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ふたり、お詣り 前編

 渡という男の子は、小学校時代から特に目立つようなタイプの男子ではなかった。サッカーをやっていて、足も速いけれど(そのサッカーの方も上手いのだときいている)、口数は少ないし、特に女子とはほとんどしゃべらない。それでも渡のことを好きな女子というのも、何人かいた。けれどその何人かの女子は誰一人、渡に告白していない。なぜなら、渡は無口な上に無表情で、さらに、言葉が冷たい。女の子たちは、ひどい振られ方をされるのを恐れているのだ。渡の友達の男子さえ、渡を、「冷たい」と評しているほどだから、恋愛好きのお節介な女子たちも、渡のことを好きだという子に関しては、気安く「告白しちゃいなよ」と勧めたりはしないようだ。

 私はと言うと、そういう子に渡の相談をされても「へぇー」とか、「ふぅん」とか、上の空のような相づちでしか返答ができないから、随分がっかりされたものだった。きっと私が、渡と家も近い、クラスもずっと一緒という幼なじみだから、何か知っているだろうと期待をしていたのだろう。でも残念ながら、私は実際、渡のことをよく知らない。サッカーが好き、ということ以外、その趣味趣向はさっぱり。

 それが昨日――。

 それは、何のことはない、部活内のちょっとした会話から始まった。中学校で澪は女子バドミントン部に所属している。どういうわけか、近頃、部員の怪我が多くなってきた。深刻な怪我人はいないが、神頼みしてみようか、という話が練習後の更衣室で持ち上がった。しかし、全員で行くのは宗教儀式のようで大袈裟すぎるし、かといって、数名で行ったら、行かなかった部員に、悪いコトが集中するのではないかという不安も上がってきた。そこで、澪に白羽の矢が立ったのである。澪は、女子バドミントン部の時期キャプテンに決まっている。部を代表してキャプテンが行く、というのは、一番自然だし、神様も願いを聞き入れやすいのではないか、ということになった。

 その話を、昼休み中の二年A組の教室でしていたのだ。けれど、もともとお遊びのような会話から出てきた話で、澪はまだ渋っていた。一人で神社、というのが格好悪い――というのは建前で、本当は怖かったのである。

 澪の周りには女子バドミントン部の友達と、部の違うクラスメイトの友達が一人ずついて、澪の机を三人で囲んでいた。

「私たちのためにね、澪!」

 部活友達の凉子は、澪をからかっていた。凉子も、「一人で神社は、ねぇ?」と思っている口だと、澪にはわかっていた。もう一人、冬乃は、二人の会話を面白がって、くすくす笑って聞いている。

「えぇー、でもさぁ……」

 澪は、露骨に渋い顔をする。甘柿だと思って渋柿を食べてしまったときのような不機嫌さも含んだ苦い顔である。それでも心底嫌そうに感じられないのは、澪がもともとさっぱりした顔立ちだからである。澪の中ではそれは大きなコンプレックスで、自分のことをよく塩顔、塩顔と、鏡の前でブー垂れている。凉子は澪のことを、小顔で色白で、体系もすらっとしていて綺麗と評しているが、澪はそう言われても、首を傾げてため息をつくのが常だった。凉子は、明るくて元気で笑顔がものすごく可愛いから、男子にかなりモテる。それに、胸も大きい。冬乃は、いわゆるおっとり系女子で、クラスでも不動の妹ポジションとして、モテ女子のスタメンを張っている。そんな二人に囲まれている内に、澪は、まぁいいか、と思うようになっていた。恋愛は二人に任せよう、と。

「恋愛祈願もやってきちゃいなよ」

 凉子が言う。

 澪は、ぱしぱしと、凉子の肩を叩いた。

「運命の人に会えるかもよ?」

「神社で?」

「うん」

 凉子はそう答えておきながら、顔はぷくくと笑っている。こんにゃろ、と澪は凉子の頬を両手で挟んだ。

「でもうちの近く神社あったっけなぁ」

 澪はそう言った。本当は、近くにあるのは知っていた。行ったことはないけれど、自転車で数分の距離だ。一人自転車で神社――嫌だなぁと澪は思った。

 その時だった、近くの席で、これも三人でしゃべっていた男子グループの一人が、澪たちの会話を聞いていて、横やりを入れた。

「女バドモテないから神頼み!?」

 わざと大きな声でそう言ってきたのは、雄大である。背は高くないが、どっしりした(ぽっちゃりとも言う)体系の男子である。澪は知っていた、雄大は凉子のことが好きなのだ。よく雄大は、三人の会話に入ってくることがあったが、澪にとってそれは、不思議なことではなかった。その動機を知っているから。しかし凉子や冬乃にしてみれば、突然外野に絡まれて、良い気はしないらしい。

「うるっさいなー。モテないの雄大でしょ」

 凉子の強烈なショット。しかしこれくらいで雄大はへこたれない――のなら良いのだが、宴会部長的な役柄を演じる割に、雄大のハートはガラスなのだ。凉子にいつも高速サーブを浴びせられて、きっと凹んでいるのだろう。それでも毎回隙を見ては凉子にちょっかいを出すその根性を、密かに澪は買っていた。

「俺は、俺はモテてるよ。モテモテだよ!」

「はぁ? 鏡と体重計持って来なよ!」

 あぁ、かわいそうにと澪は苦笑い。そして冬乃は、結構本気で、声を殺して笑っている。こういうときの冬乃は残酷である。その笑いが残酷であることを全く自覚していないのがなお残酷だ。

「澪神社行くの?」

 と、こう聞いてきたのは、渡だった。雄大とはなぜか親友だが、雄大もやはり、渡のことは「あいつ冷たいんだよ」「あと、よくわからない」と言っている。それはともかく、渡が能動的に話しかけてくるのは珍しかった。その意外さに、思わず凉子も冬乃も笑いを引っ込めた。

 澪も、まさか渡からそんな質問をされると思っていなかったので、慌ててしまう。

「行かされるの。嫌だー」

 何とか平静を装って澪は答えた。表情をくしゃっとして、驚いたのを隠す。別に隠す必要はないが、吃驚したのを、男子に見せるのは嫌だった。

「神社の場所わからないし」

 澪はそう続ける。渡がしゃべったせいで、場が静かになってしまったので、ちょっと繋がないと行けない、そう思ったのだ。

「場所なんてお前、いくらでもあるだろ!」

 大きな声で雄大が言う。こういう所が、雄大の良いところだと澪は思っていた。雄大はお馬鹿なことを言いながらも、空気には敏感なのだ。言うことなんてなくても、とりあえず声を張り上げて、会話を盛り上げようとする。ここで会話が止まってしまうと、それは渡か澪のせいになってしまうから、それなら俺が、といった気持ち空なのだろう。こういう雄大の良いところは、たぶん凉子には伝わっていない。残念なことである。

「あるんだけど――」

 澪は笑いながら答える。言い終わる前に、

「じゃあお前、それくらい行って来いよ!」

 雄大が被せる。

「なんで怒ってんの!」

 凉子が透かさず突っ込む。冬乃はこの二人のコントに、声を出さずに大笑いしている。よし、これでこの場は切り抜けたと澪は思った。雄大もそう思ったに違いない。ところが、空気なんて全然読まない渡が、再び口を開いた。

「連れて行ってあげよっか」

 再び場が凍った。

 ツレテイッテアゲヨッカ? それは何かの暗号なのか、何なのか。皆、会話を続けるどころではない。まずはその意味する所を考えなければならない。渡は――消しゴム取って上げよっか? と同じような無感情、無表情である。なおさらわからない。バスケなら両手で「T」の字を作ってタイムアウトを取るところだ。これは、ミーティングが必要だ。

「え、神社に?」

 澪は、時間稼ぎのように渡に質問した。渡は、こくんと頷く。感情が読み取れない。

「お、お前デートかよ!」

 雄大が言った。

「黙れ」

 雄大の肩に渡がパンチを入れる。雄大の肩にはお肉が付いているからそんなに痛そうに見えないが、雄大が大袈裟に痛がる。

「すいません渡センパイ、痛いっす」

 雄大にもそこまでが限界のようだった。それで笑いを取って次の話題に行こうとしたのだが、凉子と冬乃はそうはいかない。

 これは澪、一体どういうことなの?

 という、単純な疑問の視線を澪に向ける。澪は目をまん丸にして、首を傾げる。

「渡、神社行くの?」

 澪が聞き返す。

「うん」

「え、なんで?」

「行く必要があるから」

 にべもない渡の答え。皆の頭にクエッションマークが浮かぶ。

「じゃあ、行ってきたら? 一人神社嫌だったんでしょ?」

 凉子が、何気ない調子でそう言った。しかしその澪を見つめるその目力には、有無を言わさぬものがあった。凉子は言っているのだ、「断る理由もないんだから、とりあえず、行ってきなさい」、「これはそのための、最高のアシストよ、無駄にしないで」、と。

「いつ行くの?」

 澪は渡に訊ねた。

「土曜日、今週の」

 今週の土曜日……、澪は部活の予定を思い出そうと天井を見上げた。

「部活朝練だけだから、午後行ってきたら?」

 凉子が渡と澪に提案した。こういう時の凉子は、とてつもなく頭が冴える。普段はテスト一週間前の休みを忘れて、更衣室が閉まっていると職員室に文句を言いに行くくらいのおっちょこちょいなのに。

「じゃあ午後」

 渡が言った。こうなると、もう雄大の出る幕ではない。凉子の独壇場である。

「何時にどこ?」

 凉子が渡に質問する。

「三時くらい」

「場所は?」

「え、じゃあ、うちで」

「十五時に渡君の家ね」

「三浦さんも来るの?」

 三浦というのは、凉子の名前である。凉子は即答した。

「行かないけど」

 すると突然、雄大が言い出した。

「行かないんかーい!」

「うるさい雄大!」

「すいません」

 すぐに謝る雄大。

 あれよあれよと話が決まり、澪は土曜日に、渡と神社に行くことに決まった。




 約束の土曜日。

 バドミントン部の朝練が終わった後、入れ替えで練習を始めたバスケ部のバタバタドンドンという足音が響く更衣室で、澪は悩んでいた。学校指定のえんじ色ジャージに着替え終え、背もたれのないベンチ椅子に座り、頬杖を突く。澪の事情を知らない部員たちは、「じゃあまたねぇ」「お疲れぇ」と、帰宅していく。

 最後は凉子と澪の二人になった。

「緊張してるの?」

 凉子が、澪の隣に座りながら訊ねた。

「別に緊張はしてないけど。でも、なんで渡、神社なんて言い出したんだろう」

「謎だね」

「謎」

「澪、付き合い長いんだから、渡君が何考えてるか、わからなの?」

「わからないよ!」

 本当に謎なのだ。短気なのか、呑気なのかもわからない。かくれんぼの途中で鬼を残して帰ったり、かと思えば、授業中「トイレ」の一言が言えなかった女の子の代わりに、先生にそのことを教えてその子を助けたりと、優しいのか冷血なのかよくわからない。

「服どうするの? 決まった?」

「……」

 まさにそれを、澪は凉子に聞こうと思っていたのだ。TPOに合った服がいい――といっても、時間と場所はともかくとして、場面が全くわからないのだ。渡がどういうつもりで自分を神社に誘ったのか、服装合わせのベースはそこである。

「まだ決まってないの?」

「何が良いと思う?」

「だから澪は、渡君のことどう思ってるの?」

「はい!?」

 どうもこうも、渡のことはよくわからない幼なじみの男子だ。昨日も一昨日も、澪は凉子にこう聞かれていた。

「好きじゃないの?」

「好きじゃないよ!」

「じゃあ嫌い?」

「別に嫌いでもないけどぉ」

 ぱたぱたと、澪は足を動かす。好きでも嫌いでもない、というのが澪の自覚する本心だった。

「じゃあ、渡君に告白されたら、どうする?」

「ないない!」

「あるかもしれないじゃん!」

「ないよぉ!」

「あったら!」

「えぇー……」

 澪は困ってしまった。もし仮に、万が一、億が一くらいの確立でそんなことがあったとしたら、どうするだろうか。付き合う? いやいや、想像できない。じゃあ断るか? それも、イマイチ想像できない。

「わかんない」

「わかんないってことは、その気もあるってことでしょ」

「そうなの?」

「そうだよ。嫌いな男子だったら、絶対嫌でしょ。じゃあ例えばさ――」

 と凉子は、幾人かの男子の名前を挙げて、「断るでしょ?」と確認する。澪はそれを、笑いながら頷いて肯定していく。しかしそこで、凉子はトラップを用意していた。挙げていった男子の内何人かは、女子の中でもちょっと人気のある生徒だった。

「でも渡君は、わからないんでしょ?」

「うん。いやでも、断ると思うよ?」

「渡君のこと嫌いなの?」

「だから嫌いじゃないって」

 ただ渡は、とっつきにくいだけなのだ。むしろ、渡の方が自分のことを嫌いなのではないかと、そう思うこともよくあった。今でもその疑いは晴れていない。

「でも好きってさ、そういうことじゃないじゃん」

「好きになるかもよ?」

「ならないよ! そういうのさぁ、凉子だって一目惚れだって言ってたじゃん」

「私はね! でも澪は、一目惚れなんてしないって言ってたじゃん」

 うっ、と澪は言葉に詰まった。そう言われると、確かにその通りだった。一目惚れなんてしないよと、澪は確かに、凉子にそう話していた。そしてそれは、建前ではなく本音である。一目惚れという感覚が全くわからないのだ。格好いいな、と思っても、それが「好き」という状態とはどうも思えない。

「私は有りだと思うよ、渡君。たまぁに、一学期に一回くらい笑うじゃん」

「一学期に一回って……」

 週一回くらいで笑ってるところは見るよと澪は思った。

「あの渡君の笑顔、可愛いと思う」

 真顔で凉子が言う。

 確かに渡の笑顔はレアだし、くせっ毛で軽い八重歯だから、笑うと可愛い。けれど、それとこれとは、別の話である。

「まぁ、告白はないにしてもさ――」

 凉子が言った。

「制服だけはNGだと思う」

「え、なんで!?」

 澪の考えていた第一候補が制服だった。制服なら差し障りがない、多方面に対して。その万能、オールラウンダーの制服が、どうしてダメなのと、澪は混乱する。

「制服以外ね。これ、部員からのオーダー。これ守らなかったらダブルス組んであげない」

「なんでよぉ」

「いつも制服見慣れてるんだから、つまらないでしょ。渡君だって、そんなつまらないのじゃ、笑ってくれないよ」

「いいよ別に!」

 結局、家に帰った後、澪はシャワーを浴び、そのあとで、三時近くまでずっと悩んでいた。というのも、澪には、渡がどんな服を着てくるのか、ほとんどわかっていたからだ。

「絶対にスポーツウェアで来る!」

 ジャージとベンチコート。いや、それならまだ良い方だ。下手をすると、ストッキングにすね当てをつけて、サッカーボールの入ったトレーニングリュックを背負ってくるかも知れない。そういう系統であることは、ほぼ間違いないのだ。そんな渡に対して、お気に入りを揃えて出かけたら、相当に惨めだ。大体渡と一緒に出かけるのには、友達と遊ぶくらいのちょっとしたお洒落でも恥ずかしい感じがする。いつものあの、無感情の目で見られたら――耐えられそうにない。「何お洒落してんの、神社行くだけなのに」というようなあの目で。

「決めた」

 澪は下着を着け、なんだかよくわからない薄ぼんやりしたオレンジ色のTシャツを着ると、その上からウィンドブレーカーの上下を合わせて着用した。紺に斜めの赤ラインの入ったポリエステル製――去年母が思い付きでウォーキングを始めたときに買ってきた物で、やめてしまった今は、お下がりとしていつの間にか、澪の部屋のクローゼットに吊されていた代物だ。

 姿鏡で一応チェックする。デートならあり得ない服装だが、渡が相手なら丁度良い。誰かに見られても、お互いにサッカー、部活の帰りにたまたま会ったのね、くらいにしか思われない。

「完璧」

 澪はエナメルの小さな手提げ――黒に縁が白く縁取られたもの――に貴重品を入れて渡の家に出発した。

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