第24話 八歳児の日々 ~挑戦
解熱、鎮静効果付与の低品質ヒーリングポーションは銀貨6枚、同じ付与の標準品質は金貨1枚と銀貨1枚で買い取ってもらえた。店で買えば付与無し低品質は銀貨5枚、標準は金貨1枚なので、なかなかの評価だったと思う。
その場でセーロン草やいくつかの素材を購入。『調合3』の感覚に任せ、素材は適当に選んだ。たぶん大丈夫だろう。
屋敷へ戻るとロランは俺の依頼を済ませており、テーブルには20本以上の錬金溶液と小さな皮袋が二つ、そして小瓶が置かれていた。ご丁寧に釣り銭も積まれている。
苦笑しつつ、皮袋と小瓶を覗き込む。
これが治療薬の素材か。
いくつかのイメージが脳に浮かぶ。
しかし、はっきりと分かる。これは別の調合だ。ケリセアの汁は単に毒薬の調合方法。エイヌリスはいくつか浮かぶも、すべて他の薬だ。感覚がどれも外れと告げていた。シモンたちが手こずるわけだな。
俺にはまだ早い。
治療薬の素材を脇へ追いやり、買ってきた素材を広げた。
取り出したのはベスセアの樹皮。ヒーリングポーションの工程と異なり、樹皮を使えるようにするには、錬金溶液で煮出して蒸留しなければならない。新しい工程はより経験になるはずだ。なによりベスセアの樹皮は今、役に立つ。
ほどなくして、ベスセアの樹皮添加のヒーリングポーションが出来上がった。
一口飲んでから『鑑定』、その後一気に飲み干す。
苦みが喉を通り抜けると、脳の奥が軽くなった気がした。
無事に効いたようだな。ベスセアの樹皮には眠気覚ましの効果がある。調合すればさらに高まると思ったが、期待通りだ。
俺は気合いを入れ直し、次の調合に取りかかった。
新しい素材は手間取ったが、成否に関わらず着実に経験となっていった。
とにかく数をこなそうと、購入した器具だけでなく古い調理器具やランプを借り受け、同時にいくつもの調合を行った。適当に選んだ中に、アクティニの実というのがあった。有り難いことに疲労回復効果だ。ベスセアの樹皮とアクティニの実の添加ポーションを作りつつ、経験の糧として、血行促進や解毒添加のポーションなども作成した。
多種多様な素材に挑んだのが良かったのだろうか。
昼を過ぎた頃には調合は4へ、夜半過ぎに5へ到達した。
ランタンとアルコールランプの明かりの中、治療薬の素材を手に取る。おそらく、俺はこの町でも有数、下手したら最高の調合ランクに達したはずだ。
まだ不安は残るが、もうあまり時間がない。
『調合3』では手がかり一つ得られなかった。今はどうだろうか。
素材を覗き込む。前と同じイメージ、いや、むしろかなり増加している。その奔流を見極めながら、より不鮮明なもの、より捉えにくい過程を探す。それらしいのがいくつも見つかった。しかし『調合5』がそれを否定する。今求めている答えではないと。
さらに掻き分け、そして――見つける。どれよりも曖昧で、極めて不明瞭なイメージを。
これか?
シモンの大師匠の記録が脳裏をよぎった。似ている。おそらく、これが魔道士の作成した灰吐病の治療薬。
やっと手にした一握りの光明。しかし喜べない。手記を読むかぎり、大師匠もこれを見ている。そして失敗した。見えた以上、俺も彼も調合ランクは足りているはず。なぜ大師匠は作成できなかったのか。
すべての素材は揃っている。ネリオたちのおかげで素材に余裕もあった。
試してみよう。俺はサクリオ酒に目を向けた。
◇◇◇◇
朝日を受けながら、白く濁った液体を睨み付ける。
名称 :弱毒のポーション
特徴 :ケリセアの毒を含む乳白色の毒薬。
特性 :不明
これが俺の作成した治療薬だった。
ただの毒薬。ギルドで見つけた資料を思い出す。八十年前の錬金術師たちと同じだ。どうしてこうなった。何が違う。そうじゃない。どうしてこの結果になるよう「見えて」しまうんだ?
ここ数日を思い返していく。幾度の失敗と成功。
それらを丹念に反芻するうち、一つの可能性に思い至る。
「まさか……ポーションごとに難易度があるのか?」
考えてみれば、「見える」のに失敗した素材がいくつかあった。
極端に品質が下がったわけでもないので気にしなかったが、あれらが難易度の高い素材やポーションだったのかもしれない。
挑戦出来ても成功するかは別。
だとしたら――灰吐病の治療薬は、飛び抜けて高い難易度ということになる。大師匠は俺とは比較にならないほど、錬金術師としての経験を積んでいたはず。それでも届かなかった。『片手剣3』同士が戦ったら、ベテランが勝利する。スキルは所詮、目安だ。
俺は呆然とテーブルを眺めた。
すべて無駄だった?
突貫で積み上げた技術に、繊細な見極めなんてできやしない。数十年、錬金術師として生きてきたシモンたちでさえ、未だ成功していない。俺が挑戦すること自体、無駄な努力だったのか?
小鳥のさえずりに乗って、廊下を歩く音が聞こえる。
もう使用人たちは起きているようだ。
まるで変わらぬ日常。
だが一日一日、薄氷を踏む思いで生きている者もいる。
ヴァレリーに長いこと会ってない。どれほど悪化しているだろうか。
辛いだろうな。彼女もマーカントたちも辛い。助けてやりたいが、タイムリミットは間近だ。せめて一ヶ月あれば、数年以上の知識と経験を掻き集められた。助けられたかもしれない。いや、数年じゃ足りないか。もっと必要だ。せめて魔道士がもう少し手がかりを残してくれれば、俺だって、シモンたちだって届いたかもしれない。
小さく頭を振る。
いや、まだ終わっていない。考え方を変えるべきだ。残された時間でいくら経験を積み上げても、俺は大師匠に並べない。難易度が失敗の理由なら、そもそも挑戦する権利がないのだ。だから、その可能性を捨てよう。
他に原因があると仮定する。
では、それはなんだ?
自問しても、毒を睨み付けても、答えは見つからなかった。
調合スキルを上げ、何度も探り、確認した。これが辿るべき道だと決断し、挑んだのだ。何を見直せば良いのか。選択はあまりにも膨大、それを取捨する蓄積も無い。
どうしても、経験不足という思いが過る。
駄目だ。思考が煮詰まってる。一度、頭を冷やそう。
立ち上がり、強張った身体をほぐす。
休憩したのは何時間前だっけ? まだ朝食には早いか。顔でも洗ってこよう。
廊下に出て、室内を振り返る。
何となくテーブルの毒薬を一瞥し、扉を閉めかけたとき、その手を止めた。
どくん、と心臓が鼓動する。
なんだ――?
スキルの反応ではない。酷く曖昧で、判然としない直感。
部屋へ戻り、テーブルのそれを見下ろす。
やはり何も見えない。『鑑定』でも『調合』でも、見えるものはすべて見た。それでも凝視し続ける。
気の所為――それとも諦めきれないだけか?
違う……こいつじゃない、のか。こいつだが、違う。別の何かだ。何かを見逃している? 見落とした? 忘れている?
柔らかく、形すらおぼつかない思考の欠片。
それが不意に輪郭を帯び、かちりと填まった。
「あ……!」
いや待て、それに意味があるのか!?
治療薬の素材をテーブルに並べ、一つ一つ丹念に「見て」いく。
そうだ、間違いない。この中には青紫が存在しない!
どの素材をどう辿っても、青紫にならないのだ。魔道士の残した残留物は青紫だった。成分が劣化したとは考えにくい。優れた錬金術師ほど生み出すポーションは劣化しない。ましてや治療後すぐに調査が始まったはず。劣化する時間なんて無い。治療薬は青紫、それが本来の色だ。
では、どうして俺のポーションはこんな色に?
目の前の毒薬は乳白色。すぐに一つの素材を見やる。
これはマジュマグの色か? 素材が違っている?
そうは思えない。ろくに見えなくとも、勘に等しい感覚でも、素材は正しい。なにより八十年前の錬金術師もここに辿り着いている。
このまま使うんじゃないのか。何か――特殊な処理が必要?
マジュマグの粉末を錬金溶液に流し込み、加熱してみた。今まで沸騰させなかったので、高温でしばらく放置してみる。しかし変化はない。それを下ろし、新たな粉末を溶液に投入、再び加熱する。今度は低温で攪拌。やはり変化無し。
自棄になり、金網を取り出した。網の中央にはフィズカ石が塗り固められている。セメントや漆喰のようなものだ。そこにマジュマグの粉末を乗せ、直接加熱してみた。やはり駄目か。
網を下ろし、脇に寄せる。
その時だった。振動で崩れた粉末に変化を発見する。
慌ててガラス棒で粉末をまさぐった。
「色が……」
たった数粒。乳白色の粉末に混ざる青紫。
直接、火にかければ良かったのか。でも、なぜこの粒だけなんだ?
慎重に選り分け、青紫の粒を『鑑定』。
結果は、「加熱処理されたマジュマグの粉末」。他の粒はそれに(過剰)が追記されていた。加熱のしすぎ。しかし工程を思い返しても、適当に炙っただけで特別なことをしていなかった。そもそも温度なんて分かるはずもない。少量にして何度か試してみたが、ほとんど失敗し、稀に数粒だけ加熱に成功した。
これでは埒が明かん。
マジュマグの粉末を抱え、調理場に向かった。
調理場では、料理長らが忙しそうに手を動かしていた。
彼らは俺の姿を見て怯えたような表情を浮かべたが、慌てて笑みを張り付けて取り繕う。
「これはアルター様。如何なされましたか」
竈を一瞥。火は入ってるな。
「少し借りるぞ」
返事も待たず、フライパンに粉末を流し込み竈へ突っ込んだ。
同時に『鑑定』を発動、それを凝視する。周囲はざわついたが、一切無視して食い入った。変化する対象に鑑定を行使するのは初めてだ。恐ろしく集中力を使う。
炎のそばに座り込み、吹き出す熱を全身に浴びる。汗が止めどなく滴った。
料理人が何か言いたげに近寄ってきたとき、その瞬間が訪れる。
乳白色の粉末が一斉に青紫へ変化、一瞬で元の色へ戻っていった。
俺の『鑑定』と『調合』が、それをはっきりと確認する。
これだ、今のが本当に必要な素材。
それにしたって、どれだけ繊細なタイミングなんだよ。火の当たり所で温度にはむらが発生する。しかも加熱しすぎれば途端に「過剰」となり、使い物にならない。いくらなんでも、こんなのは錬金術師の技術じゃない。むしろ――
「アルター、何をしてるのです!?」
顔を上げれば、母のヘンリエッテだった。
「おはようございます、母上。ゆっくりとお話したいところですが、申し訳ありません。たった今、急用ができてしまいました」
母に断りを入れ、「だれか、ロランを呼べ!」と命じた。
ロランはすぐに食堂にやってきた。そして俺を見るなり呆れたように首を振る。
「おお、益々世捨て人のようになられて。それで、朝早くから何用でしょうか」
「これを見ろ」
加熱処理されたマジュマグを数粒、テーブルに乗せた。
「これは、宝石の粒――ですか?」
「マジュマグだ」
「これが? なぜこんな色に……」
「よく聞け。このマジュマグが真の素材だ。だが、こうするには恐ろしく繊細な加熱処理が必要となる。加熱しすぎると、もう使い物にならん」
「加熱……では――」
「ああ、鍛冶師だ。こいつの処理には彼らの助けが必要だったんだ。すぐに分配したマジュマグを回収、腕の良い鍛冶師に届けろ。完成したら再分配、僕の分も忘れるな」
「承知!」
ロランが駆け出していく。
自室に戻ろうとして、俺は足を止める。
「母上。もうしばらく、好きにさせて下さい」
母は、そっと俺を抱きしめた。
甘い香りが俺を包み込む。このまま眠りそうになった。
「あなたが友人のために頑張っていることは知ってます。でも無理はしないで」
「はい、もちろんです」
母に一礼、料理人たちに「騒がせた」と謝罪し部屋へ戻った。
作り置きの眠気覚ましポーションを一気に煽る。
寝てないけど、無理はしてないさ。たぶん。