第163話 忠誠
街道沿いの人通りが多いとはいえ、獣人の集団が歩いていたら目立ってしまう。
俺たちは草原を縦断することに決め、丘陵地帯を出発した。
夕方前には帰還できると思うが、一つ懸念があった。
迷宮は全生物の敵である。獣人の村に敵意がないと示すため、サーハスを迷宮に会わせるのは必要だが、他の獣人は違う。別行動を望むなら、迷宮の存在を教えるわけにはいかなかった。
出発前、獣人たちにどうしたいか問いかけると、サーハスについていくと即答した。
あまりにも早かったので、しっかり考えてほしいと伝えて問い直したが、答えは変わらなかった。それどころか、苛立ち混じりの視線を向けられてしまう。
「俺たちに帰る場所があると思うか?」
そう言い捨てるリザイに、無言で口を閉ざした。
しっかり考えていなかったのは、俺だった。
たとえ故郷に家族がいても、逃亡奴隷を匿えば家族も犯罪者になってしまう。獣人が多く住むというメズ・リエス地方へ逃げるのも手だが、魔物が蔓延る無法地帯を素人が抜けるのは困難だった。もちろん、隊商に紛れ込むのは不可能だし、冒険者を雇う金はないし、工面できても信用性に欠ける。結局、サーハスと行動を共にする以外、まともな選択肢がなかった。
ただ、他を選べても同じ答えが返ってくる気がした。
彼らはサーハスを信頼しきっている。大抵の奴隷は孤独に死んでいくが、彼らには仲間がいた。特にサーハスは心身共に強者である。誰よりも長く生き、仲間たちの死を看取ったことだろう。
最後まで一人じゃない。
それがどれほど心強いか知る由もないが、絆は想像以上に固いようだ。
獣人たちがサーハスを裏切ることはない。
たとえ交渉が決裂して俺とサーハスが敵対したとしても、迷宮の情報を帝国に売り渡す可能性も低いだろう。貴族が約束を守るという確証はなく、守ったとしても迷宮の討伐部隊が深殿の森に派遣されてしまう。隠れ住んでいる獣人の村にしてみれば、歓迎すべき状況ではない。困るのはサーハスも同じだ。
また、今だけ隠すのも無意味だ。
サーハスが口を閉ざしても、時間の問題で獣人の村から情報が伝わるだろう。
それなら、最初から伝えた方が良い。獣人の村と同様、少しは誠意になる。
俺は思考を打ち切り、周囲に視線を向けた。
「追っ手は来そうもないな」
「油断はできないが、そんな余裕もないだろう。事態の収拾で手一杯のはずだ」
「となると、厄介なのは冒険者だが――そちらも可能性は低いか」
俺の言葉に、サーハスは頷いた。
たとえ冒険者でも、理由なくラスマノ砦に入れないはずだ。
だから、滞在している冒険者は誰かの護衛である。
もし何らかの理由で解雇されたり、砦が引き抜いたとしても、俺たちが警戒するほどの実力者は雇えないだろう。そういう連中は商人と懇意にしていることが多いから鞍替えしないし、高額の報酬を提示するには政治的な決断が必要である。今の砦は、最高責任者が不在だった。
まあ、バルコニーの騎士がそうであるとは限らないし、冒険者も色々だ。常に想定外は起こり得る。
それはサーハスも分かっているようで、俺に同意しながらも警戒は緩めなかった。
「それで、どこに向かう?」
「森を少し入ったところだ。後は実際に見て判断してほしい。安全は保証する」
「安全を保証、か……」
わずかの間、サーハスは考え込む素振りを見せたが、結局は了承した。
その後、俺たちは追っ手を警戒しつつ先へと急いだ。
できれば最短距離を進みたかったが、草原は見晴らしが良く、丘に上がると遠くからでも視認できる。それを避けるため丘陵の影に隠れ、ときに大きく迂回して南を目指したのだが、やはり時間が掛かってしまい、深殿の森が見えてきたのは昼をだいぶ過ぎた頃だった。
サーハス以外の獣人は、緊張の面持ちで広大な樹海を見つめていた。
それを横目に、俺はひと息つく。
ここまで来ればメイの影響が出始める。しかも進めば進むほど、危険度が低下する不可思議な状況だ。草原の方が危険なくらいである。
兵士や冒険者の追跡は面倒だが、魔物と遭遇するのも避けたかった。
よほど注意して戦わないと、どうしても痕跡が残ってしまう。その後処理に追われていたら、さらに時間を浪費していただろう。
また、入ってすぐに強力な魔物と遭遇する確率はかなり低い。ここで立ち止まっていると目立つので、少し森に入ったところで小休止し、再び俺たちは出発した。
深殿の森に限らず、人の踏み入らない森は歩きにくい。
生い茂った下草に隠れて木の根がうねり、石や陥没が思いも知らないところに潜んでいる。巨岩や大木の周辺は比較的歩きやすいが、今度はびっしりと苔が張り付き、不用意に踏み出すと足を滑らせて怪我をする危険があった。
いくら魔物が少なくとも、意外な理由で足止めを喰らうかもしれない。
出発前はそんな心配をしていたが、ただの杞憂だった。
獣人たちは軽快に木の根を避け、苔をものともせず巨岩を乗り越えていく。
確かに身体能力は人間より高めだが、それにしては行動に迷いがない。それとなく観察していると、自分にできること、どうすればできるかの判断が的確だった。語弊を怖れずにいえば、人間より野生の感覚が鋭い。
『深閑の剣』のダイラスは前衛を諦めて斥候になっていたが、どうやらそちらが天職のようだ。
俺の安堵が伝わったのか、それとも魔物と遭遇しなかった所為か。
次第に獣人たちの緊張も解れていき、何気なく森の様子を眺めたり、小鳥の囀りに耳を傾けたり、ときに軽口を言い合っていた。
だが、それとは対照的に、サーハスの表情は厳しさを増していく。
メイの存在を察知したようだが、何も言わないところ、確信を持てないようだ。
サーハスの『気配察知』は俺より一つ下のランク6、そしてメイの気配は以前より薄れている。まだ距離があるし、何か潜んでいると分かっても、それ以上の状況は得られないと思う。
問いたげなサーハスに微笑を返し、先へと進む。
しかし迷宮が目と鼻の先まで迫ったとき、さすがに溜まりかねたのか、サーハスは皆を制止した。
そして鋭い視線を俺に向ける。
「アラン、どこへ連れて行くつもりだ? あそこに何がいる?」
「安全は保証すると言ったはずだ。まあ、どうしても近付くのが嫌なら、ここで待ってもらっても構わんが」
言いながら木立を抜け――俺は言葉を失った。
背中に刺さるサーハスの視線に構わず、呆けた顔で横穴を眺め、記憶と照らし合わせる。
俺の帰還に気付き、エラス・ライノの子供が姿を現す。
高さ三メートル以上もある横穴から。
エラス・ライノの子供は嬉しそうに駆け寄り、巨大な顔を押しつけてくる。
それを撫でながらも、俺は迷宮に釘付けだった。
「あのさ……でかくなってね?」
呟く俺にフィルは爪を一振りし、エラス・ライノの子供を尻尾で指し示した。
なぜかエラス・ライノの子供も誇らしげに顔を逸らしているが、こちらはよく分かっていないと思う。
それはともかく――俺がいない間に狩りまくった、ということか。
呆然とする俺の背後で、サーハスが低い声を絞り出す。
「もしや迷宮、なのか?」
「正解なんだが――どうしても中が気になる。説明は待ってくれ」
「入るつもりか!?」
「ああ、大丈夫。すぐ戻る」
ひらひらと手を振り、大きな入口から迷宮へと入った。
帰還を喜ぶ意思が押し寄せ、俺は岩肌をぽんと叩く。
「ただいま、メイ。しばらく見ない間に立派になったな。壁までちょっと滑らかになってるし」
出発前は自然の洞窟だったのに、今は手彫りくらいまで凹凸が減っていた。
《妨土の壁》を参考にしたのだろうか。
内心で首を傾げつつ《光源》を頼りに奥へ進むと、緩やかな下り坂の先は大きな広間に変わっていた。
「まるで岩塩坑だな」
見回していると、広間の隅に生活の形跡が見つかった。
エラス・ライノの子供は、ここで寝泊まりしていたらしい。フィルが迎えに来たのも頷ける。外よりずっと安全だ。
広間を抜けてさらに進み、最奥へ向かう。
ここも広くなっていたが、肝心の寝台が消えていた。
若干、焦りつつ探してみると、一番奥の床に《妨土の壁》の石壁が埋まっていた。
出発前は文字通りの寝台だったが、今は上部の蓋以外、地面に埋まっている。それが埋葬されているように見え、思わず不快な感情が湧き上がった。
その直後、窺うような意思がメイから伝わり、俺は手を振った。
「ああ、怒ってないぞ。少し驚いてな」
そう言って微笑を浮かべると、寝台の前に膝を付いた。
怒るどころか良い判断だ。地中なら冷気が逃げにくい。それにこの感触――寝台を支配しているな。
俺が何をしようとしているのか察し、メイが支配を和らげた。
すぐさま魔力が流れるようになり、土魔法で蓋を取り除く。
流れ出す冷気に安心しつつ、家族に帰還を伝え、一週間の出来事を報告する。
その後、寝台の隅に手を入れて二重底を撫でてみると、乾燥しきっていた。
氷が小さくなっているから多少は溶けたはず。排水までしてくれたのか。
思っている以上に、メイは俺の行動を観察しているようだ。
出発前、寝台の温度が上がるのと水が溜まるのを心配していた。それに分かっていたから、支配することで冷気を維持し、排水まで行ったのだろう。
至れり尽くせりだが、案外、迷宮種の本能かもしれない。
迷宮は拡大するほど多様な魔物が住み着く。大迷宮ともなれば、内部だけで食物連鎖が完結し、食べ残しや食用にならない魔物、自然死した魔物は迷宮に取り込まれる。守護者が活動しなくても勝手に食事が供給されるわけだ。
当然、快適な環境でなければ魔物は居着かない。そうした本能に従い、俺が望んでいることを実行したのではないか。
まあ、事実がどうあれ、申し訳なく感じてしまうのは変わらない。
働いたのはフィルとエラス・ライノの子供で、俺はほっつき歩いていただけだ。状況が落ち着いたら、積極的に狩りをしないと駄目だな。
寝台を冷却して蓋を戻し、迷宮を出る。
すぐさま、サーハスが安堵の表情で出迎えてきた。
さて、ここからが本番だ。
俺はサーハスたちを見回し、切り出す。
「まずは謝罪させてもらう。お前たちを騙すつもりはなかった。この姿でなければ、外での活動に支障があってな」
俺が『獣化』を解除すると、耳から体毛が失われ、黒い髪は金髪へ変わっていく。
いきなり現れた人間に、サーハスたちは目を見張った。
「僕の名はアルター・レス・リードヴァルト。帝国の東方を守るリードヴァルト家の次子だ。故郷はバロマットの手に落ちてしまったが――その話は関係ない」
言葉が浸透するにつれ、獣人たちから怒りと罵声が吹き上がった。
それをサーハスは一喝し、射抜くような視線で先を促す。
「ひと月ほど前だ。僕は故郷への帰路、裏切りに遭って死にかけた」
今の状況に陥った顛末を語っていく。
ただ、裏切った相手と種族が変化したことは伏せ、迷宮に助けられたとだけ伝え、俺の目的である家族の蘇生についても話さなかった。
その間、サーハスは終始、固い表情を崩さなかったが、なぜ『獣化』を使えるかを話したときは、わずかに視線を落とした。そして話が終わると、サーハスは静かに口を開く。
「クレプターだったのか」
首を傾げる俺に、サーハスも困惑を浮かべる。
「迷宮に支配された者は、クレプターに変異する。違うのか?」
「なるほど、それが迷宮守護者の正体か。確かに迷宮は僕を支配しようとしたが、失敗した。今は協力関係にある。いずれにしても、僕が何かは重要ではない。しばらく共に行動し、どう思った? 話の通じない相手と感じたか?」
無言のサーハスに俺は続ける。
「本題に入ろう。僕からの提案は単純だ。獣人の村との友好関係を構築したい。それが無理だとしても、不可侵条約を結びたい。欲を言うなら、取引もできたら助かる。日用品、余剰があるなら素材や魔石。こう見えて僕は錬金に長けている。こちらからはポーション、状況が落ち着けば魔道具を提供しよう。ああ、それで思い出した。森の情報もくれないか。魔物や採取の難しい素材、具体的には――」
「待て、ちょっと待て!」
慌てた様子でサーハスが止めに入った。
「さっきから何を言っている? 迷宮が日用品?」
「違う、僕からの提案だ。それに、迷宮の要求に応えるのは僕の仕事なんでな。奪ってもらっては困る」
サーハスは眉間に手を当てて考え込み、仲間の獣人たちも顔を見合わせた。
そんな中、フィルが悠然と目の前を通り過ぎていく。
アピールしなくても分かってるから。一週間、代わりに頑張ってくれたよな。
苦笑で見送っていると、サーハスが視線を上げた。
「一つ聞きたい。もし断ったら?」
「特にないが、不可侵条約だけは結びたい。迷宮と事を構えたくないだろうし、僕も全方位を敵に回すのは面倒だ」
「帝国は敵か」
「敵が帝国にいる。僕を殺そうとしたのは、貴族の息子だ。それと言うまでもないが、バロマットは完全に敵だ」
サーハスは視線をちらりとメイに向け、再び俺に戻す。
「話は分かった。すべて伝えよう。だが、良い返事は期待しないでくれ。目の前にいる俺でさえ信じられん」
「同感だな。この一ヶ月で何もかも変わりすぎた。僕も付いていくのがやっとだ。他人は尚更だろうさ」
そう言って、俺は面白くもなさそうに笑った。
◇◇◇◇
準備や仲間との話し合いを済ませ、その日のうちにサーハスは旅立った。
出発に際し、獣人の村がどの辺りにあるのか、いつ帰還するかも告げなかった。
位置の露見に繋がる情報は伏せたいのだろう。それは理解できるし、使者を務めてくれるだけで充分だ。
ただ、その所為で仲間の獣人と一悶着あった。
村の出身はサーハスだけで、仲間は同行を求めたが断られてしまった。
かなり食い下がっていたが、結局、最後は諦めた。さしものサーハスも申し訳ないと思ったのか、数日掛かると明かしたので、獣人たちは森に仮拠点を作って帰還を待つと決めた。
迷宮が拡大したので中で待ってもらっても構わないのだが、その提案は即座に却下されてしまった。まあ、フィルも最初は躊躇っていたし、好きにすれば良い。
そんな様子なので入ることはないと思うが、念のため広間より奥へ行かないよう忠告し、ナイフなどの道具を貸し与えた。それと周囲の地形――小川の位置なども簡潔に伝えておいた。
作業を始めた獣人たちから離れ、柔らかそうな草を刈り取っていく。
それを抱えて広間に戻ると、一角に敷き詰め、さらに毛布を被せた。
試しに寝てみたところ、それほど悪くなかった。上質にはほど遠くとも、安宿のベッドと大差ない。早速、ハイメスを運び入れ、そこに寝かせた。
次に他の荷物を寝所へ運び、エサルドの研究資料は地中に保管した。
そしてバックパックを背負い直して外に出ると、枝を切り落とす音が森に響いていた。
普段より騒々しい森の中、エラス・ライノの子供は暢気に草を食み、フィルは入口の横で暇そうに欠伸をしている。
「素材集めをしたい。手伝ってくれないか」
フィルは赤い目で俺を見上げ、伸びをしてからひと声鳴いた。
それに気付いたのか、エラス・ライノの子供が歩み寄ってきて、乗りやすいように少しだけ身を屈めた。
人を乗せるのに慣れた――というより、いない間に叩き込まれたか。
嫌々やっているなら考えるが、そんな様子もないし、たぶん大丈夫だろう。
それに魔物と遭遇したら二度手間になる。連れて行くとしよう。
俺は背中に飛び乗ると、獣人たちの奇異の視線を浴びつつ、素材集めに向かった。
錬金溶液の調合にはラニム草の他、ソグリオの実が必要である。
シルヴェックで購入したのは少量で、もしハイメスを治療しきれなかったら、また買いに行かなければならない。まずは現地調達、買い出しは最終手段だ。
しかし、俺の『鑑定』やフィルの『追想追尾』を使ってもソグリオの実は発見できず、疲労回復ポーションの素材であるアクティニの実も見当たらなかった。
それと、『追想追尾』で新たに分かったことがある。
個体以外を指定すると距離が激減し、周辺から少し先くらいまでしか探知できないようだ。しかもかなりの集中力を要するらしく、発動中は歩くくらいが精一杯だった。
出発前に頼んだときも、エラス・ライノの頭の上で鎮座していたが、集中が乱れるので動かなかったようだ。
『白閃光華』のようにまだ使いこなしていないのか、そう言うスキルなのかは分からないが、どちらであっても『追想追尾』で探知できないなら、この辺りには生えていないと考えるべきだ。
少し悩んだ後、探索の方角を変え、さらに速度を早めることにした。
できれば自力で見つけたかったが、ハイメスには時間がない。『追想追尾』なら近付くだけで有無を確認できる。
その判断は上手く填まり、ほどなくしてソグリオの群生地を発見した。
まだ熟していないが、ソグリオの実はさほど影響しない。フィルに礼を言い、当面の分を採取した。
錬金溶液の量産が可能となり、残るはアクティニの実だった。
しかし、こちらはどんなに歩き回っても見つからなかった。
しかもこうなる事態を想定していなかったので、現物が手元になく、『追想追尾』に頼れなかった。
考えてみれば、アクティニは寒い気候を好む植物である。探せば見つかると思うが、今は諦めた方が良さそうだ。
となると――テジリル草か。
テジリル草は、ロラに教えた発憤水の原材料だ。
効果が落ちるのでセレンでは二束三文で売買されているが、アクティニの実が採れない地域では普通に利用されているという。
尤も、帝国は温暖な土地が少ないので、大抵の土地でアクティニの実が採取できるし、足りなければ輸入すれば良い。テジリル草の出番は無きに等しかった。
そんなことを思い出していると、すぐにテジリル草を発見する。
俺が採取するのを見て、フィルは覚えようとテジリル草を観察していたが、そこら中に生えているので在庫が不足することはないだろう。
どうあれ一度、本格的な探索をした方が良さそうだ。
それでも重要な素材が見つからなかったら、シルヴェックで買い集めよう。フィルに頼りすぎるのもどうかと思うが、必要なときに探し回っていたら間に合わなくなる。
その後、テジリル草は薬効が弱いので多めに採取し、迷宮へ戻ることにした。
帰路に鹿二頭と兎を三羽仕留め、日が沈む頃に帰還する。
獣人たちは仮拠点の骨組みや寝床を完成させ、壁をどうするかで話し合っていた。
狩りをした様子がないので、食事の準備までは手が回らなかったらしい。
俺は獲物を分ける代わりに解体と調理を頼み、鹿を一頭、メイの食事として横穴に押し込んだ。
しかし動物はお気に召さないのか、メイの反応は芳しくなかった。
次は魔物を用意すると約束し、俺は寝所に入った。
それから素材を処理し、余った時間でエサルドの資料を読み返す。
気付けば眠っていたらしく、外に出てみたらとうに日が昇っていた。
身体を解しつつ森の空気を味わっていると、薪を抱えたウルクと鉢合わせた。
「とっくに朝だぞ」
「そのようだな」
呆れた様子のウルクに応え、周囲を見渡す。
他の獣人たちは姿がなく、フィルとエラス・ライノの子供もいなかった。
一緒に行動するとは思えない。ということは、別々に狩りへ出かけたか。
メイの食事はエラス・ライノがいないと獲物を運べないし、フィルたちを探すのも骨だ。本当に頼ってばかりだが、また甘えるしかない。可能性は低いが、もし手ぶらで戻ってきたら改めて狩りに出かけよう。
《清水》で顔を洗い、ついでに喉も潤す。
すると、焚き火のそばでウルクが骨付きの鹿肉を振るのが見えた。
「昨日の肉が残ってるけど?」
「助かる。ところで、他の連中は狩りか」
「水が足りないんだ。小川に向かったよ」
「そうだった。念のために教えたんだが、先に用意しておけば良かったな」
俺は仮拠点のそばに《妨土の壁》で箱を作り、その中を《清水》で満たした。
迷宮の入口にもあるが、こちらはフィルが自分とエラス・ライノ用に補充している。ほぼ残らないし、残ったところで獣人たちは使わないだろう。
「水は僕が用意しよう。足りなければ、いつでも声を掛けて――どうした?」
妙な顔のウルクに気付き、言葉を切る。
「貴族ってすごいんだな。こんな簡単に水飲み場が作れるのか……」
「それは誤解だ。ごく稀にとんでもないのもいるが、大抵の貴族は剣すらまともに振れないぞ」
そう言うと、なぜかウルクは感心した様子で頷く。
「じゃあ、アルター様は稀なんだな」
「稀か。だったら良いが……」
自嘲する俺に、ウルクはきょとんとしていた。
一晩、研究資料と睨み合ったが、新たな発見や手がかりは見つからなかった。やはり素材を揃えてみないと、進展はなさそうだ。
最高品質のヒーリングポーション、劇物同然の消毒液、神聖属性の上質な魔石かそれに類する魔道具、上位闇精霊の魔石、そして吸血鬼プロストの魔石。
どれも稀少なのに、これらは禁薬エサルドの素材だった。必死になって集めても、蘇生薬が調合できるとは限らない。
内心でため息をつきながら、気持ちを切り替える。
それも含め、試してみるしかないな。最高品質のヒーリングポーションなら、いつか調合できるはず。素材はセーロン草とシスラス草の蜜、サラス蝶の尾状突起だったか。獣人が所在を知っていれば助かるが……。
俺はウルクから肉を受け取ると、それを頬張りながら迷宮に戻った。
ハイメスは寝かしたときと同じ体勢のまま、広間に横たわっている。しかし昨日よりも体力が減少していた。安定しているように見えるが、確実に死へ近付いていた。
あまり猶予はない。素材はそれなりにあるし、強引に進めてみよう。
寝所に入り、少しでも処理が進んでいそうな素材を《軽風》と《火口》の即席ドライヤーで乾燥させていく。
そして乳鉢で磨り潰し、半ば無理矢理に『調合』を開始する。
その結果、いくつかの素材を駄目にしつつも、何度か続けるうち低品質の疲労回復ポーションを完成させた。手応えをまるで感じなかったので不安だった。成功したのは錬金器具の差だろうか。些細な違いだが、今までの器具より素材の状態を把握しやすかった。
掘り出し物を提供してくれたダドリーに感謝しつつ、ポーションをハイメスに飲ませる。
しかし、ハイメスは目覚めなかった。低品質では、これほどの過労は癒やせないか。
それでも、回復には向かっているはず。
俺は『調合』を再開し、少しでも質の良さそうなポーションを厳選し、ハイメスに飲ませていく。
とはいえ、強制的な回復は身体の負担にもなる。
三本目を飲ませたところで中断し、様子を窺うことにした。
その後は、後回しにしていたメロックへのお礼を振る舞い、エサルドの研究資料を読み返して過ごす。
午後を迎え、さらに時が経つ。
そして夕刻に近付いた頃だろうか。動く気配を感じて広間に行ってみると、ハイメスは上半身を起こし、驚いた様子で室内を見渡していた。
俺の足音に気付き、落ちくぼんだ目がこちらに向けられる。
「あなたは……テンコさん?」
「その名で呼ばれるのも久しぶりだな。前に会ってから、ひと月――いや、もうすぐふた月になるか。何にしても、無事に目覚めて良かった」
立ち上がろうとするハイメスを押さえ、その前に座る。
「気付いていると思うが、ここは岩塩坑ではない」
困惑するハイメスに、大まかに事情を説明した。
いきなり迷宮にいると言われても信じないだろうから、救出した経緯、そしてここが深殿の森とだけ伝えた。
そして話を終えたところで肩を貸し、外が見える場所へ移動した。
隣に腰掛け、俺も切り取られた向こうの世界を眺める。
鬱蒼と茂る森の景色に、ハイメスは目を奪われているようだ。
「話し声が聞こえるだろう。あれは一緒に逃亡した獣人たちだ。今は仲間の帰りを待っている。それはそうと、お前に謝らなければならない。気を失っていたから、了承を得ずに連れ出してしまった」
ハイメスは言葉もなく外を見ていたが、不意に視線を落とす。
膝の上で、手が震えていた。
それをしばらく見つめ、おもむろに握りしめる。
「助け出してくれたこと、感謝いたします。ですが、岩塩坑に戻してください」
予想どおりの言葉を聞き、内心で嘆息した。
思い出しただけで手が震えるほど恐ろしいのに、この男はまだ岩塩坑で死のうとしている。並みの責任感ではない。
だが、ハイメスにそこまでの罪があるとは思えなかった。
タクラズ子爵が『剣閃』クラウスを狙っていたなら、どんな理由を付けてでも仕掛けていただろう。事実、ハイメスのやったことは、タクラズが領有権を主張する森を兵士と冒険者に探索させただけである。この程度なら兵を差し向けて牽制するか、どんなに拗れても小規模な衝突に終わるはずだ。報復で町を落とすなんて、常軌を逸している。
その考えを伝えても、ハイメスの決断は変わらなかった。
俺は構わず、話を続ける。
「お前の責任感は立派だと思う。ただ、ラプゼルとイルサナに起きた悲劇は、タクラズ子爵とウォルバー伯の軋轢が発端だ。お前に落ち度があるとしたら、子爵の思惑を見抜けなかったこと、それだけだろう。ところで、計画に反対した者はいたのか? タクラズを刺激すると忠告した者はいたか?」
ハイメスは何も答えなかったが、それが答えでもあった。
なにより、実行したのはハイメスでも、彼一人の計画ではないはずだ。すべての始まりはウォルバー伯の娘であるルシェナが、ラティラの毛皮を欲したことにある。ウォルバー伯やラプゼルの騎士も関与していると考えた方が自然であり、むしろ、ハイメスを積極的に後押ししたと思う。
では、ラプゼルを預かっていた騎士も処罰されただろうか。
なんとなく、そうならない気がした。
ウォルバー伯は『剣閃』クラウスを失っている。これ以上の戦力を削る余裕はないだろう。それに伯爵家ともなれば譜代の騎士も多い。リードヴァルトでさえ、血筋のしがらみであのような事態に陥った。ウォルバー伯爵家ともなれば、さらに根深いと思う。
罰を受けても、おそらく軽微。
そして零れ落ちた多くの罪をハイメスが背負わされ、極刑より過酷な鉱山奴隷に落とされた。
実際のところ、真実は分からない。
確実なことはただ一つ、ハイメスは己に課せられた罪を、頑なに償おうとしている。
そこまで考え、ふと気付く。
なるほど、この男も同じだったか。
「お前の死に、価値はない」
俺が切り出すと、ハイメスは驚いたように目を開く。
「岩塩坑で死ねば、執政官としての責務を果たせるだろう。だが、それをウォルバー伯が見ていると思うか? 鉱山奴隷は極刑と変わらない。お前を岩塩坑に送った瞬間、ウォルバー伯はすべて忘れるだろう。お前は、それすらも理解したうえで岩塩坑に戻ろうとしているな」
当然、ハイメスも分かっている。
聞いているうちに冷静さを取り戻していったが、突然、何かに気付き、視線がゆっくりと伏せられた。
その仕草を見て、考えすぎていたことを悟る。
「気付いていなかったのか。自分の心を理解するのは難しいよな。僕も毎回、苦労する。もう分かってるようだが、あえて言わせてもらおう。お前は自分を罰しようとしているだけだ。悲劇に見舞われたラプゼルやイルサナの民へ贖罪するために。そしてお前が死のうが生きようが、彼らには何の関係もない。気にもしないし、知ることもない。お前は自己満足のため、罪の意識から逃れるために、死のうとしているだけだ」
辛そうに顔を歪ませるハイメス。
以前、森で避難民の遺体を発見したときも、同じような表情をしていた。
あの瞬間、ハイメスは死を決意したのかもしれない。
ハイメスとジェイクは似ている。
どちらも根本にあるのは罪悪感だ。
しかし、その選択は決定的に違う。たとえ根底に逃避があったとしても、ハイメスは命を捨てて贖罪を果たそうとしている。どれほど苦しくても、逃げる機会を与えてもだ。
だからこそ、この男がほしい。
俺は居住まいを正し、ハイメスに向き直る。
「正直に言う。岩塩坑から連れ出し、今も言葉を弄しているが、結局は僕の都合だ。他にも不幸な者たちはいたが、僕にとっての最優先はお前だった」
怪訝そうに顔を上げるハイメスに、俺は言葉を継ぐ。
「しばらくの間で構わない。僕に力を貸してくれ。この身に起きたこと、何を望むかもすべて話そう。それを知ったうえで決断してほしい」
俺は一呼吸置き、これまでの経緯を包み隠さず打ち明けた。
ランベルトの裏切りに遭ったこと、迷宮に命を救われて種族が変化したこと、リードヴァルトが陥落し、家族を蘇生させようとしていること。
転生者は話を混乱させるだけなので隠蔽し、それ以外のステータスも開示した。
その内容にハイメスは驚いていたが、次第に落ちくぼんだ目は怜悧な光を帯び、一字一句漏らさぬよう、つぶさに読み進める。
打ち明けることに迷いはなかった。
ハイメスは、自らを罰して死のうとしている。そんな男が迷宮の情報を交渉材料にするわけがない。そして、ウォルバー伯に情報を持ち帰ったりもしないだろう。まだ忠誠を誓っているなら、天儀の法剣とノスヴァールを俺に渡さず、ウォルバー伯に献上したはずだ。
この男もサーハスたちと変わらない。帰る場所を、とうに失っていた。
「断っても責めたりしない。ただ、岩塩坑に戻るのは止めてくれ。先ほどの話は本心だ。もし断るなら、ウォルバーの手が届かない土地まで送ろう。西のセムガット公国や北のハーゼル統一王国なら、安全に過ごせるはずだ」
ハイメスは答えず、静かに目を閉じた。
俺も言葉を重ねるのは止め、決断を待つことにした。
静まり返った迷宮に、梢の揺れる音や獣人たちの笑い声が聞こえてくる。
穏やかな外の情景とは裏腹に、広間には静謐ともいうべき沈黙が流れていた。
どれほどの時が過ぎたか。
しばらくしてハイメスは顔を上げる。
「私の死に価値はない」
そう言って薄く笑うと、ハイメスはふらつく身体で片膝を突いた。
そしておもむろに頭を垂れる。
「元ラプゼルの執政官ハイメス。ただいまより、アルター様にお仕えいたします」
いきなりの宣言に、俺は言葉に詰まってしまった。
期待していたのは確かだ。そのために連れ出し、今も説得した。
俺は逸る気持ちを押さえ、ハイメスに問いかける。
「この先どうなるか、僕にも予測が付かない。岩塩坑で死んだ方が楽だったと思う日が来るかもしれない。それでも良いんだな?」
「構いません。アルター様の仰るとおり、私が死んだところでラプゼルやイルサナの悲劇は覆りません。そして恩人が窮地に立たされているのなら、ただ死して責務を全うするより、恩に報いたい。そのためならいくらでも誹りを受けましょう。苦難がこの身に降りかかるなら、望むところです」
力強く頷くハイメスを見て、気付けばその手を取っていた。
驚くのも構わず、俺は握りしめる。
「分かった。お前の命、僕に預からせてくれ」
「如何様にもお使いください」
ハイメスは困ったように笑いながら、弱々しくも精一杯、俺の手を握り返してきた。
今はまだ、エサルドの研究資料を入手したに過ぎない。
資料を読み込むほど果てしない道程と思い知らされ、禁薬エサルドの素材さえ揃えることが難しかった。
それでも、確実に前へ進んでいる。
握り返すその手は、仲間でも友人でも師弟でもない。
この瞬間、俺は人生で初めて、自身の配下を得た。
これにて、三章の前半は終了です。
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