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第174話 再訪




 魔石の売却も考えていたが、この街はどうにも肌に合わない。

 どのみち、小瓶を買うとしたらシルヴェックである。あそこから迷宮までもうひと息だし、深殿の森まで草原だった。割れ物の小瓶を運ぶには都合が良い。

 俺は早々にウォルバーを離れ、サーハスと合流して出発した。


 ウォルバーから南へ下っていくと、三年前に通過したリードヴァルトとセレンを繋ぐ街道、森林地帯は、そこからさらに南だった。

 街道を利用すれば早く戻れるが、サーハスが目撃されたら困る。

 ウォルバー領を東南東に進み、東のウェルド領を南下してシルヴェックを目指すことになった。


「俺もありましたね、そういうことが」


 草原を索敵しつつ何があったか話すと、サーハスは懐かしそうに応えた。

 もちろん受付の方である。テニオスみたいのは、そうお目に掛かれないと思う。

 獣人の扱いが雑なのは、新人から抜けても珍しくなかったそうだ。

 大体の来歴は聞いていたが、詳しくは知らない。もし良ければと前置きして訊ねたところ、


「面白くもない話ですが――」


 そう言ってサーハスは語り出した。


 獣人の村を離れた理由は、いくつかあったそうだ。

 一つは見聞を広めるため、もう一つは帝国内で獣人が暮らせる土地を探すためだが、後者は期待していなかったという。そのときは良くても、後継者がどのような政策を打ち出すか分からないからだ。


 幸い、まともな人間の仲間と出会って『ベルジリオ』を結成し、見聞を広めるのは成功したが、問題が起きる。

 獣人は人間より全盛期が長いため、怪我や戦死、衰えによる引退などで仲間は減っていき、サーハスだけが残ってしまった。

 その後は助っ人として別のパーティーに参加していたが、前の仲間がまともだった分、サーハスに油断が生まれた。依頼の失敗を押しつけられ、奴隷に落とされてしまう。

 後から考えると、獣人への差別的な態度が見え隠れしていたので、仕組まれた可能性が高いそうだ。


 それからは奴隷生活が始まり魔物や紛争に投入されたが、納得できない戦いには協力せず、隷属の首輪を填められても従わなかった。

 所有者はいずれ死ぬと考えて奴隷商に売却、扱いにくさから何度か転売され、最後はファスデン子爵に買われたという。


「最初の仲間と一緒に引退すべきだったか」

「同感です。まだやれると思ったのが、運の尽きでした」


 苦笑するサーハスを、俺は横目で窺う。


「それで、陥れた連中に復讐したいか?」

「どうでしょう……」


 笑みを残したまま、サーハスは考える。


「奴隷の時間が長すぎました。実際に会わないと分かりませんが――答えは出ないでしょう。俺が奴隷になってすぐ、紛争に参加して死んだそうです」

「そうか」


 俺はひと言だけ返し、話を終わらせた。

 サーハスが奴隷になったのは、三十歳の頃と聞いている。

 見た目は若々しいが今は三十代後半。七年から八年、奴隷として生きてきたことになる。それだけ世間から隔離されていると、恨みは薄れるのだろうか。


 その後も些細な雑談を交わすうち、俺たちは深い森に到達した。

 確かウォルバーとウェルドの境界で、南の街道にも接しているはず。

 見上げれば、太陽がだいぶ傾いていた。

 南の街道を抜けて森林地帯に入るか、遠回りでも東に進むか。

 脳内に地図を描いて検討しているとき、不意に思い出す。


 そういえば、約束を果たせなかったな。

 後で詫びるつもりだったが、それも叶わなくなった。

 深い森を透かすように見やる。


「このまま進むと、ヴェレーネ村がある。少し寄っても良いか?」


 俺は三年前の出来事を簡潔に伝え、遠くから眺めるだけと付け加えた。

 向こうは忘れているかもしれないし、どのみち顔は合わせないから関係ない。

 サーハスに反対はなく、俺たちはそのまま東へ進むことにした。


 日が沈んだ頃に深い森を、ほどなくして別の森へ入る。

 この森は北の山岳地帯から伸びており、三年前にオヴェックが潜んでいた場所だった。

 もう目と鼻の先である。

 森に踏み込むと、どこにでもある森なのに懐かしさを感じた。

 あのときは行方不明のテスを探し、『破邪の戦斧』のオゼ、ピドシオス率いる『深閑の剣』で捜索した。

 もちろん、すでにオヴェックの姿はなく、狼が増えている様子もなかった。

 平和な森を走っていると次第に樹間が広くなり、突然、視界が開けた。


 月明かりに照らされた広大な放牧地。

 その向こう側に、家々の明かりが身を寄せるように(またた)いていた。

 森の暗がりから村を見渡し、宿に焦点を合わせる。

 暖かな光にロニーたちの声を聞いた気がして、つい頬が緩む。

 そのまま中の気配を追っていたが、俺の微笑は徐々に消えていった。


 気配が一つしか感じ取れない。

 しかもロニーたちの誰でもなかった。おそらく村長の息子だ。

 不思議に思ったが、村長の息子も知らない相手ではない。さらに帰宅を待ってみたが、ロニーたちは戻らなかった。

『気配察知』と《集中力上昇コンセントレーションアップ》の併用で村を探ってみても、やはり見つからない。

 信じがたいが不在らしい。

 しかし、この世界で旅行に興じるのは、貴族か大商人くらいだ。それに大事な宿を村長の息子に任せて出かけるだろうか。


「ここで待っていてくれ」

「気になることでも?」

「それが分からん。確かめに行く」


 サーハスを森に残し、放牧地を抜けて宿屋に近付いた。

 村長の息子の気配だけが強くなり、俺は玄関前でひと呼吸置いた後、扉を開けた。


「あ、いらっしゃい」


 軋む音に反応し、村長の息子が声を掛けてくる。

 少し驚いているが、正体に気付いた様子はない。こんな時間なのと、俺の容姿や格好に対してだ。

 それより、俺の方も息子の顔が気になった。

 頬に深い傷がついている。すでに治っているが、見た印象は真新しい。怪我をしたのは一ヶ月くらい前だろうか。


「泊まりですか」

「とりあえず食事を頼む」


 俺が答えると、少し困った顔で頬の傷を引きつらせる。


「ええと……分かりました。用意します」


 奥の厨房に消えるのを見送り、俺は宿の中を眺めた。

 掃除は行き届いているし、取り立てて変わったところはない。

 村長の息子が主人のように振る舞い、ロニーたちが見当たらないことを除けば。


 座って待っていると、厨房から嗅ぎ慣れた匂いが漂ってきた。

 何の工夫もない、雑な料理の匂い。

 思い出したのは三年前ではなく、セレン時代の自宅だった。


 しばらくして村長の息子が食事を運んでくる。

 野菜や干し肉を煮込んだシチューに、硬いパンと果実水を添えていた。一応、料理らしい体裁は整えているが、食べなくても味が分かる。

 スプーンで掬って口に運ぶと、思ったとおり塩気以外を感じなかった。

 村長の息子はそれをじっと見つめ、ため息混じりに詫びてくる。


「すま――すみません。料理ができる人を呼んできます」

「これで構わない。それより、少し話を聞かせてくれないか」


 俺が引き留めると、村長の息子は怪訝そうに視線を戻す。


「何年か前、立ち寄ったことがある。ここの家族はどうした?」

「ああ、そうか。あいつらを知ってるんだな……」


 村長の息子は暗い表情を浮かべると、ロニーは死んだと告げた。



  ◇◇◇◇



 衝撃と同時、真っ先に浮かんだのは俺の所為かも――だった。

 傭兵の残党が村を襲ったか、リードヴァルトとバロマットの争いに巻き込まれたのか。

 すぐにどちらでもないと分かったが、俺と無関係とも言い切れなかった。

 事の発端は昨年の終わり、冬の本番を迎えた頃である。


 領主のウェルド男爵には、リヴナス卿という騎士が仕えているそうだが、息子のニーヴォル・リヴナスが突然、取り巻きを引き連れて視察にやってきた。

 視察自体は珍しくない。

 定期的に徴税官はやってくるし、たまに騎士が巡回に来る。

 ただ、騎士の息子で役職が不明の相手は初めてだった。


 村長はいつもどおりに歓待し、いつもどおりに近況を伝えたのだが、そこで問題が起きてしまう。

 三年前に俺たちが捕らえ、村に処遇を任せた盗賊だ。

 その話を聞いたニーヴォルは、貴族の手柄を横取りしたと騒ぎ出し、ここへ逃げてきたのもおかしいと疑い始めた。

 ヴェレーネ村ではなく森に潜んでいたのだが、ニーヴォルにはどちらも同じらしい。

 必死に釈明する村長を足蹴にし、村の物色を始める。

 そして、ミランダとテスが見つかった。


 三十前後であっても、ミランダは多くの者に求婚されるほどの美貌であり、テスは男でもあの容姿だ。

 ニーヴォルは二人を連れ去ろうとし、ロニーは慌てて止めに入った。

 それは加減を忘れるほどで、呆気なくニーヴォルは死んでしまう。

 ロニーは元冒険者で、マーカント並みの体格の持ち主だった。それでも運が悪かったとしか言い様がない。


 取り巻きはニーヴォルの死体を放置して逃げ出した。

 おそらくリヴナス卿に報告したようだが、その直後に帝国は未曾有の寒波に見舞われる。

 次に動きがあったのは三ヶ月後、雪解けが始まると同時、リヴナス卿は兵士を連れてヴェレーネ村にやってきた。

 ロニーは殺人、無関係のミランダとテスは共謀罪に問われ、ウェルドに連行される。

 そしてろくな裁判もされずにロニーは処刑、ミランダとテスは犯罪奴隷に落とされてしまう。

 後から旅の商人に教えてくれたが、ニーヴォルという男は難癖を付けて、好き放題に暴れていたようだ。


 話が終わると、室内に沈黙が降りた。

 確かに過剰防衛だが……ロニーを責める気になれない。無法者から家族を守ろうとし、結果的に殺めてしまった。これは過失だ。


 しかし、それを考慮してくれる法は存在しない。

 貴族が法を作り、騎士が執行する。

 その騎士の息子を殺してしまったら、よほど公平な領主でないかぎり重罪は確実だった。

 俺は塩辛いシチューを口に運び、果実水で流し込む。


 ただ、リヴナス卿が来るまで三ヶ月も余裕があった。

 いくら大寒波でも、何か手を打てたはずだ。

 逃げるのは――無理か。手配されるだけでなく、村民が見せしめで殺される。ロニーたちが選ぶとは思えない。

 残る手段は俺か。


「盗賊を置いていった貴族と知り合いなんだろう。頼れなかったのか?」

「テスもそう言ってたよ。助けてくれるかもって。だけど、ロニーとミランダが反対した。ウェルドとリードヴァルトはどっちも男爵だ。対等の話し合いになる。そんな迷惑はかけられないって」


 嫌になるくらい冷静な判断だ。

 ある意味、二人は正しい。いくらニーヴォルの主張が支離滅裂でも、他国の統治に口出しするのは強引な横やりになる。身分が対等では尚更だし、俺の領分も超えている。

 父に動いてもらうしかないが――。


 俺はうつろな目を思い出し、思考を打ち切った。

 そして何気なく顔を上げると、村長の息子と目が合った。何やら言い辛そうにしているが、意を決したように切り出す。


「あのさ……一人で旅してるんだろ。魔物を倒せるか?」

「相手によるとしか言いようがない。その辺の魔物には負けないと思うが」

「なら、あんたを雇いたい! シルヴェックまで連れて行ってくれ!」


 村長の息子は、前のめりになって懇願してきた。

 二人を買い取るつもりか。頬の傷、二ヶ月前にしては新しいな。

 もしやと思って聞いてみると、ゴブリンに襲われたと言った。

 ミランダたちを助けにシルヴェックへ向かったが、街道に出たところでゴブリンと鉢合わせしたらしい。運良く行商人の一行が通りかかったが、そうでなければ死んでいたという。


「念のため聞いておく。なぜ、俺なんだ?」

「この村は滅多に冒険者が来ないし、ほとんど誰かの護衛だ。少し前に女の二人組が来たけど、東に向かうから無理だって」


 少し気になったので質問したところ、姉妹の冒険者らしい。

 まあ、それはともかく、すでに二ヶ月ほど経過している。今もシルヴェックにいる保証はないし、シルヴェックの奴隷商が買ったとも限らないが――可能性はありそうだ。


 奴隷は基本、労働力だ。ミランダは料理人の腕と美貌、テスは若さと美貌を兼ね備えている。どちらも安値で売買されない。特に技術者のミランダは高いはずだ。

 それに二人は、騎士の息子殺しの共犯者でもある。富裕層が食事や身の回りの世話を任せるとは思えない。

 高額なのに扱いにくい犯罪奴隷。売れ残っている可能性は、決して低くない。

 どのみち、次はシルヴェックだ。移動に時間は掛かるが、大した手間ではないか。


「同行なら構わない」

「ありがとう!」


 答えた途端、弾かれたように笑顔になった。

 それを手で押さえ、言葉を継ぐ。


「二人に会える保証はない。あまり期待するな。すぐに出発するから支度してくれ。村の外で待っている」

「ああ、分かった!」


 村長の息子は頷き、宿を飛び出していった。

 俺も宿を出て、村の南でサーハスと落ち合う。


「予定変更だ」


 ことの経緯を伝えると、サーハスは浮かない表情で首を振った。


「奴隷商と関わるのは危険です」

「まあ、確かにな」


 同意しつつ、俺は自分の内面へ意識を向ける。

 彼らとの付き合いは短いが、密度の濃い数日だった。

 だから平和に暮らせるよう、俺の問題に巻き込まないように配慮してきた。

 それでも、彼らの人生までは目が届かない。

 気軽に連絡を取り合う手段もない。

 彼らを不幸にしまいと傭兵団やジャリドと戦ったが、結局は無駄だった。

 もし盗賊を置いていかなければ――。

 もし傭兵団殲滅せず、避難するよう呼びかけに行ったら――。


 無数に浮かぶ感情を、俺は冷静に眺めていた。

 家族のときと同じだ。あれこれ考えているが、発端は一つ。

 表出したがる感情を押しのけ、俺はそれを見据える。

 そこには、思ったとおりの感情がわだかまっていた。


 詰まるところ、俺は二人を助けたいんだな。

 シルヴェックに寄るついでとか、盗賊や傭兵がどうのは言い訳にすぎない。

 たとえ迷宮と正反対の方角にいても、強引に理由を並べ立てていただろう。

 セレンにいたときと変わらない。

 苦しむ難民から目を背けたのに、父親に売られそうになったエミリは、サミーニに借りを作ってまで救おうとした。知ってしまうと見て見ぬ振りができない。

 そういう性格と言えばそれまでだが――魂が影響している気がした。


 自分が不幸と知らない者は、幸福の中で死んでいく。

 俺はここより平等な世界を知っていた。

 別の常識を押しつけるつもりはないが、魂に擦り込まれた記憶は簡単に変えられない。ランベルトにとって父親が呪いだとしたら、これが俺の呪いだろう。

 自身の感情を笑い飛ばし、サーハスを見上げる。


「先に戻ってフィルに伝えてくれ。数日過ぎてもシルヴェックを動かなかったら、様子を見に来てほしいと」


 サーハスは大きくため息をついた後、仕方なさそうに頷いた。


「身辺には充分お気を付けください。いかにヴェルク様でも、隷属の首輪を掛けられたら手も足も出せません。従うか死ぬかです」

「現物を見たことがないな。特徴は?」

「明確にはありませんが、大抵は鉄製の首輪です。そして主人を示す(つい)の魔道具は様々で、俺が見たのは指輪でした」

「二つで一つの魔道具なのか。お高いわけだ」


 軽口を叩いていると、村の方から気配が近付いてきた。

 深々と頭を下げてサーハスが暗闇へ消えると、大きな荷物を背負った村長の息子と村長がやってきた。

 俺は村長に名乗った後、息子を見やる。


「荷物が多すぎる。置いていけ」

「わ、分かった」


 村長の息子は慌てて荷物を下ろした。

 そして必要分だけ取り出し、残りを父親に託す。


「じゃあ、二人を迎えに行ってくる」

「気をつけて行ってきなさい。ヴェルクさん、クリフをよろしくお願いします」

「ん――ああ、無事に送り届けよう」


 村長の息子、クリフという名前なのか。そういや聞いてなかったかも。

 テスに絡むだけの悪餓鬼だったからな。まったく興味が湧かなかった。


「南の森林地帯を縦断し、街道に向かう。過酷な旅になるぞ」

「大丈夫だ。何があっても二人を迎えに行く」


 俺は村長へ目礼を送ると、南の空を見上げた。

 満天の星が輝いている。

 あの下で再会できれば良いが――まずは行ってみよう。

 色々考えるのは、それからだ。






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