第148話 エピローグ2 ~兄と弟
各地の大きな被害をもたらした大寒波の影響は、リードヴァルトも例外ではなかった。
暖を取るための薪が不足し、街道が通行不能になったことで経済も停滞してしまう。
各ギルドや神殿勢力の協力で餓死者こそ押さえられたが、凍死者は日を追うごとに増加、リードヴァルト男爵であるアーバン、そして後継者のラキウスと家令グレアムは、その対策に追われる日々が続いた。
屋敷前の広場で振り返り、ラキウスは大通りを見渡す。
通りには馬車が行き交い、多くの人で賑わっている。
夜はまだ冷え込むし、町の至るところに雪の山は積み上げられているが、数日の晴天のおかげか、住民の表情は以前よりも明るい。
苦闘の冬は、ようやく終わりを迎えようとしていた。
「だいぶ活気が戻ってきたな」
「はい」
ラキウスが頬を緩ませていると、護衛のヴィルサスは短く応えた。
一瞬、ラキウスの表情は曇ったが、すぐ普段の表情に戻る。
そしてヴィルサスを促し、屋敷へ向かった。
姿勢を正す門衛に頷きかけ、無言のまま廊下を進む。
そして外を眺める振りをしながら、ラキウスはそっと背後を窺った。
ヴィルサス・マクスノルトは、元従騎士である。
父親も騎士だったが魔物との戦いで負傷し、十年近く前に引退した。ヴィルサスはその跡を継ぐ形で、リードヴァルト家に仕えることになったが、まだ若く実力も足りなかったのもあり、一年前の騎士団刷新まで従騎士として鍛錬に積んでいた。
ただ――とラキウスは思う。
リードヴァルト騎士団に必要かと問われれば、否定せざるを得なかった。
実力者のランズ・スフォルドや機転の利くネサルク・カサムスと比較したら、ヴィルサスはかなり見劣りする。
父親が騎士でなければ、従騎士にすらなれないとラキウスは評価していた。
内心でため息をついていると、居間からアーバンの話し声が聞こえてきた。
ヴィルサスを廊下に待たせ、ラキウスは居間へと入る。
中では、アーバンとヘンリエッテが寛いでいた。
父の背後に家令のグレアム、部屋の片隅にはメイドのメレディが待機している。
「戻ったか。お前も休むと良い」
父の勧めに応じ、ラキウスもソファに腰掛けた。
そしてメレディの淹れた紅茶で喉を潤し、切り出す。
「商業ギルドで話を聞いてきました。西の街道、南の街道は通行可能になったそうです。北は大規模な隊商でない限り支障はないとのことですが、東の街道――レクノドの森が平時に戻るには、まだ掛かるようです」
「森は仕方あるまい。自然に任せよう」
ラキウスは同意しながら、話を切り替える。
「ところで、外壁の破損は如何ですか」
「凍結でひび割れが広がったようだな。今日明日に影響が出ることはないと思うが、念のため、ランズを確認に行かせている」
「いずれにしても、出費が嵩みますね」
「頭の痛い話だ」
そう言ってアーバンが首を振ったとき、ヘンリエッテが軽く手を叩いた。
「休憩中ですよ。仕事の話は後になさってください」
「そうだったな」
アーバンは苦笑しながら謝罪すると、話題を逸らすように窓の外に目を向ける。
「街道が復旧したなら、アルターも遠からず戻るか」
「どうでしょう。商人は行き来しているようですが、まだ荒れている場所があるはずです。馬車での移動は普段より時間が掛かるかもしれません」
「それを口実に、徒歩で帰ってきそうだな」
「有り得ますね」
微笑を浮かべ、ラキウスは首肯する。
「アルターは馬車に乗るのを面倒がっていましたし、護衛すら連れずに帰ってきそうです」
「さすがにそれは……いくらあの子でも、一人旅なんて無茶はしないのでは?」
「大丈夫ですよ」
表情を曇らせるヘンリエッテに、ラキウスは頷いてみせた。
「噂の域を出ませんが、アルターは演武会で優勝したようです。街道付近の魔物や盗賊程度、後れは取りません」
「それは本当か?」
母を安心させるつもりで話したが、食い付いたのはアーバンの方だった。
肝心のヘンリエッテは、要領を得ない顔で首を傾げている。
「隊商からの伝聞ですが、事実のようです。アルターは幼い頃から実戦を積んできましたし、学院生の大会で負ける方が難しいと思います」
「かもしれん。そういえば、魔法の腕も上げたらしいな」
「手紙にありましたね。中級魔法の《火炎球》と《妨土の壁》を習得したと」
「我が息子ながら、大した才能だ」
一瞬、アーバンとラキウスの眼差しに羨望が宿った。
武勲の誉れ高いリードヴァルト家。
それは初代のパウルと、二代目フォルスが築き上げたものだった。
新興貴族なのに軽んじられない理由であり、また、ある種の呪いでもある。
三代目のアーバン、その後継者であるラキウスは、個人戦の才に欠けていた。
他の貴族であれば配下に任せれば良い。重要なのは指揮能力だ。
しかし、リードヴァルト家にはそれが許されない。常にパウルやフォルスと比較されてしまう。
そうした傾向は武芸を重んじる貴族家ほど顕著であり、アルターが生まれ立ての頃、ブラスラッド侯がアーバンの実力に不満を示したのも、それが原因だった。
だからこそ、アーバンとラキウスはアルターを必要としていた。
高く評価しているからヘンリエッテほど案じないし、多少であれば貴族らしからぬ振る舞いも容認している。
幸い、アルターはそこまで破天荒ではなかったが、二人には別の懸念もあった。
最も守りたいのは家族。
森に入ることを求めた際、アルターが言った言葉である。
アーバンは素直に嬉しかったが、同時に息子の認識も理解した。
発言の裏を返せば、リードヴァルトへの帰属意識、愛着の低さの証明でもある。この息子を繋ぎ止めているのは自分たち家族だけであり、そして万が一、家族を信用できない、もしくは不愉快な環境に置かれ続けた場合、あっさり身分を捨て、どこかに消えてしまうのが容易に想像できた。
ラキウスも窓の外へ視線を向け、そんな弟との十年間に想いを馳せる。
セレンでの三年がどのような影響を与えたか。
手紙や断片的に入ってくる情報では、さほど変わっていないように思えた。
(実力は、さらに開いたが――)
やや自嘲気味に微笑し、視線を戻した。
すると、その視界にまだ心配しているヘンリエッテが映り、ラキウスは慌てて言い添える。
「冗談ですよ、母上。アルターが強くとも、一人旅なんて無茶はしないでしょう」
「そう? なら、よろしいですが……」
心にもない言葉だったが、ヘンリエッテはひとまず納得した。
ラキウスが胸を撫で下ろしていると、今度はアーバンが何やら考えつつ口を開く。
「優れた魔法使いは、《妨土の壁》で外壁を生み出したりするそうだな」
「アルターですか?」
「そうだ。あやつにできると思うか」
「中級魔法は詳しくありませんが――本来の《妨土の壁》は、土の壁と聞いております。もし《土塊の短矢》のように強度を高められるとしても、外壁の代用となり得るかは才能に左右されると思われます」
「そうか。戻り次第、本人に尋ねてみよう。魔法での補修が可能なら予算を別に回せる」
アーバンの背後で、家令のグレアムが首肯していた。
それを横目にラキウスは問いかける。
「私よりも騎士団長の方が詳しいのでは? 各地を旅したのであれば、どこかで目にしたかもしれません」
「ロランが戻るのは数日先だ。盗賊を討伐がてら、村々を回り寒波の被害状況を調査したいそうだ」
「なるほど。アルターの帰りの方が早そうですね」
納得するラキウスに、アーバンは言葉を継ぐ。
「それとな、セレンでは『魔道具作成』も教えているそうだが」
「魔道具――予算の足しに?」
「まあ、助かるのは事実だが……。魔道具作りは時間や手間が掛かると聞く。何でも、あやつに頼るのもな……」
尻すぼみになる父を見て、ラキウスは合点がいった。
どちらもグレアムの提案だろう。
大寒波の対策と復旧で、領地の蓄えは激減している。政務を一手に取り仕切る立場から、財政の厳しさを誰より実感しているのかもしれない。
そんなグレアムは高齢で、すでに七十歳を越えていた。
代わりの人材が見当たらないため引退を先延ばしにしているが、衰えを感じさせることも増えてきた。
それを本人も自覚しているから、アルターに目を付けたのだろう。
魔道具を安定して生産できれば、単純な売上だけでなく、商人や冒険者が集まり経済全体が押し上げられる。グレアムの後任に失政があっても、ある程度は補填が可能になるはずだ。
ラキウスは少し考え、父の問いかけに答える。
「アルターが魔道具を生産できると仮定しての話ですが、喜んで協力するでしょう。問題となるのは、その量ですね。灰吐病が終息しても、アルターの部屋はポーションと素材だらけでした。父上が魔道具作りを持ちかければ、張り切って乱造するに決まっています。もし市場に流通すれば、魔法ギルドや商業ギルド、職人らと軋轢が生まれかねません」
「ポーションの売却は抑えていただろう。あやつも馬鹿ではないぞ」
「仰るとおりです。ですので、倉庫は魔道具で溢れかえります」
「そうなるか……倉庫を整理するだけでは足りんな。魔道具は嵩張る」
屋敷を魔道具で埋め尽くすわけにはいかない。
悩むアーバンにラキウスは続ける。
「父上から持ち掛けるのではなく、魔道具を生産したいなら――と切り出すのが良いと思います。新たに商会を立ち上げ、取引先をそこに限定、不足分のみを流通させましょう。それでも過剰な在庫が出た場合はリードヴァルト以外、セレンなどで売却させるのがよろしいかと」
「私は構わんが、新たな商会は必要か?」
「商人は狡猾な者も多いので、アルターの負担を避けるため必要な処置と考えます。また、既存の商会に肩入れするのもよろしくありません」
「商業ギルドに借りを作るのも不味いか」
アーバンの言葉に頷きかけたとき、ラキウスは半眼のヘンリエッテに気付く。
「つ、続きはアルターが戻ってからにしましょう。今は休憩中ですので」
「ん――ああ、そうだな! うむ!」
散々議論しておきながら、親子は慌てて取り繕った。
そしてヘンリエッテの機嫌を窺いつつ、他愛もない雑談に興じる。
ほどなくしてアーバンは政務に、ラキウスは巡回に向かった。
廊下で控えていたヴィルサスと合流して屋敷を出ると、供を連れた馬上のランズ・スフォルドが正門から入ってくるところだった。
ランズも気付き、下馬して一礼する。
それに頷きかけると、ラキウスは切り出した。
「外壁の様子はどうだ?」
「事前の報告どおり、古いひび割れが凍結で広がったようです。すぐに倒壊する心配はないでしょう」
「そうか、猶予があるのは助かるな」
ランズは再度一礼すると、ヴィルサスに目で挨拶しアーバンの元へ向かう。
そしてラキウスは門衛に見送られながら、屋敷を後にした。
広場から大通りに出ると、喧噪が押し寄せてきた。
ラキウスは活気溢れる大通りを見渡しながら、さきほどのランズ、不在の騎士団長ロランを思い浮かべる。
数日前、ロランは騎士の一人と手勢を連れ、盗賊討伐に赴いた。
寒波の被害状況を視察するという別の目的もあったが、本来、騎士団長が自ら動く事案ではない。
そうなった原因は、現体制への不協和音だった。
先代の騎士団長コンラードの退任を受け、アーバンは騎士団の刷新を図った。
賛同した副長のジョスなど数名が職を辞し、騎士団長にはロラン、従騎士だったランズ、ネサルク、ヴィルサスは騎士に叙任した。
だが、ランズは父親のジョスが騎士団長になると思っていたらしい。
他の二人も今回の刷新に思うところがあるようで、表立っての反発こそ控えているものの、行動の端々に不満が滲んでいた。
ある程度の反発は予想していたが、それでも踏み切ったのは、これもアーバンとラキウスの実力不足が理由だった。
ロランはリードヴァルト最強の騎士であり、今も強さに貪欲である。
そんなロランが鍛え上げた騎士団を、いずれはアルターが率いる。
そのときは、初代や二代目に恥じぬ騎士団になるはずだった。
アーバンたちに読み間違いがあったとしたら、思いのほか反発が強かったことか。
一年経った今でも、ロランは騎士団を掌握できずにいた。
無言のヴィルサスを従えながら、融雪に濡れた石畳をラキウスは進む。
その姿に畏まる者も多いが、以前に比べれば緊張は和らいでいた。
半年ほど前から、アルターを真似て町を徒歩で巡回するようになった。
貴族家の後継者として、あるまじき行動ではある。
実際、アーバンから注意を受けたし、遠回しながらランズたちも護衛の負担が大きいと苦言を呈してきた。それでもロランへの不満を分散するため必要であり、また自らの疑問を確かめたいという欲求が勝った。
疑問とは、初代パウルがどこまで英雄だったかだ。
個人の力には限界がある。
攻撃ならまだしも、防衛では魔法使いでも守り切るのが難しい。
それでもパウルが防衛に幾度も成功したのは、集まっていた人々が率先して協力したからだ。
当時のリードヴァルトに定住者は少なく、ほとんどが行商や冒険者、各地を転々とする人々だった。
そんな彼らが、なぜ協力したのか。
考えられる理由は一つ、すでに人心を掌握していたからだ。
叙爵に至ったのは功績だけでなく、事実上の統治者だったからではないか。
そう考えたとき、曾祖父と弟の姿が重なった。
アルターはCランク上位の『破邪の戦斧』と仲間同然の関係を築き、気難しいと噂の彫金師ラグニディグや凄腕の狩人ネリオなど、普通では出会えない者たちと懇意にしている。
もしアルターが苦境に陥れば、彼らは協力を惜しまないだろう。
曾祖父は、弟のような人物だったのかもしれない。
だが――とラキウスは否定する。
(一介の騎士であった曾祖父、身軽な立場のアルターだからこそ許される。貴族らしくあろうとする父上は、決して間違っていない。ただ、男爵領としてのリードヴァルトは未だ過渡期でもある。僕らの子や孫の時代になれば、身軽な立場でも許されないだろう。だから――今はこれで良いのかもしれない)
何気なく動かした視界の先に、二人の冒険者が映った。
まだ若く、みすぼらしい格好をしていたが、屋台で購入した串焼きを片手に笑い合っている。
ラキウスは冒険者たちを見送りながら、ふと思う。
(アルターが帰ってきたら、一緒に町を歩いてみようか)
その光景を思い浮かべ、わずかに口元を緩ませた。
そして大通りの先へ視線を戻したとき――ラキウスの表情から笑みが消える。
人々が正門から離れていく。
潮騒のように押し寄せるざわめきを聞き取った瞬間、ラキウスは駆け出していた。
群衆の流れに逆らい、正門脇の階段から外壁へと駆け上がる。
「何事だ!?」
「バロマットです!」
兵士が指差す先に、バロマット軍が展開していた。
驚きながら、ラキウスは草原を見渡す。
兵数は百から二百。
武装は整い、布陣に乱れがない。紛れもなく正規兵だった。
ラキウスの姿を見つけ、元従騎士のネサルクも駆け寄ってくる。
「ラキウス様、他にバロマット兵は見当たりません!」
「ロランに急使を送れ」
「はッ!」
ネサルクが指示を飛ばすと、通用門から伝令が飛び出した。
それが無事に走り抜けるのを見届け、ラキウスはバロマット軍へ視線を戻す。
(これほど接近されるまで気付かなかったとは。巡回は殺されたか。ただ、二百はおかしい。小競り合いの規模ではないし、攻めるには少なすぎる。おそらくは先鋒。救援要請を出すなら今しかない)
領主である父の判断を仰ごうとして踏み出し、ラキウスは足を止める。
何か聞こえた気がした。
配置につく兵士や、外壁付近から逃げ出す住民たち。
飛び交う騒音を見つめているうち、ラキウスの目に一人の兵士が映った。
その兵士は群衆を掻き分け、必死の形相でこちらに向かってくる。
おかしなところはない。他の兵士も慌てた様子で外壁に集まっていた。
だが、ラキウスは兵士に見覚えがあった。
そして何者か気付いたとき、身体が勝手に動き出す。
「ここは任せる」
ネサルクとヴィルサスに言い捨て、早足から駆け足へ、そして全速力で走り出す。
兵士は屋敷の門衛だった。
それが、どうして持ち場を離れたのか。
どうして必死の形相なのか。
速まる動悸を抑え、駆けるラキウス。
その背に一際大きな喚声を浴び、思わず振り向いた。
そして信じがたい光景に、ラキウスは呆然とする。
開け放たれた正門から侵入するバロマット兵。
守備兵は混乱しながらも立ち向かっていたが、大半のバロマット兵は目もくれず、大通りを突き進んでいた。
「なぜ……」
「ラキウス様、お屋敷が――お屋敷が襲撃を受けております!」
門衛の言葉は耳に入らなかった。
ラキウスは無言で屋敷を眺め、正門を見やる。
そして迫り来るバロマット兵に事態を悟ると、おもむろに空を仰いだ。
「すまない、アルター」
静かに呟き、ラキウスは剣を抜き払う。
「奴らを一歩たりとも進ませるな!」
「しょ、承知しましたッ!」
門衛は青ざめながらも、剣を抜いてラキウスの前に立つ。
リードヴァルトの大通り。
ラキウスは一人の門衛だけを伴い、バロマット軍を迎え撃った。
◇◇◇◇
夕闇が迫り始めた頃、急報を受けたロランはリードヴァルトの郊外に到着した。
馬上から遠方の町並みを睨み付ける。
その表情は険しく、手綱を持つ手は固く握りしめられていた。
ほどなくして、二十名の討伐隊を引き連れて同行していた騎士、エメック・カイタルも到着する。
そしてロランに並ぶなり、唖然とした。
「門が……こんなにも早く……?」
兵士たちも動揺する中、ロランは馬を進ませる。
エメックたちも後に続くと、接近に気付いたバロマット兵が門から湧き出てきた。
その数は四十余り。
そしてバロマット兵が割れ、二人の男が姿を見せる。
一人はサーコートを身につけた騎士、もう一人は片手片足の異形。
「私はバロマット王国が騎士、パドルス・シーガス。お前が騎士団長のロラン・ディラットだな?」
「いかにも」
名乗りを上げた騎士にロランが応える。
「手合わせを願いたいところだが、ご命令だ。許せ」
シーガスが顎を振ると、美麗な槍を杖にして異形が進み出た。
ロランは馬から下り、剣を抜きながら男を観察する。
二本の槍を持つ異形の姿。
そんな冒険者は、世界に一人しかいない。
「『半身』のジャリドか」
「正解。しかし、早いご帰還だったな。もう少し休ませてくれよ。移動しっぱなしで疲れてんだ」
「好きなだけ休め。お前に用はない」
「そうもいかねえだろ。冒険者なら依頼を遂行しないとな」
ジャリドは顔を引きつらせ、笑みを浮かべた。
「私を殺すためにAランクを雇うとはな。ずいぶんな高評価だ」
「ああ……それか。悪い、お前さんは半分だ」
ジャリドは肩をすくめ、芝居がかった仕草で周囲を見渡す。
「残り半分は帰ってこねえか。ま、良いさ。捜索は仕事じゃねえ」
そう言って、ジャリドは神槍シツァールを一振りした。
ロランは鋭い刃風から視線を外し、門へと向ける。
微かな喧噪。
小規模ながら戦いは続いていた。
「エメックは屋敷に向かえ! 私はこの者を押さえる!」
「承知ッ! 門を突破するぞ、続け!」
突撃する討伐隊に、外壁の上から矢と魔法が放たれた。
先頭を走るエメックは炎に包まれるも、それを切り裂きパドルス・シーガスに迫る。
リードヴァルトの正門前。
対峙するロランとジャリドを避けるように両軍の戦闘が開始された。
「んじゃ、こっちも始めようか」
巻き起こる剣戟を横目にジャリドが切り出すと、ロランは盾を前にして剣を構えた。
戦場を渡り歩くAランク冒険者。
その噂はロランも聞いていた。
現役時代、指先すら届かなかった遥か高みの存在。
集中するロランから周囲の剣戟が消え――嘲笑うようにジャリドも消えた。
気付いたときには刺突が繰り出され、耐久力強化の盾が容易く貫かれる。
一撃で鉄塊と化した盾を打ち捨てながら鋭い斬撃を放つも、優美な槍がくるりと回転し、石突きで軽々と受け止められてしまう。
ロランの斬撃を槍がいなし、ジャリドの刺突を剣が受け流す。
突如、始まった一進一退の攻防。
観戦する者がいれば、そのように見えたかもしれない。
だが、差は歴然だった。
必死に食らいつくロランに対し、ジャリドは笑みを絶やさない。
それが不意に深くなったかと思うと、突然、神槍が異様な唸りを上げた。
強烈な打撃音が正門に響き渡る。
「やるねえ、おっさん」
無傷のロランに、ジャリドは口の端を吊り上げた。
ジャリドが放ったのは『倒旋薙』、それをロランの『廻旋衝』が迎え撃った。
『廻旋衝』はエラス・ライノの突進さえも受け止めるほどの威力を誇るが、長い予備動作が弱点である。ロランは威力を犠牲にそれを短縮、実用的なスキルにまで鍛え上げていた。
ロランは構え直しながら、襲武の剣をそっと見やる。
神槍とまともに打ち合ったため、刃が大きく欠落していた。
この剣はアルターをセレンに送り届けた後、新たに入手した魔道具である。
『技能賦与:片手剣』というスキルを有し、『片手剣』ランクを一時的に上昇させることができた。
それなりに稀少なスキルだが、発動し続けるほど身体に負荷が掛かってしまい、効果時間まで耐えられないこともある。そのため、一般的には外れスキル扱いだった。
襲武の剣が安値で売られているのを発見したとき、ロランは考えた。
負荷が掛かるのは、その部分の鍛錬が足りない証拠ではないかと。
それからは資質の壁という不安を身体の痛みで払拭し、三年間、鍛え続けた。
結果、今ではすべての能力が当時を上回り、『片手剣』はランク9まで到達している。
「少し速度を上げようか。あっさり死ぬなよ?」
ジャリドが言うと同時、神槍がぶれた。
剣の切っ先が『二連突き』の初撃に弾かれ、勘で捻った顔を二撃目が掠めていく。
流れるように突き出される『穿孔』をぎりぎりで躱し、ロランは『技能賦与:片手剣』を発動した。
その瞬間、柄を握る手や斬撃の角度、体重移動が微細に変化する。
今のロランは『片手剣』の最高ランク。
剣技だけなら『剣閃』や『剣舞』にも引けを取らない。
再びの『二連突き』を『二連撃』で受け流し、追撃の『三連突き』を『乱閃』で弾き飛ばす。
技術と胆力の鬩ぎ合いが数合続いた後、ジャリドは神槍を引いた。
「動きが変わったな」
「『技能賦与』だ。珍しくもあるまい」
「確かに珍しくねえな、使う奴は珍しいが。それよりも、本当に元Cランクか? おっさんの実力なら、Bランクくらい簡単に上がれただろ」
「引退したときは今ほど強くなかった。それに――」
弱いままでは、すぐ追い越されてしまう。
そう言いかけ、ロランは口を引き結んだ。
頭部の火傷に意識を向けながら、少年の姿を思い浮かべる。
主君の次子は、天才児や神童などという言葉では片付けられなかった。
英雄ラプナスと同じスキルを習得し、信じがたい速度で成長している。
三年の歳月を経て、どのような変化を遂げたか。
ロランは恐ろしくもあり、どうしようもなく楽しみでもあった。
そして主君やその後継者が、自分に何を求めているかも承知していた。
尚のこと、弱いままではいられない。
そんな思いを感じ取ったのか、ジャリドは目を細める。
「その年でまだ伸びるとはね。羨ましいというか何というか。んじゃ、努力の成果をぶつけてみな」
ジャリドは神槍の石突きを大地に叩き付け、ロランに向けて跳躍した。
咄嗟に掲げた襲武の剣がイツロの義足と激突し、『蹴刃』をまともに受けてしまう。
体勢を立て直す暇を与えずジャリドは回転、横薙ぎの『強打撃』が放たれるも、ロランは強引に『強撃』を振り上げて受け流す。
しかしその直後、狙い澄ましたように石突きが頭部を強打し、ロランは吹き飛んだ。
義足だけで立ち、ジャリドは悠然と見下ろす。
「どんなに鍛えようと、乗り越えることも破ることもできない壁ってのがある。そんなのにぶち当たった気分はどうだ? うんざりするだろ?」
土を払いながらロランは立ち上がり、皮肉めいた微笑と向かい合った。
「ぶち当たり、その姿か」
「まあな。英雄ごっこの成れの果てさ」
「何とやり合った?」
ロランの問いかけに、ジャリドは言葉を詰まらせた。
そして苦笑しながら首を振る。
「竜種だよ。竜の巣に潜ったら変なのと出会してな。地竜の類だと思うが、よく分からん。あれが何にせよ、成竜とは比較にならない強さだった。仲間は殺され、生き残った俺もこのざまだ。つくづく痛感したね。あいつらにとって、人間なんざゴブリンと同じだ」
「そうかもしれん。古代竜だとしたら、戦えるのは歴史に名を残す英雄だけだ」
「英雄――ねぇ」
言いながら、ジャリドは遥か西方へと視線を送る。
「戦神スレイアスは古代竜と戦ってねえし、獣神ゼベルなんざ御伽噺だ。英雄なんてもんはな、か弱い人間の願望さ」
自嘲気味に笑うジャリド。
それと重なるようにして、エメックの雄叫びが聞こえてきた。
パドルス・シーガスに苦戦しているようだ。
ジャリドも横目で眺め、肩をすくめる。
「そろそろ終わりにしようか」
「良かろう」
両者は再び向かい合った。
ロランはジャリドを見据え、呼吸を整える。
(この男は、人の到達し得る最高峰――)
命を捨てる。
そうしなければ、切っ先すら届かない。
覚悟を決め、ロランは踏み込んだ。
そして鋭い呼気と共に、全身の力を集約した『廻旋衝』を放つ。
刹那、ジャリドの身体が異様にしなった。
柔軟性を限界以上に高める『体術』のスキル、『柔身』。
有り得ない角度から神槍の穂先が煌めくも、ロランは臆せず『二連撃』で追撃する。
しかし、神槍が繰り出されることはなかった。
捩れた身体を、ジャリドはさらに捩る。
ロランが刃風に気付いたとき、襲武の剣を握る右腕は宙を舞っていた。
鮮血の軌跡を描くは、ジャリドが背負う魔槍スキプス。
折れても曲がるほど柔らかいクスムルの木を柄に、高い『修復』スキルで鞭のような動きを可能とした魔槍。
ロランは離れていく右腕に見向きもせず、左手で小剣を抜き払い、『強撃』を放った。
命を削りながらの斬撃。
だが――届かなかった。
後方へ軽々と跳躍し、ジャリドは破顔する。
「楽しかったぜ、おっさん」
『螺旋刺錐』を乗せた神槍シツァールが、至近距離から投擲された。
神槍が胸部を貫通しても尚、ロランは進む。
そして小剣を振りかぶり――崩れ落ちた。
「団長!?」
眼前の敵を放置し、エメックが駆け寄ってきた。
それを面白くもなさそうに一瞥すると、弧を描き、背後からエメックを貫く神槍を受け止める。
「余計な仕事を増やすなよ」
「働いたのは神槍だろう。それに数の帳尻は合う。丁度、二人だ」
シーガスは言い捨てると、戦場を見渡した。
「残りは雑兵だ! 掃討せよ!」
号令を受け、バロマット軍が猛攻を仕掛ける。
ロランとエメックを失い、討伐隊は為す術もなく討ち取られていく。
バロマット軍の刃に掛かり、逃げようとした兵士が《火炎球》で吹き飛ぶ。
悲鳴が飛び交う中、ジャリドは踵を返し、仏頂面で町並みを見上げた。
「帳尻ねぇ……」
ジャリドの受けた依頼は騎士団長ロラン、次子アルターの殺害だった。
特にアルターは、何よりも優先するよう厳命されている。
(貴族殺しは報復やら何だのと、後が面倒だ。戻ってこなくとも構いやしねえが)
大抵の冒険者は、たとえ戦場でも貴族に手を出すことを嫌った。
集団で行動する傭兵に比べ、少数精鋭の冒険者はどうしても目立ってしまう。そのため交渉の材料にされたり、賞金が掛けられることさえあった。
ジャリドも例に漏れず、貴族に手を出すのを避けている。
それでも今回の依頼を引き受けたのは、バロマット軍の指揮官リスラント伯の言葉に興味を引かれたからだ。
「次子のアルターは、リードヴァルト家最強だ」
それを聞いたとき、冗談だと思った。
リードヴァルト家がどういう家柄かは知っている。過去の武勇は失われていても、成人すらしていない少年が最強のはずがない。
それでも物珍しさから依頼を受けたが、すでにジャリドは興味を失っていた。
騎士団長のロランは、男爵家お抱えとは思えぬほどの強者だった。
以前戦った『剣閃』クラウスが相手でも、好勝負になる。
リスラント伯が本気だったとしても、過大評価か情報伝達に誤りがあるに違いない。
そう結論づけたとき、不意に記憶が蘇った。
燃え盛る野営地で対峙した小柄な男。
本気で戦ったのに、殺すどころか一撃も与えられず逃がしてしまった。
顔は隠していたので分からないが、声はかなり若い。
そしてリードヴァルトの次子は、セレンの学院に通っていたという。
いくつもの符号がぴたりと填まり、一つの形になる。
だが――。
「馬鹿馬鹿しい。あんな貴族、いてたまるか」
ジャリドは笑い飛ばすと、思考を追い払った。




