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第165話 条件



 迷宮での生活に慣れ始めたある日の早朝、外の騒々しさが広間を通り抜け、俺の耳にまで届いてきた。

 リザイたちが何かの作業をしているかと思ったが、気配を探ればフィルだけでなく、ハイメスまで迷宮の入口付近に集まっていた。そして、その中にサーハスがいた。

 やっと戻ってきたようだが……。


 フィルと重なる気配で状況を察し、俺は腰を上げた。

 そしてハイメスの目礼に応えつつ外へ出ると、広場に満ちる初夏の日差しを片手で遮り、周囲を一瞥した。

 迷宮の前にサーハスやリザイたちが集まり、離れたところに前傾姿勢のエラス・ライノの子供がいる。


「遅かったな、サーハス」

「少し手間取った。例の人間も目覚めたようだな」

「ハイメスと申します。サーハスさんが協力してくださったおかげで――」

「あ――挨拶より、こいつをどうにかしてくれ!」


 ハイメスの言葉を遮り、聞き慣れない声が訴えてきた。

 頬を掻きつつ、獣人の若者を見やる。

 その肩にはフィルが乗り、鋭利な爪が喉元に突きつけられていた。


「お前が先に手を離せ。フィルは人間の言葉が分かる。誤解なら自分で説得しろ」


 若者の手は腰の剣に掛かっていた。大方、迷宮に驚いて剣を抜こうとしたのだろう。

 サーハスにも無言で促され、若者は恐る恐る(つか)から手を離す。


「すまなかった。俺に敵意はない」


 フィルは伺うように若者の目を覗き込み、ふいと逸らした。

 そして軽々と飛び上がり、俺の隣に着地する。

 若者から安堵の声が漏れると同時、広場の緊張が(ほぐ)れ、突入寸前だったエラス・ライノの子供も臨戦態勢を解除する。


「さて、長旅で疲れたろう。報告は休憩してからでも構わないが――」

「問題ない」

「分かった。中で良いか?」


 サーハスは返答に詰まったが、入口で微笑するハイメスを眺め、(ため)()いがちに頷いた。

 緊張気味の二人を伴い、迷宮の広間に入る。

 そして俺とハイメス、フィル、その対面にサーハスと若者が座った。

 若者は落ち着かない様子できょろきょろと眺めていたが、白湯を運んできたウルクが平然としているのを見て、覚悟を決めたらしい。

 白湯で口を潤し、切り出す。


「俺の名はクィード」


 そう名乗ってから、クィードは獣人側の提案を話し出した。

 とは言っても、簡単な内容である。

 深殿の森のどこかにジセロと呼ばれる村があり、十年以上前、魔物の襲撃を受けて村は壊滅してしまった。今も付近の湖にその魔物が住み着いているため、取り返すことができずにいる。

 ジセロ奪還に協力してほしい。そうすれば交流を前向きに検討する、だった。


 どうやら、獣人の村は一つだけではないようだ。

 それより――俺も白湯を飲みつつ、ちらりとハイメスへ視線を送る。

 ハイメスは穏やかな表情だったが、視線が交差する一瞬、わずかに視線が伏せられた。

 俺は平然とした顔を作り、クィードに問いかける。


「獣人たちが束になっても倒せない魔物か。相当な相手だな」

「倒すのは簡単だが、数が多い。確認できているだけで百を越えている」

「群れか、それは厄介だ。魔物の名は?」

「言っても知らないだろう。森でも珍しい奴だからな。相手は甲殻類の魔物、ガーネレス」


 何気ない口振りだったのに、俺は固まってしまった。

 ガーネレスって……あの虫人間?


 クィードの話が脳内を駆け巡り、いくつもの符号が一致していく。

 十年以上前、深い森に囲まれた村……。

 こんな偶然、有り得るか?

 朧気な記憶を呼び覚ましたが、否定する材料は見当たらなかった。

 あのときは生き延びるのに必死すぎ、村人を見ていない。はっきり目撃したのは、虫人間の親衛隊が持っていた頭部のない死体くらいだ。

 それにガーネレスは、帝国内に棲息していない。

 もし別の村だとしたら、かなりの辺境になるが、そんな場所に入植するとは思えなかった。

 獣人の村と言われた方が、まだ納得できる。


 考え込む俺に、サーハスとクィードは不思議そうに視線を交わしていたが、それに構わず再度問いかける。


「襲われたのは、いつだ?」

「十四年前。俺は子供だったが、よく覚えている」


 十四年か。ほぼ決まりに思えるが……。

 俺は隣のハイメスを見やり、無言で頷き合う。


「相談したい。席を外してくれ」

「分かった。外で待つ」


 二人が立ち去るのを待ち、俺はハイメスに切り出した。


「今の提案、どう思う?」

「前向きな検討――が要点ですね。おそらく共倒れを狙っています。無事に奪還できたとしても、こちらが消耗していれば、そこを叩くつもりでしょう」

「狙いを読まれるのも承知のうえだな。(した)()に出たから断らないと踏んだか」

「またアルター様を外へ誘い出し、メイ様の破壊を画策しているのかもしれません。いずれにしても、協力する必要はないと思われます。彼の話が真実なら、迷宮よりジセロの村を優先するはず。不可侵条約は結べます」

「反対か」


 ハイメスは少し考え、肯定する。


「百を越える魔物は、ゴブリンでも危険です。共倒れを狙っているのであれば、積極的にアルター様を消耗させるでしょう。ただ、消極的な反対でもあります。不可侵条約は第三国の目があるから機能します。獣人の村が不義を働いたとしても、(とが)める者や非難する者はいません。ジセロ奪還に協力せず不可侵条約を結んだ場合、獣人の村は潜在的な敵のままであり、包囲網はいつでも成立します」


 要するに俺の身を案じて反対を表明したわけか。

 獣人たちがそこまで考えて提案したかは定かでないが、断りにくい状況ではある。

 それに協力という立場なら、死ぬまで戦う必要もない。いざとなれば逃げるだけだ。


「勘違いなら謝罪します。ジセロという村をご存じでしたか?」


 唐突にハイメスが切り出し、思考を中断する。

 俺の様子で何かあると察したか。


「……なんとも言えん。知っている村と状況が似ている。確かめたいという気持ちは否定できないが、クィードが言わなかった補足情報がある。ガーネレスという魔物は、特殊な個体がいる。そいつは神聖魔法の使い手だ」

「神聖属性の魔石、ですか」

「蘇生薬の素材だ。一応な」

「でしたら、私からは何もございません。ご帰還、お待ちしております」


 ハイメスは痩せこけた顔に微笑を浮かべ、頭を下げた。

 ただ一人の配下が同意したことで、俺の意思は固まった。


 獣人の村の思惑がどうであれ、難しい要求ではないだろう。

 こちらの被害を最小限に抑えながらガーネレスを殲滅、もしくは追い出せば良い。転移の地かどうかは気になるが、重要なのは獣人の村との友好関係、そして神聖属性の魔石だ。


 外で待つクィードに条件を飲むと伝え、早速、出発の準備に取りかかった。

 往復で半月近く、道中の状態やジセロの奪還に掛かる日数を考えると三週間は留守にするかもしれない。

 大量の熊肉があるので食料はどうにかなるが、ポーションは入れ物が圧倒的に足りない。

 仕方ないので《礫土の盾(アースシールド)》で即席の平皿を量産し、リザイたちのポーションを蓄えることにした。密封されていないので劣化は早まるが、留守の間くらいは持つだろう。


 ちなみにサーハスがリザイたちに状況を説明したところ、やはりというか一悶着あった。

 ようやく戻ってきたのにすぐ出発し、今度も同行を認めないという。

 リザイは強行に同行を主張したが、サーハスは(がん)として許可しなかった。

 最終的に、誰が皆を守るのかと諭され、結局は折れた。


 それと、俺の方の説得は上手くいかなかった。

 ハイメスが心配だし、メイの食事もある。また懸念どおり、俺を引き離して迷宮を破壊しようとするかもしれない。

 だからフィルに残ってもらいたいのだが、何を言っても聞こうとしなかった。

 さきほどの話し合いをフィルも見ている。

 俺の様子が変わったことで、心配しているのだろうか。


 強く言えば従ってくれると思うが、配下ではないし従魔でもない。

 本人の気分で俺のそばにいるだけだった。

 セレンに行ったときも置いていき、今回も置いていったらどう思うか。

 どうしてもという状況でなければ、フィルは自由にさせるべきだろう。

 それに、フィルは『追想追尾』で迷宮の状況を把握できるし、本気の速度は俺以上だ。何か起きても最悪までに戻れる――と思う。

 念のため、獣人が攻めてきたときは抵抗しないようハイメスに告げておいた。


 残った懸念はゾプトムである。

 獣人の村から返事が来たら、除去の日程を決めるつもりだった。

 俺には直接関係ないとはいえ、放置するのは気が(とが)める。

 それを相談したところ、


「岩塩坑は簡単に稼働できないと思います。動揺している鉱夫たちを説得し、崩落した坑道を復旧するための資材も調達しなければなりません。ゾプトムを除去させる奴隷も不足しています。どれほど早くても、数ヶ月は余裕があるでしょう」


 と、ハイメスからお墨付きをもらう。

 場合によっては廃坑も有り得ると付け加えたが、俺もハイメスも期待していなかった。

 話し合いや準備を整え、翌朝、久しぶりに冒険者らしい装備で身を固める。

 そして付いてこようとするエラス・ライノの子供を必死で抑え、俺たちは迷宮を出発した。



  ◇◇◇◇



 巨木を迂回し、茂みを切り開き、苔に覆われた岩を飛び越えていく。

 そのうち空白地の終わりが近付いてくると、徐々に魔物や動物の気配が濃くなってきた。

 俺は獣人の耳をそばだてつつ、先頭のクィードへ視線を送る。


 年齢は二十代前半。どこか老練なサーハスに比べ、若さがみなぎっていた。

 これで血気盛んなだけなら困りものだが、代表として送り込まれただけあって優秀な獣人のようだ。


 スキル構成は斥候兼遊撃で、冒険者ならCランク中位から上位の実力がある。

『追跡』と『隠密』、『片手剣』はランク6、『気配察知』もランク5と高めだ。

 さらに『獣化』の習得者でもあり、『体術』や『爪術』、戦闘スキルもそれなりに揃っている。総合力こそサーハスに劣っているが、大きく見劣りはしなかった。


 そんなクィードの誘導で空白地を抜け、魔物を避けながら南を目指す。

 ほどなくして太陽が頂点を過ぎ去ると、クィードは伺うように振り返った。


「疲れているなら小休止するが?」

「不要だ。それに、ここで休むのはどうかと思うぞ」


 クィードは首を傾げていたが、風の臭いを嗅ぐと同時、慌てた様子で剣に手を掛けた。

 それに続き、サーハスも短剣を引き抜く。


「血の臭い――狼か」

「食われているのはそっちだな」


 言いながらも、俺には相手の判別ができなかった。

 どうやら未知の魔物らしい。

 正体を確かめるため臭いを辿っていくと、しばらくしてクィードの索敵範囲にも入る。

 そして気配を慎重に探り、俺たちに囁いた。


「ネプロ・モルカスだ」

「モルカスの亜種か。カマキリの魔物だな」

「そうだ。通常種より脆弱だが『隠密』に長けている。もし食事中でなかったら、奇襲を受けていたかもしれん」


 そう言って、クィードは胸を撫で下ろした。


「素材は?」

「魔石くらいだな。鎌は鋭いが、死ぬと腐敗してしまう。どうあれ、食事中は襲ってこない。さっさと通り抜けよう」


 促されて進んでいくと、血の臭いが強くなった。

 それと同時、樹上から鋭い視線を感じる。


 見上げてみれば、一メートルを越えるカマキリが大木にへばりついていた。

 濃淡のある緑色の身体で、狼を喰らいながら感情のない目でこちらを見ている。

 本当に極端な能力の持ち主らしい。

 筋力は23と高めなのに、耐久は8しかない。正面から戦えばオークにも負けそうだ。『隠密6』を活かし、奇襲のみで狩りをするのだろう。


 ネプロ・モルカスはこちらを警戒しているが、動く様子はなかった。

 俺たちは飛び散った狼の血を避け、その下を無事に通り過ぎた。


 それからも魔物をやり過ごし、旅は続いた。

 日が落ちると窪地に潜み、火を焚かずに眠りにつき、夜が明けると出発し、森を南下していく。

 全員が斥候技術に長けているのもあって、遭遇戦は一度もなかった。

 また、ここまで進んでも浅いのか、俺やフィルが苦戦しそうな魔物も見当たらない。

 それと、食事はかなり貧相だった。

 狩りをする時間を惜しみ、火も焚かない。

 道中、俺はヴランベアーの干し肉もどきを、サーハスとクィードは手持ちの干し肉をそのまま(かじ)っていた。

 ちなみにフィルは干し肉もどきが気に入らなかったようで、たまにふらりと姿を消し、口の周りに血や羽毛を付着させて戻ってきた。

 そんな旅路が三日ほど過ぎた頃、クィードは足を止める。


「ここだ」


 辺りを見回して『気配察知』で探ったが、普通の森だった。

 フィルも気になる場所はないようだ。


「森のど真ん中だが」

「お前を信用できない。仲間を連れてくるから、ここで待っていてくれ」


 なかなかの言い分だが、こちらも同じ気持ちだ。

 承諾すると、クィードは森へ姿を消した。

 俺は《清水(ピュアウォーター)》で喉を潤し、サーハスから水袋を受け取って中身を交換する。

 そんな作業をしつつ、フィルをそれとなく見やった。


 素直に承諾はしたが、何もしないとは言っていない。

 それにこの雰囲気では、上手く事が運んでも話がまとまらない可能性もある。なんせ、前向きに検討するだけだ。

 俺の意図を察し、フィルは伸びをしながら『追想追尾』を発動した。


 フィルはクィードの位置を確かめ、しばらく休んでからまた発動を繰り返す。

 俺はサーハスの注意を逸らす目的も兼ね、雑談しながら時間を潰した。


 そしてさほど経たないうち、突然、フィルの様子が変わる。

 視線を泳がせて森を見回し、困ったように俺を見上げてきた。

 この仕草――まさか見失ったのか?

 驚きながらも、真っ先に浮かんだのはサーハスの件だった。


「どうした?」


 そのサーハスが問いかけに、俺は干し肉もどきを見せる。


「食料が足りているかと思ってな」

「リザイたちには悪いが、その熊肉は失敗だ」


 苦笑するサーハスに同意しながらも、俺は熊肉を口へ放り込む。

 そして身体を(ほぐ)しながら、何気なく問いかける。


「この辺りに魔物は?」

「森ならどこにでもいるさ。厄介なのは少ないがな」


 魔物について聞きながらフィルに視線を向けると、力なく尻尾を振ってきた。

 目立った魔物もいないか。

 フィルは単独でも狩りをする。俺より詳しいはずだ。

 となると――隠蔽か。


 魔法か魔道具。

 見えない屋敷のように、獣人の村は何らかの手段で隠蔽されている。

 危険な深殿の森でどうやって生き延びているのか疑問だったが、それなら合点がいく。

 そう考えながらも、内心で疑問に思う。


 だが、それはそれで妙な話である。

 壊滅したというジセロも、隠蔽されていなければおかしい。

 なぜ、ガーネレスに襲われた?


 すべて作り話だろうか。

 俺を迷宮から引き離すのが狙いで、殺害、もしくは迷宮の破壊を狙っている?

 フィルは定期的に迷宮の方角も窺っているが、今のところ異常は報告してこない。


 何気ない素振りでサーハスを観察する。

 変わった様子は見受けられないが、どうだろう。

 ランベルトでさえ俺を裏切った。出会って間もないサーハスを信用するのは愚かである。


 とはいえ――無謀な策には加担しない気もした。

 サーハスはフィルの強さを目の当たりにしている。それに強者だからこそ、俺と敵対するのは危険と感じるはずだ。


 視線を逸らし、俺は煙臭い熊肉を思考ごと呑み込んだ。

 結論はまだ早い。

 クィードがどんな連中を連れてくるか、どう動くかで見定めるとしよう。





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