第121話 学院三年目 ~価値と値段
フヴァルの担当する教養の講義には、初歩ながら法律も含まれている。
俺は図書館で教材を読み直し、司書に聞いて類似の文献を漁った。
専門書は小難しい用語や文法が飛び交い、普通なら読み解くのも一苦労だが、俺には『言語習熟』がある。
《集中力上昇》の助けもあり、さほど掛からず内容を理解した。
そして通い始めてから三日、俺は浮かない顔で図書館を後にする。
「散々調べて、こんな手か……」
小さく首を振りつつ学院を出ると、協力者の下へ出向き、快諾を得る。
自宅に戻ってみれば、『セレード』と『ラナイン』、クインスたちといういつもの面子に加え、タルヴィット、ゼレットとバルデンも居間に集まり、休憩していた。
皆に軽く挨拶し、俺は二階へと上がる。
あの後、ボータスの訪問を知ったテッドたちは酷い剣幕だった。
袋叩きにして森へ捨てようとか、捨てるならフィルサッチ領にして復旧した山道を見学に行こうとか、故郷は困るからウォルバーに捨てましょうとか、なかなかの意見が飛び交った。
ちなみに袋叩きはテッド、見学はジェマ、故郷はエリオットだ。
温厚なエリオットが切れるのは驚きだったが、何にしても袋叩きにして捨てるのはまずいだろう。
いざとなったら俺がやる。
それとテッドたちは、初めて『万年満作』と会ったらしい。
とあるギルド職員から「少し困った人たちだから、何かあったらテンコ君に相談ね」と注意されたそうで、極力、距離を置いていたという。
どこのレベッカでも構わんが、二人の監督はイスミラとコーパス、ギルドの仕事だ。俺じゃない。
寝室で通学用の衣服を脱ぎ捨て、奥にしまった箱から別の衣服を取り出す。
「これを着るのも入学式以来か。ちょっと……小さくなった?」
身体を動かして確かめると、肩周りはきついし手足の裾も短くなっていた。
派手な動きをすると破けそうだ。卒業式もあるし、新調すべきだな。
卒業式といえば、最近、父から季節外れの手紙が届いた。
内容は演武会や卒業式についてで、領内が落ち着いていれば演武会を見に行く、と認められていた。
嬉しい反面、難しいとも思った。
演武会の日程は二月から三月半ばまで、往復を加えると二ヶ月以上も領地を留守にしなければならない。卒業式だけに絞っても一ヶ月近い。
正直、そこまでの行事ではなかった。
十中八九、来られないと思うが、そうなると迎えをよこすだろう。
こちらは俺が面倒である。
騎士団長のロランが迎えに来るはずないので、騎士に昇格した元従騎士の誰かになるはずだ。
そしてロラン以外は、俺の能力を知らない。
気を遣うのも疲れるから、迎えは断るつもりだ。
久しぶりの貴族らしい姿に着替え終わると、肩や肘などを気にしながら一階へ下りていく。
「なんだ、その服! 貴族か!」
俺を見た途端、テッドとジェマは笑い転げた。
これでも貴族だし、テッドは初めてではない。入学試験の服装だ。
自分を打ち負かした相手の格好を忘れ、テッドは脇腹を押さえて涙を流すほど笑った。
ちなみにゼレットとバルデン、ニルスは満足げに頷き、クインスたちはなぜか見蕩れていた。それはそれで恥ずかしい。
まるで興味のないヨナスはともかく、ネイルズとエリオットは首を傾げる。
「お出かけですか?」
「所用だ。すぐ戻るつもりだが、遅くなるようなら戸締まりを頼む」
「承知しました」
そう言って、ネイルズは頭を下げた。
普段、鍵の管理はデイナとネイルズの親子に頼んでいた。
二人が無理な場合は、エミリかジニーに鍵を持ち帰ってもらっているが、大抵は俺の帰宅を待っていることが多い。
そんなやり取りをしているうち、外から蹄鉄と車輪の音が聞こえてきた。
迎えが来たらしい。
ノックを合図に扉を開けると、サミーニが綺麗にお辞儀していた。
その後ろには、豪奢な馬車が停まっている。
「お待たせいたしました」
「構わない。では、行ってくる」
玄関口で雁首揃えるテッドたちに告げ、俺は馬車に乗り込む。
目的地はエミリの父親、ボータスの家だ。
◇◇◇◇
エミリから聞きだした情報によれば、エミリは父子家庭だった。
三年前に母親を亡くし、元々粗暴だった父親がさらに荒れ出した。
今、一緒に住んでいる祖母は父方だが、このままではエミリが危ないと考え、引き取ったそうだ。
エミリがクインスやカイルと出会ったときから、数ヶ月前の話である。
ボータスは厄介払いが出来たと思ったようだが、少し前からエミリを取り返そうと動き出した。祖母はすぐ、息子――ボータスが良からぬことを考えてると察したらしい。
幸い、肝心のエミリは将軍茶の採取で留守にすることが多く、父親の行動を知らなかった。
だがそれも、我が家にまで押しかけてきたことで、エミリどころか皆が知ることとなる。
話を聞いたとき、押しかけてくれて助かったと思った。
気付かないうちに連れ去られていたら、対処が難しくなっていただろう。
馬車は大通りを横断し、セレンの北西部へ入る。
エミリの実家は、歩いて十数分の距離で、学院より近い。
馬車に乗るほどでもないのだが、それでもサミーニに馬車を手配してもらったのは、貴族らしくするためだ。
借家住まいの貴族の子女は、学院の往復でも馬車に乗る。
残念ながら、あれこそが貴族の正しい在り方だ。
合格発表以来の馬車に辟易しながら、同乗者に問いかける。
「書類は?」
「抜かりなく」
サミーニは微笑を浮かべ、鞄に手を置いた。
本職がそう言うなら問題ない。後は滞りなく運ぶかどうか。
その後、やたらと揺れる十分ほどの道程を耐えきり、目的地に到着した。
場所はセレン北西部の外壁近く、古い石造りの集合住宅だった。
住宅に大きな痛みはないが、俺の自宅よりも年代物に見えた。
石材はところどころが欠け、細かいひびや継ぎ目に黒い苔がへばりついている。
人の気配がしなければ、廃屋と勘違いしそうな佇まいだった。
軋む扉を押してサミーニが入り、俺は貴族らしさを意識しつつ、後に続く。
目的の部屋は二階の奥だ。
暗い廊下を進みながら、俺は『気配察知』を発動した。
ボータスの気配を捉え、内心で安堵する。
こんな格好までして馬車に揺られてきたのに、留守では目も当てられない。
それにしても、やはり目立つか。
住民たちが扉を少し開き、俺とサミーニを窺っていた。
中には不穏な視線もあったが、俺は当然、サミーニも気にする素振りがない。
そんな歓迎を受けながら、二階へ上がる。
目的の部屋に視線を向けると、ボータスも扉を少し開いて、こちらを覗いていた。
間の抜けた顔だ。自分に用件とは、露ほども思っていない。
「あの部屋だ」
「かしこまりました」
サミーニが進み出すと、さすがにボータスも気付いた。
大慌てで閉め、扉から離れていく。
そして気配が遠退いていくのを察知し、俺も慌ててしまう。
あいつ、話も聞かずに逃げるつもりか?
すぐさま『高速移動』と《筋力上昇》を発動、サミーニを追い抜き、扉を蹴り破る。
「ひッ――」
いきなりの破砕音に、短い悲鳴が上がった。
荒れ果てた室内を見回すと、ボータスが窓枠に足を掛けていた。
飛び降りようとしたのか。
『体術』持ちなら無傷かもな。逃がさないけど。
「話がある。逃げるのは勝手だが、どこまでも追うぞ」
「お前、この前の! 本当に……貴族だったのか?」
「そう名乗ったろう。理解したなら口の聞き方に気をつけろ」
顎で戻れと促すと、ボータスは半信半疑のまま足を降ろした。
そして俺とサミーニを交互に見比べながら、おずおずと近付いてくる。
背もたれに掛けられた用途不明のぼろ切れを投げ捨て、俺は椅子に腰掛けた。
するとサミーニが進み出て、ボータスにお辞儀する。
「私は商業ギルドのサミーニと申します。このたびの契約に際し、アルター様から全権を委任されました」
「契約……?」
「あなたの娘、エミリの奴隷売買契約にございます」
ボータスは目を見開く。
俺はその様子を観察し、そっとため息を吐いた。
反論しなければ、怒りもしないか。
本気で売るつもりだったんだな、この父親。
「誠に勝手ながら、こちらで査定させていただきました。スキルや魔法は未習得、いずれの技術も身につけておりません。年齢も九歳と若すぎるため、査定額は――」
「ま、待ってくれ!」
慌ててボータスが口を挟んできた。
少し期待して次の言葉を待ち、やはり失望する。
「あいつを買いたいんだろ!? ほら、可愛い顔してるだろ! 成長すれば美人になるぞ!?」
ボータスは必死に価値を訴えた。
人ってのは、これほど醜く笑えるんだな。
俺は冷えていく心を隠し、どうにか真顔を維持する。
サミーニはそんな相手に慣れているのか、微笑の仮面を横に振った。
「申し訳ございません。アルター様は労働力を必要となされております。器量の良し悪しは査定に――」
「良いだろう」
俺はサミーニを遮った。
全力で平静を保ちながら、ボータスに視線を向ける。
「望みどおり、器量も査定に加えてやろう。他に要望はあるか? あるなら先に言え。くだらない駆け引きをするつもりなら、契約はなしだ」
目線で合図すると、サミーニが皮袋をテーブルに置いた。
じゃらりという音にボータスが反応する。
そしてサミーニが金貨を一枚ずつ積んでいくと、枚数が増えるたび、ボータスの口元はつり上がる。
「金貨二十枚に容姿分として十枚。締めて金貨三十枚となります。これでお売りいただけますか?」
「も、もう少し高くても――!」
「奴隷商もこれ以上は提示しないでしょう。彼らは足下を見ますし、適正価格を支払うとも思えません。すでにご存じでは?」
図星だったのか、ボータスは言葉に詰まった。
サミーニは、さも同情するように頷きかける。
「交渉すれば多少の上乗せはあるかもしれませんが、それでも二十枚は越えないかと」
「わ、分かった! 売る! 金貨三十枚だ!」
「では、こちらの契約書にサインをお願いいたします」
ボータスは金貨を抱えながら、サミーニの指示どおりにサインする。
俺も契約書を一読し、ペンを走らせた。
サミーニはそれを丁寧に読み返す。
「不備はございません。契約は成立いたしました。ただいまより、ボータス様のエミリに対する一切の権利をアルター様へ移譲いたします。ボータス様、お忘れなきように」
サミーニが宣言するも、ボータスはまるで聞いていなかった。
金貨を握りしめ、その感触ににやついている。
俺がため息を隠し損ねても、気付きもしなかった。
「見送りは結構」
返答を待たず、俺は退室する。
そして薄暗い階段を下りていると、上から高笑いが聞こえてきた。
込み上げる不快感を撥ね除けるように、俺は集合住宅を後にした。
どちらも無言のまま、馬車が動き出す。
しばらくして、錫の深皿を添え、サミーニが契約書を差し出してきた。
相変わらず、用意周到な奴だ。
契約書を皿に投げ入れ、《火口》で火を付ける。
そして窓から流れ出す煙をぼんやり眺めた。
「これで、エミリさんに対する所有権、親権ともに消滅いたしました」
「記録は残るんだな?」
「はい。商業ギルドで管理いたします。裁判を起こされない限り、表に出ることはございません。ですが――」
珍しく躊躇しながら、サミーニは言葉を継ぐ。
「お伝えすれば、エミリさんも安心なされるのでは?」
「すでに安心しきってる。知る必要はない。もしボータスが話したら――改めて説明しよう。帰還した後は頼めるか」
「お任せください」
俺は頷き、青空へ視線を戻す。
エミリに隠すのが正しいのか、俺にはその判断が付かなかった。
当事者の彼女には知る権利がある。
それにボータスから聞かされたら、衝撃も相当だ。事前に話しておくべきだとも思う。
ただ、それがエミリにとって本当に良いのか。
この世界の子供は、すべての権利を親に握られている。
金銭欲で親が子を売ろうとしても、拒否できない。
人ひとりが、金貨三十枚程度で売買されてしまう。
そんな現実を知るには、エミリは若すぎると思った。
「ところで――」
不意にサミーニが切り出す。
向き直ると、いつもの涼しい視線で俺を見ていた。
「アルター様は、奴隷がお嫌いですか」
唐突な問いかけだった。
答えに詰まり、少し考える。
「役割は、理解できる」
それを聞き、サミーニは静かに頷いた。
この世界の奴隷には、必要悪の側面もあった。
借金奴隷は働いて借金を完済するか、契約の年数で解放される。
いわば給料の前借りであり、エミリのような金銭での売買も借金奴隷扱いだ。
また重罪人や扱いが異なる戦争捕虜を除き、犯罪奴隷でも決められた年数を勤めるか、賠償金を支払えば解放された。
やっていることは前世と大差ない。呼び方が異なるだけだ。
だからといって、この世界の奴隷制度が許されるとも思えなかった。
権利を失った人間がまともに扱われるはずもなく、小さな町や村、商業ギルドの職員が腐敗していれば、契約は簡単に侵害されてしまう。
さらに奴隷の子供には、解放の権利すら与えられていない。
必要悪なのは理解できても、見過ごせない現実も多かった。
心中のわだかまりを押し殺し、サミーニに深皿を返す。
「もう一つ、頼みがある。キネール・サブロワに今回の経緯を伝えてほしい」
「評議員に?」
「実は孫と知り合ってな。そいつが爺さんに対処を頼んだんだ」
「左様でしたか」
「僕の名は出さないでくれ。落ち着いた頃ならともかく、昨日の今日では余計な警戒をされそうだ」
サミーニはいつもの微笑で了承した。
キネール・サブロワは困っているだろう。
幼い少女を救いたいという孫の頼みは無下にしづらく、かといって法は曲げられない。
誰かが購入し奴隷契約を破棄したのであれば、エミリは名実共に自由の身だ。
ボータスがまたちょっかいを掛けてきても、堂々と助けられる。
これで正真正銘、エミリの問題は解決だ。
「今回はすまなかった。担当でもないのに駆り出してしまって」
「滅相もございません。アルター様には、いつもお世話になっておりますから」
「お互い様だろう。今日は特にな。それで礼というほどでもないのだが、人を紹介したい」
「それは興味深いお話です」
サミーニはわずかに身を乗り出す。
「ケイティという細工師がいてな。まだ若いが向上心の塊のような奴だ。腕も保証する」
「細工師――なるほど。前向きに検討させていただきます」
「頼む。あいつは腕と仕事内容が不釣り合いでな。もっと評価されるべきだ」
ケイティの実力なら、マジュマグを彫るなんて造作もないだろう。
ラグの技術を学び、さらに腕を上げている。サミーニも気に入るはずだ。
とはいえ、肝心の俺は実力不足だが。
マジュマグの加熱処理は、いつになることやら。
「私からも、ご提案がございます」
そんなことを考えていると、サミーニがいきなり切り出した。
加熱処理を責っ付かれるのかと反射的に身構える。
「腕の良い仕立屋をご紹介いたします。ご帰還の際には是非」
微笑を深め、サミーニは俺の袖を指し示した。
剥き出しの手首を見て、失笑してしまう。
「はは、そうか。ありがたく紹介されるとしよう」
「もしよろしければ、今から参りましょうか」
「半年先だぞ? 成長するだろ」
笑い飛ばす俺に、サミーニは無言だった。