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第14話 八歳児の日々 ~最悪の存在


 夜襲を受けることもなく、無事に朝を迎えた。

 野営では俺も見張りを担当している。初日はロラン、二日目はマーカント、昨晩はダニルと組んだ。全員前衛なのは俺の護衛も兼ねていたようだ。そして昨晩のダニルは、脳筋魔法のマーカントを除き、唯一の魔法使い。商人の息子とあって知識も豊富である。俺はここぞとばかり、色々と質問した。

 特に気になっていたのは魔法書である。初級魔法はバージルの講義で会得できているが、中級以降はそう簡単ではない。研究や訓練はするにしても、魔法書も視野に入れるべきだろう。

 その辺を尋ねると、入手しやすい初級の魔法書でも金貨十枚以上、中級ともなればオークションなどの目玉商品扱いで、金貨百枚から始まるのが普通だという。

 しかも、それらは四元素と無属性の魔法書に限った話である。氷結や雷撃、変性はまず出回らないし、神聖や死霊に至っては初級でさえも作成できる者が存在するか不明らしい。神聖属性は回復魔法の系統なので早めに覚えたいんだが、少々懸念もある。習得者のほとんどが神官であり、強い信仰心を持っているのだ。神聖魔法が使える神官を擁する神殿なら手っ取り早く習得できそうだが、本当に神かそれに等しい存在がいて祈りを聞き届けてくれるのか。小太りは、創造神は見ているだけ、と言っていた。他に神がいないとも限らんが、どうも全体的に不干渉の印象を受ける。一応、小太りは確実に存在する神だし、結果として世話にはなってるけど……あれを崇める? 無理。

 まあ信仰はひとまず置いておき、いずれかの中級魔法、神聖魔法、死霊魔法の魔法書獲得が当面の目標である。古代遺跡やダンジョンで見つかるそうなので、機会があれば挑戦するとしよう。それとダニルが忠告してきた。魔法書を入手し習得したとしても、発動しなかったり極端に魔力消費が大きくなることがあるそうだ。これは資質が関係しているらしい。遠回しに資質を調べた方が良いと言ってくれているようだが、たぶん心配いらない。神聖と死霊以外を習得し、どれ一つ不得手がない。ほぼ確実に全属性の資質を小太りから与えられていると思う。あれなりに気を遣わせているのかもしれないな。崇めるくらいならしても――やっぱ無理。


 軽く朝食を済ませ、出立の準備を終える。残るは町への帰路だけだ。

 初日は東へ、二日目からは南下している。現在地は大体、リードヴァルトの南東辺りか。たぶん西へ進んでもまだ領内だろうが、遠回りなのでまっすぐ北西を進むことにした。

 隊列の先頭はマーカントで、ロランとヴァレリーが俺を挟み、ダニルが殿(しんがり)を務める。斥候のオゼは先行し、奇襲の警戒にあたっている。この一週間、移動はこの隊列が多かった。正直、大人に囲まれると視界は塞がれるし、売りの機動力が損なわれてしまう。せめてダニルの前にしてくれと頼んだが、呆気なく拒否された。

 それと、初日よりも明らかに変わっているのは俺たちの荷物だろう。特にロランとマーカントは顕著だ。三日間で俺たちは多くの魔物を倒し、相当量の魔石や素材を入手していた。全員負担しているが、力の強い二人は特に負担の割合が大きかった。戦闘はともかく、これで通常の動きが損なわれないのだから大したものである。たぶん単純な筋力だけでなく、荷物の運び方、身体の動かし方にコツがあるのだろう。地味なところに熟練の妙技が隠れているようだ。

 大きな皮袋を背負う二人を見やりながら、俺は経験の浅さも感じていた。

 エラス・ライノの時、肉を捨てていくとは何事かと闖入者を非難した。俺にはその資格がない。泊まりがけの探索では素材が超過してしまい、どうしても選別しなければならないのだ。おまけに偉そうなことを言った俺の負担は微々たるものだった。魔法のバッグ(テルパーズ・バッグ)と呼ばれる収納力を増大させた魔道具があるらしいので、これも目標に追加しておこう。しかし、闖入者の皆さんには本当に失礼な態度を取ってしまった。どこかで出会ったら謝ろう。ええと……名前なんだっけ?


 進むにつれ、レクノドの森が変化していった。

 気付けば起伏が減り、樹間も広くなっている。日帰りの風景と似ていた。

 特に休息を取らず、俺たちは進む。

 今のところ、魔物と戦闘になっていない。時折、オゼが戻ってきて進行方向を調整しているので、どうやら利益の少ない戦闘を避けているようだ。それにこの辺りまで来ると、魔物との遭遇率もかなり低下する。遠征の初日では浅いところでゴブリンやエラス・ライノと鉢合わせているが、本来、草原は冒険者や討伐隊の活躍で魔物が少なく、森の浅いところなら初心者でも比較的安全だった。

 俺たちを警戒し、リスが太い幹を駆け上がっていく。

 のどかな光景を見上げながら、心では別の心配が首をもたげてきた。武具の制作費は足りるだろうか。最終日なのだから、もう少し稼いでも良い気がする。それとなくダニルに訊ねると、充分、と言われてしまった。熟練の冒険者にして商家の息子。これ以上のない保証なのだが、一度気になるとなかなか頭から離れなかった。根っこは庶民だし、俺自身にまともな貯蓄が無い。プレゼントの資金を相手に出してもらうのは情けなさ過ぎる。万が一、足りなかったら、薬草でも採取しに来るか。

 しばらくして、小動物の姿も見えなくなってきた。

 もう草原が近いのか。

 俺が漠然と思った時、オゼが音も無く戻ってきた。


「前方にオークがいる」

「数は?」

「おそらく三、多くても五」

「分かった。オゼとヴァレリーは二手に分かれて奇襲――いや……待て」


 不意にマーカントは押し黙った。

 その表情はどこか硬く、それを見た他の『破邪の戦斧』は妙な緊張感を漂わせた。

 俺とロランは首を傾げる。たかがオークとは言わないが、すでに二十体以上の集落を殲滅している。今更五体ならどうという数でもないし、オゼの報告にも警戒する理由が見当たらない。

 険しい表情のまま、マーカントはいきなり背筋を震わせた。


「なんか……やべえ」


 呟きが消えぬうち、俺たちは咄嗟に身構えた。

 明白なほどの異変。

 今のは――咆哮、いや絶叫か?

 前方から凄まじい声が上がった途端、唐突に静まりかえる。その落差があまりにも激しく、一瞬、幻聴なのかと思ったほどだ。俺たちは顔を見合わせたが、マーカントだけはまっすぐ前を睨み付けていた。


「お前ら! 今すぐここを離れ――」


 言葉を切り、マーカントが慌てて斧を構える。

 それを見たロランが俺を下がらせ、ダニルとヴァレリーが左右に展開、オゼは下がりつつ木陰に滑り込んだ。

 梢がざわめく。

 木々を揺らすほどの大物?

 まさか、またエラス・ライノじゃないだろうな。

 葉擦れの音が大きくなり、のそりとそれが現れる。俺は我が目を疑った。

 何度も瞬きし、自分の視界がおかしくなっていないか確かめる。


「なあ……あれは何だ?」


 現れたのは、高さ三メートル、幅三メートルの壁だった。

 材質は水色のゼリー。それが四体のオークを懐に抱き、若木を呑み込みながら近付いてくる。


「トゥレンブルキューブ!?」


 叫んだのはロラン。

『破邪の戦斧』に動揺が広がるも、俺は非現実的な立方体に釘付けだった。


「あれはやばいぞ!」

「撤退ッ!!」


 ロランの叫びとマーカントの指示が重なり、俺はいきなり浮いた。ロランが俺を脇で抱え込み、駆け出したのだ。

 咄嗟のことで前後が逆になっている。進行方向を向いているのは足だ。隊列をそのままに駆け出したため、殿(しんがり)になったのは前衛のマーカント。俺はその先、ゆったりと揺れる水色の立方体に視線を向けた。

 どうやらあれも魔物らしい。まるで巨大なスライムを切り出したような姿だ。俺たちを追ってきているようだが、あの巨体と質感では問題なかろう。振り切ってしまえば――いや、距離が……縮まってないか?

 俺は慌てて『鑑定』を発動させた。



名前  :-

種族  :トゥレンブルキューブ

レベル :27

体力  :252/252

魔力  :113/113

筋力  :14

知力  :1

器用  :1

耐久  :34

敏捷  :15(16)

魅力  :1


【スキル】

  溶解、触腕

  斬撃耐性4、打撃耐性8、水耐性8、氷結耐性2、雷撃耐性6

【魔法】

  無し

【称号】

  森の先導者



 なんだこいつ……。

 ロランよりも高いレベル、そして異常な体力に耐性スキルの数々。間違いなく数値以上にしぶとい。それより問題なのは、敏捷16だ。確実にこいつを振り切れるのは俺だけ、オゼなら敏捷15でも斥候スキルで逃げ切れるかもしれん。他の者は厳しい。


「マーカント! 無理だ、追いつかれる!」


 俺の言葉に、首をねじって後方を見る。向き直った顔には苦渋が浮かんでいた。

 ロランの背を叩き、「自分で走る、下ろせ」と命ずる。少し抵抗したが、ロランが腕を緩めた。着地と同時、俺は駆け出す。


「あれについて知ってることは!?」

「トゥレンブルキューブ、ギルドで要注意に指定されている魔物です!」


 ロランがすかさず答える。


「他には!?」

「出会ったら逃げろと」


 参考にならん。ロラン以外が応えないところを見ると、全員が同じ程度の知識しか持ち合わせていないようだ。しかし出会ったら逃げろ、だと? 馬鹿を言うな。並みの冒険者では逃げ切れん。


「走りながらで良い、皆聞け! もうすぐ追いつかれる、戦うしかない! ロランとマーカントは二方向から牽制、不用意に近付くな! ヴァレリーとオゼは遊撃と攪乱! 俺とダニルは魔法で遠距離攻撃! 相手は未知の魔物、臨機応変を忘れるな!」


 皆の目に覚悟が浮かぶ。

 それを見ながら、俺はこれで良いのかと自問した。

 『鑑定』結果を伝える方が確実だ。しかし、いきなり稀少扱いの『鑑定』持ちだと告白して信用されるとは思えない。たとえされても、今までのような関係を維持できるか。「見える」というのは、それだけ嫌悪されるのだ。

 どうあれ、この状況で口にする話ではない。むしろ混乱を招く恐れがある。

 なら、ことは簡単。

 いざとなったら俺が残り、『高速移動』で歩く立方体を攪乱し、引きつける。

 皆にはその間に撤退してもらえば良い。ロランは従わないだろうが、実際に攪乱するのを見れば納得するはず。しなくとも『破邪の戦斧』に引きずっていってもらおう。

 期を見計らい、マーカントが指示を飛ばした。


「散開!」


 ロランとマーカントは急停止、素材の詰まった大袋を遠くに放り投げ、武器を構える。

 ヴァレリーとオゼは左右に散り、俺とダニルはそのまま走って距離を取った。

 トゥレンブルキューブの動きが鈍る。

 こちらが戦闘態勢に入ったのを理解したわけではないと思う。知能は最低値。おそらく食糧が分散したので、一番捕食しやすそう相手を選んでいるだけだろう。

 それにしても、異様な外観だ。

 生物らしさがまるでない。単純な大きさはエラス・ライノとさほど変わらないが、三メートル四方を覆い尽くす無機質な身体は得も言われぬ怖気を感じさせた。それも、内側に溶けたオーク四体を抱え込んでいるのだから尚更だ。


「前衛、油断するなよ!」

「当たり前だ!」


 反射的に口をついて出た俺の忠告に、マーカントが言い返す。

 余計なお世話かもしれないが、どうしても心配になる。俺には『触腕』のスキルが「見えて」いるからだ。

 案の定、前衛に向かい、立方体から無数の触手が伸びる。

 しかし俺の心配はどこへやら、二人はそれをあっさり躱し、いとも簡単に切り落としていく。本体が近寄ればその分後退、決して接近しようとしない。

 場数が違うな。俺の心配はいらぬお世話か。

 前衛が引きつけている間、ヴァレリーとオゼは周囲を走り、触腕を斬りつけ、隙を見ては本体へ斬り込んだ。それらの間隙を縫い、俺とダニルが攻撃魔法を放つ。

 ここまで攪乱されたのは初めてなのか、トゥレンブルキューブは五つの面から触腕を伸ばすも、ことごとく空を切ってしまう。特に斥候二人の攪乱が効いている。明らかに的を絞れていない。

 慣れてきたのかロランとマーカントも触腕を掻い潜り、本体を斬りつけていく。

 ゼリー質の体で視認しにくいものの、トゥレンブルキューブは数え切れないほどの斬撃を浴びていた。俺の『鑑定』でも、体力は着実に減少している。耐性があっても無効ではない。とりあえずダメージは通っている。

 そんな中、遊撃のヴァレリーが大きく距離を取った。

 魔剣アルア・セーロを構えた途端、剣身から異様な気配が立ち上る。


「コマンド:コーゲル!」


 振り抜く軌跡に合わせ無数の水弾が発生、トゥレンブルキューブに殺到する。巨体がわずかに震えるも、傷を負った様子はない。威力が耐性を下回っていた。


「やっぱり水魔法は効きにくいか。じゃ、こっちね。コマンド:スフェール!」


 魔剣から水が溢れ出し、剣身を覆い始める。

 見る見るうちにアルア・セーロは水の刃を纏い、両手剣並みの長さとなった。

 重量はほとんど変わらないのか、ヴァレリーは速度を落とすことなくトゥレンブルキューブの接近、群がる触腕を一刀のもとに斬り飛ばす。

 さっきは水属性の魔法攻撃、今度は剣の強化か。アルア・セーロは複数の能力を持っているようだが、これって聖撃の斧より格上じゃないか?

 ヴァレリーの奮闘に負けじと、ダニルも《火炎の短矢(ファイヤーボルト)》を放ち、剣を片手に斬り込んでいく。

 残りの魔力を考えての行動だろう。専門職でないため、それほど魔力総量は多くない。そんなダニルに何本もの触腕が伸びていく。幾度か斬りつけ、捉えられそうになった瞬間、炎の揺らめきとともに触腕が跳ね飛ばされた。短矢(ボルト)系ではない。小さな火球、おそらく槌撃(ブロウ)系魔法だ。初級魔法だが初めて見るな。よし、後で教えてもらおう。

 密かな欲望を抱きつつ、俺も《火炎の短矢(ファイヤーボルト)》を放ち、ダニルを真似て斬り込んだ。

 しかし俺の筋力とただのスモールソードでは、『斬撃耐性』を突破できない。傷らしい傷をつけることもできず俺は後退した。こいつが相手じゃ力も装備も足りてないか。おとなしく魔法攻撃と攪乱だ。

 そんな俺より手こずっているのはオゼだった。

 スリングは『打撃耐性』に封じられ、ナイフを振るったり投擲しているがまるで効果がない。途中から攻撃を諦め、俺と同じく攪乱に徹していた。


 それから、どれほどの時間が経過したか。

 これほど動き続け、魔法を放ち、剣を振るったのは初めてだ。オークの集落でもここまで掛からなかったと思う。しかも相手は最初と変わらず、ただ触腕を伸ばし、呑み込もうと迫るのみ。あまりにも単調な戦い。もしかしたら、それほど時間は経過していないのかもしれない。

 ただ、明確な変化もある。俺たちの疲労だ。いくら動き慣れてる冒険者でも、動き続けるのは骨が折れる。高い耐性。軽く考えていたわけでもないが、これほど厄介だとは思わなかった。前衛二人が攻撃に転じる回数は明らかに減少してきたし、アルア・セーロの効果時間はとっくに過ぎた。オゼの速度も鈍っている。俺とダニルは長期戦を見越し、とっくに魔力の温存に切り替えた。それに俺は、いざというとき一人でこいつを抑えなければならない。余計な魔法を使う余裕はなかった。

 俺は『鑑定』を発動させる。これで何度目だったか。途中から数えるのは止めた。

 見た目では判別しづらいが、トゥレンブルキューブの体力は確実に減少している。このまま根気よく削っていけば押し切れるはずだ。


「こいつの体液を浴びるな! 溶けちまう!」


 単調な戦いにもう一つの変化が訪れる。

 突然、マーカントは舌打ちし、革鎧ごと袖を引きちぎって投げ捨てた。

 地面に叩き付けられた皮製の袖は、虫食いのように穴だらけになっていた。

 これが『溶解』スキルか。見たところ留め金などは形が残っているな。金属は時間が掛かるのか、もしくは溶かせないようだ。そうでなければ俺の鉄剣はとっくにぼろぼろだろう。

 体液が溶解性だと分かり、皆は慎重に攻撃するようになった。

 これで良いのかもしれない。想定より善戦している。

 おそらく、トゥレンブルキューブは武器持ちと戦った経験が少ないのだ。亜人を除けば、ほとんどの魔物は自分の身体が武器。トゥレンブルキューブ相手に、それは死を意味する。大抵の戦いは戦いにならず、一方的な捕食。だから、ここまで手こずっているのは初めての経験ではなかろうか。こんな姿でも生き物、限界を悟れば逃げ出すはず。

 しかし、油断はできない。ステータスを見るかぎり手札は出尽くしているが、足下を掬われるのはこういうときである。幸い、俺を除けば全員が熟練の冒険者。忠告するまでもなくそれは承知している。


 それでも――トゥレンブルキューブが次に取った行動は、俺のみならず、皆の意表も突いた。

 不意に触腕を戻し、全身を震わせたと思えば、おもむろに飛び上がる。

 皆が呆気にとられたのは、その方向が真上だったからだ。


「回避!」


 マーカントの指示が飛ぶ。

 だが、回避も何も相手は真上に跳躍しただけ。何から回避するのか。

 それでも俺たちは距離を取るため動く。

 巨大な立方体は高く舞い上がり、元の場所へただ落下。

 無意味な行動。

 誰しもがそう思ったのは、一瞬。

 ただの跳躍は驚くべき惨事を引き起こした。


「避け――」


 誰かの声は聞こえたが、確認する余裕は無かった。

 木々は煙を噴き、草花は輪郭を失い崩れていく。

 四方で巻き上がる白煙。

 落下の衝撃で、無数の傷口から体液が撒き散らされたのだ。

 すぐに噴出の勢いが弱まるも、息をつく間もなく、絶叫が上がる。


「ロラン!?」


 顔を押さえ、ロランがうずくまっていた。

 愛用の盾は彼の手から離れ、地面の上で煙を噴いている。

 彼は唯一の重装。酸を全方位に撒き散らされ、盾でも防ぎきれなかったのだ。

 どこで感知しているのか、ロランへ触腕が殺到する。

 俺は『高速移動』を発動、速度任せに剣を振るい、触腕を撥ね飛ばす。


「だれかロランを――」


 おもむろに脚を引かれ、俺の言葉は途切れる。

 ふくらはぎを締め付けるは、切り離された水色の触腕。

 まだ動くのか!?

 鎧と触腕の間に剣を差し込み、無理矢理振りほどく。

 どうして突然動き出した? 今の今まで、ぴくりとも動いていなかったはず。

 これは偶然じゃない。トゥレンブルキューブは、確実に獲物を捕らえる機会を窺っていたんだ。単調な攻撃に知力1。侮っていた。ギルドが忠告を出す魔物、簡単に倒せるはずもないのだ。それに知力には教養も含まれる。野生動物には狩りの名手が多く、彼らの知力は総じて低い。優秀なハンターであることと知力は関係ないのだ。『鑑定』がどれほど便利でも使う者次第か。何が油断しない、だ。

 足下でのたうち回る触腕を蹴り飛ばす。

 そして誰かが俺の名を呼ぶ声に顔を上げ、頬がひくついた。

 三方を覆い尽くす無数の触腕と、迫り来る巨大な壁。

 輪郭を失ったオークが黒い眼窩を俺へ向けていた。

 自分の運命を悟ったその時、何かを促すようにオークが揺れる。

 その影から現れたものに目を奪われた。

 濃い青色の球体。

 あれは――核か!?

 咄嗟に魔法を放つ。なんでもいい。とにかくあれを吹き飛ばす力。

 発動したのは《土塊の短矢(アースボルト)》。それを何度も何度も撃ちまくる。

 立て続けに突き刺さった《土塊の短矢(アースボルト)》は、槍のごとく連なり核を体内から弾き飛ばす。

 しかし、壁は止まらなかった。

 広がった触腕が、俺を包み込もうとすぼまっていく。

 背後に気配。誰かがロランの元へ駆けつけている。

 俺が避けたらロランたちも呑み込まれて――いや、いても同じだ。俺を呑み込み、背後にも襲いかかる。なんとかこいつを抑えなければ。

 視界すべてが水色に染まり、思考がぼやけていく。

 魔法――核を吹き飛ばしたように、こいつを抑える魔法を。

 足下から全身へ、強烈な圧迫感と衝撃。

 俺の世界は闇に包まれた。


 ゆっくりと、思考が平常へ戻っていく。

 息を殺し、辺りを見渡す。

 真っ暗闇。何も見えない。

 また――死んだ?

 違う? 一応、生きてる、のか?

 俺は、呑み込まれたはず……。

 手を伸ばそうと身体を動かしたが、すぐに何かと衝突した。

 身体のどこを動かしてもすぐにぶつかる。指先を動かし、慎重に探る。

 この感触は、土だ。ここは――地面の下なのか?

 何かが(きし)む音と、人の声が聞こえてきた。首を回し、髪の毛ほどの短い光を発見する。隙間に恐る恐る顔を近付け、見える光景にようやく事態を理解した。

 俺は、トゥレンブルキューブの中にいるのだ。

 土の壁が隔てているのは水色の世界。それを通し、マーカントたちの姿が見えた。

 一体、何が起きた?

 土の壁から俺の魔力が感じ取れる。

 これは――《礫土の盾(アースシールド)》?

 だが、全身を覆うなんて聞いたこともない。土の盾を作り出すだけの魔法だ。そのまま手を滑らすと、所々に段差が確認できた。どうやらいくつもの盾が重なっているようだ。つま先で足下をまさぐれば、盾は地面から生えたように同化していた。

 俺が放心していると、水色の向こうで誰かが動く。

 ロランが大口を開け、飛び込もうとしていた。それをマーカントが必死に抑えている。あれだけ動けるなら重傷ではないな。俺が安堵していると、目の端にヴァレリーが映った。必死になって剣を振り下ろしている。アルア・セーロは再び水の刃を纏っているが、俺のところへ到達するのは無理そうだ。

 視点を戻せば、今度はマーカントが飛び込もうとして、ダニルとオゼに押さえつけられていた。なんで順番争いみたいになってんだよ。何しとるんだ、あいつは。


 彼らの姿に、自然と笑みがこぼれた。

 いつまでもこうしてはいられんか。馬鹿な前衛二人が飛び込むのは時間の問題だ。

 細く、ゆっくりと深呼吸する。

 おそらく、今の俺は大地から突き出た杭の中にいる。食糧が隠れているのを知っているのか、それとも大きな質量は通過することができないのか。どちらであってもトゥレンブルキューブの突撃を食い止められた。そしてこいつは土を溶かすことができない。少なくとも簡単には溶かせない。そうでなければ大地を進むこともできず、どこまでも沈んでいってしまう。得意なのは生物由来、おそらく有機物だと考えられる。

 それでも、長くは持たないだろう。軋む音が徐々に大きくなっている。圧力に耐えかねているのか、単に土壌の有機物を消化しているのか。どうあれ盾は数分で崩壊する。

 杭の表面を撫でた。

 無数の盾、か。普通なら有り得ない現象。でも起きてしまえば、なんとなく想像できる。

 ステータスを開き、俺はほくそ笑んだ。

 やはりそうか。ならば、やることは一つ。

 剣を振り続けるヴァレリーの頭上に、《土塊の短矢(アースボルト)》を放った。

 いきなり突き出てきた土の矢に驚き、ヴァレリーは飛び退く。

 察してくれよ。

 巨大な杭と土の矢を交互に見比べ、ヴァレリーはすぐさま距離を取った。そして皆に叫ぶ。ロランとマーカントは反論しているようだが、ヴァレリーに一喝され渋々離れていった。

 これで準備万端整った。

 さて、トゥレンブルキューブよ。

 そんなに腹が減ってるなら俺の全魔力、喰らわしてやる。



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