第177話 警備任務2
翌日の昼頃、ぐったり横たわるクリフの胸元に水袋を置き、俺は木剣を片付けに向かった。
ジーノが朝食と共に木剣を持ってきたのは少し前である。
俺たちの食事が終わるまで雑談していたが、鍛錬は仕事があるからと断り、空の食器を抱えて帰って行った。
雑用なら従業員に任せれば良い。わざわざジーノが出向いてきたのには、別の目的があると思う。昨日は俺の実力、今日は性格調査といったところか。
今更、ルーベンやオリアンヌが指示するとは思えない。共に戦うのは警備の連中だから、デリックかジーノ本人の考えだろう。
木剣を壁に立てかけ、バックパックを背負って倉庫を出る。
そんな俺の姿を見て、横たわったままクリフが見上げてきた。
「出かけるのか?」
「約束の日だ。例の店に行ってくる」
運が良ければ、氷結属性の魔石を用意してくれているはずだ。
クリフは同行する気がないようなので、俺はひとりで出発した。
ミランダとテス、怪しい男に注意しながら大通りに出ると、何気なく振り返ってラムロン商会を見上げる。
四階にいたはずのオリアンヌが、今は三階にいた。
ジーノによると、昨晩、どこかの商会が屋根から侵入されたそうだ。
金品を盗まれたうえ、気付いた従業員が殺害されたという。それを聞いたルーベンは、すぐさま警備対象――オリアンヌを三階に移動させた。
どう考えても判断が遅い。俺でさえ検討した経路で、今になって慌てるのは不自然である。ジーノは何も言わなかったが、襲撃が近いと思った。
オリアンヌを三階に移動させたのは、隙を作るためだろう。
最初に選ばなかったのは、四階より守りにくいからだ。建物の構造は知らないが、渡り廊下がかなり近い。それに四階の窓は小さかったのに、三階は余裕で通り抜けられるほど大きい。
危険を承知で勝負に出たのは、長期戦になるほど不利だからだ。
守りを固めたことで、襲撃者は攻めあぐねていた。ルーベンが有利に見えるが、実際はそうでもない。襲撃者が主導権を握っているため、警戒を緩められない。デリックたちには相当な負担が掛かっているはずだ。そんな状態が続けば、いずれは綻びが生じる。
そこへ、のこのこと現れたのが俺だ。
一時的にラムロン商会の戦力は増大し、襲撃者を撃退するには絶好の機会である。
ルーベンは決断し、窃盗事件を口実に餌を撒いた。もしかしたら、強盗事件はでっち上げかもしれない。
まあ、すべて推測にすぎないが、何らかの影響は与えるだろう。
襲撃者が撒き餌と勘付いたとしても、好機なのも事実だ。
視線を戻すと、怪しい男や監視に注意を払いつつ、俺はダドリー商店へ向かった。
真昼の日差しを浴びながら、大通りを進んでいく。
久しぶりの外出で気持ちよいのだが、正直、風景はあまりよろしくなかった。
娼館が目立つし、奴隷商の馬車も多い。少なからずの奴隷が乗せられ、奴隷商館やよその土地へ運ばれていく。
ラムロン商会で雇われているのに今更だが、ここがどういう町か痛感させられる。
複雑な気分になりながら歩いていくうち、いつもの店構えが見えてきた。
店主も相変わらずで、俺を睨み付けるなり、無言で小さな木箱を取り出した。
箱の中にはオルスリザードとジーラウの魔石、リーク・ラビットの魔石が十個も入っていた。
オルスリザードは三年前、フィルの捜索中に『深閑の剣』が戦っているのを目撃している。リードヴァルトでも珍しいが、ジーラウとリーク・ラビットはさらに珍しかった。
ジーラウはストローのような口を持つキツネっぽい魔物で、リーク・ラビットは群れで襲ってくるウサギの魔物である。どちらも生息地はハーゼル統一王国の北部だ。
ダドリーが同じ内容を説明してきたので、俺は驚いて見せる。
「ジーラウとリーク・ラビットか。初めて見るな。ハーゼルから輸入したのか?」
「いや、寒波に乗って南下してきたそうだ。今は入手しやすいが、いずれ市場から消えるだろう」
こんなところまで寒波の影響か。いい加減にしてほしいが、今回は感謝だな。
俺は『魔道具作成』を発動し、魔石を吟味した。
リーク・ラビットは珍しいが、ハーゼルでの価値はゴブリン並みである。発現しそうな効果は少なく、単体では魔道具になりそうもなかった。他の魔石を触媒にすれば確率は上げられると思うが、ざっと見たかぎり、オルスリザードとジーラウを含め、どの魔石も《氷霜》の可能性は見当たらない。
やはり、大系から外れていると作成しづらいな。
もう少し深く調べてみようと思い、一つずつ手に取っていく。
理論上、独自魔法や固有スキルでも作成は可能である。
ステータスが能力を元に算出されるのと同じで、魔法やスキルも結果が先だ。元から存在している自然現象を模倣、もしくは複数の現象を組み合わせて再現している。
一見すると不思議に思えるが、前世の研究者や発明家と大して変わらない。皆が知らないだけで、現象自体は存在していた。
そういうわけで、後世に開発された魔法やスキルほど発現しにくい現象だった。
《氷霜》もそれに当て嵌まるため、探し出すのが難しい。
俺は無数の現象から余計な効果を排除し、微弱な可能性まで拾い上げていく。
そしてようやく、リーク・ラビットの魔石にそれらしき可能性を見出した。
とはいえ、なかなかの綱渡りである。単体では失敗しそうだ。
他の魔石との組み合わせを検討したところ、オルスリザードとジーラウの魔石を解放すれば成功率が高まりそうだった。
俺は三つの魔石を選り分け、ダドリーに問いかける。
「いくらになる?」
「オルスリザードは金貨十五枚、ジーラウは金貨七枚、リーク・ラビットは金貨一枚だ」
「全部で金貨二十三枚か」
手持ちは金貨十一枚、だいぶ足りない。
素材を掻き集めればどうにかなるが、外に出るのは許可されていなかった。
クリフから借りるのもどうだろう。あれは襲撃がなかった場合の購入資金で、金貨三十枚はテスひとり分になるかも怪しい。クリフの気持ちを考えると、貸してくれとは言えない。
そもそも、金貨十枚は前世の百万円と同程度の価値だ。気軽に貸し借りできる金額でもない。
一旦、諦めるしかないか?
リーク・ラビットの魔石だけ購入し、依頼が終わった後に改めて買いに行くのも手だ。
オルスリザードとジーラウの魔石が売れてしまったとしても、基本のリーク・ラビットは手元にある。焦らずに他の魔石で代用できるか検討し、厳しそうならハーゼルから氷結属性の魔石を取り寄せれば良い。
ただ――それでも運次第だ。目の前に可能性があるのなら、掴んでおきたい。
試しに四日ほど待ってほしいと頼んでみたが、買える分で我慢しろ、と返されてしまった。懲りずに、依頼の報酬で支払いを申し出ると、ダドリーはこれ見よがしにため息をつく。
「お前の頼みを聞き、方々から預かってきた。いつまでも待たせてはうちの信用に関わる。どうしてもと言うなら、自分で交渉しろ」
正論で切り返され、言葉に詰まってしまった。
やはり、何かを売って工面するしかないか。
迅風のシミターは論外として、斬撃強化のナイフは『斬撃強化2』、金貨五枚から七枚で売れるはず。それにヒーリングポーションを加えれば――いや、回復手段を失うのは避けたい。特に今の状況では。
考え方を変えよう。
すでにダドリーは頼みを聞いてくれた。さらに頼むのは虫が良すぎる。
だから、俺以外の利益が重要だ。
しばし悩んだ後、斬撃強化のナイフをカウンターに置く。
「担保として預ける。四日経っても戻らなかったら、これを売り払ってくれ。その代わり、期限までにすべての魔石を買い取る」
俺の提案を聞き、ダドリーは片眉を上げた。
「いくら足りない?」
「金貨十一枚」
「Dランクでも上の方の報酬だ。本当に払えるのか」
「ちょっと複雑な依頼でね。報酬が破格なんだ。もし依頼に失敗しても、必ず不足分の素材を用意する」
俺が断言すると、ダドリーは腕を組み考え込んだ。
悪い提案ではないと思う。いくらダドリーが優秀な商人でも、ないものを集めるのは無理だ。これだけの数が揃ったのは、在庫がだぶついている証拠だ。それに魔石を買う者は限られる。いつかは売れるにしても、四日ですべて捌けるとは思えない。
ほどなくして、ダドリーは斬撃強化のナイフを鞘から引き抜いた。
そして剣身を検め、静かに頷く。
「良いだろう。四日間、待ってやる。それまでに稼いでこい」
◇◇◇◇
裏通りの雑踏に紛れながら、ラムロン商会へと向かう。
選択肢がなかったとはいえ、さらに面倒な状況になってしまった。依頼に失敗したら、いくら必要になるんだか。
ミランダとテスに金貨百枚以上、魔石で金貨三十二枚……。
ただ、優先順位を間違えないようにしないとな。
魔石は必須ではないが、これからの活動で重要だ。場合によってはルーベンの依頼を放棄してでも、魔石を優先すべきだろう。
正面からやってきた馬車を、脇に避けてやり過ごす。
荷台には無数の気配。
それを見送っていると、不意にテスの姿が脳裏に浮かぶ。
少しでもミランダの負担を軽くするため、必死で働いているのだろう。
できることなら――二人も助けたい。
再び裏通りを進みながら、依頼に意識を向ける。
振り回されているのは否めない。
警備対象がどこにいるのか知らないため、守っているという感覚がなかった。
しかも依頼の成否は、ルーベンの決断次第である。だから責を負わないという条件を足したのだが、ここまでやりづらいとは思いもしなかった。
依頼の達成は、どこかにいる警備対象が奪われる前に襲撃者を撃退。
依頼の失敗は、どこかにいる警備対象が奪われること。
どこかを除けば単純な依頼ではある。
注意点があるとしたら、囮のオリアンヌだな。
ジーノから守るように指示されているし、元Bランクの価値はかなり高い。もし奪われたら、ラムロン商会に大きな損害を与えてしまう。
失敗の責は負わなくとも、それを理由に失敗と言いかねない。オリアンヌを囮と思わず、本物のつもりで守るべきだろう。
ひとまず状況を整理すると、そっと背後へ視線を動かした。
それで――何だろうな、あいつら。
先ほどから三人の男が跡を付けてくる。背中に強い視線を感じるので、進行方向が同じだけとは思えない。実力はDかFランクで、能力の傾向や装備だけなら普通の冒険者に見える。怪しい男の仲間だろうか。
試しに歩調を落としたところ、男たちは早足で近付いてくる。
「そこの獣人」
警戒しつつ振り返ると、先頭の男が冒険者証を見せてきた。
「Dランクの『タルニス』だ。お前の名は?」
「突然、何だ? 聞いてどうする」
「俺たちは逃亡奴隷を捜してる。お前とよく似てるんだよ」
まさかのそっちか……。
これ以上、状況を複雑にしないでくれよ。
うんざりしながらも、冒険者証を取り出す。
「こちらも冒険者だ」
「そんなもん、誰でも作れるだろ」
「盗品じゃねえのか?」
「装備もな。ちょっと話を聞かせてもらおうか」
好き勝手に言い合うと、三人は俺を囲んできた。
困ったことにほぼ正解だが、ユネクが逃走したのは二ヶ月以上も前である。シルヴェックでうろうろしているはずがない。まあ、何を言っても無駄だろうな。こいつら、分かったうえで難癖を付けている。
俺は薄く呼吸し、迅風のシミターに手を掛けた。
「冒険者証は見せた。それでも疑うなら、力尽くで従わせてみろ」
そう言った途端、男たちは動きを止めた。
一応はDランクらしい。俺の構えや雰囲気で、素人ではないと悟ったようだ。
通行人も不穏な空気を嗅ぎ取り、俺たちの周りから離れていく。
三人は警戒こそしたが、引こうとしない。
すでに逃亡奴隷、ユネクでないのは明白だ。やはり強請り目的、あわよくば奴隷に落として金儲けが狙いだろう。
相変わらず物騒な町だが、帝国における獣人なんて、そんな扱いだと思う。やり方が違うだけで、ウォルバーの冒険者も同類だった。
だとしたら――怪我をさせるのはまずいな。
衛兵はこいつらの言い分を鵜呑みにしそうだ。どちらも怪我をしていない、喧嘩などなかった状況が最善。『体術』だけであしらうか。
そう考えてシミターから手を離す。
俺が諦めたと思って男の一人が嫌な笑みを浮かべたとき、その背後の風景に見知った姿を捉えた。
角を曲がって現れた二人組は、俺を見るなり怪訝そうに眉を顰める。
「何をしている?」
「買い出しの帰りだが」
俺が答えると、デリックは『タルニス』へ鋭い視線を向けた。
「ラムロン商会のデリックだ。この者はうちで雇っている。話があるなら俺が聞こう」
「いや……それは知らなかった。てっきり逃亡奴隷かと……」
『タルニス』が及び腰になると、デリックは顎を動かす。
「なら、仕事の邪魔をするな」
「わ、分かった。呼び止めてすまん」
俺に詫びを入れ、男たちは逃げていった。
張り詰めた空気が和らぎ、周囲に人混みが戻ってくる。
『タルニス』が消えるのを見届け、デリックは視線を戻す。
「うちの名前を出さなかったのか」
「あの手の連中は、何を言っても信用しないだろ」
「あいつらがどう思おうと関係ない。それでも揉めるなら、うちへの敵対行為と見做す。今の立場を忘れるな。一時的な雇われでも、お前はラムロン商会の一員だ」
確かにそうだ。まずはラムロン商会に雇われていると告げるべきだった。
たとえ疑ったとしても、奴隷商との繋がりは無視できないはず。
いかんな、隠すのが癖になっているようだ。わざわざヴェルクで再登録したし、目立ちすぎない程度なら大丈夫だろう。
非を認めて謝罪すると、二人と並んで歩き出した。
どうやら、デリックとジーノは情報収集の帰りらしい。
襲撃者の隠れ家はまだ分からないそうで、ジーノは衛兵に文句を言っていた。
具体的には不明だが、相当な額をばら撒いているようだ。
そんな話を聞きつつ、俺は話題を変える。
「ところで、さっきの連中が妙なことを言っていたな。逃亡奴隷がどうとか……」
「ああ、それで絡まれたのか」
ジーノは合点がいったように頷く。
「三ヶ月ほど前、移送中の奴隷が逃げたんだよ。あいつら、ケルマー商会のお抱えだろうな」
「よく分からんが、三ヶ月も捜すのか? 高価な奴隷だったとか?」
俺が不思議そうに訊ねると、デリックが首を振る。
「値段よりも、誰の奴隷かが問題だった。逃げたのはファスデン子爵の奴隷だ。当時のケルマー商会は大騒ぎだったぞ」
「そうでしたね。冒険者ギルドにも大号令を掛けたとか」
ジーノは同意しつつ、補足する。
「だが、とっくに諦めてるはずだ。逃げたのは子供で場所は外、もう死んでるだろうさ。さっきのは揉めるための口実だな」
「獣人は目を付けられやすい。あまり町を彷徨くな」
デリックは改めて釘を刺してきた。
それからは捜索の進捗などを聞き、ラムロン商会に到着したところで別れる。
クリフは仮眠を取っていたので、そっと荷物を下ろして木箱に腰掛けた。
ユネクを買ったのはケルマー商会か。
ファスデン子爵の信用を失っていなければ、今も意向を受けて動いているはずだ。
ジセロの道中で見かけた『蒼雷』。連中が獣人を探していたなら、ケルマー商会が雇ったのかもしれない。
ささやかだが、土産話ができたな。