第104話 学院二年目 ~合同演習2
怪我人の手当を終え、俺たちはキャンプ地に戻った。
そしてそれぞれ夕食の準備を始めたのだが、朝とは打って変わり、空気は殺伐としていた。
激しい演習だったため、どうしても蟠りは残ってしまう。
痛みが取れずに文句を言う者も多く、貴族の中には格下や平民に絡む者もいた。
世話役が割って入って宥めているが、それでも収まる様子はない。
仕方ないので俺も一肌脱ぐことにした。
痛みが酷い者に痛み止め付随のヒーリングポーションを与え、足りない分はラスルプ草を煮出した簡易ポーションを飲ませる。
ラスルプ草は毒があるので、水に浸して《水流操作》で毒素を抜き、仕上げに《火口》と《軽風》の即席ドライヤーで一気に乾燥させた。効果はポーションよりだいぶ劣るが、少しは痛みも和らぐだろう。
とっても優しい俺だが、決して痛みが酷いと訴える者に見覚えがあったわけではない。
俺の拳も痛いのだ。
その甲斐あって不満はだいぶ和らぎ、皆は中央のかがり火に集まって寛いでいた。
俺も星空を眺めつつ、将軍茶で疲労を癒やす。
そういや、セレンでも将軍茶の愛飲者を探さないとな。
俺が卒業するまでに、クインスとカイルが冒険者になれるとは思えない。
将軍茶の収入が必要である。
仮になれたとしても、他の難民に仕事が譲られる可能性もあった。
それはテッドの判断次第だが、納入先を探すのは骨が折れるだろう。
安定した収入のある人物が理想だな。
無難なのは講師だが、学院長は駄目だった。
俺が仕上げればラッケンデールは喜んで飲むだろうけど、他の者が持ってきても興味を持たない可能性が高い。ヘレナは……案外、眠気覚ましとして飲むか?
「お疲れ様です」
思案を巡らしていると、エリオットが話しかけてきた。
班長のランベルトは講師に招集され、明日の振り分けを聞きに行っている。フェリクスも同行したので、残っているのは俺とエリオットだけだった。
「あれで収まってくれるなら安いものだろ」
「安くはないですよ。アルター様のポーションが高い効果なのは周知の事実です。感激してましたよ?」
「一部だぞ、ポーションは。残りは根っこを煮出しただけだ」
首を振り、話を打ち切る。
「それより、お前のパーティーメンバーはどうしたんだ? 演習で見かけなかったぞ」
今日の合同演習で、ニルスの属するシグラス班はエジム隊だった。
乱戦とは言え、近くにいれば気付いたはず。
「彼は左翼にいたようですね。開始からすぐ、エルフィミア班のお二方に脱落させられました」
「それは運が悪かったな」
「張り切りすぎなんですよ」
『ラナイン』が結成されてから三ヶ月ほどが経過していた。
普段は『セレード』とロラの依頼を遂行したり、一緒に森へ潜っている。互いに三人と少数なのもあって、実質、六人パーティーのような状態だった。
また、新加入のニルスは実戦を経て本来の動きを取り戻し、ヨナスはリリーに付きまとわず、自分磨きに奔走しているという。
古参組では、ネイルズが少々手こずっていた。
片手剣と盾、魔法、スリングと、手を出し過ぎている所為である。
テッドやジェマが結果を出している分、焦るのではないかと懸念したが、意外にも平静を保っていた。ダニルとよく話していたし、魔法剣士は成長が遅いと言われていたのかもしれない。
雑談を続けていると、ランベルトたちが戻ってきた。
エリオットの差し出す紅茶を受け取りながら、ランベルトが口を開く。
「うちは引き続きソーバル隊になった。ただし、エルフィミアはエジム隊だ」
「敵に回ったか。厄介だな」
ランベルトも嫌そうに頷いた。
エリオットが心配そうに俺たちを見比べる。
「ですが、明日も攻撃魔法は禁止ですよね?」
ランベルトは頷きながらも、難しい表情を崩さなかった。
「魔法は専門外だが、エルフィミアは多彩な強化魔法を使える。魔力量も相当だ。明日のエジム隊は今日より強いと考えるべきだろう。これは隊長も同意見だった」
ほう、隊長がね。
出発前の挨拶や演習前に簡単な演説を聞いたくらいで、ソーバルと話したことはない。
ランベルトが評価しているということは、承知の上での編成だったか。
最初、弓隊は失敗だと思った。
エジム隊は始めから弓を捨てていたし、本陣に迫られたのはそれが原因でもある。
ただ、現実の弓矢は強力だった。
勝ちに拘ったエジムと、現実に即して挑んだソーバル。
どちらが上ではなく、演習に対する姿勢の違いか。
まあ、曲がりなりにも弓を使う身としては、ソーバルに共感できるが。
「作戦会議は明日だ。アルター、お前にも出席してもらうぞ」
「僕もか?」
「隊長が今日の礼を言いたいそうだ。そのまま作戦会議にも出席してほしい、とさ」
勝利が二の次のソーバルが礼、か。
弓を活かしたのがお気に召したのかね。
俺が了承したとき、講師から就寝の指示が出た。
手早くカップなどを片付け、最初の見張りであるエリオットを残してテントに潜り込む。
それなりに疲れていたのか、すぐに意識が薄らいでいく。
ぼんやりと明日の演習に想いを馳せる。
エルフィミアが敵か……。
次の演習は荒れそうだ。
◇◇◇◇
「昨日の働き、見事だった。君のおかげでどちらにも良い演習となった」
「ありがとうございます」
翌日、大型テントを訪れ作戦会議が始まると、真っ先にソーバルから礼を言われた。
班長たちが見守る中、俺は頭を下げる。
そして言われていたとおり、俺はランベルトの背後に座らされ、会議に参加することとなった。
ソーバル班の一員らしい少女がエジム隊の構成を説明していく。
神妙な面持ちで、つらつらと読み上げられる班名や班員の名を聞きながら、俺は眠気と戦っていた。
正直、名前を羅列されても、さっぱり分からない。
「剣対魔法か」
一人の三年が呟き、何人かが同意を示す。
うん、分からん。何が?
俺を含めた二年が顔を見合わせていると、少女が補足した。
「三年にセルエという魔法使いがいます。彼女は広範囲の精神魔法、《掻乱》を得意としています」
確か、変性属性の中級魔法だったな。
中級にしては効果が弱く、俺の《力場》と同じで実力差の影響を大きく受ける。
「今日の演習場は森です。行動可能範囲は昨日よりも狭くなるため、セルエにとって最高の環境でしょう。また二年のエルフィミアを始め、何人かの優れた魔法使いもエジム隊に配属されてしまいました。特にエルフィミアの豊富な魔力と多彩な強化魔法は脅威です。こちらは近接戦の得意な生徒こそ多いですが、決して有利とは言えません」
そこまで説明すると、少女は一礼して下がった。
労いの言葉を掛け、ソーバルは皆を見渡す。
「意見があれば聞こう」
しかし誰も発言せず、隣り合った者同士で議論を始めた。
ランベルトは隣のクルトスと話し合っている。
二戦目は子爵家のクルトス班が味方となり、ニルスの属するシグラス班は今回も敵だった。
それにしても、ソーバルという人は徹底してるな。
昨日の演習で《掻乱》が使われなかったのは、セルエがソーバル隊にいたからだ。
思い返してみれば、前線はやたら広がっていたし、侵攻部隊は本陣を包囲するように展開していた。すべて《掻乱》対策だったのだろう。
ソーバルが戦術に組み込まなかったのは、弓矢と同じ理由か。
人数はいつもより多いとは言え、両軍合わせて百二十名ほど。その程度の兵数であれば、《掻乱》一つで戦況が引っくり返ってしまう。
現実で起こりうるにしても、そんな演習でどれほどの経験を得られるか。
そして勝利を優先するエジムであれば、確実に使ってくるだろう。
「アルター」
ソーバルに呼びかけられ、顔を上げる。
「皆に《掻乱》について説明してくれないか。どのような魔法か分かれば、何か考えが浮かぶかもしれん」
「僕が、ですか?」
俺の問いに、微笑を湛えて首肯してきた。
なんで俺なんだ?
先ほどの少女や数人へ、ちらりと視線を向ける。
三年にも魔法学の生徒はいる。俺の知識はヘレナの受け売りに過ぎない。
だが、班長たちは無言で俺の発言を待っていた。
仕方ないか。
「基礎的な知識ですが――」と前置きし、《掻乱》について説明した。
話を聞き終わると、俺の説明を元に班長たちは議論を再開する。
妙に満足げなソーバルを見やりながら、俺は着席した。
このために俺を呼んだのか? わけが分からん。
「効果が弱いというが、どの程度なんだ?」
待っていたように、前の席からランベルトが問いかけてきた。
「実力差が影響するから、一概には言えんな。相手は中級魔法を操る実力者。推測だが、エリオットくらいだと危ないと思う」
俺の言葉を聞き、ランベルトは唸った。
エリオットは『片手剣1』などで、ステータス上では他の二年と大差ない。
ただ戦闘経験が豊富で精神面も強かった。もし二年のランキングがあれば、上位に食い込めるだろう。
そしてエリオットが危険であれば、ランベルトとフェリクス、クルトス辺りを除き、ほぼ二年生全員が含まれてしまう。ソーバル隊は半壊だ。
「具体的に、どんな影響が出る?」
ランベルトの隣から、クルトスも質問してくる。
「萎縮、恐慌、逃走――負の感情を揺さぶる魔法で、受けた者により結果は異なる」
「二年のほとんどがそうなるのか。防ぐ手段は?」
「ない」
俺は即答した。
対策は《精神力上昇》という魔法だが、覚えているのはエルフィミアだけだった。
セルエを倒すか、魔力が尽きるのを待つしかない。
ランベルトは腕を組み、考え込んだ。
「被害は確実か。セルエが魔法を使うとしたら――前線だな」
「だと思う。本陣を落とすため温存するかもしれんが、僕なら前線を崩す。その方が効きやすい」
「分かった。ならば、捨てよう」
ランベルトはすっと手を上げ、発言の許可を求めた。
それに気付き、班長たちは議論を中断し視線を向けてきた。
ソーバルの許可を得て、ランベルトは切り出す。
「前線を捨てましょう」
一瞬、ソーバルは目を細めたが、班長たちは首を傾げていた。
そして意味が伝わり始めると、テント内が騒々しくなる。
ソーバルは片手を上げてそれを制し、ランベルトに続きを促す。
「《掻乱》を効果的に使うため、エジム隊は前線に多くの兵を投入し、こちらの迎撃を誘うでしょう。それが分かっていても我らには迎え撃つしかなく、また魔法を防ぐ手立てもありません。よって前線の兵を捨てます。《掻乱》発動に合わせ、少数の奇襲部隊で敵本陣を急襲します。こちらの奇襲部隊が先か、前線を突破した敵本隊が先か。この戦いは時間との勝負です」
室内は静まり返っていた。
大雑把な作戦だと思う。
だからこそ、ソーバルは《掻乱》を使わなかった。こうなってしまうからだ。
兵を散らす手もあるが、その場合、エジム隊は前線を分けて防衛と攻撃部隊に編成し直すだろう。そして散発の迎撃部隊を蹴散らしながら、本陣まで一気に攻め上がってくる。《掻乱》が攻撃と防衛、どちらに使われるかも定かでなくなる。
前線に兵を集めれば、半数が混乱しても足止めになるはずだ。
何より、《掻乱》の発動場所をこちらが指定できるのは大きい。
だが、ソーバルの表情は厳しかった。
鋭い視線をランベルトに送り、ランベルトは真っ向から受け止めた。
「君は、実際の戦場でも同じ提案をできるか? 前線に死ねと言っているのだぞ」
「旗は領土、隊長は領主。実戦になぞらえるのであらば、いかなる犠牲を払おうと守らねばなりません。提案した以上、俺たちが最前線を受け持ちます」
どうやら、俺も死地へ連れて行かれるらしい。ま、従うけどね。
ただ、ランベルトの宣言で、否定的な視線が和らいだのは事実だ。
文句があるなら、せめて代案を出さねばならない。
他の班長が黙っているのを見て、ソーバルは椅子の背にもたれ掛かる。
「……良かろう。ランベルトの案を採用する。前線を捨て、攻撃は奇襲部隊に一任する。遊撃部隊も編成しよう。エジム側の奇襲に備えねばなるまい」
「発言してもよろしいでしょうか」
そのとき、細面の三年が手を上げた。
ソーバルは少し意外そうな顔を浮かべたが、無言で発言の許可を出す。
細面は一礼し、口を開いた。
「ランベルト班は相当な実力者、奇襲部隊に配置すべきです」
班長たちがざわめくも、構わず細面は続ける。
「敵陣深くに侵入するのであれば、戦闘力だけでなく機動力や判断力も求められます。昨日の戦いを見るに、彼らにはすべてが備わっています」
「なればこそ、前線を任せるべきではないか? 実力者であれば、《掻乱》にも抵抗できる。より長く前線を維持できると思うが」
「彼らだけが影響を撥ねのけても、大勢はさほど変わらないと愚考いたします」
細面の反論に、ソーバルは口を閉ざす。
言っていることは正しい。ランベルトとフェリクスは、三年が相手でもまず負けない。斥候の俺もいるし、奇襲部隊には打って付けだ。
とはいえ、率先して汚れ役を引き受けたからこそ、不満は押さえられている。
これでは振り出しだ。
「他に意見はないか」
ソーバルの問いかけに、数人の三年が声を上げた。
しかし、どれも二年よりは戦えると言った根拠のない対抗心ばかりだった。
誰だって痛い目に遭うより、栄誉が良いに決まってる。
気付けば、三年たちの頭から細面の提案は消え去り、誰が奇襲部隊を指揮するかで言い争いが始まった。
二年は困惑の表情でそれを聞いている。
荒れる場をよそに、ソーバルは目を瞑り、思考を巡らしている。
当事者のランベルトと細面は、無言でその決断を待った。
「静かに」
ほどなく、ソーバルは片手を上げる。
そして班長たちが口を閉ざすと、にこりと笑う。
「皆、熱くなりすぎだぞ。ただの演習ではないか」
その言葉に争っていた三年たちは赤面し、照れ笑いを浮かべた。
それを眺めながら、ソーバルは言葉を継ぐ。
「なぜ合同で演習が行われるか、皆は考えたことがあるか? 私たち三年のほとんどは、半年後にセレンを旅立つ。残された時間はわずかだ。そんな私たちが後進と語らい、導いてやれる唯一にして最後の機会が、この合同演習だ。興味がないと思う者もいるかもしれない。だが、考えてくれ。君たちの多くは領地を継ぐか、騎士として誰かに忠誠を誓うことになる。どのような立場になるにせよ、いずれは後進を指導する時期が来るだろう。合同演習は、それを学ぶためにあると私は思う」
多くの三年が首肯し、二年の中には感銘を受ける者もいた。
俺がどう思ったかというと――上に立つのは大変だね、である。
発言は本心だと思うが、ソーバルは一挙手一投足が他人にどう見えるか、どう思われるかを計算している印象を受けた。作戦会議の間、一度も素の自分を出していないのではないだろうか。
どうあれ、ここに呼ばれた理由がよく分かった。
二年の俺を皆の前で褒め、わざわざ問いかけて発言までさせた。
すべて、この考えに基づいた行動だったわけだ。
先ほどまでの熱気は消え失せ、室内には落ち着いた空気が流れていた。
ソーバルは改めて班長たちを一望し、焦点を細面の三年に合わせる。
「君は三年間、あまり意思表示をしなかったな」
突然指摘され、細面は困ったように顔を曇らせた。
「そういう性格ですので……」
「はは、もっと自信を持て。先ほどの進言、とても良かったぞ」
ソーバルは細面に笑いかけると、不意に顔を引き締め、伯爵家の顔を表出させる。
「奇襲部隊の指揮官は、シレッドに任せる。最後の演習、思う存分楽しめ」
細面の少年――シレッドは絶句していた。
三年の一部は不満の様子だったが、この空気では反論しようもない。
彼らが押し黙る中、ソーバルはランベルトに視線を向ける。
「またシレッドの提案を採用し、奇襲部隊はランベルト班、並びにクルトス班とする」
シレッドとランベルト、そして唐突に名指しされたクルトスも慌てて了承、頭を下げた。
その後、前線や遊撃部隊も立て続けに指名され、ソーバル隊の布陣が決まる。
作戦会議は解散となり、班長たちが準備に動き出した。
テントを出てその様子を眺めていると、クルトスがため息を吐く。
「僕らまで巻き込まれるとは……」
「実力を評価されたんだろ。誇れよ」
ランベルトは他人事のように笑う。
そしてクルトスも、「皆に説明してくる」と戻っていった。
俺はぼんやり、その背を見送る。
「俺の判断は間違っていたか?」
突然、ランベルトが問いかけてきた。
意味が分からず、俺は見上げる。
出会った頃に比べ、ランベルトは成長した。背丈だけなく、中身も。
「いや、特には」
「なら良い。黙ってるから気になってな」
「ああ……それか。ちょっとした気疲れだよ。さっきのやり取りを聞いて、僕は指揮官に向いてないと実感した」
そう言うと、ランベルトは呆れ顔になる。
「あのな、騎士は指揮官でもあるんだぞ。お前だって父の騎士になるんだろ?」
「そうなんだけどね……。まあ、騎士団長とかロランもいるし。できる人がやったら良いと思うな、うん」
なぜか眉間を押さえ、ランベルトは首を振った。
ソーバルみたいに振る舞うなんて面倒すぎる。
俺はただの剣で満足です。