第13話 八歳児の日々 ~最終日前夜
その後、レクノドの森への遠征は順調に進んだ。
エラス・ライノの一件で新たな目標が加わり、俺たちは効率の良い獲物を求め、より深い奥地へと踏み込んでいった。ゴブリンなどは適当に蹴散らし、高い素材や魔石が得やすい魔物を選んで狩っていく。
そうして日帰りの三日が過ぎ、残りは泊まりがけの遠征となったのだが、その初日、いきなりオークの集落を発見してしまう。前世ではお子様禁制の作品群で有名なオークだ。こちらでも何かと有名である。遭遇率の高さや群れの大きさで。
通常、亜人の集落を発見した場合、冒険者はギルドに報告へ戻るそうだ。しかしマーカントは必要ないと断言した。今回発見したのは小規模の集落であり、こちらの戦力なら労せず殲滅可能だという。ロランも反対しなかった。
そんなロランから座学で学んだ知識によれば、オークの群れは最大で二百程度、それを越えると十体前後の小さな集団をいくつか作り、分蜂のように群れを離脱するらしい。この小集団は旅を続け、定住先を見つけると新たな集落を形成する。これはテイマーがオーク自身から聞き出した話だそうだ。理由はオークも知らなかったので判然としないが、昔ながらの風習や信仰が関係しているらしい。ロランは、単純に食糧不足を避けるためだろう、と推測していた。理由はさておき、森で遭遇するオークは流浪中の集団か、定住し終えた連中が周辺で狩りをしている場合がほとんどだった。
マーカントの言葉を受け、満場一致で殲滅と決まった。リードヴァルト男爵家の兵は二百。放置すれば同等の戦力まで拡大してしまう。すでに小集団の倍、成体だけでも二十体以上に増加していた。領地の安全を守るためにも、俺に否はない。
夜目が利くオークに夜襲は無意味と、襲撃は即座に行われた。入念な準備が必要ではないかと思ったが、ロランや『破邪の戦斧』にしてみれば、それほど珍しい数ではないそうだ。
集落が視認できる範囲に入ると、遠距離から俺とダニルが魔法攻撃で先手を打つ。ダニルが《火炎の短矢》を連発してオークを混乱に落とす一方で、俺はすべての属性を試してみた。一番効き目が弱かったのは風で、単純に重量級相手では相性が悪かった。予想外に役立ったのは土属性である。《土塊の短矢》は物理攻撃でもあるため、突き刺されば継続して痛みを与えるし、オークの動揺も大きかった。
初級とはいえ次々と飛んでくる攻撃魔法にオークたちは狼狽えるが、それでも気骨のある者はいる。一部のオークが接近してくると、俺たちは後方へ下がってロランとマーカントが最前線に躍り出た。剣と盾を巧みに操る剣士と軽々と戦斧を振り回す戦士。二人の前衛は重戦士の群れを圧倒していく。
最後には乱戦に突入するも、その頃にはオーク側のまともな戦力は数えるほど。戦いはあっさりと終結した。こちらの被害はマーカントとダニルが数発攻撃を受けてしまったが、打撲程度で軽傷だった。
オークの皮は低ランク向けの革鎧の素材になる。しかし数が多すぎるため、状態が良いのを一体だけ解体、残りは諦めた。装備品や所持品にもめぼしいものはなく、多少の金銭と安価な魔石や宝石、オーク数体から魔石を回収。
こうして野営初日から派手な戦いを繰り広げた俺たちだったが、残りの二日間、特筆すべき戦いは起きなかった。一応、多様な魔物に遭遇しているので、収益の面では順調らしい。
さて、ここでもう一つの戦いがあったことにも触れるべきだろう。
そう――俺たちはどこから帰るのか、だ。
エラス・ライノを倒した後、早速その現実を突きつけられた。一日だけなら諦めもつく。しかし日帰りは三日間。充分、記録として残すべき回数だ。ましてや森からの帰宅という特異な挑戦、これほどの機会はそうそうに訪れなかった。
リードヴァルトの町へ向かう道すがら、俺は基点を探した。
だが、森を抜ければ見渡すかぎりの草原。街道からも外れているため人工物も見当たらない。そうこうしているうち、リードヴァルトへ到着してしまう。
先行させていたオゼに労いの言葉をかけつつも、正直、俺は落ち込んでいた。翌日、どこかに目印を置くことはできる。しかしそれでは挑戦回数がたったの二回。なんと勿体ないことか。せめて他者の記録でも閲覧できれば張り合いもあろうが、オゼに聞いても冒険者ギルドでは管理していなかった。たぶん、父が隠し持っているんだ。領主だし。
どうやって父から記録をぶんどるか。その手立てを模索していた俺に、天啓が舞い降りる。
十八時を伝える鐘だ。
リードヴァルトの町並みに厳かな鐘の音が鳴り響く。八年の人生において、散々挑み続けた屋敷内帰宅コースの号砲だった。名前も知らない創造神に感謝を捧げ、溢れる喜びを抑えつつ、すぐさま屋敷への第一歩を踏み出す。
そう、人生は飽くなき挑戦だ。
スタート地点を正門の外れに設定。残りの二日間、俺はいかなる状況でも鐘が鳴り始まる前にその場所へ舞い戻った。時刻が迫っていれば狼の群れを瞬殺し、一呑みしようと鎌首をもたげる大蛇の首をさっさと切り落とした。もちろん彼らの命を無駄にはしない。『破邪の戦斧』に頼み、時にはヘリット支部長に願い出て回収した。食用に適した魔物が少なかったのは残念だが、こればかりは運である。
記録はその日の戦いの激しさに左右された。あらゆるコースで常に安定したタイムを叩き出していた俺にしてみれば、この振れ幅の大きさが堪らなかった。充実の日々と言えよう。
なれど、楽しい時間が過ぎ去るのは早い。三泊四日の野営が始まったのだ。
当初、俺は楽観していた。『破邪の戦斧』はリードヴァルトの滞在歴が長く、良いキャンプ地を知っているはずだった。正門~屋敷コースよりも難関が待ち受けているに違いない。
そんな期待をした自分が、いかに浅はかだったか。
オークの集落を襲撃した後、思い知らされてしまう。
信じられるだろうか? なんと、野営地が毎日変わるのだ!
目的地を定めず、勘と経験を頼りに森を放浪、その場のノリで野営地が決められていく。野営初日にその事実を知ったとき、俺は声もなく崩れ落ちた。『精神耐性3』を吹き飛ばしたのだから、俺の衝撃がいかほどか分かるだろう。
俺はどこへ帰れば良いのか?
どうして帰れないのか?
前世を含め、すべての生涯を否定された気分だった。そして冒険者の多くが拠点を持たず、依頼を受けながら流浪の旅を続けていると聞かされた。なんと過酷な職業か。初めて『破邪の戦斧』に深く敬服したものだ。
◇◇◇◇
そして現在、最終日の前夜。
俺は揺らめく焚き火の炎を眺めながら、今日までの苦闘を思い返していた。
筆舌に尽くしがたい、地獄のような日々だった。澄んだせせらぎの畔、幻想的な光を放つ甲虫が飛び交う百花の絨毯。そして今現在、樹冠から月光が降り注ぐ広場に俺はいる。
「ここで野営すっぞぉ」とマーカントが宣言するたび、俺の自我はひび割れ、崩落した。しかも気付いてしまう。この先の人生、同じ状況は充分に有り得るのだ。
もし騎士として遠征に従軍したら?
冒険者となって長い探索に出ざるを得なくなったら?
絶望はいつでも口を開けて待っている。
なんとしてもこの難題を解決しなければならなかったが、いくら思案しても糸口すら見出せなかった。
ダニルが夕食の準備をしている間、待ちきれないのかマーカントは干し肉を囓り、ロランは剣の手入れをしていた。ヴァレリーとオゼは少し離れ、周辺の様子を探っている。
そんな彼らを横目で窺う。
冒険者は、この過酷さにどう立ち向かっているのだろうか。
手がかりを求め、俺はバックパックを引き寄せた。
中にはロランの用意した冒険者初心者セットが詰め込まれている。保存食、ランタンと油、火口箱、多用途に使える大きめの袋。色々と引っ張り出したが、特にそれらしき装備は見当たらない。
腕組みし、ずらりと並んだ初心者セットを眺めた。
その時、ふと一つのアイテムが目に留まる。
ロープ。これでどうにかできないだろうか。
適当な長さに切り取り、先端をナイフの柄に結びつける。それを地面に深く差し込んだ。
これで良し。
俺はもう一方の先端を持ち、夜の森を見据える。
軽く深呼吸し方向を定めると、おもむろに踏み出した。
光源から離れるに従い、闇が深くなっていく。
虚ろな樹木は溶けていき、一塊となって押し寄せてくる。
一歩一歩、大地を踏みしめ俺は進む。
まるで人生だ。まさしく今、俺は人生の闇を彷徨っている。
そんな俺自身も、次第に輪郭を失っていく。
意識や肉体、俺という全存在が闇に同化しかけたその時、握っていた拳がついと引かれた。
それは闇を切り開く光明。一筋の生の息吹。
俺は撥ねるように踵を返す。
踏みしめるたび、溢れ出す生命。
迷いはない。大地を確と掴み、俺は進む。
そして炎に輝くゴールを通り抜けた瞬間、帰還を祝うかの如く、薪の爆ぜる音が森に木霊した。
残響を噛みしめ、手の平のロープへ視線を落とす。
……空しい。
これは――帰宅と言えるのだろうか?
「なあ、八歳児が奇行に走った挙げ句、遠い目をしてるんだが?」
「お気になさらず。ちょっとした病気なので」
ロランが途轍もなく失礼なことを言っている。
まあ良い。挑戦を放棄した連中にかまけている暇はないのだ。この苦境を打破しなければ、俺は心労でどうにかなってしまう。
しかし妙案は浮かばぬまま、ダニルが食事の用意できたと告げてきた。
スープの香りが鼻腔をくすぐる。
仕方ない、まずは腹ごしらえだ。明日は本当の意味での帰宅。いつものスタート地点で記録更新を目指そう。対策はそれからでも遅くない。
久しぶりの挑戦。
その言葉に心躍らせつつ、俺は毛皮を引いただけの地べたに腰を下ろした。
『破邪の戦斧』は、食糧の現地調達を心がけている。
野営地が決まっても食用の魔物や動物を確保できていないときは、斥候の二人がわざわざ狩りに出向いた。おかげで肉は一日もかかしたことがない。今日は道中でダニルが猪を発見、魔法を放って仕留めている。
俺はそんな肉にかぶりついた。
厚めに切り、塩をまぶして焼いただけの料理だ。猪の肉は屋敷の食卓にもよく上るが、ここまで豪快な調理法ではない。ダニルの焼いた肉は固く、獣特有の臭みも感じたが、あらゆる味が濃厚だった。
ひとしきり堪能し、口直しにスープを手に取る。
山菜やキノコ、干し果物、乾燥させた野菜を放り込んだスープで、こちらにも猪の肉がふんだんに投入されていた。味付けは塩のみのようだが、多様な食材のおかげで複雑な味に仕上がっている。
キノコと猪を同時に頬張っていると、ふとオゼの姿が目に留まった。
木のコップを傾け、お茶を飲んでいる。斥候らしく、すぐさま俺の視線に気付いた。
「あ、頂いてます」
コップを軽く持ち上げる。
彼が飲んでいるのは、実験中のジェネルラル草のお茶だ。俺のコップも中身は同じである。青臭さの中に苦み、ミントに似た爽やかな後味が残る。求めていた物とはまったくの別物になってしまったが、これはこれで悪くない。
そんな俺たちに、マーカントは大袈裟に顔をしかめた。
「よくそんなもん飲むな」
「まだまだ研究中だが僕は好きだぞ、将軍茶」
「名前はそれで決まりなんですか?」
ヴァレリーが口元の脂を布で拭いながら訊いてくる。
「将軍だからな」
俺の返答にヴァレリーとマーカントは微妙な表情を浮かべた。
二人はもとより、ダニルやロランも最初の一口以降、口にしていない。奴らには将軍が高貴過ぎて理解が及ばないのだ。これだから平民は困る。あ、ロランは騎士――いや元冒険者だった。やっぱり平民だな。
オゼを上級平民に認定しつつ、俺はコップを掲げた。
「いずれ飲みやすいように改良する。今でも充分美味しいけどな。なあ、オゼ」
「え?」
場に沈黙が流れる。
「……美味しい、よな?」
「ええと、まあ……正直に言いますと、この青臭さが眠気覚ましに丁度良いので……」
味方は一人もいなかった。
ただの平民に格下げしてやる。ふん、いいさ。まだまだ改良途中の将軍茶が控えている。それを味わったら伏し拝むに違いない。そうなっても飲ませてやるもんか。
それから夕食を終え、思い思いに食後の休息を過ごしていると、マーカントが斧の手入れをしながら話しかけてきた。
「明日、町へ戻れば護衛任務も終わりだな。結構な数の実戦をこなしたわけだが、どんなもんだ?」
ざっくりとした問いかけに、苦闘の日々が再び蘇る。
「そうだな……。すべての時間が有意義だった、と言えよう。僕は冒険者の日常、それに伴う野営というものを甘く考えていたようだ。特にこの三日間、想像だにしない過酷な現実を突きつけられた。それを教えてくれた君たちに、心からの謝意を表しよう」
「なんだろうな、凄くずれた答えをもらった気分だ」
「間違ってませんな」
最近のロランは、やたらと失礼だ。さっきも悪口を言ってたし。俺は主君のご子息様、敬意を払ってもらいたい。
ま、それはそれとして。
確かに実力はついた。
名前 :アルター・レス・リードヴァルト
種族 :人間
レベル :8(5up)
体力 :38/38(9up)
魔力 :104/104(66up)
筋力 :7(1up)
知力 :14
器用 :9(2up)
耐久 :5+2(1up)
敏捷 :12+2(28:倍加)(2up)
魅力 :14
【スキル】
成長力増強、成長値強化、ステータス偽装、言語習熟、高速移動
精神耐性3、鑑定3(1up)
片手剣4(1up)、体術5(1up)、短剣術4
火魔法2(1up)、水魔法3、風魔法3、土魔法3(1up)、無属性魔法3(1up)、
氷結魔法1、雷撃魔法1、変性魔法2(1up)
【魔法】
●初級
火炎の短矢、鋭水の短矢、疾風の短矢、土塊の短矢、魔力の短矢、
氷柱の短矢、雷衝の短矢
水流の盾、旋風の盾、礫土の盾、魔力の盾
筋力上昇、脚力上昇
【称号】
転生者、帰宅部のエース(耐久+2、敏捷+2)、リードヴァルト男爵家の次男
特筆すべきは魔力の大幅な上昇、鑑定、一部魔法スキルのランクアップだろうか。
まず火魔法が2、土魔法と無属性魔法がランク3となった。土と火はオーク戦で、無属性魔法はそれ以外の戦いで主力として使っていた。変性魔法が上昇したのは、『高速移動』をごまかすため《脚力上昇》を多用したからだ。
しかし、体力と魔力の差がとんでもないことになってきたな。
ゲームなら能力値が体力や魔力に補正をかけたりするが、この落差を見るに知力が影響してそうだ。それに比べ、称号の補正を差し引いたら耐久は最低値。一応、近接戦もこなしてきたのだが、どうしても回避優先の戦法となる。上がりにくいのも仕方なかった。
それにしても能力値の渋さを見るたび、RPGの古典ゲームを思い出す。
今のところインフレを起こした存在を見ていないし、チートだらけの俺ですら起きそうもない。だから数字だけ見るとどうしても弱く感じるんだが、実際はかなりのステータスだと思う。まず、能力値一つの差が大きい。1程度の差ならともかく、2も離れれば顕著に違いが表れる。特に筋力や敏捷が負けていると、装備や他の技術で上回っていないかぎり、その差を埋めるのは難しい。そして同年代の子供は俺の半分程度の能力値で、スキルや魔法はほぼ空だった。思い返してみれば、十二才だった頃の兄は片手剣と盾のみ。俺がどれだけ異常な成長を遂げているのかよく分かる。充分チートキャラだ。
それでも、俺の表情は冴えなかった。
所詮は「できる」だけだからだ。まだ完全に使いこなしていない。チートスキルの『高速移動』を封じた場合、対等な冒険者を相手にして勝てるかどうか。幾度もの実戦を経験したからこそ、疑念は強まっている。それに『高速移動』を使用したとしても、まともに制御できないため、奇襲か逃走以外の使い道がない。すべてにおいて、俺にはまだ実戦の経験が不足しているのだ。
ステータスを閉じ、皆を見渡した。
「此度の遠征は、数年の鍛錬に匹敵する成果を上げたといえる。しかし、一週間の経験に過ぎないのもまた事実だ。まずは得た経験や能力、それら一つ一つを己が力とせねばなるまい。焦らず、着実にものにしていくしかないだろう。呼吸するかのように自然に扱えたとき、初めて成長したと言えるのだ。そして成長は自身の基礎となり、新たな力の土台となる。いわばすべての根幹。基礎が堅牢であるほど、大きな構造物を支えられる。より高みを目指せる。だからこそ、おろそかにしてはならない。些末と軽んじてはならない。たった一歩と侮ってはならない。積み重ねた一歩は数千、数万の歩みとなる。それこそが栄光への道筋、弛まぬ努力こそ勝利への道標。いかなる困難に見舞われようとも、どれほどの辛苦が待ち受けていようとも、我らの歩みは決して止まらない。そこに――新記録が待っているからだ!!」
「待ってねえよ! お前、何しに来たの!?」
「さりげなく、坊ちゃんの性癖に巻き込まないで頂きたい」
「性癖とか言うな。八歳児だぞ」
「意味が分かる相手に配慮もいらんでしょうに」
なぜか皆、あきれ果てていた。
おかしい。拍手喝采な名演説なのに。