第15話 八歳児の日々 ~帰還
酷く気分が悪い。
頭は痛いし吐き気がする。たぶんあれだ、二日酔いに違いない。高校生だけど。
ん? 違うな。高校生だったんだ。今は貴族の――
目蓋を開いた途端、陽光を直視してしまい、咄嗟に目を背けた。
今度はゆっくり開き、辺りを見渡す。
どうやら森にいるようだ。しかも寝ている。
頭を押さえながら、上半身を起こした。
「坊ちゃん!」
聞き慣れた声が脳を揺らす。ちょっと大声出さないで。頭に響く。
ロランの助けを借りながら、どうにか身体を起こす。頭痛もそうだが全身に酷い倦怠感を感じる。力は入らないし、やたら呼吸も浅い。まるで高熱を出して寝込んでいるときのようだ。
「僕は、なぜ寝ていた」
「覚えてないので? トゥレンブルキューブに呑み込まれたんですよ」
「トゥレ……ああ、あの四角い奴か」
思い出してきた。俺はあいつのお食事になる寸前だったのだ。
ロランを見れば、しっかりと両目でこちらを見返してきた。頭部の布は痛々しいが、目は無事らしい。不幸中の幸いってやつか。下手したら失明していただろう。ま、前髪は半分ほど不幸っぽいが。
一安心していると、不意に刺激臭が鼻をついた。
見渡せば、『破邪の戦斧』が松明片手にうろうろしている。
「僕が呑み込まれた後、どうなった?」
「本当に何も覚えてないんですね。大量の土塊の短矢でトゥレンブルキューブは半壊。それでも生きていたので、今とどめを刺しています」
「うまく発動したのか。まるで覚えてない」
魔力が枯渇したのは初めてだ。
記憶が定かでないのは、発動と同時に気を失ったからだろう。しかし戦闘中に気を失うのは死ぬのと同義。バージルが「死なないが止めた方が良い」と言うのも理解できる。もし『破邪の戦斧』が周りにいなければ、俺は意識がないままトゥレンブルキューブに消化されていただろう。他に手が無かったとはいえ、無謀なことをしたものだ。
ロランによれば、気を失ってからそれほど時間は経過していないという。おそらくだが、最低限の魔力が自然回復すると目覚めるではないだろうか。
それを確認しようとステータスを開き、俺は固まった。
なんで――体力が一桁まで減少している? 気を失うだけじゃないのか?
それならバージルもそう言ったはずだ。
背筋を寒気が襲う。
ぎりぎりだったのかもしれん。《礫土の盾》の耐久力、ばら撒いた《土塊の短矢》の威力。トゥレンブルキューブがどちらかをわずかに上回っていたら、気を失っていなくとも死んでいたんだ。
それにしても、一桁って。生後三ヶ月でも二桁あったぞ。この異常な倦怠感は死にかけてる所為なんだな。今なら転んだだけでも死にかねん。
青ざめた表情でもしていたのか、ロランが小瓶を差し出してきた。
「ヒーリングポーションです。飲んで下さい」
「ロランは良いのか?」
「もう飲みましたよ。さ、どうぞ」
礼を言い、緋色のポーションに口をつける。
どれほど不味いのかと警戒していたが、ほのかな甘みがあり、思いのほか美味かった。
ヒーリングポーションが胃の中に流れ込むたび、倦怠感が薄れていくのを感じる。ステータスで確認してみると、体力は緩やかに上昇を始めた。
一安心し、スポーツドリンクを飲むようにポーションを傾けながら、『破邪の戦斧』へ視線を向けた。
誰も大きな怪我はしていないようだ。
要注意と呼ばれる魔物相手に、俺の体力とロランの前髪で済んだ。かなりの戦果と言えよう。
視線をステータスに戻し、そのまま下げていく。
スキル欄には、新たなスキルが追記されていた。
『多重詠唱』
昨日まで習得していなかった。
では、あの瞬間に獲得したのか?
そんな都合の良い話はこの世に存在しない。少なくとも、理由もなく物事は起きたりしない。盾の壁に囲まれているのを知ったとき、驚きはしたが納得もしていたのだ。
手を開き、風属性の生活魔法、《軽風》を発動させる。
途端、頭痛が強まったので慌てて消した。
三年前、バージルから魔法について学び、四元素の生活魔法を習得した。当時の俺は魔力の少なさと魔法に慣れる目的で、とにかく生活魔法を使いまくった。慣れてきてからも使い続け、効率化を図って両手でも発動している。今まで気付かなかったが、それこそ多重詠唱である。スキルの習得はできていなくとも、経験だけは少しずつ蓄積されていたのだ。そして核を狙った《土塊の短矢》の乱発や、大量の《礫土の盾》で杭を作り出したことにより、習得に必要な経験値を一気に稼いだのだろう。
「ちょっと煙いでしょ! 向こうを焼きなさいよ!」
ヴァレリーの文句に、マーカントがケタケタと笑って応える。
ついさっきの死闘を忘れるほど平和な光景が広がっていた。
なにこれ、青春? 二十歳半ばのいい大人が?
残りのポーションを一気に飲み干し、俺は立ち上がった。
仕方ない、せめて平均年齢だけでも下げてやるか。
俺とロランも加わり、ほどなくして本体の欠片、触腕の一本に至るまで残さず焼き払い終え、トゥレンブルキューブはこの世から姿を消した。
森を吹き抜ける風が、漂っていた異臭も散らしていく。
後に残るは戦闘前に存在しなかった広場だけだ。
余韻もほどほどに、再出発のため荷物の点検を始める。
スモールソードはあまり傷んでいなかった。ほとんど役に立たなかった分、『溶解』と接触する機会が少なかったからだろう。念のため入念に拭き取っていると、マーカントが「ほれ」と大きな球を放り投げてきた。
それを咄嗟に受け止める。
大きな青い球体、トゥレンブルキューブの核だった。
こいつを弾き飛ばしても死ななかったな。どれだけ生命力が強かったんだよ、あいつ。あそこでケリがついていれば、死にかけることもなかったろうに。
日の光に透かせば、深い青色が輝いた。
俺の拳よりも大きく、本体に反し、やたらと硬い。眺めていると濁りのない青に吸い込まれそうになった。核は何かの素材になるんだろうか。
「拾っといたぞ。お前が吹き飛ばした魔石」
「魔石かよ!? 紛らわしいわ!」
叩き付けそうになるのを、何とか堪える。
核だと思ったから死に物狂いで魔法を連発したのに。
改めて手の中の魔石に目を落とす。大きさはエラス・ライノの比でない。ゴルフボールサイズで金貨六十枚、これならかなりの高額じゃなかろうか。
俺が怒りと欲に塗れた視線で魔石に食い入っていると、ダニルも興味深げに覗き込んできた。
「魔石が無くなっても魔物は死なないんですね。初めて知りました」
「死んでくれたら呑み込まれずに済んだけどな」
「ははは、確かに。ですが魔石が無くなれば、弊害も大きいと思いますよ。いずれは死ぬでしょうし、魔法もうまく発動しないでしょう」
あいつ、魔法使わないから。やっぱり無意味な行動だね。
へこんでいる俺に、オゼの呼ぶ声が聞こえてきた。
一瞬、皆に緊張が走るも、声音は平時と変わらない。
注意しつつオゼの元へ行ってみれば、驚くべき光景が広がっていた。
三メートルほどの幅で大地が剥き出しとなり、それがどこまでも続いているのだ。
「これは――トゥレンブルキューブの通った跡か」
さっきまで俺たちがいたところにも道はあるが、こちらはまっすぐに、どこまでも続いていた。
『森の先導者』、か。
これなら称号持ちも頷ける。そういえば『溶解』は草木も溶かしていた。もしかすると主食は植物だったのかもしれない。
森に出現した幻想的な風景に、俺はただ魅せられた。
案外、平和的な魔物だったのかもしれん――と感慨に耽っていたら、
「落ちてました」
と、オゼがオークの装備と魔石を積み上げた。
うん、気の所為だった。そういやオーク、襲ってたもんな。この道だってオークを追いかけて、まっすぐ突き進んできただけじゃね? 感傷的な気持ちをどうしてくれる。
行き場の無い憤りを抱きつつ、その道を少し進んでみた。
しばらくして、魔石の山がいくつも見つかる。多様な魔物の魔石だが、オークが多いようだ。もしかすると俺たちの殲滅した集落の生き残りか、留守にしていた連中がいたのかもしれない。結果的に後始末してくれたわけだが、まるで嬉しくないのはオークとは比較にならないほどの難敵だったからだろう。どうあれ、魔石以外は綺麗に消化されている。有り難く頂戴しておくとするか。
こうして俺たちは臨時収入も獲得し、再び帰路へ向け出発した。
◇◇◇◇
草原地帯を進んでいくと、久しぶりの文明、街道が見えてきた。
街道は東に森を見据えながら南北へ延びており、北へ行けばリードヴァルト、南に行けばミリエット村を経由してケーテン子爵領に到達する。当然、進むのは北だ。
「お気をつけ下さい」
後ろからヴァレリーが話しかけてきた。
「草原は見通しこそ良いですが、あのように茂みの深いところには盗賊やゴブリン、狼などが潜んでいる場合もございます」
指し示す方を見やると、草花が大人の胸の高さくらいまで伸びていた。夏のこの時期は特に注意が必要だという。
「こちらはやりづらいんですけどね」
言いながら、オゼはマーカントの後ろにつく。
草原に踏み込めば、掻き分ける音で位置がばれてしまう。威力偵察できるほど戦闘力が無いため、身軽さ重視のオゼは苦手のようだ。
若干、普段よりも伸びた隊列で進んでいると、しばらくして物音が聞こえてきた。
後方から二台の馬車がこちらに向かってくる。隊商だろうか。
馬車をやり過ごすため、街道の端に寄る。
徒歩の護衛はおらず、馬車本来の速度で迫ってくる。御者台には二人の人影、一人は御者でもう一人は戦士だ。その戦士はこちらを見るなり、荷台を叩いて何か言葉を発した。
『破邪の戦斧』は暢気な様子でそれを眺めているが、なぜか戦闘態勢に入る。ロランも俺を隠すように前に踏み出した。
謎の緊張感が漂う中、馬車が通り過ぎていく。
荷台から数人の男がこちらを睨み付けてきた。
そのうちの一人が俺と目が合うと、小声で何かを口走り、俺に向け一斉に視線が降り注いだ。
いきなり警戒は解かれ、彼らは荷台に座り直す。もはやこちらを見もしない。
「盗賊ではないようですね」
ダニルは剣の柄から手を離した。
どうやら、どちらも盗賊と疑っていたようだ。冒険者の振りをした盗賊もいれば、隊商の振りをした盗賊もいる、ということか。図らずも、俺の存在が冒険者の証明になったわけだ。そりゃ、子供連れの盗賊は居ないよな。
その一件を皮切りに、街道に人の姿が散見できるようになった。
草原から現れて北を目指す冒険者、どこかのギルドの早馬らしき馬上の者、すれ違う隊商。中には『破邪の戦斧』の知り合いもいて、気安く挨拶を交わしたり、丁寧に頭を下げる若手の一団もいた。
リードヴァルトが近付いている証拠である。
ここまで来ると盗賊や魔物はまず襲ってこないそうだ。言われてみれば誰もが気楽な足取りだった。それというのも、町の外を出歩く者は大抵武装しているか護衛を雇っている。周囲に人が増えれば、それだけ守る側の戦力も増加するわけだ。好戦的なゴブリンでも無謀すぎて襲ってこないし、いたとしても、とっくに殲滅されているとのこと。
そして夕刻前、遠方にリードヴァルトの町並みが見えてきた。
壁の外にも畑が広がっており、あぜ道には農作業に勤しむ者らが行き来している。革鎧を着込んだ子供は珍しいのか俺に興味を持つ者もいたが、誰一人、領主の子供とは気付かなかった。
しばらくして正門付近に到着。ちょっとした行列ができており、門番が身分の確認や危険な積み荷を持ち込もうとしていないか検査していた。
ロランが先頭に立ち、列を素通りして進んでいく。
行列を無視する動きに門番の一人がこちらを見やった。その表情が見る見るうちに変わり、門の周辺が慌ただしくなっていく。ちらちらと俺を見ているので、帰還する日が通達されていたようだ。それに引っ張られ、行列からも視線が突き刺さる。ちょっと恥ずかしいんだけど。
騒がしくされるのも厭なので、オゼに頼み、出迎えは不要と伝えた。
ちなみに最初の日帰りの時、列に並ぼうとしたら「領主の威厳に関わる」とロランに一蹴された。前世は綺麗に並ぶことで有名な民族。抵抗感はあったが、父を出されては文句も言えまい。
やや緊張した様子の門番たちに声をかけつつ、俺はそそくさとリードヴァルトの町へ入っていった。
雑踏が全身に押し寄せてくる。
やっと戻ってきたか。懐かしのリードヴァルト。
たった一週間。されど一週間。
これまでの人生は何だったのかと思うほど、濃密な時間だった。実戦を望んでレクノドの森へ挑んだ。終わってみれば、よく生きて帰ったこれたと思う。エラス・ライノの一撃を喰らっていれば即死していた。オークの集落は圧勝でも、乱戦の怖さと連携の難しさを体験できた。トゥレンブルキューブとの戦いでは比喩でなく死にかけた。
これ以上は望めない、最良の実戦訓練だった。
そのまま大通りを進み、冒険者ギルドに到着する。
入り口から外れたところに馬駐があった。ここなら往来の邪魔にならないな。
俺はそこで立ち止まり、『破邪の戦斧』をゆっくりと見渡した。
「皆、ご苦労であった」
「まったくだ。たった一週間で出会う連中じゃなかったぞ」
ま、かなり面白かったけどな、とマーカントはにんまり笑う。
「それでは、こちらにサインをお願い致します」
ダニルが差し出した書類を受け取り、一読してからペンを走らせる。
「これで依頼は完了だ。『破邪の戦斧』とともに戦えたことを誇りに思う。屋敷で祝杯でもあげたいところだが、まずは休息したいだろう。後日、改めて招待させてもらう」
「ありがたいが、かたっ苦しいのは苦手でね」
「分かってる。気兼ねなく飲み食いできるよう、取り計らっておくさ」
「それなら招待されとくか。んで、素材とか魔石はどうする?」
「素材はありきたりだし、魔石もほとんど小ぶり。欲しい者がいなければ換金で良いと思うが――ああ、トゥレンブルキューブの魔石もあったな。渡しておこう」
「そいつは持っててくれ」
手を上げるマーカントに、エラス・ライノの一件が思い浮かぶ。
「……おい」
「俺たちが持ち逃げするかもしれんだろ。んじゃ、依頼達成と換金の手続きしておくわ! またな!」
それこそ持ち逃げするように、小走りでマーカントはギルドへ入っていく。ヴァレリーたちも俺とロランに別れを告げ、後を追っていった。
なんだろうな、また押しつけられそうなんだが。トゥレンブルキューブの魔石は握り拳以上、エラス・ライノの比ではない。こんなもの受け取ったら、依頼料をどれだけ上乗せしなければならないのか。父のこめかみがヒクつくぞ。
必ず突っ返そう。
心に決めつつ振り返り、俺は正門へ向かった。
ロランが慌てて駆け寄ってくる。
「坊ちゃん! どちらへ!?」
俺は懐から砂時計を取り出し、放り投げる。
それを受け止めたロランは、どこか呆れているように見えた。たぶん夕日のいたずらだ。
さて三泊四日の成果、確かめようじゃないか。
込み上げる喜びに打ち震えながら、俺は正門前のスタート地点に向かうのだった。