第147話 エピローグ1 ~誅殺
大変遅くなり、申し訳ありません。
残りの分を投稿します。
今回は二章のエピローグが2話、三章のプロローグが1話、本編7話の全10話で、文字数は6万8千文字ほどです。
主人公の動向は投稿3話目、三章のプロローグからとなります。
感想やコメントの返信は投稿が終わり次第、前回の分も含めて順次させていただきますので、それまでご容赦ください。
宮廷の廊下を進む聖騎士サヴィリアスは、激しく苛立っていた。
右手の聖剣クルーフェルスからは血が滴り落ちている。
文官や衛兵、帝国騎士、偶然に鉢合わせてしまった使用人たちの血だ。
「ふざけやがって! 俺を罷免だと!?」
サヴィリアスは皇帝フォルメスに毒づいた。
帝国に忠誠を誓う『聖騎士』到達者には、聖騎士という特殊な地位を与えられる。
文官がその罷免を告げに来たのは、一時間ほど前のことだった。
最初は耳を疑い、皇帝への謁見を要求したが、文官はそれを拒否。
そして帝国騎士たちが聖剣を引き渡すよう要求した瞬間、サヴィリアスは衝動的に全員を斬り殺していた。
こうなるのは時間の問題と噂されていた。
それほど、聖騎士サヴィリアスの素行は酷い。
少し気に入らないだけで殴り飛ばすのは常で、著しく低い沸点を越えれば容赦なく斬り殺してしまう。
彼に殺された者は、十や二十を下らない。
皇帝派の最強戦力である聖騎士だからこそ、今までは見逃されてきた。
そんな状況が一変したのは、数週間前のことだった。
大寒波に足止めされた貴族の一行に、美しい女がいた。
彼女に目を付けたサヴィリアスは自室へ連れ込もうとし、別の女に阻まれてしまう。
立ち塞がったのが醜女であったことが、サヴィリアスの怒りを余計に誘った。
それでもいきなり斬り殺したりはせず、わずかな自制心でどうにか堪えた。女が上等な服を纏っていたからだ。
サヴィリアスは女性を突き飛ばすだけで済ましたが、『聖騎士』の称号は伊達ではない。
女は壁に激突し、呆気なく命を落としてしまう。
一行が大騒ぎする中、サヴィリアスはまた皇帝から小言を言われるとうんざりした。
しかし事態は想定を越え、大事へと発展する。
殺した女の正体は皇帝派の最重鎮、ラスメル公の長女ステファナだったからだ。
知らせを聞いたラスメル公は、激烈な抗議文を送りつける。
そしてなにより、宮廷を震撼させたのは添えられた一文だった。
ビーチェが激怒している。
公女ビーチェ。ラスメル公の娘にして、ステファナの妹。
氷結系最強の魔法使いと言われており、護衛ごと賊を皆殺しにしたという逸話の持ち主である。
数少ない理解者のステファナを殺され、黙っているはずがない。
公女ビーチェと聖騎士サヴィリアス。
もし両者が戦えば、帝都にどれほどの被害をもたらすか。
そして皇帝は、聖騎士を切り捨てた。
ひと気のない廊下を荒々しく進み、サヴィリアスは考える。
行く手を阻む者は全員殺し、その後は帝都を出てヴィールア公の下へ向かう。
今までは公爵子飼いのSランク『月虹』、Aランク『翠幻』との均衡を自分が保ってきたが、それは崩れ去るだろう。
公爵派の影響力が増し、いずれ皇帝は一族ごと処刑される。
サヴィリアスは泣きわめく皇帝の姿を想像したが、それでも苛立ちを押さえきれなかった。
まだ、斬り足りない。
逃走しているはずのサヴィリアスは獲物を求め、視線を彷徨わせた。
そのときである。
(霧――?)
どこからともなく霧が出現し、見る見るうちに濃くなっていく。
気付けば廊下は霧に沈み、点在する魔法の角灯の光もぼやけた。
(宮廷魔術師のお出ましか)
笑みを浮かべるサヴィリアスだったが、聖剣の反応に眉を寄せた。
霧を睨み付け、辺りを窺う。
これは《霧霞》や《煙霞》ではない。
「《瘴気》――宮廷に汚らわしい死霊術師が住み着いていたとはな」
振り返ると、霧の中から中肉中背の男が姿を現した。
その背後には、数え切れないほどの死霊の群れ。
サヴィリアスは死霊を見渡し、見覚えのある顔が並んでいることに気付く。
この死霊たちは、かつて自分が殺した連中だ。
それが分かっても動じず、サヴィリアスは誇らしげな気分にさえなった。
剣を握っている以上、人を殺すのは当たり前である。
新しい剣の試し切りをしようと、何となくで嬲り殺しにしようと、自分の役に立ったのだから感謝すらしてほしかった。
それよりも、サヴィリアスの注意を引いたのは死霊の数である。
死霊術は詳しくなかったが、これほど使役できるのは尋常な腕ではない。
この中年男は『死霊魔法』の高ランク、下手すれば最高ランクだった。
だが、と首を傾げる。
宮廷魔術師にこんな男はいない。これほどの使い手、しかも死霊術であれば、噂にならない方がおかしかった。
サヴィリアスは平凡な顔を注視するうち、ふと閃く。
「もしや……起源の調べなのか?」
「ご明察です。私は当代の統括、アプルタと申します」
そう言って、中年男は慇懃に一礼した。
起源の調べは三傑が一人、ライアスが率いた奇襲部隊である。
アルシス帝国の前身であるアルシス王国時代に活躍し、神出鬼没の戦いぶりに他の三傑、リダリオスやヒーゼルよりも怖れられた。
しかし、あまりにも特異な集団であったがため維持が難しく、ライアスの死後は近衛騎士に吸収されている。
「まだ生き残っていたのか。それで、骨董品ごときが俺を止めると?」
「滅相もございません。仰るとおり我らは骨董品。統括などと名乗りましたが、今では二人だけの弱小組織です。聖騎士様のお相手など、とてもとても――」
大仰に手を振ると、にこりとアプルタは微笑む。
「私は、ただの足止めにございます」
言い終わると同時、今度は前方から足音が響いてきた。
霧を割って現れた壮年の偉丈夫を見て、サヴィリアスは侮蔑を浮かべる。
「次から次へと――今度は近衛の隊長か。まあ、良い。お前の首なら手土産になりそうだ」
「貴様の相手は私ではない」
偉丈夫の背後から覗く小さな影に、サヴィリアスは眉を潜めた。
紅潮した頬で小剣を抱える少年。
少年は近衛の隊長フィタリオの一人息子、リティウスである。
十歳になるかならないかで、凡庸として知られていた。
「俺を愚弄するか、フィタリオ……」
「貴様は聖騎士の地位を剥奪されている。賊風情が気安く名を呼ぶな」
無表情でフィタリオは吐き捨て、リティウスに向き直る。
「陛下の勅命だ。サヴィリアスを誅殺せよ」
「はい、頑張ります!」
元気の良い返事と共に、リティウスは小剣を引き抜いた。
そして震える剣先をサヴィリアスへ向ける。
「よろしくお願いします」
場違いな言葉を聞いても、サヴィリアスは見向きもしなかった。
冷えた視線をフィタリオに送り、問いかける。
「良いんだな? この餓鬼を殺しても」
「やってみろ。できるならな」
フィタリオの返事に、サヴィリアスから怒りが消えた。
代わりに湧き上がるのは、冷たい殺意。
《瘴気》の霧と殺意が充満する中、リティウスは頬を紅潮させながら近付いていく。
サヴィリアスは、ここで判断を誤った。
剣が震えているのは恐怖の所為だと。
だが、有り得ない。
『聖騎士』の殺意を浴び、ただの子供が動けるはずなかった。
リティウスがサヴィリアスの間合いに踏み込んだ瞬間、聖剣は消失する。
逆袈裟で放たれたのは、『片手剣』の最高速スキル『瞬目の一閃』。
しかし――。
「えい」
気の抜けた掛け声と共に、小剣が振られた。
身体に染みついた動作でそれを躱すも、サヴィリアスは我が目を疑う。
振り上げた聖剣は、確かに少年を切断した。
その感触は、手にしっかりと残っている。
リティウスは重そうに小剣を下げると、ずれそうになった身体を両手で支え、何事もなかったように元へ戻した。
そして再び振られた小剣を、サヴィリアスは目を見開いたまま躱す。
信じがたい光景だった。
トロルなどの『再生』スキルでも、これほど早くは治らない。
否定したくとも、それを嘲笑うように切断された少年の衣服が揺れていた。
サヴィリアスは『強撃』や『二連撃』、『乱閃』で滅多斬りにしたが、リティウスは止まらなかった。
腕を斬りつけてもその腕で剣を振り、胴体を斬りつけても前に進む。
そして刎ね飛ばした首を両手で受け止めたとき、サヴィリアスは悲鳴を上げた。
『強撃』で小剣を破壊し、リティウスを弾き飛ばす。
静まり返った廊下に、サヴィリアスの荒い呼吸だけが響き渡っていた。
見たくないのに少年から目が離せない。
生まれて初めての恐怖に支配され、小剣を振るうのもやっとだった少年が、綺麗に着地したことにすら気付かない。
「父様にいただいた剣を……」
折れた剣を見下ろし、リティウスは肩を震わせた。
その上目遣いを見た途端、サヴィリアスは短く息を呑み、聖剣を横薙ぎに振るう。
「く――来るなッ!」
発動したのは、聖剣クルーフェルスの固有スキル『絶尽の卵殻』。
サヴィリアスを中心に輝く斬撃が展開し、廊下の壁や天井、床を切り刻んでいく。
だが、リティウスは意にも介さず、折れた剣をぶら下げて踏み込んだ。
飛翔する斬撃が全身を切り裂き、頭部を貫通してもリティウスは進み、サヴィリアスは頬を引きつらせながら後退する。
そしてサヴィリアスの背が『絶尽の卵殻』に接触しそうになったとき、聖剣は保有者を守るためスキルを解除した。
待っていたのは、無数の手だった。
「――ッ!? 離せ、貴様ら!」
死霊たちは要求に応じる。
ただし、押し戻して。
蹈鞴を踏むサヴィリアスは、跳躍するリティウスを見た。
聖剣で迎撃しようとするも、それより速く『瞬目の一閃』が放たれる。
胸部を斬り裂かれたサヴィリアスは転倒し、その上にリティウスが跨がった。
悲鳴を上げながら聖剣で斬りつけたが、リティウスはまるで動かない。
代わりに降ってきたのは斬撃の数々。
命乞いは形になる前に掻き消され、頭部だったものが廊下の壁に飛び散っていく。
そして斬りつける場所すらなくなると、リティウスは折れた剣先を叩き付けた。
廊下に甲高い音が響き、それと同時、
「もう良い」
と、フィタリオが制止した。
そして歩み寄ると、返り血を浴びたリティウスをハンカチで拭う。
「見事だ」
「ありがとうございます。でも、父様からいただいた剣が……」
「形あるものは壊れる。そう嘆くで――」
言いながら視線を動かし、不意にフィタリオは笑顔を消した。
サヴィリアスの死骸をまたぎ、死霊たちの前で片膝をつく。
その先にいるのは一人の女性だった。
「ステファナ様、痴れ者は処罰いたしました。このような事態になったこと、近衛の隊長として深くお詫び申し上げます」
ステファナは落ち着いた眼差しをフィタリオに向けると、静かに頷いた。
それにもう一度頭を下げ、フィタリオは他の死霊にも目礼を送る。
「アプルタ、皆を解放せよ」
「かしこまりました」
アプルタが了承すると、廊下を埋め尽くしていた死霊が一人、また一人と消えていく。
最後の一人まで旅立つのを見届けてから、フィタリオは踵を返した。
そして息子のところに戻りかけ、ふと足元を見下ろす。
「そうだ、聖剣を使ってみるか?」
父の勧めにリティウスはきょとんとした後、聖剣を拾い上げた。
すると、今度は不思議そうに首を傾げる。
「ちょっとだけ、びりびりします」
「ああ、すまん。クルーフェルスは『聖騎士』にしか扱えなかったな」
「父様でも?」
「無理だ」
父の答えに、リティウスはむっとした表情を浮かべた。
そして聖剣を振りかぶると、いきなり壁に叩き付ける。
それは何度も何度も繰り返され、唐突に鳴り止む。
「おとなしくなりました!」
「はは、聖剣を御したか。まるで『聖騎士』だな」
「そんなの嫌です! 僕は近衛騎士になるんですから!」
「そうだった、そうだった。では陛下にご報告を――の前に着替えようか。近衛騎士就任の晴れ舞台だ」
「はい!」
破顔する我が子の頭をひと撫ですると、フィタリオは息子を促して歩き出した。
凄惨な誅殺と少年が返り血を全身に浴びていなければ、仲の良い親子の光景。
それを見送るアプルタの視線が、つと下がる。
帝国の至宝である聖剣が、剥き出しで引きずられていく。
肩が揺れ出すのを、アプルタは必死に押さえた。
(聖剣を力尽くで従えるとは。何より――)
死なない。
心臓を貫かれようと、首を切り落とされようと、頭を破壊されても死なない。
アプルタにとって、死は服を脱ぐのと同義だった。
あまりにも身近で忌避する対象ですらない。
人生のすべて否定された気分だったが、なぜか心地良くもあった。
起源の調べの統括アプルタ。
死と共に生きてきた男は、リティウスという少年に魅了された。