第125話 学院三年目 ~二年の歳月
年末を迎え、セレンの街は人混みに溢れていた。
白い息を吐きながらゴーレム人形の露店を眺めつつ、どこか浮き足立つ大通りを進む。
目的地に到着すると、やはりいつもよりごった返していた。
ホールを見回しているうち、例のごとく向こうから話しかけてきて個室に案内される。
「忙しいところ悪いな」
「いえ、滅相もございません。アルター様でしたら、いくらでも時間を都合いたします」
サミーニはいつもの微笑を返してきた。
俺はバックパックを下ろし、中から木箱を取り出す。
「今日はこれを届けに来た」
「それはマジュマグの――まさか、成功なされたのですか!?」
「まあな」
青く透き通った彫像をテーブルに置く。
現物を前にしても、サミーニは信じられない様子で見入っていた。
「信じられません……。一年でイスターさんを越えられるとは……」
「少し違う」
俺の否定に、サミーニは顔を上げる。
「詳細は話せないが、火の温度を操作できるスキルを手に入れた。加熱処理に成功したのは、そのおかげだ」
「では、今のランクは――」
「ランクは4、『鍛冶4』だ」
納得しつつも、サミーニは成長の早さに驚いていた。
そして改めて視線を落とし、彫像を検分する。
正確に言うなら、火の温度操作はスキルではない。
《火霊召喚:サルカー》
炎の蛇、サルカーを召喚する精霊魔法である。
遭遇は、まったくの偶然だった。
少し前、鍛冶場に火を入れて作業を行ってると、勝手にメロックが出現した。
何をするでもなく炉を見ていたので放置していたが、その視線が動いているのに気付く。
土の精霊が別属性の炎に興味を抱くのも妙である。
まさかと思い『鑑定』を発動、揺れる炎に目を凝らし、炉の中を泳ぐ炎の蛇を発見した。
その後が大変だった。
ちょろかったメロックと違い、サルカーは好みがうるさかった。
《火口》単発では見向きもしなかったので、『多重詠唱』で手の平いっぱいに発動したり、《軽風》も発動して火力を調整したりと、試行錯誤の末、どうにか懐かせるのに成功した。
ずいぶん手こずらせてくれたが、サルカーはそれ以上の恩恵をもたらしてくれた。
火の精霊は、可燃物を燃焼させたり温度を上昇させるなど、数多の精霊でもかなり攻撃的である。
ただサルカーは異質で、むしろ守備的だった。
スキルはメロックより少なく、『精霊体』と『吸炎』のみ。
そしてこの『吸炎』というのが、最大にして唯一の特徴だ。
『吸炎』は本来の性質と真逆で、炎や熱を吸収することが可能だった。
手にサルカーを纏わり付かせていれば、火に突っ込んでも火傷どころか熱さすら感じない。吸収できる火力に限度はあるが、うまく扱えば火属性に絶対的な耐性を得られる。
些細な難点としては、サルカーが小さな蛇であることだ。
手を覆うだけでも数体召喚しなければならず、腕一本なら限界まで魔力を追加、全身なら『多重詠唱』必須である。
一応、『吸炎』で熱を吸収したサルカーは巨大化し、最大でアナコンダくらいになる。召喚ついでに、自前の火属性魔法を与えておくのもありだろう。
ともあれ、サルカーのおかげで完璧な温度管理ができるようになった。
適切な温度をサルカーに教え、マジュマグの彫像を炉に放り込めば加熱処理の完了である。
召喚時間内であれば、どんなに放置しても加熱過剰にならない。エギルの苦労や俺の焦りは何だったのかと、笑いたくなるほど簡単だった。
「引き続き加熱処理は引き受けるが、燃やし続けるのは無理だ。個人の炉だからな。鍛冶作業のときにまとめて処理する。用意でき次第、送ってくれ。それと――やはりシューミーの魔石は手に入らないか?」
「申し訳ございません。かなりの数が市場に流れたようですが、すでに買い占められておりました」
「そうか。残念だが、諦めよう」
精霊の魔石は魔法の鞄の素材の一つだ。
いつか自作するためにも、確保しておきたかった。
ちなみに、精霊召喚では魔石を得られない。
自発的にこちらの世界にやってきて物質化、さらにある程度の時間を経過し、初めて魔石は生成されるそうだ。
そんな都合の良い話はないし、たとえ可能でも、懐いてくれたメロックやサルカーを解体なんてできるわけがない。
「私からも、ご報告がございます」
不意に切り出すと、サミーニは脇の木箱へ手を伸ばす。
取り出したのは、騎士の彫像だった。
「ケイティの作品か」
「はい。良い職人をご紹介いただき、大変感謝いたしております」
「あいつなら自力で名を上げたよ。紹介しなくとも時間の問題さ」
言いながら、騎士の彫像に視線を落とす。
神話か伝説の一幕だろうか。
剣を掲げる騎士は力強く、それでいて繊細だった。
出会った頃のケイティは無骨な装飾を好み、繊細さに欠けていた。
作風が変化したのは、ラグの影響だろう。
ラグお手製の武具を預けると、ケイティは寝る間も惜しんで研究していた。
仕事に支障が出そうなので、途中から預けるのを控えたほどだ。
ケイティの彫像を受け取り、俺は立ち上がる。
「では、そろそろ失礼しよう。年末の最中に邪魔したな。追加の彫像を届けるときは、夕刻以降に頼む。もし留守だったら、隣人のデイナに渡してくれ」
「承知いたしました」
サミーニに外まで見送られ、俺は商業ギルドを後にした。
寒風の中、大通りを自宅へと向かう。
この後、テッドたちが祝いの準備で集まってくる。
俺は掃除道具などに不足はないかと考えつつ、大通りから路地へ入った。
そしてしばらく進んだとき、複数の気配を感じ取る。
気配は自宅前から動かない。
大人が数人――。
すぐ気配の正体に気付き、俺は歩く速度を上げた。
路地を抜け出した途端、向こうもこちらに気付く。
「アルター!」
俺の名を呼び、大男が駆け寄ってきた。
そして笑いながら、肩を何度も叩く。
「元気だったか! ちょっとでかくなったか!?」
「元気だ。痛いから叩くな。それに、ちょっとじゃない。しっかりでかくなったぞ」
言いながらも、俺も自然と笑顔が浮かんでいた。
マーカントを見上げ、ふと、頬に視線が向かう。
「以前より男前になったじゃないか」
「これか? かっけえだろ」
マーカントはにやりと笑い、頬に刻まれた爪痕を撫でる。
そんなやり取りをしていると、ヴァレリー、そしてダニルとオゼも笑顔で挨拶してきた。
「お久しぶりです、アルター様」
「皆も変わりなさそうだな。いつ戻ったんだ?」
「今朝ですよ」
「ああ、入れ違いになったのか。寒い中、待たせてしまった。さ、入ってくれ」
皆を招き入れると、ひとまずケイティの彫像は二階へ運んでおく。
そして一階に戻って「今、お茶を淹れる」と告げると、
「それはありがたいが――この板はなんだ?」
と、マーカントが聞いてきた。
俺とマーカントたちの間を、小屋根様が漂っていた。
屋根様はいつでも動けるよう、壁際で浮いている。
見知らぬ人間の登場で警戒してるのか。
まるで番犬だな。
「小さいのは小屋根様、大きい方は屋根様だ」
「ふむ、さっぱりだ」
「もしかして、『飛空』の魔道具ですか?」
首を傾げるマーカントをよそに、ダニルは興味深そうに漂う板を眺める。
「そうだ。なんとなく魔道具化したら生まれてしまってな」
説明がてら、屋根様たちにも『破邪の戦斧』を紹介する。
納得したのか、二枚とも警戒を解いてくれたようだ。
本当、こいつらは魔道具らしくない。
マーカントたちが小屋根様を突っついている間、改めて調理場へ向かう。
すぐダニルが手伝いに来てくれたので、湯沸かしを任せ、暖炉に火を入れるため居間へと戻った。
『氷結耐性』があると、どうしても他の人の体感が分かりにくい。
ヴァレリーが少し寒そうにしている。早く暖めるとしよう。
俺は《火口》を発動しながら、こっそりサルカーも召喚。
暖炉の中を泳がせ、一気に火を点していく。
「今のは……?」
背後にオゼが立ち、不思議そうに暖炉を覗き込んできた。
実体化しているとはいえ、小さな蛇のサルカーはかなり気配が薄い。
「さすが。よく気付いたな」
サルカーを呼び戻して腕に纏わり付かせると、皆は目を見張る。
「まさか――精霊か!?」
「そうだ。こいつは火の精霊サルカー」
「なら、この子も精霊なんですか?」
目を向けると、ヴァレリーの膝の上で小さなアルマジロが寛いでいた。
「そいつは土の精霊メロックなんだが……また勝手に出てきたな」
屋根様たちが番犬なら、こちらは差し詰め、飼い猫か。
マーカントはそんな二体の精霊と漂う板を見比べ、呆れて首を振る。
「精霊に空飛ぶ板? しばらく見ないうちに、変なのばっか掻き集めやがって……」
「言ってくれるな。正直、なんでこうなったのか僕にも分からん」
サルカーは勝手なことをしないんだがな。
屋根様たちとメロックは自由すぎる。
その後、お茶の準備ができたのでテーブルを囲む。
マーカントたちは、いない間の二年間を聞きたがったので順を追って話した。
伯爵令嬢のルシェナとお供の『剣閃』クラウス、牧場の防衛戦から始まったクドルガ戦、今年の春には、街道復旧なのに毒リスのソプリックと戦う羽目になった。
そんな話を聞き終え、マーカントは深く嘆息する。
「俺の知ってるセレンは、もっと平和だったよな。なんでそんな連中とやり合う?」
「これでも普段は平和だぞ。ソプリックは自分から飛び込んだが、あとは不可抗力だ。クドルガだって、大食らいのメルーガと聞いていたしな。まあ、僕の話はこれくらいだ。そっちはどうだった? 噂どおりの場所か、深殿の森は」
「そうだな……想像と少し違っていたか」
「ほう」
マーカントは紅茶を一口飲み、考え考え口を開く。
「確かに魔物は強かった。ゴブリンでさえ、やたら戦い慣れててな。中には魔法やスキルを使う奴もいたよ。ただ、なんて言うか――」
「極端でしたね」
ダニルが言い添えると、マーカントは頷いた。
「そう、それだ。レクノドの森でも強力な魔物に遭遇することはあったが、深殿の森は落差が凄かったな」
「拠点に選んだ町も悪かったようです。ここ数年、ファスデン近郊の深殿は、そんな状態が続いているとか」
「少し潜れば同じらしいけどな。そんなわけで、小物ばかりにうんざりしてたら、いきなりこれだよ」
マーカントは頬の爪痕を指差す。
「地竜だ」
「竜種……そんな簡単に遭遇するのか?」
「いや、さすがに稀らしい。ちょっと潜ったら鉢合わせてな。攻撃はほとんど効かねえし、死ぬかと思ったぞ」
言いながらマーカントは皮袋を探る。
「んで、土産だ」
放り投げてきたのは、手のひらほどの鱗だった。
「これって……」
「死ぬほどの目に遭って、得たのは鱗一枚だ。割に合わねえよな。竜の首を土産にするって約束したが、そいつで勘弁してくれ」
一枚でも素材にすれば、魔道具はほぼ確実だ。売れば金貨何十枚になるか。
すぐに断ったが、マーカントは受け取ろうともしなかった。
「じゃあ、魔道具にして返そう。要望は――」
「だから、いらねえって。自分のために使えよ」
代案も、あっさり拒否されてしまった。
困ってヴァレリーたちに助けを求めたが、誰一人、反対意見を述べない。
とっくに話はついているようだ。
まるで五年前の再現だな。
あのときも、エラス・ライノの素材を強引に押しつけられたっけ。
困りつつも昔を懐かしんでいると、「掃除に来たぞー」と扉が開く。
そして室内を見るなり、玄関先で固まった。
「おう、餓鬼ども! 元気にして――なんか、増えてね?」
テッドとジェマは歓声を上げ、ネイルズ、リリーは笑顔で挨拶する。
そして初対面のデイナとクインスたちは、見知らぬ冒険者にまだ固まっていた。
皆を招き入れ、互いを紹介する。
どうやら『破邪の戦斧』の名前は聞いていたらしい。
クインスたちはCランク冒険者の登場に目を輝かせ、デイナは「息子がお世話になりました」と丁寧にお辞儀していた。
「ほら、冒険者証!」
テッドは首から下げた冒険者証を、マーカントたちに突きつける。
ジェマも並んで自慢げに、少し後ろで気恥ずかしそうにネイルズも冒険者証を見せた。
「おお、冒険者になったのか! しかもEランクとは。もう一人前だな」
「じゃあさ、一緒に依頼受けようぜ!」
「駄目だよ、ジェマ! Cランクの皆さんに失礼だから!」
ジェマの唐突な提案にネイルズが慌てる。
それをマーカントは笑い飛ばしながらも、「悪い」と首を振った。
「俺たちは休暇中でな。しばらく依頼を受けるつもりはねえんだよ」
「なら模擬戦、模擬戦しよう!」
「しゃあねえな。ちょっとだけだぞ?」
食い下がるジェマに、マーカントは苦笑する。
そして料理の仕込みがあるとデイナとリリーは調理場へ、他の者はぞろぞろと裏庭に向かった。
いつもなら最初はテッドだが、言い出したのもあって初戦はジェマ対マーカントだった。
武器を構えて向かい合うと、さきほどまでの浮かれ具合は途端に鳴りを潜める。
その様子にマーカントは目を細めた。
「本当に冒険者になったんですね」
隣でヴァレリーが呟く。
横目で窺えば、ダニルやオゼも感慨深い表情を向けていた。
「強くなったよ。内面もな」
二年の歳月が過ぎ、皆、成長した。
棒きれを振り回していた少年少女は、もういない。
そして模擬戦が始まる。
胸を借りるつもりなのか、開始早々、ジェマは斬りかかっていった。
マーカントは上段からの斬撃を躱し、続く攻撃も軽々といなす。
強くなったとはいえ、実力差は明白だった。
結局、ジェマが手も足も出ず敗退する。
続いてテッドとネイルズ、さらにダニルやオゼも参加し、次々と模擬戦が行われた。
ただヴァレリーは調子が悪いのか、「少し疲れててね」とやんわり断っていた。
灰吐病の一件があったので、つい心配になった。
心で謝罪しながら、そっと『鑑定』したが、特に異常は見当たらない。
本当に疲れているだけのようだ。
そして模擬戦が一巡した頃、
「これは一体……?」
そう言いながら、エリオットとニルス、ヨナスが路地から姿を見せた。
三人が抱えるバスケットに、今日が何の日か思い出す。
いかん、すっかり忘れてた。
「年末の祝いをやる予定なんだ。皆もどうだ?」
「ああ、だから集まってくるのか。邪魔じゃないなら、お呼ばれするかね。ついでに泊めてもらえるか? もう宿は取れんだろうし」
「雑魚寝になってしまうが、場所ならいくらでもある。好きなだけ泊まっていけ」
「おし、そうと決まれば――酒と食い物だ!」
「先に掃除でしょ!」
マーカントは駆け出そうとし、襟首をヴァレリーに掴まれる。
その後、大人四人を加えて掃除を開始した。
とは言っても、さすがにこれだけ人数が揃うとすぐに終わる。
その後、ヴァレリーはデイナとリリーの料理を手伝い、マーカントたちは子供を引き連れ、料理の受け取りと追加の酒などを買い出しに、俺とエリオットたちは宴席の準備を続けた。
そして買い出しが戻って準備も整った頃、エルフィミアとロラ、ランベルトとフェリクスがやってくる。
エルフィミアは『破邪の戦斧』の姿に微笑を、他の三人は見慣れぬ大人たちに驚く。
俺は掻い摘まんで『破邪の戦斧』を紹介した。
「昔馴染みの冒険者か。しかもCランクなら大歓迎だ。是非とも話を聞かせてもらいたい」
ランベルトは諸手を上げて歓迎してくれた。
ロラはまだ緊張気味だったので、ダニルが商人の生まれと付け加える。
早速、ダニルが物腰柔らかく挨拶すると、途端にロラの緊張は解れた。
「イルケネックのご出身なんですね」
「はい。もう十年ほど、故郷に戻っていませんが。最近の北方は如何ですか?」
「そうですねぇ……」
商人出身同士が会話を弾ませる中、マーカントの前にエルフィミアが立つ。
「お久しぶり」
「おう、エルフの嬢ちゃん。元気にしてたか」
「まあね。そちらも元気そうじゃない。旅は楽しかった?」
「楽しかったぞ。後で話してやろう」
エルフィミアは笑顔で頷き、そっと『破邪の戦斧』に目礼した。
『破邪の戦斧』と関わった時間なら、テッドたちの方が長い。
だが、深さはエルフィミアだろう。
リスリアを問い詰めたとき、『破邪の戦斧』の包囲がなければ抵抗を選択したかもしれない。そこにヤルズ・アラスターも加わったら、セレンの被害は甚大だったと思う。
テッドたちに案内され、皆はがやがやと席に着いていく。
さて、これで全員揃ったか。
実のところタルヴィットも誘ったが、祖父母と過ごすのが慣例と断られてしまった。
俺だけでなく、テッドたちも残念そうだった。
まあ、本来は家族と過ごす行事だ。仕方ない。
俺もテッドに促され、席に座る。
そして皆がグラスやコップを手にしているのを確認、開始の挨拶を切り出す。
かくして、飛び入り参加の『破邪の戦斧』を加えた三年目、そして最後となる年末の祝いが始まった。