第18話 八歳児の日々 ~灰吐病1
馬車には俺とヴァレリーが乗り、他の者は徒歩で向かう。
道中、オゼが「あちらの都合もありますから」と走り出した。頼みの神官が不在だったり、忙しくて看てもらえない可能性を憂慮したのだろう。
目的地は地母神ミルティーヴァの神殿。太陽神ラクトスと並び、この町で人気の一柱だ。ミルティーヴァの神官に優れた神聖魔法の使い手がいるというのは、冒険者のみならず、町の常識らしい。
神殿が見えた頃、オゼが小走りで戻ってくるのが見えた。そして俺たちと視線が合うなり、黙って頷く。どうやら看てもらえるようだ。
ミルティーヴァ神殿には多くの参拝者が出入りしており、その人混みに紛れ、一人の神官が入り口で俺たちを待っていた。簡単に挨拶を済ませ、彼の案内で神殿の奥へと向かう。
「ケセレスと申します。どうぞ、おかけになって下さい」
案内された部屋に入ると、初老の神官が俺たちを出迎えてくれた。
俺たちがソファに座るのを神官はじっと見ていたが、不意にヴァレリーへ視線を向ける。
「ご病気なのはそちらの女性ですね」
「分かるのですか」
簡単に言い当て、俺は驚いた。
確かに顔色は悪いが、そこまでではない。事前に探知する魔法でも発動していたのだろうか。
そんな心の動きが読めたようで、ケセレスは笑いながら首を振った。
「いえ、皆さんがその方を気遣っておられましたので」
思いっきりヴァレリーが顔を赤らめ、なぜかマーカントが叩かれた。
俺たちがそれぞれ名乗り終えると、ケセレスは改めてヴァレリーへ微笑を向けた。
「それでは看てみましょう。簡単な魔法を行使するだけですから、構える必要はありませんよ。普段通り、自然体でお願いします」
そう言って、ケセレスは魔法を発動した。
ヴァレリーの方を向いているが、ケセレスの焦点は違うところに当てられている。俺が『鑑定』を発動しているときも、こんな風に見えているのだろう。
ほどなくしてケセレスは魔法を解除。その表情は、さっきよりも陰っているように感じた。
「《状態検知》を行使しました。初級魔法なれど、あらゆる状態異常や病を判別できます。ですが病気であること以外、何も分かりませんでした」
どうも、あまり良い結果ではないようだ。
ケセレスによれば、大雑把にしか読み取れないときは難病だったり、毒であれば稀少な猛毒だったりするらしい。それを聞き、『破邪の戦斧』の表情も暗くなった。
しかし、すでに病名は分かっている。必要なのは治療だ。
そう思ったが、続く言葉に俺も顔を曇らせることになる。
「このような状態であると、《疾病治癒》は効かないかも知れません。必ずではないのですが、経験上、治せたことは一度もありません。いかがなさいますか」
「頼む、やってくれ!」
食い気味にマーカントが頼み込む。
無作法な言葉だったがケセレスは嫌な顔一つ浮かべず、ただ神妙に頷いた。
そしてヴァレリーの手を取り、《疾病治癒》を発動させる。ゆっくりとヴァレリーの体が青白く光り、それが一際強まると同時、不意に掻き消えた。
「体が……楽になった気がします」
ヴァレリーの言葉に、マーカントが喜びの声を上げる。
『破邪の戦斧』は胸を撫で下ろしているが、俺は無言でケセレスに視線を向けた。
ケセレスは硬い表情のまま、再び魔法を発動。微かに首を振る。
おそらく《状態検知》で確認したのだ。そう、灰吐病はまだ消えていない。背後のロランも黙ったままだ。俺の様子から察しているのだろう。
「ケセレス殿」
俺は促した。ぬか喜びはきつい。早めに伝えるべきだ。
ケセレスは静かに目で返答すると、ヴァレリーに告げた。
「申し訳ありません。治療は失敗です」
「でも体が楽に……」
「それは一時的なものと思われます。多少の効果はあったのかもしれませんが、未だ病は癒えておりません」
皆が静まりかえる中、俺は口を開く。
「今のは中位魔法と聞き及んでいます。上位魔法をお願いできませんか」
「申し訳ございません。私は扱えませんし、この町はおろか近在にもいないでしょう。力及ばず、重ねてお詫び致します」
「いえ、ありがとうございました。それで、こういう場合、通常はどのような対応を取られますか」
「帝都へ行くことをお勧め致します。彼の地には上位神聖魔法の使い手、ベステン殿が在住しております。ラクトス神官なれど、同じ神聖魔法の使い手ゆえ面識がございます。私で良ければ紹介状を書きましょう。ですが、彼は忙しい身。すぐには面会できないかも知れません」
帝都――二週間以内に辿り着けるのか?
ケセレスの言うとおり、紹介状を貰っても簡単に会えるとは思えない。この町では領主の息子と特別扱いされているが、あそこでは庶民と大差ないだろう。たとえ期間内に到着できても、どれほど待たされるか分からない。それに移動の疲労で、ヴァレリーの様態が悪化する可能性も考えられる。悪手ではないが、最後の手段にすべきだ。
「この町で対処するとしたら、どうすれば良いでしょうか」
「医師の診察を受けるとよろしいでしょう。私たちは癒やせても、和らげることはできません。錬金術師を当たってみるのも良いかと。医師の扱うポーションを作り出してるのは彼らです」
錬金術師か。それは考えてなかったな。
俺はロランを促すと、遠慮するケセレスに幾ばくかの金貨を渡し、神殿を後にした。
御者にそのまま待つように告げ、人混みを避けて路地へ入る。
周囲に人気がないのを確認し、ロランに問いかけた。
「帝都までどれくらい掛かる?」
「馬車を使うのであれば、十二日から十四日でしょうか。それも馬を替え、休息も取らず、道中に問題が起きなかった場合です」
「急いでも十日以内は難しいか」
「無理でしょうな」
話にならない。すべてが奇跡的に噛み合ってもぎりぎりだ。ヴァレリーに残された時間は、おそらく十日ほど。『鑑定』の説明が発症からの平均死亡日数だったとしても、数日余裕があるかどうか。医師を当たってみるしかないだろう。
「確か、リードヴァルト家の主治医がいたな」
「パヴェル殿ですね」
「よく知らないんだが、腕は確かか?」
「この町で最も優秀な医師ですよ。そうでなければ、領主の主治医は務まりません」
「それもそうだな。では早速行って――」
「そこまでして頂くわけには参りません」
唐突に、ヴァレリーが俺を遮った。
言葉の意味を掴みかね、ただ見上げる。
「私がどのような病なのか、教えて頂いて感謝しています。神殿にまで連れてきてもらいました。これでもう充分です。後は私の――私たちの問題です」
予想外の発言に、俺は押し黙った。
表情を消し、口を引き結ぶ。
私たちの問題、か。そこに俺はいないんだな。
どうやら友人と思っていたのは俺だけのようだ。考えてみれば年の差は開いているし、貴族と冒険者では身分も違う。所詮、依頼主と元護衛の関係だったのか。
それでも――見捨てるわけにはいかないよな。ここで投げ出したら俺自身の感情をも裏切ってしまう。縁が切れるにしても、すべてが終わってからだ。
しかし、拒否する相手に善意を押しつけるのか。
有り難迷惑では、ただの自己満足になってしまう。多少は当人にも納得してもらいたいが。
硬い表情のヴァレリーから視線を外す。
マーカントは困惑しているようだ。何か言おうと口を動かし掛けるも、ヴァレリーの態度に声を出せずにいた。ダニルとオゼは、ただ怪訝な顔を見合わせている。
どうやら俺を突き放したいのはヴァレリーだけか。嫌われるようなことをした覚えはないんだが。それにしても、ちょっと珍しい構図だな。『破邪の戦斧』でも頭脳派の二人が話しについていけてない。
――いや、なぜだ?
ダニルとオゼが状況を把握できないのは何故なのか。マーカントはヴァレリーの決断に不満を感じている。しかし二人はその意味が分かっていない。両者には明白な差異、落差がある。
俺が黙っているので業を煮やしたのか、ヴァレリーが言葉を重ねようとしたが、それを手で制す。
そうか、なんとなく見えてきた。
考えてみれば簡単な話だが――違ってたら恥ずかしいな、これ。
「僕の心配をしてるんだな?」
俺が見上げると、ヴァレリーの視線が揺らいだ。
正解か。俺を関わらせないようしているのは、『鑑定』の所為だ。
ケセレスにも灰吐病と診断できなかった。おそらく医師のパヴェルも同じだろう。むしろ素人が病名を断定しても不愉快にさせるだけ。そのために俺は『鑑定』持ちだと告白しなければならない。これ以上ない説得力を秘めている。だがヴァレリーは、それを良しとする性格ではなかったのだ。
実際、必要があれば誰が相手でも話すつもりだった。告白したことで警戒が緩くなっていたのは否めない。
帝国の『鑑定』保有者は魔術院に所属している。皇帝陛下にお目通りできる身分だ。栄達を望める反面、命を脅かされる危険もあった。不用意な暗殺者なら、『鑑定』持ちは「見た」だけで見抜けてしまう。戦場で相対しても手札は筒抜け。敵にとって厄介な存在である。だから真っ先に排除しようと動く。『鑑定』を明かすのは、殺される覚悟も必要だった。
ヴァレリーの表情は硬いままだ。致死率は伝えていないのに、どこか死を覚悟しているようにも見える。治癒魔法の効果がなかった段階で、悟ったのかもしれない。
俺の発言でマーカントにもヴァレリーの真意は伝わったが、経緯を知らないダニルとオゼは未だに話が見えていないようだ。もういっそのこと、二人にも告白してしまおう。『破邪の戦斧』なら誰でも同じだ。彼らに裏切られるなら、俺に見る目がなかっただけである。
それはそれとして、まずはヴァレリーを説得しないとな。
パヴェルに『鑑定』を打ち明けるという選択はとれない。ヴァレリーが納得しないし、そもそも俺はパヴェルをよく知らなかった。医師だから口は硬いだろうが、確かに『鑑定』を明かすのはリスクがあるかもしれん。それでも打ち明けるのが最善手ではある。単純に言葉の重さが違うからだ。『鑑定』できることを証明し、灰吐病と言えば信じるしかない。逆に言えば、軽重を問わなければ誘導くらいは可能だ。パヴェルが対処法を知っていればそれで済むし、知らなくとも状況は変わらない。
そうか、始めから打ち明けても意味がないんだ。
なら、ことは簡単だな。少々強引だが、これで押し切るとしよう。
俺は後ろのロランを見上げた。
「少し面倒を掛けるぞ」
「まあ、いつものことですな。何をすれば?」
「お前は冒険者として各地を転々としていた。だから灰吐病も知っている。原因は不明なれど、ヴァレリーの症状はそれに酷似している」
ロランは困ったように頭を掻く。
「なるほど。万が一を考え、神官のケセレス殿に治癒魔法を頼んだが完治しなかった。いよいよとなり、これは名医であるパヴェル殿におすがりするしかない、と」
「そうだ。では早速向かうとしよう」
ヴァレリーはぽかんとしていたが、慌てて首を振る。
「それで隠し通せるわけがありません! 数ある病の中で、誰も知らないような病気を思いつくはずないでしょう!?」
「何を言う。人生というのは不可思議の連続だぞ。猫みたいな鳴き声の馬鹿な子犬の所為で馬車に撥ね飛ばされたり、神を騙る小太り爺さんに化け物の群れへ放り込まれたりするものだ」
「そんなことは起きません!」
俺の前世を真っ向から否定してくれたな。
「諦めろ、ヴァレリー。もうこの方針で行くと決めたんだ。ロランの覚悟を無駄にするな」
「しても構いませんがね」
ロランの尻を蹴り上げると、渋るヴァレリーと事態を飲み込めないマーカントたちを連れ、俺はパヴェルの元へ馬車を走らせた。




