第145話 帰路 ~八人目の同行者
深殿の森は、帝国有数の危険地帯である。
多くの冒険者を飲み込み、誰一人、抜けた先に何があるのか知らない。
ランベルトの決断により、俺たちはその森を目指すことになった。
目的は襲撃者を焦らせ、襲撃を誘発すること。
危険を感じないと言えば嘘になるが、そこまで心配していなかった。
冒険者ギルドでCランク推奨なのは、長期間活動できるかの目安であり、森は深さによって難易度が変化する。
当然、周囲の草原や森の浅い地点なら魔物も弱くなるし、それを狙ってDランクの冒険者も活動していた。
さらに現在は魔物が減少している。
Cランクの『破翔』はもちろん、ランベルトやフェリクスでも、どうにか対処できるはずだ。この場にいる中で、周囲の草原でも殺されてしまうのはユネクだけである。
ランベルトの許可を取り、シルヴェック近郊から離れる前に足枷を外すことにした。
引き渡さないと決めたのであれば不要だし、この先、移動速度も重要となる。
まだ恐怖が解け切れていないのか、ユネクは座ったまま動けなかった。
そのそばに座り、足を伸ばすよう指示を出す。
隷属の魔道具なら厄介だが、首輪も足枷も鉄製。
ただ、頑丈そうだ。
作りを調べていると、ユネクが不思議そうな顔で俺を眺めてきた。
頬に濡れた後を見つけ、無理に笑いかける。
ランベルトが連れて行くと決断した後、ユネクは泣きながら何度も礼を言ってきた。
二人の口論を聞いて、捨てられると思っていたようだ。
奴隷も様々だが、ユネクに自主性は皆無である。
南に行けと言われれば従い、俺たちに拾われたら逃げもせず従っている。
たとえ自由を得られても何をすれば良いのか分からず、途方に暮れると思う。
根深い。この子は心まで縛り付けられている。
枷を外すことで気持ちが変化すれば良いが。
鍵穴を覗き込み、《魔力操作》で内部を探ってみる。
形状は把握できたが、シリンダーを動かせるほどの力はなかった。
今度は《軟土操作》を発動し、土の密度を高めて解錠を試みたが、こちらも動かせない。
まあ、当然か。
操作系でどうにかできるなら、《解錠》の魔法は不要である。
習得しておけば良かったが、エルフィミアも覚えてなかった。それに覚えたところで《解錠》の実力はお子様だ。たぶん、途中で諦める。
魔法の鞄から装飾に使う工具を取り出し、《魔力操作》で内部を確認しつつ工具を差し込む。
最初はうまくいかなかったが、なんだかんだ言っても器用18である。
センスの問われる作業ならまだしも、小手先だけは一流だ。
悪戦苦闘しているうち、なんとなく構造が見えてくる。
そして不意に、かちりとシリンダーが動いた。
足枷が外れ、地面に落ちる。
残るは首輪か。移動にはあまり関係ないが、折角だ。外してしまおう。
そう思って顔を上げると、ユネクは困惑していた。
喜んでる――というより、驚いてる?
「あの……外れてます」
「そうだな。外したし」
応えながら足首を見ると、枷の痕跡がくっきりと残っていた。
見るからに皮膚が厚い。
枷で擦れては治りを繰り返し、いつしかこうなったのだろう。
道中で痛みを訴えなかったのも納得だ。そんな時期はとっくに過ぎている。
視線を上げ、首輪に取りかかった。
構造は大差なく、鍵の形状が違うだけだった。
《魔力操作》で確認しながら、工具を動かしていく。
その間、ユネクは横目で俺を見ていた。
正直、間近で視線を感じるとやりづらいのだが、注意しづらく自由にさせた。
妙な圧力を受けつつ、どうにか首輪も解錠する。
それを遠目で見ていたランベルトが、軽口を叩く。
「いつでも脱獄できるな」
「人聞きの悪い。冒険者の技能だぞ。一応」
反論しながら、首輪と足枷を魔法の鞄に収納する。
まあ、冒険者も滅多に解錠しないが。
迷宮は存在していても、理由もなく宝箱が置いてあったりしない。
見つかったとしたら、盗賊の類か知性ある魔物の私物だ。
「待たせた」
立ち上がったとき、ユネクが魔法の鞄を見つめていることに気付く。
「もう不要だ」
そう言ってもユネクは応えず、ただ不安げに俺と魔法の鞄を見つめていた。
ああ、また捨てられると思ったな。
ユネクにとって、解放と捨てられるは同じか。
本当に根深い。
「この先は歩速――ええと、歩く早さを上げる。身体が軽くなっただろ?」
ひょいと持ち上げて立たすと、ユネクは足の軽さに驚いていた。
少しだけ嬉しそうに笑ったが、まだ不安は拭いきれないようで、ちらちらと魔法の鞄を見てくる。
仕方ないので「何かに入れて背負うか?」と尋ねたところ、笑顔で頷いた。
無駄な荷物になるが、重さ自体は今までと変わらない。安心するなら良しとしよう。
適当なバッグに首輪と足枷を入れて背負わせると、さらに毛皮を追加して頭巾のように被らせ、耳や顔付きを隠した。
子爵の追っ手に見つかると面倒だ。
今度こそ出発となり、俺たちは東に向かって歩き出した。
隊列は今までと変わらず、俺は中央で全体の監視、ユネクはその斜め後ろを進む。
出発してすぐ、そばで動く気配がしたので横目で確認すると、ユネクが肩紐を気にしていた。
位置はおかしくないから、少し痛むか収まりが悪いのだろう。
それもほどなくして落ち着いたが、今度は何やら難しい顔で考え始めた。
よく分からんが、忙しい少年である。
夕刻は迫っていたが、思いのほかラザラーグ山は近かったらしい。
ラザラーグ山の陰影が色濃くなっていき、ほどなく、街道の先に三叉路が見えてきた。
直進するとラザラーグ山方面、南に進むとファスデンの町である。
三叉路に差し掛かり、セキエスは立ち止まって空を眺めた。
「もうすぐ日が落ちます。ここで野営にしませんか」
セキエスが指差す方には、いつもの広場があった。
炭化した薪や轍、足跡が残っている。
皆に離れたところで待っていてもらい、俺とヴェロットで痕跡を調べた。
特に不審な点は見つからず、俺たちは野営の準備を始める。
そして夕食ができた頃には、緋色だった草原は闇一色に染まっていた。
ふと気付けば、いつもより暗かった。
空を見上げれば、分厚い雲が一面を覆い尽くしている。
奇襲日和か。
三叉路に野営地があるのは、多くの旅人が夜の山越えを嫌ったためだろう。
皆がここで朝を待つなら、俺たちが野営するのも想像に難くない。
『破翔』も気付いているようだ。
セキエスとバルナーはそれとなくランベルトたちの死角を固め、アンベルとヴェロットもシチューを皿によそいつつ、何気ない素振りで周囲に視線を送っていた。
特に接近する者はなく、俺たちは夕食を食べ始めた。
周囲を警戒しながらシチューを頬張り、雑談を交わす。
ただ、先ほどの口論が尾を引いているのか、あまり話は弾まなかった。
昨日よりも静かな夕食が進むうち、ふと、ユネクまで静かなことに気付く。
食事は進んでいるので、口に合わないわけではなさそうだ。
まだ、考え込んでる。
何というのか、知育玩具で悩む子供のような顔付きだ。
結局、夕食が済んでもユネクが口を開くことはなく、早めの就寝となった。
そして見張りはいつもの順番で、と話していたとき、
「アルター様、僕が見張ります!」
と、いきなりユネクが名乗りを上げた。
唐突な発言に、俺たちは顔を見合わせる。
「皆さんもお休みして下さい! ずっと見張ります!」
「皆さんもって……一晩中見張るつもりか?」
「見張ります!」
呆れる俺に、ユネクは力強く頷いてきた。
これもさっきの口論が原因か。
捨てられる不安から、どうにかして役に立とうと考えていたんだな。
「俺は賛成です」
珍しく、バルナーが率先して賛意を示した。
俺が訝しげな視線を送ると、慌てて手を振る。
「一晩中ではなく、見張りに参加するのをです。アルター様はお一人で見張りをなさっていましたので」
「人数はな。明日からはさらに強行軍だぞ?」
襲撃者を焦らせるために、山越えすると見せかけて一気に南下する予定だった。
それでも深殿の森までは二、三日は掛かるだろう。
ユネクに倒れられると、セキエスの指摘どおり足手まといになってしまう。
渋る俺に、今度はヴェロットが手を上げる。
「私も賛成します。皆より早く就寝すれば、見張りもこなせると思います。探知能力に優れていますし、獣人の聴覚は頼りになりますよ。ユネクさんが斥候として働いてくれるのであれば、心強いです」
ヴェロットに褒められ、ユネクは嬉しそうに耳を撫でた。
精神衛生上、何かやらせた方が良いのは確かだが。
見張りで一番危険なのは、今日である。
明日からは計画が崩れ、夜襲どころじゃなくなるはずだ。
襲ってきたところで、強引な襲撃なら大歓迎だった。
ランベルトやセキエスたちは積極的に同意しなかったが、特に反対もしなかった。
張り切るユネクを眺め、内心で嘆息する。
まあ、そのつもりで俺も賛成したし、いつも以上に警戒すれば良いか……。
「分かった。見張りを頼むとしよう」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
「そうと決まったら休んでおけ。僕たちの順番は、ずっと後だ」
意気込むユネクに毛皮を渡し、眠るよう言い聞かせた。
興奮して眠れないかと思ったが、横になった途端、寝息が聞こえてくる。
本調子ではないし、移動しっぱなしだ。疲れてない方がおかしい。
これで見張りなんてできるのかね。
疑問に思いつつ俺たちも就寝、そして深夜遅く、見張りの順番が回ってきた。
ユネクはすっかり寝ぼけていて、なぜ起こされたのか分からない様子だったが、
「見張りはしないのか?」
そう言った途端、飛び起きた。
苦笑するバルナーとヴェロットに代わり、俺とユネクが見張りに付く。
まずは周囲を観察し、異常がないか自分の目で確かめた。
ユネクも隣で難しい顔で眺めている。
つい笑ってしまいそうになったが、その目が光るのを見て認識を改めた。
『暗視』か。
俺も《暗視》は使えるが、魔力を消費する。発動し続けるのは無理だ。
さらに本能なのか、耳も動かして音を探っている。
今日のような闇夜だと、俺たちより優秀かもしれない。
俺はしばらく警戒した後、ユネクに問いかけた。
「何か見えたり、聞こえるか?」
「いえ……ごめんなさい」
「何もないならそれで良い。さて、お茶でも飲みながら見張りを続けよう」
俺は焚き火の前に向かうと、薪を焼べながら湯を沸かし、濃いめの将軍茶を準備した。
ユネクには紅茶を出そうと思っていたが、やたらと興味を持ったので少し飲ませてみた。
「苦いだろう」
「い、いえ、美味しいです……」
表情と真逆な言葉に、思わず吹き出してしまった。
そういや昔、オゼが言っていたな。眠気が飛ぶから野営に便利だと。
あれはいつだったか。
将軍茶の苦味を味わいつつ、気晴らしに昔話を始めた。
懐かしかったのもあるが、ユネクとオゼが似てると思ったからだ。
戦闘力が低く、斥候の技術に長けている。オゼから学ぶことは多いと思う。
ちなみにピドシオスもそうだが――あれはなんか違う。
戦いが苦手な冒険者というのは、驚きだったらしい。
ユネクは思いのほか食いつき、斥候がどんな役割か、仲間にどうやって貢献するかと質問してきた。
周囲を警戒しながら、俺は話を続ける。
いつしかそれも終わると、数字や簡単な言葉をユネクに教えた。
スキルの効果は発動で理解できるが、立ち位置がはっきりしないのは危険である。
数字を覚えたユネクは自分のステータスと見比べ、大喜びで報告してきた。
それを褒めつつ、気軽に教えたり開示したりしないよう忠告しておく。
ぴんと来なかったようだが、この先どう生きるにせよ、必須の常識だった。
そんなやり取りをしているうち見張りの時間は過ぎ去り、夜襲を受けることなく俺たちは朝を迎えた。
◇◇◇◇
「――よって、事前に打ち合わせたとおり我々は一気に街道を南下、ファスデン近郊を経由し、深殿の森に向かう。焦った襲撃者が動くかもしれん。皆、充分に警戒してくれ。以上、質問はあるか」
全員の了承を受け、ランベルトは出発の号令を掛けた。
野営地を引き払うと、ラザラーグ山の山並みを横目に三叉路を南へ進む。
目指すは帝国領有数の危険地帯、深殿の森だ。
だいぶ南に下ってきたこともあり、草原の風に春の陽気を感じた。
無理に通過した者たちの影響で街道は荒れているが、ぬかるみ自体は乾燥している。
ようやく草の上ではなく街道を歩き、俺たちは速度を上げて先を急いだ。
街道付近は警戒するのか、魔物に遭遇することなく午後を迎える。
そしてやはりというか、午前中でユネクのスタミナが尽きてしまった。
普段よりも短い小休止の間、疲労回復付随のヒーリングポーションを渡す。
陶器の小瓶を渡されてもぽかんとしていたが、口にするなりユネクは目を見開く。
「甘いです!」
「そうか。全部飲んでおけ」
大した量ではないので、ユネクはすぐに飲み終えた。
よほど美味しかったのか、小瓶を逆さにして最後の一滴まで飲もうと奮闘している。
本当に魔法の鞄は便利だ。
作り置きしていた分と今回の旅用に生産したのを加えれば、収納されているポーションは七十本は優にある。疲労回復は多めに生産しているし、付随効果も多種多様に揃えた。部位欠損以外なら大抵の状況に対応できる。
ポーションが効いたようで、ユネクは復活した。
その後はさすが獣人と言うべきか、移動速度にも慣れ、景色を眺める余裕も生まれてきた。午前中は遅れ気味に俺の後方を歩いていたが、今は斜め後ろにぴったりと付いている。
何気なく視線を送ると、待っていたとばかりにユネクは見上げてきた。
「あの、アルター様。昨日の冒険者ですが……」
「オゼか?」
「はい。オゼさんは、どうやって魔物を見つけるんでしょうか」
「経験の積み重ねだが――そうだな、『気配察知』は視覚や聴覚も重要になる。スキルは魔力の補助を受けるが、原動力は個人の力だ」
街道に刻まれた足跡を指差す。
「足跡の形状と深さから、種類や大まかな体格を推測できる。慣れてくれば前後左右の深さでどこに向かっているか、急いでいるかも分かるようになる」
ユネクは何度も頷くと、街道を見渡して乾いた足跡を観察する。
その所為で隊列から遅れてしまい、小走りで戻ってきた。
「街道は魔物も警戒するからな。足跡よりも、音や臭いで探ってみたらどうだ?」
「分かりました!」
ユネクは顔を上げると、鋭い視線で周囲を眺め始めた。
耳も動かし、探りを入れている。その顔付きは肉食獣を連想させた。
どんなに子供でも、獣人の血は健在らしい。
ほどなくして、ユネクはネズミの一種を見つけた。
俺たちの接近に気付き、ネズミの方も逃げていく。
『気配察知3』の範囲外だな。獣人の聴覚で捉えたか。
動物でも発見は発見、俺が褒めるとユネクはさらに張り切った。
急ぐ旅ながらも平和なやり取りが続き、索敵の精度は徐々に増していく。
素直な分、吸収は早そうだった。
この調子なら、旅の間にランクが上がるかもしれない。
リードヴァルトで雇うのも良いが、本人が望むなら冒険者も悪くないか。
オゼに頼めば鍛えてくれるし、テッドたちと話が合えば、クランに誘われるかもしれない。優秀な斥候は、彼らの力にもなるはずだ。
「アルター様! おっきいのがいます!」
そんなことを思っていると、再びユネクが報告してきた。
警戒する『破翔』を手で押さえ、皆を先へと促す。
「報告は正確にな」
「も、申し訳ありません! ええと……僕より大きいのがいます」
ユネクの訂正に、セキエスは周囲を見渡す。
「ゴブリンか?」
「ゴブリンだ。前方の茂みに潜んでるな。接敵はもう少し掛かりそうだ。ユネク、数は分かるか」
問いかけると、ユネクは目を細めて耳を前方に向けた。
「七……いえ、六です。一つだけ、ちょっと大きいです」
「正解。すべてゴブリンだが、一体は強そうだ。深殿の森が近い。スキルか魔法持ちかもしれんな」
了承するセキエスの後ろで、ヴェロットが目を細める。
「参りました。数どころか、どこにいるのかも分かりません」
「他で圧倒してるだろ。欲張りすぎだ」
「勿体なきお言葉」
照れ隠しか、仰々しくヴェロットは頭を下げてきた。
進みながら、『破翔』は盾を握り直し、柄や弓に手を伸ばす。
ほどなく、茂みからゴブリンたちが元気よく飛び出してきた。
直後、バルナーの射撃で一体が転倒するも、四体が先頭のセキエスに殺到する。
「アルター様は周囲の警戒と守りを!」
「分かった。後ろの一体も忘れるな」
「了解!」
セキエスたちに任せ、俺は後方に下がる。
背後にはランベルト、その後ろにユネク。最後方をフェリクスが固めていた。
入り乱れる『破翔』とゴブリンを、ざっと『鑑定』で眺めた。
それなりの強さだ。
こいつらなら、セレン周辺のオークにも勝てるだろう。
後方に控えるゴブリンは、さらに頭一つ抜けている。
《土塊の短矢》の使い手で、武器は魔道具の短剣。
だが、俺たちの脅威ではない。
Cランクともなれば短矢系に慣れているし、短剣は耐久力強化辺りだ。名称がそのままである。
Dランクくらいなら苦戦しそうだが、奇襲は見破られ、迎え撃ったのはCランクでも実力者の『破翔』だった。
案の定、それなりのゴブリンは次々と討ち取られていく。
こうもあっさりやられるとは、予想外だったらしい。
前衛が崩されると後方のゴブリンは混乱、苦し紛れに魔法を放った。
咄嗟に身を捻るアンベルの横をすり抜け、俺目掛けて土の矢が飛翔、《礫土の盾》で弾け飛ぶ。
「せめて石まで強化しろ。焦ったにしても、土でどうにかなると思ったか?」
「すみません、アルター様!」
「気にするな。アンベルが怪我をしては困る。それより逃げていくぞ」
背を向け、一目散に走る魔法のゴブリン。
バルナーの矢が掠めるも、刺さるまでには至らない。
俺が魔法で追撃しようと狙いを付けた矢先、セキエスの手斧が綺麗な放物線を描く。
それは吸い込まれるように後頭部に命中し、ゴブリンは短い悲鳴を上げ息絶えた。
「お見事」
「いえ、警告をいただいたのに油断しました」
「あれは不可抗力だろ。それに守りを頼まれている。仕事をさせてくれ」
「ありがとうございます」
セキエスは頭を下げると、テパ・タートルに注意しながらゴブリンに接近、手斧ごと街道まで運んできた。
解体する時間が惜しいので、持ち物だけ確認する。
結果、魔法ゴブリンの短剣は『耐久力強化2』の魔道具と分かった。
ゴブリンらしく汚らしいが、傷みが少ないので入手して間もないようだ。
そういえば、ユネクに武器を持たせてない。
戦利品の短剣は無理でも、何か渡しておこう。
魔法の鞄の収納物を思い返しながら振り返り、俺は動きを止める。
ああ、そうだよな。
硬直したユネクを、フェリクスが困った顔で見下ろしていた。
立っているだけましに見えるが、恐怖が限界を越え、うずくまることもできないのだろう。
口論を聞いただけで怯えきっていた。殺し合いを間近で見たら、こうもなるか。
どんなに資質が高くても、暴力の気配で萎縮してしまうのでは、斥候も冒険者も務まらない。武器を持たせても無意味だな。
ランベルトは剣を収めつつ、顎をユネクに向ける。
「優秀なのは分かった。だが、あれでは困る」
「どうにかしよう」
ユネクを落ち着かせるため、鎮静効果付随のヒーリングポーションを与えた。
恐怖心は消えないが、大きな感情の揺れを抑えてくれるはずだ。
すぐに効果は出たようで、少しびくつきながらも礼を言ってきた。
◇◇◇◇
ゴブリンの死骸を魔法の鞄に放り込み、移動を再開する。
ユネクは歩けるくらいには落ち着いたが、挙動不審だった。
それを眺めながら、幼い頃の自分を思い出す。
初めて命を奪った魔物はゴブリンだった。
実際の俺はかなり怖かったと思うが、『精神耐性』のおかげで平常心を保てた。
気になって皆に話を振ったところ、セキエスとバルナーもゴブリンで、相当な恐怖だったと当時を語る。またアンベルはオークと戦う先輩冒険者の後ろで動くことができず、ヴェロットは狼に追いかけ回され森を逃げ回ったという。
そしてランベルトとフェリクスもゴブリンだったが、生き延びるのに必死で、ほとんど覚えていないそうだ。
そんな話を聞いているうち、ユネクはすっかり持ち直した。
魔物との戦いは殺し合い。誰だって、最初は怖いに決まってる。
その後、ユネクは索敵に奮闘し、いくつかの動物を発見、魔物と遭遇しないまま辺りが暗くなる。
街道の先を眺めてみたが、中途半端な距離らしく野営地は見つからなかった。
道の状態が悪くとも移動速度を早めている。
ユネクは足を引っ張っていないので、原因はゴブリンだろう。
ここで休息したら意味がない。
俺は『気配察知』に集中、ユネクは『暗視』で警戒しながら、暗い街道を進む。
そしてほどなく、俺たちは野営地に辿り着いた。
人気のない野営地を眺め、異常がないか確認する。
その後は広場の下に《妨土の壁》で石壁を敷き詰め、ようやく皆は荷物を降ろした。
早速、バルナーは広場脇の木に布を張っていた。
俺は周囲を見渡してから、声を掛ける。
「少し待ってくれるか」
「あ、はい。了解です」
バルナーが作業の手を止めると、俺は枝を掴んで飛び乗り、周囲を見渡した。
今日も暗いな。
《暗視》を発動すると、闇が払われ、視界に草原が出現する。
草原がどこまでもうねっているだけで、監視する者は見当たらなかった。
起伏や茂みに潜まれたら見破るのは難しいが、少なくとも『気配察知』の範囲に反応はない。
凄腕の追跡者なら、俺の『気配察知7』でも看破できないが――どうだろうな。
見かけた男を『鑑定』したわけじゃない。
あれが襲撃者でも、それほどの実力だったか。
枝から下り、バルナーに「邪魔した」と声を掛けた。
そしてランベルトに視線を送ると、視線で焚き火の外へ誘導、魔法の鞄からポーションを取り出し、ランベルトに渡す。
「念のため、いくつか持っていてくれ。ああ、フェリクスも」
二人は受け取ると、ランベルトは懐にしまいつつ目線で俺を促してきた。
『破翔』がこちらを窺ってないのを確認し、切り出す。
「この前、聞きそびれたことだ。気を悪くしないでくれよ。長兄と次兄が組んでいる可能性はあるか?」
兄たちが気にするほど、ランベルトは成長した。
であれば、長兄にとっても障害になるのではないか。
続けてそんな話をしたが、ランベルトは「ありえん」と即答する。
「長兄が俺を排除したがる動機がない。お前の言うことも分かる。評価に感謝もしよう。だが、父は正反対の評価を下すはず。父は戦いがお嫌いだ。争うことがじゃない。剣を抜くのは最後の手段、愚策と考えられている。俺がどういう人間か知ってるだろう。どれほど知恵を絞ろうと、本質は戦士だ。後継者に据えたいとは、決して思われない」
「そうか、余計な勘繰りだった。では、無事に旅を終えても身辺には気をつけてくれ。次兄に暴走されては敵わんからな。フェリクスも頼むぞ」
「お任せください。命に代えても、ランベルト様をお守りします」
ランベルトの後方に立ち、フェリクスはいつもどおりに請け負った。
その後、何ごともなく夕食を終え、就寝となった。
ユネクは早めに休ませ、俺と同じ時刻に起こす。
そして周囲を警戒しつつ、焚き火を囲んで雑談した。
俺はもちろん、ユネクも将軍茶である。
明らかに苦そうなので紅茶を勧めたのだが、やはり同じものをと要求された。
そんな流れもあり、将軍茶を作るに至った経緯や愛飲家、セレンでの扱いについて話す。
テッドたちについては触れた程度だが、ユネクは同年代の子供たちに興味を持ったようだった。
小銭程度ながら将軍茶で生活費を稼いでいたと知り、感慨深げにコップの中身を眺めていた。
それからほどなく、追加の将軍茶を淹れていたとき、俺とユネクはほぼ同時に空を見上げた。
面倒な。
「アルター様、雨です」
「そのようだ。本降りにならないと良いが」
バルナーは空模様を心配し、布を張っていた。
おかげで焚き火が消えることはないが、皆が寝ている場所は布の外だ。
そして残念ながら、俺の懸念は当たった。
雨脚が強くなると、皆は起き出し、俺に預けていた毛皮やマントを受け取る。
身を寄せ合うように焚き火の周りに集まり、もう一眠りしようと目を閉じたが、さらに強まる雨脚に断念した。
湿気や雨音もあるが、これに紛れて襲撃者が近付くのを警戒したためだろう。
結局、直前まで見張っていたバルナーとヴェロットだけが、少しでも睡眠を取ろうとどうにか眠り、交代の時刻に俺とユネクも眠ることにした。
ユネクは疲労から、俺はセキエスたちが起きている安心感と『精神耐性』により、すぐ眠りに落ちる。
そして翌朝、変わらぬ雨音の中、俺は目覚めた。