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第176話 警備任務1




 ラムロン商会の裏手にある倉庫で、俺たちは生活することになった。

 依頼達成までミランダたちに会うつもりはない。クリフは不満そうだったが、依頼に失敗するかもしれないし、迷宮で異変が起きれば放棄して戻らなければならない。変に期待させるべきではない。

 ルーベンは俺の心情を察したようで、普段は誰も近寄らない倉庫を用意してくれた。

 ミランダは調理室に籠もりっきりで、テスは調理室と娼館の通路以外は近付かない。俺たちが注意していれば、出会うことはないだろう。


 倉庫はなかなかの広さだったが、不用品が山積みで空いている空間は狭かった。

 (ほこり)まみれの不用品を動かし空間を作り、クリフと手分けして掃除する。

 そして木箱を並べてテーブルと椅子、簡易ベッドに仕立てた。

 仕上げに風魔法――といきたいが、多くの獣人は魔法が不得手である。多少の埃っぽさは我慢するしかない。


 労働後、従業員が用意してくれた水瓶で顔を洗い、喉を潤した。

 そして簡易ベッドという名の木箱で横になっていると、数分もしないうちにクリフの寝息が聞こえてきた。

 ヴェレーネ村を出発してから、まともな休息は一日だけだった。

 疲れが溜まっていたのと、二人を助ける()()が立って安心したのだろう。

 まあ、これから最長で一週間、昼夜逆転の生活が待っている。仮眠を勧めるつもりだったので丁度良い。


 俺は睡眠を邪魔しないよう、少し離れて羊皮紙を広げた。

 数日のうちにフィルが来る。そのときに手紙を預けるつもりだった。

 何が起きたか書き記して懐に収めると、再び木箱の上で横になる。


 契約がまとまった後、警備について打ち合わせした。

 日中は通行人や来客が多いため、襲撃の可能性は低いという。

 よって俺たちは夜間の警備を頼まれたが、巡回は従来の警備が行うので、先ほどの応接室で朝まで待機するだけの仕事である。

 さらに朝から夕刻までは自由時間で、短時間の外出まで許されている。

 よほどの襲撃者なのか裏があるのかは、今のところ定かでない。


 それと、当たり前のように参加しているクリフだが、本人の強い希望によるものだった。

 気持ちは分かるし、それで本人が納得するなら構わない。

 襲撃があった場合は、応接室に籠もるよう厳命しているのでまず安全だし、指示を無視して何かあっても、そこまで責任は持てない。


 俺は少し睡眠を取ろうと体勢を入れ替えた。

 そのとき、財布代わりの小袋に手が触れる。

 今の手持ちは金貨十一枚ほど。ダドリーには安めの魔石を頼んでいるが、高額しか見つからない可能性もあるか。

 質に拘らなければ、錬金器具がなくともポーションの調合は可能だ。

 資金を増やすことはできるが、止めておこう。


 ダドリーには友人が錬金術師と話している。

 ばれているとばらすは意味が違うし、魔法同様、獣人は錬金の才能も乏しかった。最初の設定は崩すべきではない。

 獣人らしい実力で目立つなら問題ないが――。


 そこまで考え、俺は周囲を窺った。

 監視する気配は見当たらない。

 ヴェロットは俺の性格を熟知している。ロニーたちに起きた悲劇は偶然でも、罠の一つとして検討した可能性はある。

 たとえそうでも、暗殺に成功して中止になっているはずだが、ヴェロットなら情報収集の一環で、誰かを配置していても不思議はない。

 その指示でルーベンが足止めし、戦力が揃ってから急襲。


 少し考え、やはりと首を振る。

 いや、可能性はあってもかなり低いはず。

 雪解けの後、ロニーたちは連行されている。俺がセレンを出発した時期とさほど変わらない。罠を検討する時間がないだろう。

 それにデリックという警備主任は、衛兵にも襲撃者の捜索を頼んでいると言っていた。

 口裏を合わせるとしても、俺が町に入ったのは昨日だ。衛兵が捜索を始めた時期は調べられるし、俺ならそれを封じるため日中の自由行動を禁じる。ヴェロットにしてもルーベンにしても、詰めが甘い。

 念のため警戒し、俺は斬撃強化のナイフを握りながら眠りについた。



  ◇◇◇◇



 夕刻が過ぎた頃、従業員の気配で目を覚ました。

 見張りの時間らしい。

 従業員は応接室に食事が用意してあると告げると、二人分の衣服を渡し、着替えるよう指示してきた。誰に会うわけでもないが、小汚い格好の者が彷徨くだけで品位に関わるそうだ。

 また品位か。こちらの場合は尤もだが。


 着替えてから応接室に入ってみると、夕食や飲み物が並んでいた。

 手の込んでいないまかない料理なのに、ひと口で誰が作ったか分かる。クリフも気付き、なんとも言えない表情で噛みしめていた。

 そんな夕食が終わってほどなく、静まり返るラムロン商会と対照的に、隣の娼館が騒々しくなり始める。


 巡回は頼まれていないが、動かずともできることはあった。

 クリフと些末な雑談を交わしつつ、俺は『気配察知』で周囲を警戒する。

 そしてたまに集中して、ラムロン商会や隣の娼館、建物の外周、大通りの気配を探った。

 場所が場所なので、怪しい動きをする者をそれなりに発見したが、正体までは分からない。襲撃者どころか、警備対象の顔すら知らないのだから当然だ。

 しかも応接室は大通りに面していないので、『鑑定』はもちろん、《座標点(リファレンスポイント)》も張り付けられない。

 俺は生殺しのような状態が続き、クリフは柔らかなソファもあって、気が付けば寝落ちしていた。


 無言の時間が過ぎ去り、何事もなく朝を迎える。

 クリフは馬車の音で目覚め、自分が眠っていたと悟って謝罪してきた。

 それは構わないが、のんびりしている場合ではない。俺はクリフを急かして倉庫に戻ると、元の服に着替えて初日の警備を終えた。


 木箱で睡眠を取って昼前に目覚めると、従業員が遅めの朝食を持ってきた。

 昨日と違い、朝食はミランダではないらしい。

 まだ眠っているクリフを起こさないよう、普通の食事を済ませて倉庫の外に出ると、気分転換も兼ねて運動を始める。


 しばらくして倉庫の中で物音が聞こえ、食事を終えたクリフが顔を出した。

 黙って俺の鍛錬を見守っていたが、ひと息ついたところで口を開く。


「なあ、稽古を付けてくれないか」


 横目で見てみれば、剣を握っていた。


「別に構わんが、なぜだ?」

「例の奴らが好き勝手やったとき、俺は何もできなかった。強くなりたいんだ」


 テッドの姿が重なって微笑が浮かびそうになるも、それを押し殺す。

 あいつとは置かれた状況が違いすぎる。

 テッドは多くを失い、残されたリリーを守るために剣を手に取った。

 だが、ミランダたちの苦境は終わることがない。

 しかも貴族の権威は、魔物と別種の強敵だ。それを撥ね除けるには、並みの実力では足りない。最低でもCランク、対等以上に立ち振る舞うにはAランク以上でなければならない。少しばかり剣の腕を磨いても、ロニーのようになるのが落ちだ。


「良いだろう」


 それでも、俺は受け入れた。

 貴族は無理でも魔物には通じる。この先どうなるにせよ、無駄にはならないだろう。

 木剣がないためクリフは持参した剣を、俺は迅風のシミターを鞘に収めたまま手合わせした。


 普段から鍛えていたのだろうか。

 クリフは剣に振り回されることもなく、それなりの斬撃を繰り出してきた。

 とはいえ、素人にしてはだ。

 隙だらけの大振りは躱し、悪くない斬撃はシミターを合わせて感覚を学ばせる。

 そして、ある程度慣れたところで反撃を加え、雑な体重移動は足を払って転倒させた。


 泥だらけになりながらも、クリフは食らいついてきた。

 中々の根性だが、まだ体力が残っている。枯渇してからが本番だ。

 そう思った矢先、気配が近付いてくるのを感じた。

 クリフを制止して視線を動かすと、やってきたのはジーノだった。

 交渉の席や打ち合わせにも残っていたが、結局、最後までひと言も発しなかった。

 何の用件かと眺めていると、ジーノは不意に口の端を吊り上げる。


「餓鬼同士でじゃれ合ってんのか? そんなんで強くなれるわけねえだろ」


 いきなりの罵詈雑言か。

 わざわざ嫌みを言いに来たとは思えんが。

 不審に思っていると、ジーノは腰の剣を鞘ごと抜き取る。


「俺が相手してやるよ。本物の戦いを教えてやる」

「それはありがたい。教えてもらえ」

「え、ちょっと待――!?」


 困惑するクリフに、いきなりジーノが襲いかかった。

 どうにか受け止めようと剣を上げるも、弾かれて頭部に鞘が直撃する。

 その後も一方的だった。

 気力で立ち向かっているが、何度も鞘で殴られ、瞬く間に傷だらけになっていく。

 良い経験――でもないか。ちょっと見込み違いだな。


 大抵の魔物や盗賊は、戦い方が雑だ。

 俺がそれっぽくやるより向いていると思ったのだが、ジーノは言動と違い、剣が素直だった。

 なんというか、学んだ者の剣だ。実は良家の出なのだろうか。


 結局、クリフは散々殴られた後、スタミナが切れて大の字に倒れた。

 ジーノは鼻で笑いながら、それを見下ろす。


「これで分かったか。お前らのは、お遊び――」

「なぜやめる。まだ動けるぞ」


 ジーノは笑みを引っ込め、きょとんとした顔を向けてきた。

 本当に見込み違いか。実戦経験が少ないな、こいつ。

 軽くため息を吐きながら、ジーノを見据える。


「疲れたら魔物は帰ってくれるのか? 泣いて謝ったら盗賊は許してくれるのか? 戦意を失えば死ぬ。それが現実だ」


 ジーノは絶句していたが、俺が顎で促すと目付きを変えた。

 そして雄叫びを上げて襲いかかると、クリフは頬を引きつらせながら、地面を転がってどうにか(かわ)す。

 ほらな、やっぱり動ける。


 それからは必死だった。

 クリフは剣を取り落とし、身体を丸めて殴られ続ける。

 その姿に、なぜかジーノも顔を歪めていた。


 しかし、元々限界が近かった。

 さほど掛からずクリフは崩れ落ち、ジーノが威嚇しても()(じろ)ぎすらしなくなった。

『鑑定』で確認したところ、体力自体はさほど減っていなかった。どうなることかと思ったが、良い感じに鍛えてもらったようだ。

 俺が満足していると、ジーノが非難めいた視線を送ってくる。


「こいつは雇い主だろ。しかも素人だ。ここまでやるか?」

「頼んできたのは雇い主だ」


 それに、テッドたちは強制されずにここまで粘っている。

 新人の冒険者だって、いきなり実戦に挑む者も少なくない。こんな鍛錬より、ずっと過酷だ。

 まあ、辛いなら今日で止めれば良いだろう。こちらから言い出したことではない。

 俺は思考を打ち切ると、ジーノに向き直る。


「次は俺の番だな」

「冗談じゃねえ、もう終わりだ。ふらふらの身体で仕事ができるか」


 そう言ってジーノは剣を腰に戻すと、水袋を煽り、布きれで汗を拭い始めた。

 俺も休息する振りをしながら、横目でそっと窺う。


 俺を観察しに来たのだろうか。

 小馬鹿にして反応を窺い、実力を確かめるため鍛錬を買って出た。体力が残っていれば、俺とも戦うつもりだったのだろう。目的ははっきりしないが、分かったこともある。

 クリフが軽傷なのは手加減したからだ。

 俺がけしかけたときも、雄叫びを上げてクリフに攻撃すると宣言した。善人でなくとも、悪人ではないと思う。


 この男は戦闘力より、人格や知恵を頼りにされているのかもしれない。

 それなら同席したのも頷けるし、この男なら依頼の詳細を知っているはずだ。

 そう思って軽く話を振ってみたが、あっさり拒絶されてしまう。


「話せるわけねえだろ。第一、知ったところでやることは変わらんぞ」

「確かにな」

「ただ、まあ……」


 不意に考えるような素振りを見せると、ジーノは指先で招いて歩き出した。

 促されるままラムロン商会の正面へ、さらに大通りを渡ったところでジーノは立ち止まる。

 何事かと眺めていると、近くの小石を拾い上げて放り投げた。

 それは放物線を描き、ラムロン商会の四階に当たる。

 その音に反応して中で気配が動き、窓が開く。


 部屋にいたのは可愛らしい容姿の女性だった。

 女性はジーノと俺に気付くと、()(しゃく)して窓を閉める。

 あれが警備対象――ではないようだ。姿を変えていても、気配は紛れもなくオリアンヌである。

 獣人は斥候の技術に()けていることが多く、《乖離虚像(ファルスイメージ)》はすでに看破している。

 気付かれるのを承知で姿を見せた。オリアンヌが(おとり)と教えるためだろう。


「彼女を守るのか」

「そうだ」

「分かった。全力で彼女を守ろう」


 俺は念を押しつつ了承した。

 本物がどこにいるかは関係ない。オリアンヌを守れというなら、守るとしよう。



  ◇◇◇◇



 戻ってからほどなく、クリフは起き上がった。

 鍛錬の感想を聞いた後、どうしたいか訊ねてみると、明日も稽古を付けてほしいと言ってきた。あれほど一方的にやられたら普通は折れる。何だかんだ言って、この少年は根性があると思う。


 それから何事もなく夜を迎え、俺たちは警備任務を開始した。

 応接室から『気配察知』で探ってみると、オリアンヌは今も最上階にいて、三階からはデリックたちの気配も感じた。

 どうやら、デリックたちの近くに階段があるようだ。他の場所に警備がいないので、そこを封鎖しておけば安全なのだろう。


 少しずつ情報が出てきたな。

 依頼は意味不明のままだが、罠の可能性はさらに減った。

 オリアンヌが変装してまで警備対象に扮する必要がない。仕組みが複雑になるほど、相手に情報を与えるほど策は破綻しやすい。俺を足止めするだけなら、伏せたままで充分だ。油断は禁物だが、過剰な警戒はいらないと思う。


 となると――この依頼は本物と仮定すべきか。

 襲撃者はどこから攻めてくるだろうな。一応、四階の窓は人がぎりぎりで通れそうだった。あれなら屋根伝いに侵入できるが、引っ張り出したうえ、抱えて屋根に戻るのはさぞかし大変だろう。

 無難に行くなら渡り廊下だな。娼館と繋がっているから客として接近できる。屋根の次に距離も近い。

 どちらもありそうだが、結局のところ襲撃者の戦力次第か。

 三階の状況も分からないし、臨機応変に対応するしかなさそうだ。


 思考を打ち切って紅茶に手を伸ばす。

 そしてカップを傾けていると、クリフが視界に入った。

 剣を握りしめ、わずかに震えている。

 疲れが癒えた所為で、余計なことを考えているな。


「あまり気負うな。襲撃されても戦うのは俺と警備。お前は大声を上げ、皆に襲撃を知らせてくれ。それだけでも充分な働きだ」


 クリフは震えながらも頷いた。

 その後、応接室には静かな時間が流れていく。

 娼館のざわめき、通りを進む馬車、通行人の足音だけが微かに聞こえる。

 また、緊張はいつまでも続かない。クリフの恐怖は次第に和らぎ、手持ち無沙汰な様子で剣を握り直し、俺に些細な質問を投げかけてきた。


 それに答えながらも、こちらは地味に忙しい。

 昨日に引き続き『気配察知』を張り巡らし、怪しい動きをする者を観察していた。

 襲撃者が来ないまま日付が変わると、娼館は騒々しさも落ち着き、外の通行人も減っていく。

 静寂が強まった影響か、クリフが眠そうに欠伸する。

 そのとき、俺は一つの気配を捉えた。


「少し出てくる」

「え――ああ、分かった。もしかしてあっちか?」

「そんなところだ。何かあったら呼んでくれ」


 俺は心細そうなクリフを残し、ラムロン商会を抜け出した。

 そして暗い脇道から倉庫へ行くと、不意に気配が動き、軽い衝撃を肩に受けた。


「思ったより早かったな」


 返答のつもりなのか、柔らかい尻尾が俺の頭を叩いてきた。

 さらに鼻をあちこちに近付け、なぜか臭いを嗅ぎ始める。怪我の有無を調べているのだろうか。まあ、慌てた様子はないし、迷宮に問題は起きていないようだ。

 俺は今の状況を伝え、同じ内容の手紙を差し出す。


「というわけで、これを届けてくれ」


 しかしフィルは手紙を受け取らず、前足で俺の頬を何度も叩いてきた。

 そしてくるりと回って、同じ動作を繰り返す。

 ああ、日数か。


「それで合ってる。今日を除外して明日からの五日間だな。襲撃があれば、翌日には出発できると思う」


 フィルは頬を叩くのをやめたが、まだ納得していないようだ。

 両肩を行ったり来たりして不服を示した後、頬を強めに尻尾で叩き、先端を四階へ向ける。


「あれに気付いたか。気配同様、中身も厄介だぞ。一応、味方だけどな」


 そう言っても両肩を行き来するだけで、まだ帰ろうとしなかった。

 相変わらずの過保護っぷりだが――もしかして、幼少期の経験が影響しているのだろうか。

 再会したときの俺は、あんな状態だった。

 大怪我を負った兄弟と俺を重ね合わせ、今の過保護に繋がっているのかもしれない。


 どう説得しようか悩みつつ、視線を動かす。

 すると、大通りを進む通行人が脇道に差し掛かった。

 何とはなしに気配を抑え、暗がりに身を潜める。

 平凡な服装に軽い足取り。

 そして男は一瞬、ラムロン商会を見上げ、さりげなく脇道へ視線を動かした。

 目が合ったわけではない。ただ直感で、《座標点(リファレンスポイント)》を張り付けた。


 今の気配、何度か感じたと思うが――どうだろう。なんとも言えない。

 知っている相手、もしくは個性的な強さなら判別できるが、今の男は平均的な気配で怪しい動きもしていない。他の客や通行人と変わらなかった。


 張り付けた光点は大通りから路地へ入り、徐々に速度を上げていく。

 ただの早足に思えるが、よく観察すると動きに淀みがない。

 何とも難しいな。ここが奴隷商館でなければ、ほぼ当たりなんだが。結構な恨みを買っているだろうし、怪しい連中もそれなりに出入りしている。

 少し考え、俺は切り出す。


「散歩しようか」


 それだけで察したようで、フィルは肩から飛び降りた。

 俺たちは『隠密』を発動し、人目を避けながら男の後を追う。

 この間に襲撃があると困るが、あれが何者であっても目的地は遠くないと思う。

 念のため、娼館前のドアマンにも《座標点(リファレンスポイント)》を張り付けておく。何か起きれば大きな動きをするはずだ。


 俺たちは暗い町を疾走し、男を視認できたところで速度を落とす。

 小走りで進む男の背に『鑑定』を発動すると、思ったとおり敏捷が14と高く、他は平均かそれ以下だった。しかも戦闘力は低いのに『隠密』、『気配察知』、『追跡』の斥候三点セットが揃っている。

 スキルランクは3から4、普通の生活ではまず身につかない。


 男はそれとなく周囲を観察しているが、『隠密』は発動しなかった。

 その所為か、ひ弱さも相まって怪しいところがまるでない。弱さを活かした斥候か。こういう奴もいるんだな。

 感心しつつ追跡していくと、男はシルヴェックの西側から中央の住宅街へ、さらに北側の治安が悪そうな区画まで進んだ。

 そこで同じ場所をしばらく回った後、集合住宅に入っていく。

 

 光点は三階の一角で停止した。

 そこには複数の気配が集まり、強者特有の雰囲気も感じる。ぼやけた印象を受けるのは、この気配も斥候型だからだろう。

 俺の『隠密7』は看破できないと思うが――やめておくか。

『鑑定』したところで襲撃者かは判別できないし、依頼そのものに不明な部分が多すぎる。余計なことは避けた方が賢明だ。


 怪しい男の《座標点(リファレンスポイント)》を解除すると、もう一つの光点を眺めながら道を引き返した。

 そのまましばらくの間、フィルに付き合って周辺を散策し、満足してくれたところで応接室に戻る。


「やっと戻ってきたか。ずいぶん遅かったな」

「ついでに周辺を回ってきた。怪しい連中はいなかったぞ」

「そうか。このまま一週間過ぎると良いな」


 クリフの対面に座り、冷たい紅茶に手を伸ばす。

 何も起きなければ、言い値でミランダたちを買い取れる。

 だが、平穏には終わらないと思う。

 紅茶の水面を見つめながら、俺は先ほどの気配を思い返していた。






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