第128話 学院三年目 ~演武会 本戦
休養期間を経て、演武会本戦が始まる。
三月からは上級生による剣の部の予選も始まり、二年前、ハルヴィスに惨敗した少年も出場していた。
興味がなかったので去年の演武会は見ていないが、四年生にして一学年上を倒し、総合優勝を果たしたそうだ。
おそらくは今年も優勝し、三年の優勝者と模擬戦を行うことになるだろう。
俺は本戦第一試合に挑むため、迎えに来たテッドたちと徒歩で闘技場へ向かった。
馬車に乗らないのは面倒なのもあるが、降り続いた大雪のおかげ――ではなく、所為である。
歩くのも億劫なほどの積雪で、道は埋もれてほとんど見えなかった。
馬車で移動したら、ルルクト学院に到着するのに何時間掛かるか。
大通りに出ると、馬車が衝突事故を起こしていた。
凍った石畳に車輪を取られたらしい。
この世界にも交通事故があるのかと、妙なところで感心してしまった。
そして罵り合う御者と仲裁する守備隊を横目に、雪を乗り越えながらルルクト学院へ辿り着く。
闘技場の周囲も雪景色で、妙に汚れた雪山がいくつも出来上がっていた。
雪山の制作者はルルクトの下級生のようだ。
冷たい風が吹く中、汗を掻きつつ闘技場の中から雪を運び出しては積んでいる。
三年ほどの学院人生で、よもや雪掻きに駆り出されるとは想像していなかったと思う。
心の中で礼を言いながら、入口でテッドたちと別れる。
控え室に向かうと、本戦からは個室だった。
手荷物を置き、誰もいない控え室を眺める。
ランベルトは終わるまで馴れ合わないと宣言していたし、フェリクスやタルヴィットも似たような心情だろう。
客席で待つわけにもいかないので、何をするでもなく待機する。
そして予定の時刻をだいぶ過ぎてから、係員が呼びに来た。
試合会場へ出ると、観客席から拍手が巻き起こった。
観客席はほぼ満席で、空いているのは貴賓席だけだった。
寒空の下、よく集まったものである。
拍手と歓声に混じり、聞き慣れた声が届く。
探してみれば、客席の一角にテッドたちの姿があった。
予選落ちしたエリオットたち、さらにケイティとナルバノも近くにいて、声を張り上げながら大きく手を振っていた。
苦笑しながら応えていると、突然、さらに大きな歓声が巻き起こった。
対戦者の入場か。
やはり大人気だな。
入場口に視線を向ければ、長い黒髪を後ろで束ねた少女が入ってくるところだった。
声援を受け、丁寧にお辞儀する。
本戦最初の相手、ハリエットだ。
彼女は三大学院ではなく、中堅のヴァセット学院の生徒である。
そして数少ない女性出場者の中で、唯一の本戦出場者だ。
ヴァレリーや『深閑の剣』のサルマ、この世には強い女性はいくらでもいるが、演武会――というより学院という環境が、出場者を少なくさせていた。
どの学院でも、入学する女性のほとんどは貴族や商人の娘であり、目的は人脈作りと教養の学習だった。
だから演武会に出場する女子生徒は極めて少なく、本戦に出場するのはかなりの珍事である。
付け加えると、彼女は平民出身で金持ちだらけの三大学院でもない。
判官びいきと見た目の良さも相まって、予選から注目を浴びている出場者――らしい。
本戦出場者が出揃った後、ネイルズとエリオットが教えてくれた情報である。
俺は忙しいので自分の試合日以外、観戦していない。
歓声に応え終わったのか、ハリエットは深々とお辞儀してきた。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。お手柔らかに頼むよ」
軽く返すと、なぜか俺を見つめてきた。
好意は当然、敵意や戦意も感じない。
強いて挙げれば、探るような視線か。
はて、どこかで会ったか?
縁の薄いカルロスでさえしっかり覚えていたし、目立つ外見の彼女なら記憶に残るはずだ。
審判が俺とハリエットを紹介し、お決まりの口上を述べた後、定位置に付くよう指示してきた。
ま、悩むのは後回しだな。
開始の合図に俺は小剣、ハリエットは短剣を構える。
彼女が着ているのは普通の平服。
武器も短剣だし、筋力は高くなさそうだ。
「それでは、参ります」
律儀に断りを入れ、ハリエットはステップを踏むように反時計回りに移動を開始した。
動きが軽い。
軽戦士より、斥候に近いか。
俺を中心に一周しかけたとき、不意に動きを変えた。
一足飛びで斬り込み、短剣を振るう。
俺が小剣で受け止めると、すかさずハリエットは攻撃範囲外へ離脱、こちらの反撃を無効化し、再び飛び込んでくる。
かなりの速さだ。
鋭さと純粋な速度だけなら、出会った頃のヴァレリーと同等かもしれん。
エリオットやニルスでは、翻弄されるだろうな。
束ねた髪を揺らし、ハリエットは目まぐるしく攻撃を繰り返す。
そんな攻防を重ねるうち、なんとなく特徴が見えてきた。
確かに速いが、攻撃自体は普通の斬撃と刺突ばかりだ。
それに身体の切り返しがどこかぎこちない。
足を止めての戦いなら『片手剣』などの技術で充分だが、機動力を活かすなら『体術』は必須である。
『体術1』、もしくは習得間近辺りだろう。
ハリエットの猛攻に、観客は沸いた。
だが見る人が見れば、動きの無駄に気付く。
ランベルトやフェリクスには通じないな。
ぎこちなさを見抜くし、俺との模擬戦で速さに慣れている。
タルヴィットは――こっちも無理か。
身体がでかいから、軽い攻撃なんて歯牙にもかけない。
逃げに徹すれば判定勝ちも有り得るが、まず、追い込まれて潰される。
試合開始から数分、不意にハリエットは飛び退く
そして俺の追撃を警戒しながら、呼吸を整え始めた。
あれだけ動き回れば疲れるか。
寒さに負けず観客は盛り上がってるし、こちらもちょっとだけ疲れておこう。
俺も肩で息を始めると、ハリエットは苦笑を浮かべた。
さすがに、対戦相手には丸わかりらしい。
しばらくして息が整ったのか、目礼してくる。
「お待たせしました」
「構わない。それより、自分より速い相手と戦ったことはあるか?」
「今日が初めてです」
「なら、もう少し体験すると良い。実戦で得意分野が通用しなかったとき、困るからな」
ハリエットは真面目な顔で頷き、短剣を構えた。
俺は小剣をだらりと下げ、不意に飛び込む。
ただまっすぐに突進しただけだ。
そんな分かりやすい動きでも、ハリエットは慌てた。
咄嗟に短剣を上げ、どうにか受け止める。
立て続けに振るわれる小剣。
それをハリエットは必死に防ぎ、ぎりぎりで躱す。
足を使って距離を取ろうとするが、先回りしてそれをさせない。
傍目からは、先ほどと真逆の展開だ。
このまま押し切れそうだが――まだ何か考えてるな。
折角だ、見せてもらおう。
俺は転調し、『強撃』を放つ。
並みの生徒では躱せなくとも、彼女なら反応できるはず。
案の定、ハリエットは後方へ跳躍、『強撃』をやり過ごす。
そして着地と同時に短剣を投擲、袖から別の短剣を取り出し、突進を仕掛けてきた。
お、懐かしい。
八歳の頃、マーカントに似たようなことやったぞ。俺は魔法だったけど。
上体を逸らして飛翔する短剣を躱し、続く刺突を受け流す。
振り返ると、ハリエットは転がりながら距離を取り、すぐさま立ち上がった。
反撃を警戒した動きだ。
奇襲が通じないのを予想していたか。
面白いな。
外見や態度と異なり、美しい剣捌きとか正々堂々とかをまるで気にしてない。
徹底した実用主義と速度重視の戦術。
俺みたいのが、他にもいるとは思わなかった。
ハリエットは悔しげに笑い、新たな短剣を取り出して両手に構えた。
「もう何もありませんが、最後まで全力で行かせてもらいます」
「受けて立とう」
前傾姿勢を取ると、ハリエットは外連もなく飛び込んできた。
全力で振るわれる二本の短剣。
俺も足を使って躱し、受け流し、反撃していく。
さきほどの投擲は鋭かった。『投擲』スキル持ちなのは確実だ。
だが、やはり攻撃系スキルは習得していないか。
これだけの戦闘力があるのに、資質が欠けているとは思えないし――。
速すぎるんだろうな。
たぶん、昔の俺と同じ理由だ。
予備動作で、持ち味の速度が落ちるのを嫌っている。
激しい応酬が続き、徐々にハリエットの息が上がってきた。
それでも顔を歪めながら、短剣を振るう。
このまま続けても先はないか。終わりにしよう。
斬り合う速度のまま、俺は『二連撃』で両手の短剣を打ち払った。
悲鳴を上げる余裕もなく、ハリエットは腕を開いた体勢で転倒、肩から地面に激突する。
使い慣れれば、攻撃系スキルはほとんど速度に影響しない。
是非とも習得を頑張ってもらいたい。彼女なら強力な武器になるはずだ。
まだ立ち上がろうと身体を起こすも、突きつけられた剣先に動きを止める。
全身の力を抜き、ハリエットは短剣を捨てた。
「参りました」
審判が俺の勝利を宣言、割れんばかりの歓声が巻き起こった。
特に一角から、やたらと届いてきた。
軽く答えてから、手を貸してハリエットを助け起こす。
「良い試合だったよ」
「いえ、こちらこそ。大変、勉強になりました」
握手を交わす俺たちに、さらなる歓声と拍手が降り注いだ。
試合会場を後にし、控え室に戻ってから客席に向かおうと廊下へ出る。
すると、廊下の先でハリエットが待っていた。
そういえば、最初から妙だったな。
俺を知っている様子だったし。
ハリエットは晴れやかに笑い、頭を下げてくる。
「今日はありがとうございました。こんな大舞台でアルター様と戦えて光栄でした」
「それなんだが――僕はよその生徒とほぼ面識がない。どこかで会ったか?」
「新米ですが……」
気恥ずかしそうに、ハリエットは首に掛けたチェーンを引っ張り出す。
ぶら下がっていたのは、見慣れた金属片だった。
「冒険者だったのか」
「はい、成り立てのFランクです。登録するとき、受付の方に聞いて驚きました。同い年なのに、もうEランクに昇格したパーティーが二つもあるんですから。しかも彼らを指導してるのも、同い年のDランクだとか」
なんとなく見えてきたが、まだ疑問は残る。
最近は冒険者ギルドにほとんど顔を出してないので、成り立てなら、見かけたことがないはずだ。
そんな疑問は、続くハリエットの話で解消される。
謎のDランクと俺を結びつけたのは、とある受付の失言だった。
「え、ヴァセット学院なの? またカルティラールかと思ったわ」
はっきり言って、ほぼ答えである。
何してくれてんだ、あの人。
ちなみにランベルトとフェリクスが候補から外されたのは、ついでに教えてくれた背格好と合わないからだそうだ。
思うところは本当に多々あるが、また今度にしよう。
そんな経緯もあって、ハリエットは俺を謎のDランクと見定める。
これまでの試合を観戦し、自分以上の実力者と判断、全力で挑んできたそうだ。
あれだけ戦えるなら、ヴァセット学院では敵なしだったろう。
「それと、お訊きしたかったことが……」
窺うようにハリエットが俺を見る。
「野外演習でのゴブリンは、事実なのでしょうか」
「どういうことだ?」
先を促し、意外な事実に驚いてしまう。
彼女によれば、一年の時の前期野外演習が、他校でも語り継がれているという。
断続的なゴブリンとの戦闘、満を持しての大襲来、そして護衛の冒険者を薙ぎ倒したゴブリンリーダー。
かなり詳細に伝わっていたが、俺がリーダーを倒したことは伏せられたまま、話は終わっていた。
講師や目撃者が配慮してくれたのだろうか。
その辺りはよく分からないが、この話の教訓は「弱い相手でも侮るな」だそうだ。
「まさかの教訓扱いか。事実と言えば、事実なんだが」
「ゴブリンの統率者を倒したのは……?」
「想像に任せる」
俺の返答に、ハリエットは微笑を浮かべて頷いた。
「カルティラールでは、教訓にしてなかったのですね」
「僕らは当事者だからな。そういうのは間に合ってる」
その後、演習での戦いや遠回しにゴブリンリーダーについて質問され、俺も仮定と推測で応えておいた。
ほどなく、ハリエットは改めて礼を言い、少し名残惜しそうに立ち去っていった。
俺も彼女も、演武会が終われば学年末試験、そして卒業だ。
タルヴィットのように、もっと早く出会っていればな。
彼女の戦い方なら、誰よりも教えられることがあったと思う。
立ち去る後ろ姿から視線を外し、俺は客席に向かった。
テッドたちと合流、座席に着いたとき、ふと視界にヨナスが入った。
興味本位で、先ほどの話を振ってみる。
「ゴブリンの群れ? 野外演習のたび、講師から聞かされてますが?」
あっさり、意外な事実が明らかとなった。
下級生の間では、教訓にされていたらしい。
まあ、考えてみれば、俺が知らないのも仕方ないか。
寮で生活してないし、合同演習も傍観者だった。まともに接触の機会がない。
唯一付き合いがある下級生は、こんなのだし。
さらに、こんなヨナスは「肝心の部分も曖昧」と付け足してきた。
やはりゴブリンリーダーを誰が倒したのか伏せられており、しかも現場には同世代の実力者が揃っていた。被害を受けたカルティラールだからこそ、情報と憶測が錯綜したそうだ。ヨナスもエリオットから聞くまで、俺とは知らなかったらしい。
貴族のごたごたを嫌ってだろうけど、学内でも箝口令を敷いてくれたんだな。
ただ、そこまで絞れていれば、手駒にしたがる連中が接触して……。
あ、もう済んでるわ。それ。
嫌な記憶を思い出し、俺は話を打ち切った。
◇◇◇◇
本戦初日、ハリエットを含む四人が脱落し、ランベルトとフェリクス、タルヴィットが順当に勝ち上がった。
休養も兼ねて翌日は休みとなり、翌々日、準決勝の二試合――俺とランベルト、フェリクスとタルヴィットの試合が行われた。
ランベルトの宣言から二ヶ月。
到頭、この日が来た。
ランベルトの覚悟を思うと、できることなら決勝で当たりたかった。
二位なら悪い結果ではない。
そんなことを考えながら、控え室で一人、無言で出番を待つ。
そして、試合の時刻となった。
試合会場へ出てみると、革の部分鎧を着込んだランベルトがすでに待っていた。
見届けるつもりか、向かいの入場口にフェリクスの姿もあった。
歓声に応えながら、ランベルトの下に歩み寄る。
「決勝で当たりたかったな」
「どこでも同じだ。お前を倒さねば優勝はない」
俺の考えは、一顧だにせず拒否された。
高が一都市の演武会。
逆に言えば、優勝以外に価値はないのかもしれない。
「アルター、本気を出してくれ」
不意の言葉に顔を上げると、ランベルトは強い視線で俺を見ていた。
少し驚き、俺は正面から受け止める。
「ハルヴィスさんとの模擬戦、お前も見ていたはずだ。彼を越えられるのか?」
「越える。越えねばならん。あの男も、お前も」
「そうか」
一言だけ応え、俺は背を向けた。
それは不可能だ、ランベルト。
ハルヴィスも俺も、意思の力で越えられるほど甘くない。
その後、言葉を交わすことなく定位置で開始を待っていると、しばらくして審判が中央にやってきた。
俺たちに禁止事項を説明、準備が整っているのを確認する。
「これより準決勝、ランベルト・アロイス・ケーテン対アルター・レス・リードヴァルトの試合を行う!」
巻き起こる歓声。
俺とランベルトは、静かに剣を抜く。
そして――。
「はじめ!」
審判が開始の号令を掛けた。
さらに沸騰する歓声にも、俺たちは冷静だった。
無言のまま前進し、剣が届くかどうかの距離で立ち止まる。
緊迫する空気に、闘技場全体が静まり返っていく。
寒風が吹き込み、それが何を揺らしたのか。
かつんと小さな音が響き、弾かれたように互いが動いた。
同時に繰り出した横薙ぎが剣の根元でぶつかり合う。
激しい金属音に我に返ったか、一斉に歓声が上がる。
寒気を吹き飛ばす熱量に後押しされ、俺とランベルトは剣を振るった。
ハリエットとの戦いとは、まるで違う。
足を止めての斬り合い。
一撃必殺の力を込め、剣が幾度も振り下ろされ、振り上げられた。
打ち合うほどに剣は損耗し、刃引きの刃が鋭利になっていく。
布鎧や革の部分鎧を傷つけ、手足からは血が滲んだ。
もはや演武会の戦いではない。
それでも俺たちは止まらず、剣を叩き付け合う。
ふと、視界の隅で審判が動くのが見えた。
剣の交換――じゃないな。
ランベルトの攻撃が、何度か頭部へ向けられている。
俺にしてみれば本気で挑んでいる証なのだが、審判は止めるべきか迷っているようだ。
このままでは規定違反と取られかねないか。
迷いを断ち切ってやるとしよう。
横薙ぎで頭部を狙うと、ランベルトが剣で受け止めた。
これで線が引かれた。
規定違反は頭部への攻撃。未遂でも失格にするなら、俺たちは揃って敗退だ。
次のフェリクスとタルヴィットの戦いが決勝になる。
そんな決断は、おいそれとできまい。
試合は続行となったが、まだ審判には迷いが窺えた。
いつまでも遊んでられないか。
では、次の段階に移ろう。
ついと剣を引き、俺は『二連撃』を放つ。
ただの斬撃から、攻撃系スキルを交えた斬り合い。
その宣言のつもりだったが――。
手に残る痺れに、俺は目を見張る。
ランベルトは、『二連撃』を『二連撃』で弾き返してきた。
かなり強引だったが、防いだことに変わりはない。
後方へ軽く跳躍し、距離を取る。
「驚いたな。まずは一つ達成か?」
口を引き締めたまま、ランベルトは応えない。
ハルヴィス戦で、俺がやったことの再現か。
本気であのときを越えるつもりらしい。
しかし、どうやってスキルの発動を見抜いた?
予備動作は限界まで短縮されている。
ランベルトの速度で反応なんて――そうか、審判。
俺はこれ見よがしに頭部へ攻撃を仕掛けた。
その意味を察し、審判の雰囲気から俺が動くと予測したな。
まったく、大した男だよ。
俺は小剣を握り直し、細く息を吐いた。
なら、もう少し進もうか。
「押し負けるなよ」
言うも果てず、俺は速度を上げて斬り込んだ。
反射的に剣を振り下ろしてくるが、当たるはずもない。
ハリエットを凌ぐ速度に、ランベルトは翻弄される。
だが、即座に不用意な攻撃を捨ててきた。
防御を固め、わずかな隙をついての反撃に切り替える。
判断と切替の早さはさすがだが、それでも無理だ。
俺を捉えることはできない。
反撃は空振りし続け、ランベルトは徐々に防戦一方となっていく。
剣と腕を上げて致命傷を避けているが、籠手は傷だらけになり、守られていない皮膚は刃引きの損耗で引き裂かれ、鮮血が滴り落ちた。
強引な裂傷は、創傷より痛みが激しい。
それでも、ランベルトの気迫は衰えなかった。
「三年間、お前とは何度も模擬戦をしたな。結果は分かっていたはずだ。ハルヴィスを越えていないことも。それでもまだ、本気を望むか」
「望む」
その一言に、俺は攻撃を止めた。
血にまみれた友人の姿を、その瞳に宿る覚悟と決意を見据える。
俺はゆっくり後退し、小剣を構えた。
「良いだろう。越えてみせろ、ランベルト」
大きく深呼吸する。
そして、『高速移動』を発動した。
歓声や風の音が、わずかに間延びする。
緩やかな時の中、俺は動く。
それと同時、ランベルトも動くのが見えた。
深く踏み込む予備動作。
あれは――『斬岩』か。
少し、胸に痛みを感じた。
ハルヴィス戦でもゴブリンリーダー戦でも、俺は相手の横をすり抜けた。
速度は出せても、応用の利かないスキル。
ランベルトはそう考え……いや、それに賭けた。
どれほど分が悪くとも、それしかないから。
最後まで付き合うぞ、ランベルト。
走りながら、『強撃』を発動した。
闘技場中央で『斬岩』と『強撃』が衝突――二本の剣は砕け散り、破片が頬を掠める。
それに構わず、剣の残りをランベルトの腹部目掛けて叩き付けた。
しばらく進み、『高速移動』を解除する。
振り抜いた姿のまま、ランベルトが遠ざかっていく。
砕けた剣を固く握りしめ、表情はうつろだった。
そして石畳で小さく跳ね、動きを止める。
水を打ったように静まり返る闘技場。
その中で、審判が副審判を見やった。
副審判は呆然としていたが、視線に気付き、慌てて首を振る。
「しょ、勝者――アルター・レス・リードヴァルト!」
審判の宣告に、疎らな拍手が起きた。
それは次第に高まり、大きな歓声へと変わっていく。
闘技場を揺らすほどの大音量。
それを聞いても、何も感じなかった。
「確認させてくれ。魔法は使ってないな?」
突然、審判が話しかけてきた。
ああ、それでさっきのやり取りか。
副審判は《魔法探知》の使い手だったんだな。
「魔法は使ってませんし、魔道具も持ってませんよ。身体検査しますか」
「では――」
「お待ちください」
制止する声に、俺と審判は視線を向ける。
意識のないランベルトを背負い、フェリクスがこちらを見ていた。
「アルター様が使われたのは、魔法ではありません。ランベルト様の配下である私が保証します」
審判は、疑いの目で俺とフェリクスを交互に見やった。
『高速移動』は規約に反してないんだがな。
第一、高い敏捷と高ランクの『最高速強化』があれば、同じ速度は出せる。
『高速移動』がチートなのは機動性や加速など、速度に関連するすべてが均一化し上昇することだ。
まっすぐ走るだけなら、一流の冒険者や上位の魔物でも――ああ、そうか。
また忘れてた。十三歳だったな。
内心で自嘲し、視線を戻す。
「どうしますか。僕は身体検査しても構いませんが」
「いや、疑ってすまなかった。君たちを信じるよ」
そう言って、審判は離れていった。
疑いが晴れたのを見届け、フェリクスは俺に一礼する。
そしてランベルトを背負い、立ち去っていく。
その後ろ姿を、俺は黙って見送った。
ランベルトは意識がある限り、諦めない。
ああするしかなく、ランベルトもそれを望んでいた。
それが分かっていても、血まみれで挑む友人が脳裏から離れなかった。
まだ止まぬ歓声の中、暗い空を振り仰ぐ。
自覚が足りなかったのかもな。
自分で思うより、俺は異物かもしれん。