第134話 学院三年目 ~最後の試験
マーカントとヴァレリーに会いに行く。
そう決めたのが良かったのか、殺気みたいなものは徐々に落ち着いてきた。
その間に入ってきた情報によると、サイグス傭兵団が東の街道付近で壊滅したそうだ。
やったのはクラウスだとか、ウォルバーの追撃部隊だとか、高ランクの冒険者と諍いになったとか、様々な憶測が飛び交っていた。
ごく一部の噂では傭兵団を追跡する謎の冒険者がいたらしいが、真偽はまったくもって不明である。
また評議会は膨れあがった難民に対し、細やかな支援を行いながらもウォルバーへ戻るよう通達した。
セレンは自治を維持するため、あえて食糧をフィルサッチなどから輸入している。
彼らを支援し続けるのは不可能だろう。
さらに評議会は冒険者を多数雇い入れ、道中の護衛に付けると約束した。
依頼を受けても良かったが、難民の足では時間が掛かる。卒業を間近に控えた今、まとまった時間は作れなかった。
せめてもと、ヒーリングポーションを調合し、冒険者ギルドと商業ギルドを通じて被害を受けた地域、依頼を受けた冒険者に渡してもらった。
ただ、思いのほか出発が早く、大した量も用意できなかったので、ほぼ自己満足である。
それでも俺自身の慰めになったらしく、ポーションを渡し終わった頃には、鑑定師のエルフィミアとテッドから「戻った」とお墨付きをもらった。
まずは一安心である。
ちなみにテッドたち『セレード』は、悩んだ挙げ句、難民の護衛依頼を引き受けなかった。
イルサナ村など村落からの難民は帰還を拒否する者が多く、難民街の治安は著しく低下している。リリーやクインス、カイルを残し、長期間離れるのは避けたかったのだろう。
そんな日々を過ごしているうち、三年目の学年末試験を迎えた。
卒業前の試験だったが特別なことはなく、貴族の嗜みを除けば無難にこなした。
そして最後は錬金術の試験である。
入学時はランク6だった『調合』も、今はランク8。
どんな試験内容でも余裕だ。
俺の調合したポーションを掲げ、師弟はくねっていた。
あれを見るのも最後――と言いたいが、魔道具作りはまだ片付いていない。
もうしばらく、くねってもらおう。
制限時間となり、踊る二大変人の片割れから視線を外し、錬金器具の洗浄を始める。
しばらくして、片付け終わったらしくエルフィミアとロラが近付いてきた。
「後は卒業式だけね」
「三年間なんて、あっという間だな。本当に忙しなかった」
「あんたは手を出しすぎなのよ。ま、人のことは言えないけどさ。来たときはすぐ帝都に戻るつもりだったけど――意外に学ぶことが多かったわ」
そう言って、エルフィミアはガラス窓から外を眺めた。
「帝都に戻ったら、宮廷魔術師様か?」
「いずれね。そっちは騎士様?」
「いずれな。時期は父と相談だ」
そんなやり取りをしていると、ロラが暗い表情をしているのに気付く。
俺と目が合い、ロラは微笑を作った。
「寂しくなります。皆さんがいなくなってしまうと……」
「一生、会えないわけじゃないぞ。いつになるか分からんが、またセレンに来るつもりだ。テッドたちの様子も気になるし、早ければ年内に」
「そうなの? じゃあ、私にも知らせてよ。日程を合わせるわ。魔法ギルドの本部もあるし、理由なんていくらでも見つかるから」
俺とエルフィミアの言葉に、ロラは本物の笑顔を浮かべる。
「是非、遊びに来てください! お待ちしてます!」
俺は微笑を返し、二人に切り出す。
「ところで、卒業前にパーティーのようなものをやろうかと考えてる。二人もどうだ?」
「良いけど、何するの?」
「いつもどおり僕の自宅で飲み食いなんだが、準備を取り上げられてな。テッド主催の送別会だ」
二人は苦笑しながらも、参加を承諾してくれた。
そして片付けが終わって錬金室を出たところ、ランベルトとフェリクスが俺を待っていた。
年始の宣言から、彼らとはあまり話していない。
祝勝会は流れて演武会後も休みが続いたため、昨日行われた教養の試験までまともに顔も合わせてなかった。
俺から歩み寄り、先ほどの話を繰り返す。
「卒業したら、全員で揃うのは難しいだろう。お前たちも参加してくれるか」
「ああ、参加しよう」
「良かった。あいつらも張り切るぞ」
ランベルトは笑みを浮かべたが、すぐに表情を変えた。
何か言いかけるも、口を開けたまま次の言葉が出てこない。
話があったんだな。
演武会だと思うが――。
フェリクスは言い淀む主君をちらりと見て、代わりに切り出す。
「実は、内々にお話が」
俺が視線を向けると、ランベルトは無言で同意した。
その様子に、エルフィミアとロラは顔を見合わせた。
演武会辺りから、俺たちがぎくしゃくしているのを二人も知っている。
「じゃあ、私たちはこれで――」
「アルター君」
そう言って立ち去ろうとしたとき、錬金室からラッケンデールが顔を出した。
「あ、お話し中?」
「いえ、急ぎではありませんので。では、送別会で」
ラッケンデールに応えると、俺に頷きかけ、ランベルトは立ち去っていった。
セレンに集まる貴族の子弟は、期待されて送り出されることが多い。
ただランベルトのように頼み込み、将来を掛けてやってきた者も少なくないだろう。
その中でも実力がある分、ランベルトの演武会にかける意気込みは、誰よりも強かったと思う。
確かに、演武会優勝は充分な手土産になるが、彼の真価は別にある。
それを見抜ける父親であれば良いが。
それにしても――内々か。
まさか再戦の申し込みじゃないよな。
「アルター君、少し時間をもらえるかい。僕の部屋に来てほしいんだ」
ラッケンデールに言われ、意識を切り替える。
「部屋ですか。素材に問題が?」
「来てくれれば分かるよ」
ラッケンデールにしては、勿体ぶった言い方だった。
準備中の素材に問題が起きたわけではなさそうだが。
俺はエルフィミアとロラに別れを告げると、コディも加えてラッケンデールの部屋へと向かった。
◇◇◇◇
来てくれれば分かると言われたが、いつもどおりの部屋だった。
やはり素材に異変はない。
俺が容器の中身を確認している間、二人はいそいそと準備を始める。
どうも、『調合』か『魔道具作成』をさせるつもりらしいが。
問いかけても生返事しか帰ってこなかったので、仕方なく扉のそばで待つ。
しばらくして用意が整ったのか、ラッケンデールとコディが机の向こう側に並んだ。
「これより、アルター君に最終試験を受けてもらいます」
「最終って……さきほどの試験は?」
「『調合』なんて楽勝でしょ。試験にならないよ」
そう言って師弟は、机の下から容器を引っ張り出す。
「そんな常識外れのアルター君に作成してもらうのは――魔法の鞄です!」
両手を広げるラッケンデール。
その隣で、コディが元気よく拍手していた。
何を言い出すんだ、この丸いのは。
「盛り上がってるところ恐縮ですが、魔法の鞄には《刻印》が必要でしょう。それに《精霊異体》の魔法だって――」
「もちろん全部揃ってるよ」
ラッケンデールの言葉に、コディが誇らしげに二本のスクロールを掲げた。
「《刻印》と《精霊異体》のスクロール、それに精霊の魔石もたくさん用意したよ。そして素材はこれ! こっそり漬け込んでおいた君の鞄!」
「いつの間に……」
容器から取り出されたのは、愛用の鞄だった。
セレンへの道中でピドシオスが誘き出し、ロランが仕留めたゴウサス牛の鞄。
自作の錬金溶液を運ぶため、鞄に詰め込んだまま預けていた。
「失敗したら落第ですか」
「ははは、試験は言葉の綾だよ。これは僕からの卒業祝いさ」
「それにしては破格すぎでしょう。どれもとんでもなく稀少ですよ。第一、魔法の鞄なんて簡単に作れるわけないです」
俺が拒否すると、ラッケンデールは太い指を左右に揺らす。
「アルター君の魔道具作りを間近で見てきたからね。実力はよく分かってるさ。大丈夫、君ならできる。それに、どれも格安で譲ってもらったり、値崩れしたのを買い漁ったから、お金はそんなに掛かってないんだよ。一年ほど前だったかな、精霊の魔石が大量に出回ってね」
それって――シューミーの魔石か。
容器の中身を『鑑定』してみると、やはりそうだった。
「よく手に入りましたね」
「僕はカルティラールの講師だよ? 伝手ならいくらでもあるさ」
ラッケンデールは丸い胸を誇らしげに逸らした。
シューミーの魔石はゴブリンより小さいが、稀少な精霊の魔石に変わらない。
躊躇する俺にラッケンデールは続ける。
「アルター君が遠慮するのも分かるよ。でもね、精霊の魔石から力を引き出せる人はカルティラールにいないんだ。僕も含めて。だから君が挑戦しないと魔石だけでなく、スクロールも棚の奥へ戻されてしまう。次に日の目を見るのはいつになるか。どうか、彼らを役立ててほしい」
真剣な表情でラッケンデールは説得してきた。
精霊の魔石も貴重だが、スクロールはそれ以上だ。
上級魔法である《刻印》、精霊魔法の《精霊異体》。
どちらも市場に出回ることは極めて少なく、しかも知る限り、精霊魔法の使い手は帝国にいない。遺跡や迷宮で発見するか、メズ・リエス地方から流れてくるのを待つしかなかった。
おそらく、スクロールは手元にあったのだろう。
だからシューミーの情報を掴んだとき、魔石を買い求めた。
俺が順調に成長し、魔法の鞄に挑戦できる可能性に賭けて。
分の悪い賭けだな。
大金が必要でなければ、ここまで魔道具作りに没頭しなかった。
魔法の鞄に挑めるほど、成長しなかったはずだ。
俺はラッケンデールに視線を向ける。
「全力を尽くします」
ラッケンデールは賭けに勝った。
もう、乗るしかあるまい。
俺の言葉に、ラッケンデールは細い目をさらに細めた。
「そんなに意気込まなくても大丈夫。僕とコディで補佐するから、君はいつもどおり魔道具作りをすれば良いんだ。なに、すぐ終わるさ」
「よろしくお願いします」
そして三人で机を囲い、素材や魔石を見下ろす。
「《精霊異体》はコディに任せるよ。鞄に触れて」
コディはスクロールを持ち、びしょ濡れの鞄に手を添えた。
「《精霊異体》などの術者にしか発動しない魔法も、溶液が浸透した物に触れると対象として選べるんだ」
「そこへ《刻印》を掛けるんですか」
「うん。魔法の効果が停滞するんだよ。その間に『魔道具作成』で誘導、安定させれば完成さ。じゃ、始めようか」
コディは頷き、《精霊異体》を発動させた。
スクロールが白紙になったのを確認し、ラッケンデールも《刻印》魔法のスクロールを発動させる。
「あまり長くは持たない。すぐに始めて」
促され、俺はシューミーの魔石を掬い上げた。
これまで大量の魔道具を生み出したが、どれも素材と魔石が得意そうな効果を選んできただけだ。具体的な魔道具に挑戦したことはない。
俺は《集中力上昇》を発動し、慎重にシューミーの魔石を解放していく。
魔石から生じた魔力が、ゴウサス牛の鞄に流れ込む。
この世界の万物は魔力を宿している。魔道具でない鞄もだ。
鞄の微弱な魔力と、精霊の異質な魔力が混ざり合う。
俺にはエルフィミアのように見えないが、『魔道具作成』が感覚で教えてくれた。
そして異なる魔力が一体化するに従い、無数の選択肢が脳裏を駆け巡った。
無い。どれもありふれた可能性。
ラッケンデールに目を向けると、頷き返してきた。
俺はさらに魔石を解放、それでも足りず、続けて解放していく。
ラッケンデールの表情がわずかに硬くなるのが見えた。
《刻印》の効果時間が迫っているのか。
《集中力上昇》を掛け直し、全神経を集中させた。
もはや鞄さえ見えてない。
俺の意識は脳内の『魔道具作成』のみに向けられる。
そしてようやく、何かを感じ取った。
これか、これが魔法の鞄。
俺は無数の選択肢を掻い潜り――それに触れた。
数分間の作業。
傍目では、三人で鞄を囲んでいただけ。
俺は深い充足感と共に、近くの椅子に倒れるように座った。
息を呑むコディの横で、ラッケンデールは慧眼の指輪を填める。
そして、ゴウサスの鞄をじっと見つめた。
「成功だ……」
いつもの大騒ぎはなかった。
師弟は鞄を見下ろし、静かに感涙する。
魔法の鞄は、賢人テルパーの名を世界に知らしめた。
その作成は、魔道具職人として一流の証でもある。
チートがどうのと言いたいことはあるが、今は素直に喜ぼう。
俺も喜びを噛みしめながら、鞄を『鑑定』する。
間違いなく、魔法の鞄だ。
まともに手に入れようとしたら何年、何十年掛かっただろうか。
だが、容量は鑑定結果でも表記されていない。
成功はしたが、容量が少し増えたくらいでは実質、失敗である。
「性能を試してみませんか」
俺の提案にラッケンデールは我に返る。
「あ、そうだね! 試してみよう!」
二人は諸手を挙げて賛成した。
俺は愛用の鞄を取る。
魔法の鞄は覗き込んでも中身は見えず、代わりに脳内へ情報が流れてくる。
魔道具が自分の性能を伝えてくるのと同じ原理だ。
当然、空っぽだが――容量はそれなりか?
商業ギルドから借りた鞄や、エルフィミアのに比べたら狭い気がした。
手始めに錬金器具や容器、座っていた椅子を収納してみると、まだ余裕があった。
容量は問題ない。あとは口の広さか。
ラッケンデールたちにも手伝ってもらい、テーブルの上を片付ける。
寸法は自宅の錬金室のテーブルと同じくらい、屋根様と小屋根様を足した広さだ。
これが入ればかなり便利だが――お、入った。
「このテーブルが収納できるのかい。大きさは充分だね。容量はどう?」
「倍は大丈夫かと」
「だとしたら、中の中くらいかな。素材が低級な精霊の魔石だし、かなりの上出来だよ」
ラッケンデールの言葉に、コディは感心して覗き込んできた。
俺が貸すと、楽しそうに鞄から物を出し入れし始める。
「商業ギルドから借りた魔法の鞄は馬車も入りました。あれは相当な上物ですか」
「そうだね。だけど、最上級ではないよ」
「容量無制限で、時間も静止する鞄があるとか――」
「うん。商業ギルドのお膝元、都市国家のセージェに秘蔵されてるそうだよ」
そう言って、ラッケンデールは講師の顔になる。
「名前は闇精霊の鞄。魔法の鞄の最上級でありながら、独自の名称を持ってるんだ。噂の域を出ないけど、作成方法はほぼ同じらしい。ただ、強力な魔石をいくつも解放したり、精霊の魔石は闇の精霊タムトゥスに限定にされるんだって」
「制作者は、やはりテルパーですか」
「それが、よく分かってないんだ。テルパーが闇精霊の鞄を見て、魔法の鞄を思いついたとも言われてるんだよ」
案外、闇精霊の鞄は古い時代の遺物かもしれない。
だとしたら――テルパーにとって、魔法の鞄は失敗作だろうか。
ラッケンデールはいくつかの説を話してくれたが、どれも推測の域を出なかった。
秘蔵品だけあって、闇精霊の鞄の研究は進んでいないようだ。
「噂の検証すらされてないんですか。よほど素材集めが大変なんですね」
「タムトゥスはかなり稀少だからねぇ。姿すらまともに伝わってないし、セーネム大迷宮でも見つけられるかどうか。ずいぶん昔、その大迷宮に巣くう闇精霊のマーロウで代用しようとしたらしいんだけど――」
言葉を切り、ラッケンデールは首を振る。
「ほぼ、全滅だよ。数組のAランクパーティーが護衛に付いていたにも拘わらずね。生き残りの話では、マーロウを発見し追跡したら、周りに誰もいなかったって」
「それはまた……どこかの演劇にありそうですね。マーロウにやられたかも分かりませんし」
「そういう場所だからね。人の行くところじゃないさ」
その後はコディも交えて魔法の鞄の検証、魔道具作りについても話し込む。
気が付けば数時間が経過してしまい、俺は魔法の鞄を片手に席を立った。
「ラッケンデール先生、コディさん。お二方の助力で稀少な魔道具が手に入りました。本当に感謝します」
「お礼を言いたいのはこっちだよ。三年間、アルター君には楽しませてもらったから」
「僕もとても刺激になりました。負けないよう――は無理なので、足下くらいには追いつけるよう頑張ります」
目を潤ませる師弟に、俺は苦笑する。
「まるで別れの挨拶ですよ。もうしばらくお世話になります。引き続き助力のほど、よろしくお願いします」
「はは、そうだったね」
ラッケンデールはそう言うと、照れ笑いを浮かべた。