抵は効果や素材が名称となる。この場合、水耐性のブローチや水流のブローチだ。そして優れた魔道具は、名工の逸品のように特殊な名称がつけられている。
当然、装身具の名は知っているが、俺が発表するわけにはいかない。この中でただ一人、鑑定魔法を使える男に目を向けた。
「青藍」
マーカントの問いかけに応えたのは、ラグニディグだった。
「どの装身具も『青藍』の名を冠しておる。元は一つの魔石、台座の銀も産地は同じ。いわば兄弟同然の魔道具だからかの」
「青藍のブレスレット……悪くねえ」
皆が思い思いに、手にした装身具を見やる。
そんな中、ふとヴァレリーは顔を上げた。
「そういえば、アルター様は何を注文なさったのですか?」
「あ、俺も気になる。面倒な品ってなんだよ」
「勿体ぶるようなものじゃない。ただのマントだ」
ダニルが首を傾げた。
「留め具では――ないですよね。フィブラなら私のと同じ、面倒ではないはず。それ以外にマントで使うとしたら……」
何も思いつかず、俺とラグニディグに答えを求める。そしてその片方、偏屈なドワーフが仏頂面を浮かべていることに皆は気付く。
俺は苦笑を浮かべた。
「魔石の糸を作れないかと考えたんだ。溶かした魔石を染みこませた糸か、柔らかくした魔石を纏わせた糸。それを編み込んだマントはどうかと相談したんだが」
「専門外も甚だしいわ」
「というわけで、ラグの手から離れてしまった。裁縫師や生地職人はなんとかなっても、糸が作れない。今、方法を模索中だ」
実のところ、大きな魔石は品切れだった。ラグニディグが親の仇のように粉砕しまくったため、砂粒程度の物か成形時の破片くらいしか残っていない。それでも掻き集めれば何か作れるとラグニディグは請け合ったが、他の装身具に比べ、どうしても見劣りしてしまう。そこで閃いたのが糸だった。
「もう良いだろう。そろそろ酒を出せ」
面白くない話題だったのか、ラグニディグが話しを打ち切ってきた。
これ以上機嫌を損ねられると困るので、皆に断りを入れ、酒を取りに自室へ向かう。
その途中、何気なく振り返ってみれば、『破邪の戦斧』は装身具を見せ合い、母のヘンリエッテもそれに混ざって一つ一つ見分していた。父はそれを指さしながら、ラグニディグと話し込んでいる。何か注文するのかね?
◇◇◇◇
戻ってみれば、挨拶に来ただけの父たちも椅子に座り、談笑に加わっていた。
いつの間にやらテーブルセットも増えている。ま、『破邪の戦斧』というかマーカントも緊張が解けて自然に会話しているし、問題なさそうだな。
ラグニディグは瓶を二本下げた俺を目聡く見つけると、樽のような身体を揺らしながら駆け寄ってきた。
「それが例の酒か!」
「そうなんだが、あまり期待しないでくれよ。まともに味見できないんだから」
ラグニディグは酒瓶を毟り取り、ほくほく顔でテーブルへ戻っていった。
ラッパ飲みはしないんだな。酒への礼儀だろうか。
いそいそと持参のタンブラーを取り出すと、それへ注いでいく。
芳醇な香りが庭に広がり、全員の視線がそれとなく集まった。酒は濃い褐色で、注ぐほどに黒く染まる。ラグニディグはそれをじっと見つめ、鼻をひくつかせた。
「香りはサクリオに近いの。いや、元がサクリオか?」
「正解。蒸留して少し手を加えてみた」
ふむ、と頷きながら一口味わう。
その途端、にやりと笑った。
「不味い!」
「ああ……それは、すまん」
駄目か。一応、味見はしたんだけどな。
アルコールを飛ばした状態では正確な味なんて分からないよな。飽食の時代を生きてきた味覚でなんとかできると思ったが、甘すぎたようだ。
なんとなく厭な予感はしていたので、普通のサクリオ酒も持ってきている。これで口直ししてもらおう。
しかしラグニディグは俺が差し出したサクリオ酒には目もくれず、再びタンブラーをぐいっと傾けた。
「だが面白い。サプ・ドゥッシルを真似たのか?」
「サプ――何だって?」
「サプ・ドゥッシル。ハーゼル統一王国の北方で生産される酒だ。サクリオよりもきついドゥッシルに、クト・ピラプを漬け込んである」
「クト・ピラプか。それなら入れたな。店で見つけて面白いと思ってね」
俺は雑貨店で埃をかぶっていた粉末を思い出す。ピラプはこの世界でいうところの唐辛子だ。クト・ピラプはその亜種らしく、さらに辛み成分が強かった。雑貨店で扱っていたのは、魔物に投げつけて使用するためだ。
「知らんでやったのか、普通は入れんぞ。しかしこの味、サクリオを蒸留しただけではあるまい。インヴァス、か?」
「さすが、よく分かるな。酒精が弱いから、そちらも蒸留してある」
「甘めのサクリオに痺れるようなインヴァス。それをまとめるがクト・ピラプか。雑味こそ多いが味は複雑。着想は面白いぞ」
「そう言ってもらえると助かる。口直しにサクリオ酒も持ってきた。そちらを飲んでくれ」
「うむ。だが、まずはこいつを頂く。新しい酒はこうして生まれるのだ」
ラグニディグは一気にタンブラーを煽る。
そして「まずい」「辛い」と言いながら、二杯目を注ぎだした。飲めないこともない味なんだろうか。実はこの酒、大急ぎで装身具を作ってもらうための報酬だった。草王の酒薬は、蒸留によりサクリオ以上の酒精となっていた。初日はケセレスの魔法であまり意識はなかったが、二日目以降、飲みきるのにヴァレリーはずいぶんと難儀したものだ。ラグニディグに装身具を頼んでいるとき、それをふと思い出し「ドワーフなら、どんなに強烈な酒でも平気で飲み干すんだろうな」と何気なく呟いてしまった。有るか無しかの声だったのに、プロの酒飲みは聞き逃さない。
半ば脅しのように新しい酒を造ることが決まってしまい、おかげで装身具の作成は快く引き受けてくれたのだった。
次々と杯を空けていくラグニディグ。
その様子がよほど美味そうに見えたのだろう。俺の制止を振り切り、マーカントが挑戦。一口で喚き声を上げ、庭を転がり出した。見かねたラグニディグが口直しに差し出したのはサクリオ酒。それは駄目だろ。マーカントは一気飲みし、再び悶絶。動かなくなった。
そんな姿に皆は笑い、ヴァレリーだけが「毎日それ飲んでたんだけど」と冷たい視線を向けていた。
サクリオも飲みきったラグニディグは、草王の酒薬にまで興味を持ちだした。予備はあるので少量だけ飲ませてみたら、いたく気に入ったらしく「もっと寄こせ」と喚き出してしまう。あれは酒精がどうこう以前に、一種の消毒薬だ。本気で命に関わるので全力で説得した。飲ませるんじゃなかった。
追加のサクリオでどうにか落ち着きを取り戻してくれたので、一息ついてテーブルに戻る。視線を動かせば、パヴェルは紅茶に切り替えていた。そういやほとんど酒は口にしていなかったな。たぶん、急患に備えているのだろう。俺はここぞとばかりに、生まれ変わった将軍茶手揉み二式を振る舞った。奥深い味わいにほどよい苦み。今の俺にとって、これが最高傑作だ。そしてよほど口に合ったのか、パヴェルは絶賛してくれた。久しぶりの理解者を得て俺は小躍りする。
在庫を引っ張り出し、パヴェルと兄のラキウスの三人で『将軍様を愛でる会』を結成。テーブルの一角を占拠し、馬鹿騒ぎしている連中を肴に高貴な香りと味を楽しんだ。ちなみに、このときまで兄の存在をすっかり忘れていたのは秘密だ。これだけキャラの濃い連中が集まると、我が敬愛なる兄上では太刀打ちできん。
その後、立食パーティーは日が落ちてからも続いた。
八年の人生で、最も濃密で命がけだった一ヶ月。
多くを学び、多くの絆を得た。
この夏の出来事は、かけがえのない経験、そして記憶となっていくだろう。
俺は宵闇の宴を眺めながら、未来を思い描いた。
それは幾分、以前より明瞭な気がした。