第2話 神域
こいつが何者なのか、何となく想像できても認めたくなかった。
どちらを向いても白一色の風景。
壁はおろか、天井や床があるのかも定かでない。
全体がほどよく輝き、狭い気もするし、どこまでも広がっているようにも感じ取れた。
そんな異様な場所に座り込み、俺は覚悟を決めて目の前の存在を見上げる。
「まさかとは思うが……神様なんて言わないよな?」
「はっはっは、そんなまさかの神様だよ」
白髪の老人が長い髭を揺らす。
柔和な顔立ちに大ぶりの団子っ鼻、体型はぎりぎりで小太りの範疇。
これで肥満体なら、国民的RPGの「かみさま」にそっくりである。
俺がこのふざけた存在に神様かと問いかけたのは、風貌だけが理由ではない。
とにかくでかかった。
身長は四メートル以上、お互い座っているのに俺は見上げている。
さすがにこんな人間、いるはずもない。
「そんなまさかの神様が何のようだ」
「君、死んじゃったんだよ」
「死んだ……?」
そうか、さっきのトラック。俺は撥ねられたんだな。
言葉として理解はできたが、実感はまるで沸かなかった。
おそらく即死だったのだろう。痛みを感じた記憶もない。
「ここは死後の世界か」
「え……うん、まあ」
なぜか歯切れが悪かった。
死後の世界じゃない?
人間の考えるような天国とか地獄がなかったとしても、死んだ後に続きがあるなら死後の世界だ。意味が分からん。
首を傾げていると、自称神様の足下で何かが動く。
俺は吸い寄せられるようにそれへ視線を向け、釘付けとなった。
感覚では数分前の出来事。見間違えるはずもない。
「そいつは――」
さっきの子犬である。
尻尾をパタパタ振って自称神様を見上げ、「にゃあ」と鳴いた。
「どっちだよ! 何そいつ、犬じゃないの!? なんでこいつが――」
不意に、最後の瞬間を思い出す。
助けようとした時、この生き物は姿を消した。
まるで瞬間移動でもしたかのように。
「まさか……あんたのペットか?」
「ペット呼ばわりは失礼だよ、君。この子は歴とした神獣さ。名前はポピー」
「思いっきりペットの名前じゃねえか! 俺はその神獣とやらを助けようとして死んだの!? いやそれより、神獣ってトラックに撥ねられたら死ぬの!?」
自称神様は、さっと目を逸らした。
「死に損かよ!」
「いやぁ、ちょっと目を離した隙に遊びにいっちゃって。気付いたらね、うん。君が吹っ飛んでた。てへ」
「ひたすら気持ち悪いわ! ふざけんな、今すぐ戻せ! 俺は帰る!」
「そうしたいところなんだけど、もう死んでるから。その体も複製だし」
複製――?
思わず視線を落とす。
すっかり見慣れた両手。身体のどこにも違和感はない。間違いなく俺自身だ。
「複製が事実として……元の体は?」
「今頃、自宅に戻ってるんじゃないかな」
「そうか、帰ったんだな。なら良し」
「良いんだ……」
まったく、驚かせやがって。
帰宅したんだろ、それなら文句はない。
「天国でも地獄でも構わん。死んだのなら、さっさと行き先を決めてくれ。あ、送らなくて良いぞ。一発勝負は久しぶりだし。そこまでの最高記録も頼む」
「君ってあれだよね? おかしな人って言われない?」
自称神様は失礼なことをのたまった後、「こほん」と居住まいを正す。
「さて、杜典己君。色々あったお詫びに君を異世界へ転移させることにしました」
「却下だ。転移なんてするか。歩いて行けるところにしろ。天国か地獄だ」
「そっちも無理だから。歩いて行けないから」
そう言うと、不意に自称神様は声を落とす。
「僕にも不手際があったでしょ? それで、すっごく怒られたんだ。君のところの神様に」
「あんた、地球の神じゃなかったのか」
「僕は別の世界、君たちの言うところの異世界の神なんだ。まあ、神って名乗ったけど、ただの――なんて言うのかな、上位生命体? みたいなものだけどね。僕の世界は神がたくさんいて、いわゆる多神教なんだ。僕はその一柱、狩猟の神様として崇められているんだよ」
自慢げに胸を反らし、腹の脂肪をぷるんと震わせる。
この体型で狩猟の神? なら、迷犬ポピーは狩猟犬?
嘘だな。
「君らの概念における神じゃなくても、肉体の複製と魂の封入くらいはできるからね。そんなわけで、君には明るく楽しく天寿を全うしてもらわないと困るんだ。また怒られるし」
「だから異世界、あんたの管理する世界に送るってことか」
「え……」
自称神様は、なぜか俺の問いかけに言い淀む。
胡乱げに見上げると、視線を泳がせた。
どこに飛ばすつもりだ、こいつ。
「ほ、ほら――僕は一柱って言ったでしょ? 勝手なことすると、みんな怒るんだよ。でもでも、良い世界があるんだ! そこの神は眺めるのが趣味でね、熱帯魚育成ゲームとかあるでしょ? そんな感じ! ちょっとくらい干渉しても平気だから!」
「なんか、不祥事を隠蔽するのに必死だな」
呆れる俺に、自称神様は言い募る。
「そんなことないって! すっごく面白い世界だから! みんな大好き、剣と魔法の世界! ステータスだってあるし! あ、チートだって付けちゃうよ! 空間魔法とかどう!? 転移だって――」
「あ!? まだ言うか、お前は!」
俺は立ち上がり、人差し指を突きつけた。
「転移なんかで帰宅して何が面白い!! 抜け道を発見したときの感激は!? 自宅へ滑り込んだときのほどよい疲労と達成感は!? 転移なんざ甘えだ!」
自称神は巨体を丸め、すっかり縮こまってしまった。
そして、そのままの体勢で頭を下げる。
「よく分からないけど、ごめんなさい。ならチートは――」
「いらん!」
「ええ……それは困るよ。何かつけないと、君のところの神が怒るし。こっちで選んでも良い?」
「勝手にしろ!」
「じゃあ、これとこれをつけて――よし、それじゃ送るね!」
自称神は手の平をこちらへ向け、何かを念じ始める。
その時だった。
尻尾を激しく振り回し、迷犬ポピーが手の平に飛び掛かっていく。
「ポ、ポピー! これは遊んでるんじゃ――あ」
まばゆい光に包まれながら、俺は再び意識を手放した。
とっても嫌な予感とともに。