第135話 学院三年目 ~送別会
先日、学年末試験を終えたことで、学院の行事は明後日に控える卒業式を残すのみとなった。
例年であれば、大挙して卒業生の家族や迎えがセレンに集結するのだが、帝国全域を襲った寒波の影響で集まりはかなり悪い。カルティラールでも迎えが来ないと嘆く生徒が多かった。
片付けの手を休めると、錬金室の窓を少し開いて空を見上げた。
そんな寒波も、日を追うごとに収束へ向かっている。
セレンではしばらく雪が降っていない。
気温はさほど上がっていないので薄汚れた雪景色は広がっているが、雲の切れ間から覗く陽光に春の訪れを感じさせた。
ただそれも、比較的温暖なセレンだからだ。
街道はかろうじて識別できる程度だし、帝国北部は酷い状況が続いていると聞く。
去年の暮れ、父に「こちらで馬車を手配します」と手紙を送り、迎えを断った。
難色の返信は来ていたが、正解だったと思う。
この状況では、迎えどころか馬車もまともに動かない。父は諦めただろうし、堂々と徒歩で帰還できる。
それとサイグス傭兵団を追ったときに分かったが、俺が全力で走ると隣町くらいの距離ならすぐだった。
たぶん、リードヴァルトでも二、三日で帰還できる。その気になれば、いつでも帰省できたわけだ。
まあ、もっと早く気付いたとしても帰らなかったが。
能力を公表するまで会えるのは打ち明けた者だけだし、母は頻繁に帰郷を要求するに決まってる。
何にせよ、ひとっ走りでセレンへ戻れると分かったのは収穫だった。
ランベルトの故郷であるケーテンはもちろん、エルフィミアの帝都でもさほど掛からないはずだ。今までは別れの寂しさが上回っていたが、その事実に気付いたことで、気持ちはだいぶ楽になっている。
また、将来の可能性として考えていた交易も、現実味を帯びてきた。
ラッケンデールには、本当に感謝している。
本来、隊商はかなりの経費が掛かるので、利益になると分かっても一つ返事で許可は下りなかっただろう。
だが魔法の鞄があれば、馬車は不要だし積荷の護衛もいらない。荷物は鞄だけなので最低限の人数で済むし、俺一人で交易ルートを回ることも可能である。
ふと、妙な高揚感に囚われた。
ルートか。
こんなことを考えるのも数年ぶりだな。
魔法の鞄を手に取る。
久方ぶりに帰宅部魂が疼くのを感じた。
リードヴァルトからセレンは既定路線として、ヴェレーネ村とクレンズリー村は外せない。
行きはリードヴァルトからクレンズリー村、ヴェレーネ村を経由してセレン。
帰りはセレンから南東へ向かい、ケーテン経由でリードヴァルトが妥当か。
こうなると、ストップウォッチが欲しくなるな。
各中継地点で一晩は泊まるだろうし、区間を細かく記録したい。
本格的に交易が始まったら、キューテス・イプジットに頼んでみるか。
《座標点》なんて妙な魔法を開発したし、カウント魔法も作れそうだ。
ぼんやりそんなことを考えていると、玄関の開く音が聞こえてきた。
ネイルズたち、買い出し班が戻ったようだ。
階下へ耳を澄ましたが、不穏な気配は聞こえてこない。
無事に買い出しを済ませたか。
送別会に向け、テッドたちは数日前から準備していた。
どこかの酒場を借りるという案も出たようだが、結局、俺の自宅が会場となった。
テッドは申し訳なさそうにしていたが、俺は大賛成である。
酒場を貸し切ると費用が嵩むし、込み入った話もしづらい。
階段を通って、二階の錬金室までパンや菓子類の香りが漂ってくる。
思考を打ち切り、片付けを再開した。
魔法の鞄に空の容器や魔石、自作の装身具を入れていく。
一部の魔石や素材は浸透済みだが、帰還の直前まで作業してられないし、途切れてもやり直しになるだけである。
それにしても、魔法の鞄は本当に便利だ。
居間に鎮座していたアイアンゴーレムは、溶かすにも大きすぎて扱いかねていたが、魔法の鞄のおかげで持ち帰れる。
《偶像作成》を習得するかスクロールを入手したら、リードヴァルトの守護神として復活させる予定だ。
棚が片付き、テーブルの二振りに視線を向ける。
天儀の法剣とノスヴァール。
ハイメスから譲り受けた、クラウスの剣だ。
天儀の法剣は騎士専用であり、高潔でない俺には使いこなせない。
だが、ノスヴァールなら――。
「やはり駄目か」
手に取っても、脳内に情報は流れてこなかった。
クラウスと出会ってから二年、あの頃よりかなり成長したんだが。
なんとなく前より扱えるような気もしたが、まだお眼鏡に適わないようだ。
『剣閃』が条件――もしくは最低条件なのだろう。
どうにか『両手剣3』までこぎつけたが、低下の魔道具で能力を抑えても、セレン周辺ではこのくらいが限界のようだ。戦い続ければ上がると思うが、効率的じゃない。
「ともかく、使いこなせなくとも頑丈さは機能しているはず……」
甲犀の剣は、ジャリドとの戦いでかなり疲弊していた。
手入れが帰還に間に合うか分からなかったので、別の武器で代用するつもりだったが、ノスヴァールもありだ。
少し悩み、俺はどちらも魔法の鞄に収納した。
ノスヴァールも、認めてない相手に使われたくないだろう。
もし屋根様たち並みの知能があったら、条件を達成しても拒絶されかねない。
その後、片付けを続けていると、再び玄関が開いた。
エルフィミア、ロラ、ランベルト、フェリクスが入ってきて――ロラが逃げた。
そしていつもどおり確保され、連行されてくる。
悲しいことに、追いかけたのはクインスとカイルだった。
二人に捕まるロラって……。
「アルター様、皆さん到着しました!」
ジニーが階下から声を掛けてきたので、それに応え、俺も一階へ下りた。
すでに来賓は着席しており、エリオットの案内で俺も席に着く。
そして皆が座ると、咳払いしてテッドが進み出た。
注目が集まる中、緊張した顔付きでテッドは口を開く。
「これより、送別会を始めさせていただきます。まず始めに、会場を提供してくれたアルター様に感謝を」
「様付けで呼ばれたのは初めてだな。ロラの気持ちがちょっとだけ分かったぞ」
「ああ、忘れるから! 茶化さないでくれ! ええと……」
顔を真っ赤にさせ、思い出そうとテッドが眉を寄せる。
見かねたのか、背後からエリオットが小声で囁く。
「あ、そうだ――ええ、帰還の準備で忙しい中、送別会に参加いただきありがとうございます。俺……じゃなくて、私がアルター様に出会ったのは三年前、カルティラール高等学術院の模擬戦でした。その半年後に再会し、また挑んで叩きのめされました」
「そんなことがあったの?」
「あった。二度目はジェマも一緒だったな」
エルフィミアの問いに応えると、出会いを知らない面々は苦笑いを浮かべていた。
「それから自宅に招かれるようになり、皆様と出会いました。そしてエルフィミア様には魔法の知識を、ランベルト様とフェリクス様には戦い方を、ロラ様には学問や冒険者としての支援を、アルター様には多くを学ばせていたただきました。私たちの今は皆様のおかげです。これからも教えを胸に、精進していきたいと思います」
そこまで言って、テッドは止まる。
感極まってるのではなく、普通に忘れたようだ。
エリオットが「締めです、もう少し!」と囁き、ネイルズやリリーからも小声で声援が飛ぶ。
テッドは挨拶とは思えぬほど苦悶し、どうにか絞り出す。
「ええ……今後……は、それぞれの道を進むことになりますが、セ、セレンでの三年間は大きな糧となると思います。では、皆様の前途を祝し――乾杯!」
号令を受け、唱和が重なった。
大役を終えたテッドは乾杯もそこそこに、疲れ切った顔で椅子にもたれ掛かる。
「無理。二度とやらない」
「立派だったぞ。すでにマーカントを越えたな、挨拶だけ」
「嬉しくねえ……」
こうしてテッドたちが主催する送別会が始まった。
◇◇◇◇
今回の送別会は、会場を貸しただけだった。
掃除はもちろん、デイナとリリーが先頭に立って料理し、足りない分の食事や飲み物は金を出し合っている。送別される側のエリオットやニルスも協力しているが、彼らはセレンに残る予定だし、パーティーこそ違っても仲間同然だから問題ないのだろう。
どうあれ、生きるのに精一杯だった頃を思うと、感無量である。
送別会が始まり、最初は挨拶で触れた俺とテッドたちの出会い、次にそれぞれがどのような経緯で知り合ったかの話題で盛り上がった。
俺の場合だと、入学試験でエルフィミアとテッド、学院初日にランベルトとフェリクス、野外演習直前にテッドと再会、ジェマとリリーとも知り合った。
そして野外演習ではロラとエリオット、それが終わった後の休み中、お隣のネイルズが覗きに来てテッドとジェマに捕獲された。
それからデイナ、ニルスとヨナス、クインスとカイルに出会い、最後がエミリとジニーとなる。
よくもまあ、これほど出会ったのものだが、この場にいない者もまだまだいる。
学院ではラッケンデール、ヘレナ、学院長。
関わりこそ薄かったが、ハルヴィスとの出会いも印象深かった。
街の住人では、商業ギルドのサミーニ、職人のケイティとナルバノ。
冒険者ギルドのレベッカは何かと困った人だが、楽しくもあった。
後は『セルプス』のハレイスト、『破翔』、『万年満作』とも、何かと縁があった。
そして今年は、タルヴィットとハリエット。
タルヴィットは森で遭遇しなければ、ハリエットのように演武会まで互いの存在を知らなかったと思う。
あいつの言葉ではないが、彼らとはもっと早く出会いたかった。
俺も含め、多くの人の三年間が様変わりしていたはずだ。
それと、タルヴィットが送別会に呼ばれていないのは、知り合いが冒険者組だけだからだった。卒業後もセレンに残ると明言しているし、呼ばれても断ったかもしれない。
それぞれの出会いを披露し終わると、今後の話題となった。
俺とエルフィミア、ランベルトも将来について語っていく。
旅立つ者は似たり寄ったりだ。
俺とランベルトは騎士として生家を支え、エルフィミアは宮廷魔術師を目差して今後も魔法の鍛錬を続ける。
残る者たちは、そんな話を寂しそうに聞いていた。
この先、皆が揃うことは二度とないだろう。
交通が発達していない分、旅には覚悟がいる。
それぞれの身分があるので、気楽によその支配地域に入りづらい。父親が厳しそうなので、特にランベルトは難しいと思う。
だが、俺は少し違う。
冒険者証もあるし、『高速移動』や父を説得する材料も揃っていた。
しんみりする中、俺は魔法の鞄を見せ、計画中の交易について話し出す。
エルフィミアも『高速移動』は漠然としか知らないので、魔法の鞄があれば、どれほど旅が楽になるかだけを説明した。父の許可なしに、「三日くらいでセレンへ戻れます」とは言えない。
それでも話を聞くうち、テッドたちの表情が和らいでいく。
「どのくらい戻ってくるんだ? 月に一回?」
「それは多すぎだろ。交易だぞ」
苦笑しながら、俺は考える。
「多くても……年に三、四回だな。うちは辺境だから、魔道具やポーションは高騰しやすくてな。値を下げると他の商人や職人を圧迫するし、どうしても売りにくいんだよ。その点、セレンは流通する量が比べものにならん。余剰分を卸すのに最適なんだ」
「でしたらその際は是非、ブレオス商会をご利用ください。あ、ポーションもお願いします。目玉商品にさせていただきます」
すっかり商人の顔で、ロラは楽しげに言った。
「一部を卸させてもらうよ。要望は改めてな。そういうわけで、行きはマーカントたちの住むクレンズリー村、チーズが特産のヴェレーネ村を通ってセレンへ、帰りは南東の街道からケーテンを経由しようと考えてる。ランベルト、特産品はなんだ?」
不意に振られ、ランベルトは腕を組む。
「普通の丘陵地帯だからな、目立った特産品はないぞ。農業と畜産、あとは果樹園か。それ以前に、リードヴァルトは近いだろう。行商人が行き来してるんじゃないか」
「それもそうか。特産品でなくとも、母の土産になれば寄る口実になるんだが……」
「詳しくは知らんが、果物を使った菓子ならあるな」
「良いな、それなら喜びそうだ」
詳細は意外にもフェリクスが知っていたので、補足してもらう。
そうしていると、エルフィミアが考え考え口を開く。
「この前も言ったけど――年に一回くらいなら、私もセレンに来られるかな。魔道具や素材を仕入れやすいし、カルティラールもあるからね」
「魔道具は分かるが、カルティラール?」
「あそこの講師は、帝都から派遣されることがあるのよ。軍学のデシンド・アダールも帝国騎士だし」
帝国――騎士?
ランベルトやフェリクス、エリオットたちを見やると、全員が全員、驚いていた。
「そんな人物が身近にいたのか。驚いたよ」
率直に感想を述べると、エルフィミアはつまらなそうに首を振る。
「世間で言われるほど立派じゃないからね。世襲ばっかりで無能も多いし。デシンド先生はまともだけど」
「知りたくなかった現実は置いといて――顔見知りだったのか?」
「いいえ、何かあったら頼れって父に言われてたの。私が物心つく前に赴任してるし、向こうも知らないでしょ。それに、奥さんはセレン出身らしいわよ。あの人、帝都に戻る気ないんじゃない?」
「そうかもな。身分を明かせば、講義もやりやすいはずだし」
一部の生徒には、講師たちを平民と蔑んで指示に従わない者もいた。
卒業できなくなるので結局は従うのだが、帝国騎士ならそんな手間もいらない。
しかし、卒業間際にとんでもない事実が飛び出したな。
もっと早く知っていれば、騎士の心構えとかを――ああ、講義でやってたね。そういうのも。三年目も履修すべきだったかも。
「ま、講師なんて大変そうだからごめんだけど、演習の視察や魔法ギルドとの交流、魔道具やポーションの仕入を提案すれば、簡単に許可されると思う。魔法使いって出不精が多いからね。宮廷魔術師になるまでは――私用で遊びに来るわ」
エルフィミアはそう言うと、肩をすくめた。
そんなやりとりに、今生の別れでないと知ってテッドたちに笑顔が戻った。
セレンに戻るのはいつ頃になるか、どう手紙をやり取りするかで質問が飛ぶ。
それに答えていると、遠くから車輪の音が聞こえてきた。
貧民街に馬車が来ることはほとんどない。
ネイルズ親子、エミリとジニーは不思議そうに音の方向を見やった。
そして馬車が我が家の前で停車すると、さすがに皆は会話を中断する。
「誰か来るのか?」
「そうだ。理由があって、勝手に追加させてもらった」
俺は立ち上がり、ノックの音に扉を開く。
自宅前に駐まっていたのは、この前と違い、今日は派手さを抑えた馬車だった。
その前で、見慣れた姿がお辞儀する。
「遅くなりました」
「いや、問題ない。仕事中に呼び出してすまんな」
「滅相もございません。これも仕事です」
招き入れると、サミーニは皆に挨拶した。
冒険者組はエミリの一件で顔は知っていたが、商業ギルドの来訪に驚いていた。
「彼とは入学前からの付き合いでな。この家を紹介してくれたのもサミーニなんだ」
それを聞いて、好意的な反応を示したのはテッドたち――中でもネイルズ親子や少女二人だった。
俺の住居がここでなければ、ネイルズたちと出会わなかっただろう。
「その後は、『魔道具作成』や『鍛冶』の鍛錬を支援してもらってな。サミーニの助力がなければ、僕はまだ半人前だったと思う」
「お言葉ですが、私など微力に過ぎません。アルター様であれば、別の手立てでどうにかなされたでしょう」
「どうにかなさったとしても、助力の結果は紛れもない事実だろ?」
サミーニは恐縮そうに頭を下げた。
さて、これで役者も揃ったな。
俺はサミーニに少し待ってほしいと伝え、皆に向き直った。
「いきなりだが、この場を借りて礼を言いたい。リードヴァルトにいた頃、僕の世界は狭かった。どれほど多くの者と出会っても、一つの町で世界は完結していた。父がカルティラールへの入学を薦めたのも、そんな世界を広げるためだ」
言葉を切り、皆に視線を送る。
「今、父の判断は正しかったと確信している。三年の歳月が過ぎ、世界は驚くほど広がった。ここにいる皆と出会ったからだ。もし僕に助けられたと感じている者がいるなら、同じく感謝を返したい。僕もまた、助けられた。学ばせてもらった。出会いの一つ一つが今の僕を作り上げている。人生は選択の連続だというが、その通りだと思う。偶然の結果や些細な決断。それが今だ。僕の三年間は、無駄ではなかった」
皆、無言で聞いていた。
テッドたちは涙ぐみ、ロラにいたってはぼろぼろと涙をこぼしていた。
そんな一人一人を眺め、俺は破顔する。
「というわけで、堅苦しい前置きは終わりだ。今から感謝の品を贈りたい。幸い商業ギルドの職員が同席してるし、不要なら売り払ってくれ。受け取らなくても僕が売るから同じだぞ」
「勉強させていただきます」
唐突な展開に空気が固まる。
それをしっかり読みつつ、サミーニはにこやかに微笑んだ。