第129話 学院三年目 ~演武会 決勝
観客席に腰を下ろすと、フェリクスとタルヴィットが入場するところだった。
フェリクスの様子を眺め、俺は胸を撫で下ろす。
ランベルトの怪我は大したことなさそうだ。
もし重体なら、いくらフェリクスでも態度に出る。下手したら棄権すらしかねない。
歓声に混じり、唸り声が耳に届く。
視線を動かせば、テッドとジェマが並んで腕を組んでいた。
「タルヴィットとフェリクスか……」
「どっちが勝つんだろ」
二人は同時に首を傾げ、また唸り出した。
それを横目に、隣のエルフィミアが口を開く。
「で、どうなの?」
「分からんよ、実力は拮抗してる。攻撃力と体格はタルヴィットが有利でも、総合力はフェリクスだ。どちらが勝っても不思議はない」
「じゃあ、お手並み拝見ね」
どこか偉そうに、エルフィミアは試合会場を見下ろした。
天然物は気楽で羨ましい。
審判による紹介も終わり、準決勝が始まった。
先手を取ったのはタルヴィットだ。
突進して距離を詰め、気合と共に両手剣を振り下ろす。
フェリクスは盾で受け流すも、予想を上回る威力だったのか、わずかに体勢を崩してしまう。
そこへタルヴィットが追撃する。
軽々と振り回される両手剣。
フェリクスはすぐさまタルヴィットの実力を上方修正、斬撃をいなしていく。
いくらタルヴィットの攻撃力が高いといっても、威力だけならオークと大差ない。
ランベルトの盾として鍛練を積んできたフェリクスなら、対処できる範疇だ。
器用に盾を使い、受けにくい攻撃は後方に引いて躱す。
一方的に攻撃しているためか、次第にタルヴィットの振りが雑になった。
フェリクスはその隙を見逃さず、反撃に転じ――吹き飛んだ。
「無茶するなぁ、タルヴィットのやつ」
暢気にテッドがこぼし、ジェマも笑う。
フェリクスだけでなく、タルヴィットも転倒していた。
上段からの斬撃を流されるも、崩れた体勢からの強引な体当たり。
いや、体当たりと呼べるほど、立派な攻撃ではない。
自分の身体を鈍器に見立て、叩き付けただけだ。
前にタルヴィットと模擬戦をしたときは、両手剣を意識するあまり、動きに多様性がなかった。テッドたちと行動を共にするうち、自分の武器を再認識したのだろう。
フェリクスは立て直しを図ったが、変則的な動きに防御を余儀なくされた。
両手剣を振り下ろしたと思えば膝蹴りが繰り出され、横薙ぎと一緒に頭突きが飛んでくる。
まともな体重移動もなく、魔物でさえやらないような攻撃の連続。
しかも雑ながら、反撃の機会を的確に潰していた。
もし強引に反撃すれば、相打ちは確実である。
そうなると、攻撃力に勝り、先手を取るタルヴィットが有利だ。
当然、フェリクスも見抜いている。
だから、攻めたくとも攻められない。
変則的な動きに慣れ始め、フェリクスの守りが徐々に堅くなっていく。
だが、守ったところで先はない。
制限時間になれば、一方的に攻めているタルヴィットの勝利だ。
そう思ったとき、フェリクスが勝負に出た。
下段からの振り上げを盾が防いだ途端、両手剣は滑らかに空を切る。
あれは――『柔羽の守り』?
防がれたはずの斬撃は力を落とすことなく振り抜かれ、タルヴィットは自分の攻撃力に引っ張られてしまう。
そしてがら空きの胴へ、流れるように『強撃』が放たれる。
だが、地面に叩き付けられたのは、またしてもフェリクスだった。
「いってえな、この野郎」
胴をさすりながら、タルヴィットは両手剣を拾い上げる。
あれを読めというのは酷だな。
フェリクスは、『柔羽の守り』で『強撃』を放つだけの隙を作り出した。
反撃が来るとしたら、蹴りか体当たり。
どちらであっても、威力は『強撃』の方が上だ。
だが、タルヴィットはあっさり両手剣を捨てた。
フェリクスを迎え撃ったのは、『体術』の攻撃系スキル『掌撃』。
両手剣を用いた変則的な攻撃。
タルヴィットは、始めから種を蒔いていた。
同格相手に『柔羽の守り』を成功させたのは、本当に凄いと思う。
せめて『掌撃』が頭部でなければな。
カウンターでまともに受けてしまったら、意識があっても終わりだ。
フェリクスは立ち上がろうとしたが、思うように身体が動かなかった。
それを無言で見下ろし、タルヴィットは両手剣を突きつける。
「それまで! 勝者、タルヴィット・サブロワ!」
審判の宣告に会場が沸いた。
両手を突き上げ、タルヴィットは大歓声に応える。
さすが評議員の孫、意外に人気があったらしい。
救護班に支えられ、フェリクスが退場していく。
対照的な二人を眺め、俺は考える。
タルヴィットは、この半年で大きく成長した。
それでも、フェリクスが劣っていたとは思えない。
彼も成長している。『柔羽の守り』は、並みの努力では習得できない。
もしかして――勝利に焦ったのか?
ふと、先ほどのランベルトとフェリクスの姿が重なる。
タルヴィットを倒せば、次の相手は俺か。
主君の借りを返そうとした――そんな勝利への拘りが、焦りに繋がったのかもしれない。
だとしたら、相手が悪かった。
タルヴィットは同格。
いくらフェリクスでも、冷静さを欠けば勝てやしない。
◇◇◇◇
小雨がぱらつくと思ったら、雪になっていた。
三月に入ってしばらく経つのに、寒波は依然として居座っている。
日が昇る前に目を覚ました俺は、そんな天候にうんざりしつつも、気分転換に雪掻きを始めた。
玄関前を除雪し、ついでに雪下ろしもしようとスロープから屋根へ登る。
眺めると、純白の雪が屋根を綺麗に覆っていた。
なんとなく、ただ捨てるのは勿体ない気がした。
《軟土操作》を発動してみたが、まるで動かない。
土じゃないので当然か。
《水流操作》に切り替えても上手く動かせなかったので、《清水》をばら撒き、たっぷり湿らせてから発動する。
どうにか動いたので、水を追加しながら色々と形を変えてみた。
年始の戦いを思い浮かべながら動かしていると、ふと思い立つ。
柱のように伸ばしてから圧縮、そこへ《氷霜》を発動してみた。
「おお、意外に固まるな」
《水流操作》を解除しても、柱は倒壊しなかった。
折角なので枝を追加し、氷の樹に作り替えてみる。
そして日が昇った頃には、屋根の上で氷の樹が輝いていた。
我ながら、なかなかの力作だ。
雪掻きついでに、裏庭にも氷の樹を作成していく。
気が付けば、裏庭の雪はすべて消え失せ、代わりに氷の森が誕生していた。
うん、暇つぶしにしては上出来だな。
「迎えに――!?」
テッドたちがやってきて、氷の森を呆然と見上げる。
声を聞きつけたのか、エミリとジニーも集合住宅から顔を出し、こちらも挨拶する間もなく硬直していた。
「あのさ……何やってんだ?」
「雪掻きついでに製作してみた。この木が溶けきると、本物の春の到来だ。なかなか詩的だろう」
俺の応えに、テッドが呆れた顔で首を振った。
なぜそんな態度を取るのか。芸術的なのに。
それとジェマ、枝を折ろうとするな。
「今日、決勝なんだけど?」
「そうだっけ。うん、まあ――頑張るか」
俺は張り切って応え、妙に脱力するテッドたちと自宅を出発した。
大通りに出ると、事故があった所為か雪は片付けられていた。
いつもの石畳を眺めながら、辻馬車が慎重に通り過ぎるのを待つ。
すると、不意に男が道に飛び出し、慌てて御者が馬車を止めた。
怒鳴りつける御者に、男は平身低頭謝りながら歩道へと逃げていく。
危うく人身事故か。前世を思い出すな。
そんなことを考えると、別の喧噪が聞こえてくる。
小さな子供を連れた親子が、露店の店主に怒鳴られていた。
なんだか、妙に騒がしい――。
不思議に思っていると、隣のテッドが呟く。
「最近、増えてんだよな」
「彼らは難民か」
険しい顔でテッドは首肯する。
「また小競り合いらしい。ウォルバーから逃げてきたんだ」
そう言って顔を歪めると、小さく首を振った。
テッドは複雑な心境だろう。
ウォルバー伯爵領はテッドとリリーだけでなく、クインスとカイルの出身地でもある。
そして厄介なお嬢様、ルシェナの生家だ。
ウォルバーは北のタクラズ子爵家と揉めており、水面下での破壊活動や略奪は珍しくなかった。
テッドたちが村を捨てたのも、それが原因だった。
『剣閃』の不在が理由だろうか。
イスミラは、クラウスが帝国でも名の知れた騎士と言っていた。
滞在しているのはお隣のセレンでも、この大雪だ。何かあっても、すぐには戻れないだろう。
不在を好機と見て、ちょっかい掛けたのかもしれない。
見渡せば、町の住人が不安そうに難民を眺めていた。
セレンは難民に対して寛容だが、基本、壁の内側に住むのを許可していない。
そんなことをすれば、街は瞬く間にパンクしてしまう。
粉雪を被り、小さな子供が母親にしがみついていた。
そんな光景から視線を外し、俺は闘技場へと向かった。
◇◇◇◇
剣の部は、今日で三年生と上級生の優勝者が決まる。
決勝戦の試合時間は無制限で、あまりにも長引いたときだけ審判団による判定が下される。
ただ、できれば避けたいと思っているはずだ。
学院――というより評議会は、貴族間の火種になりそうなことを徹底排除している。
ともかく、決勝はたったの二試合。
よほど拮抗しなければ長引くことなく、すぐ終わるだろう。
出番の時刻となり、闘技場に出てみると、観客席は見事に満席だった。
まだ魔法のお披露目や模擬戦は残っているが、剣の部は今日で一段落だ。
年末からお祭り騒ぎの住民にしてみれば、決勝は見逃せないのだろう。
まあ、来賓席の空きは相変わらずだが。
しばらくしてタルヴィットも入場してきた。
俺以上の歓声に片手で応えながら、まっすぐ近付いてくる。
「ようやく再戦だな」
「テッドたちは敗北を認めてないようだが――ま、相手してやろう。お祭りだからな」
「お祭りね」
タルヴィットは肩を揺らして笑う。
「貴族のお前が、それを言うか。他の連中は必死だったぞ」
「背負うものがあるんだよ。お前はないのか?」
俺の問いに、両手剣をこつんと叩く。
「何を背負うかは自分で決める。周りの評価なんざ、どうでも良い」
「羨ましい限りだ。貴族はそれほど自由じゃない」
「良く言うぜ。好き勝手やってんじゃねえか」
「家族に恵まれてるんでね」
そう言って、俺も笑みを返す。
まあ、俺の三年間を知ったら、すっ飛んでくるだろうけど。
息子を信用してくれる両親に感謝だ。
そんな雑談を交わしているうち、審判が中央にやってきた。
決勝だけあってか、審判は大声を張り上げ、俺とタルヴィットの経歴、演武会での戦いなど、今までよりも詳細に紹介する。
そして盛り上がる観客の中、剣の部、決勝が始まった。
開始の合図を受け、タルヴィットは正眼に両手剣を構える。
不用意に動くつもりはないようだ。
重量武器相手に、待ちは失礼か。
俺は小剣を下げ、近付く。
そして両手剣の間合いに踏み込んだ瞬間、タルヴィットは一気に動いた。
裂帛の気合と共に、剣を振り下ろす。
刃風が大気を切り裂き、上体すれすれを両手剣が通過する。
大した迫力だ。
フェリクスはともかく、他の出場者は恐怖だったろうな。
上段を切り返し、タルヴィットは振り上げる。
両手剣を軽々と振るっての連撃。
そこへ、フェリクス戦で見せた変則的な攻撃も織り交ぜてきた。
確かに意表を突く動きだが、知っていればどうと言うことはない。
タルヴィットが人間だから混乱する。
触れるだけで命が脅かされる相手――トゥレンブルキューブの触手やソプリックの群れに置き換えれば、対処は容易だ。
タルヴィットの猛攻を防ぎつつ、反撃を繰り出していく。
相打ち覚悟で斬り込んでくる分、タルヴィットは攻撃をまともに受けた。
合同演習ならとっくに失格になるような斬撃を幾度も受け、それでも尚、タルヴィットの勢いは止まらない。
テッドたちと張り合うだけはある。
根性があるし、頑固だ。
刃引きの剣でも、カウンターで食らえば打撃武器と遜色ない。
かなりの激痛だろうに、攻撃を止める素振りがまるでなかった。
とはいえ、何事も限度はある。
このままでは、少しずつ削られるだけだ。
まあ、あるんだろうけど。
フェリクス戦で見せたのは失敗だったな。
不意にタルヴィットは止まる。
そして両手剣を構え、これまでと比較にならない斬撃を放ってきた。
重量武器専用のスキル『剛撃』。
威力は同種の『強撃』より遥かに高いが、その分、前後の隙は大きい。
身を逸らして躱すと同時、タルヴィットの動きが変化する。
巨体とは思えぬ滑らかさで回転、裏拳で『掌撃』を放ってきた。
それをしゃがんで回避し、続く袈裟斬りを真横に飛んで躱す。
石畳に激突する両手剣。
その反動を使って追撃してきたが、俺は攻撃範囲外まで離脱していた。
タルヴィットは悔しげな表情で舌打ちする。
「やっぱり、ばれてるか」
「まあな」
「普通にぶん殴るんだったぜ」
タルヴィットは後悔しながらも、両手剣を構え直した。
『掌撃』が使えるなら『体術』を習得している。
ランクもそれなりだろう。
フェリクスを雑な動きで追い込んだが、あれはわざとだ。
本気のタルヴィットは、もっと鋭い。
タルヴィットは『体術』による格闘と体捌き、変則的な動き、さらにスキルも織り交ぜ、再び攻撃を仕掛けてきた。
それらを躱しながら、俺は感心する。
本当に、よく鍛え上げている。半年前とは別人だ。
万全のランベルトやフェリクスでも、危なかったかもしれない。
「そういや、ラプナスでもゴブリンの話は伝わってるのか?」
「ゴブリン!? 何のこと――くそ、当たらねえ!」
「ハリエットから聞いたんだ。野外演習でのゴブリンの話が教訓になってるとか」
「それがどうした!」
「今のお前は、そのリーダーとよく似てるよ」
上段からの斬撃が躱されると、タルヴィットは動きを止めた。
「やたら強かったっていう、ゴブリンか?」
「そうだ。複数の攻撃スキルを巧みに組み合わせていた。見事だったよ。能力以上の強者だ」
「俺はそいつに勝てるか」
少し考え、首を振る。
「好勝負はするが、負けるかもな。スキルの練度は、あいつの方が上だ」
「倒したのは――」
「僕だ」
タルヴィットは大きく息を吐き、空を仰いだ。
そして視線を戻し、俺を見据える。
「これで最後だ」
そう言って、両手剣を大上段に構えた。
開始直後と同じ、完全に待ちの姿勢だが――思い切った構えだな。
あれでは振り下ろすしかない。
何をする気か知らんが、受けるとしよう。
俺はだらりと剣を下げ、ゆっくり近付く。
やはりタルヴィットは動かない。
いや、動けないと言うべきか。
足を踏みしめ、全神経を両手剣に集中している。
己のすべてを一振りに注ぎ込むつもりだ。
構えたまま、タルヴィットはぴくりとも動かない。
だが、俺の爪先が間合いに触れた刹那――切っ先がぶれた。
速い――。
気合もなく、ただひたすらに振り下ろされる両手剣。
考える余裕もなく、上体を逸らす。
逃げ遅れた髪が斬り離され、刃風が衣服を貫き肌を打つ。
そして、強烈な破砕音が鳴り響いた。
静まり返る闘技場。
タルヴィットは、心臓に当てられた剣先を見下ろしていた。
「凄まじい斬撃だな。何というスキルだ?」
「『鉄裁ち』。爺さんに教わった」
「へえ、初耳だ。あんなの当たったら、刃引きでも死ぬだろ」
「かすりもしねえくせに」
「髪を持っていかれたぞ」
それを聞き、タルヴィットはにやりと笑う。
「なら、上出来だ」
手放した両手剣が石畳を叩くと、審判は我に返った。
「勝者、アルター・レス・リードヴァルト!」
審判の宣告に、会場が揺れた。
一際騒がしい一角を見やれば、テッドたちが飛び上がって喜んでいた。
何に感動したのか、リリーとロラはぼろぼろと泣いている。
そんな観客に応え、視線を足下へ向ける。
石畳は見事に両断され、耐えきれなかったのか両手剣もひび割れていた。
『鉄裁ち』か。
『剛撃』よりも予備動作は長く発動後の隙も相当だが、威力は段違いだ。
前に猪を真っ二つにしたのは、『鉄裁ち』だったのかもしれん。
「次は総合優勝だな」
タルヴィットが手を差し出していた。
それを握り返すと、さらなる歓声が巻き起こる。
「対戦相手は、お前のところの先輩になりそうか?」
「たぶんな。ラディケルなんとかっていう、男爵の息子だ」
「技術力は高かったな。胸を借りるとしよう」
「欠片も気持ちが籠もってねえぞ」
タルヴィットは苦笑すると、不意に首を振る。
「しかし、ラプナスに入ったのは失敗だったぜ。そっちの方が面白かったろ」
「比較はできんが、面白い連中ではあるな。なんでラプナスを選んだ?」
「近いんだよ。爺さんの家から」
「なるほどね。あるよな、そういうの」
前世でも、友人の何人かが同じ理由で高校を選んでいた。
この世界ではないと思ったが、セレン在住なら有り得るか。
そんな話をしていると、審判が俺を呼んできた。
本格的な表彰式は最終日だが、議長のラヴィ・バーティンケインから簡易な祝辞がいただけるそうだ。
俺は了承し、タルヴィットに向き直る。
「またいずれ」
「ああ。最終日の模擬戦、楽しみにしてるぞ」
そして議長からありがたいお言葉を頂戴しようと進み出たとき、見覚えのある若者が入ってくるのが見えた。
あれは――ラディケルなんとか。
なんとかは、入ってくるなり敵意剥き出しで俺を睨み付けてきた。
一週間もすれば戦う相手だけどな。下級生を睨むことはないだろうに。
そんな敵意を流し、議長の前へと向かう。
楽しみにしてる、か。
俺もそうしたいが……どうだろうな。