95話 つかの間の安息
司祭オルトと近衛兵長ナキナが去った。
つかの間の安息を手に入れた安堵と不甲斐ない自分への苛立ちという相反する感情に囚われていた俺は、同室者に注意を向けるのが少し遅れた。
「すみません、姫様。命令を全て解除します」
静かにしてその場を動くな、俺が死んだ場合自ら命を絶て。姫様に課していた二つの命令を解除する。
後者は意味のない命令だが受け付けてはいるはずだ。オルトが言っていた事じゃないが、万が一にでも作動したら面倒なので解除しておく。
そういうことで自由を得た姫様は。
「っ~~!」
「うおっ!?」
声にならない呻きを上げながら俺に向かって飛びつきながら抱きついてきた。バランスを崩した俺は押し倒される。絨毯が敷かれているためダメージは少なく済んだ。
「無事で良かったです!! 本当に本当に心配したんですよ!! もしあなたが死んだら……私は……私は……!!」
「……そうか」
最初に見せたヤンデレほど激しくはないが、感情を剥き出しにした姫様。
つい数時間前に会ったばかりの相手だが、別に不思議な反応ではない。魅了スキルは今このときも作用して、ホミは俺のことに好意を持っているからだ。
だからその感情はまやかしだと……姫様の安心した顔を見ては無粋なことを言う気になれず、落ち着くまでその背中をポンポンと叩くのだった。
「……すいませんでした、ついはしたないことを」
しばらくして男を押し倒していることに気付いた姫様がそそくさと離れた。
「別に。気にしてない」
俺は背中を向けて立ち上がる。姫様のいろんな柔らかい感触を押しつけられてつい赤くなった顔を見られないためだ。
『へえ……ふーん。サトル君って、やっぱり姫様みたいな人がいいんだ』
何故か脳内でユウカがこちらをジトーッと見つめてくる幻像が浮かぶ。
いや、年頃の男子としてしょうがないというか………………って、何幻像相手に真面目に応対しようとしているんだ。そもそもどうしてこんなビジョンが思い浮かぶ。
俺は頭を振って思考を切り替える。火急のところを凌いだだけだ。未だこの危機的状況を脱したわけではない。考えることは山ほどある。
というわけで話を聞こうとしたところ、先に姫様がおずおずとしながら切り出してきた。
「あの、本当に今さら過ぎるんですが……あなたの名前を伺ってもいいでしょうか」
「あっ……こちらこそ今まで名乗らずにすいません。俺の名前はサトルと言います」
「サトルさん、ですか。私の名前はホミといいます」
「ええ、存じています。ホミ姫様と呼んだ方がいいですか?」
「いえ、そんな風に敬われる資格は私にありません。ホミと気軽に呼び捨てにしていただければ、それに敬語も不要です」
「それは恐れ多いというか……」
「私のせいではありますが同じ境遇なんです。立場など気にしても意味ないでしょう。それに敬語ですと距離を感じてしまうので」
「分かりました……いや、分かった」
正直まだ気後れするのだが、ここまで言われては無視も出来ず姫様……ホミ相手に俺は砕けた話し方に変える。
「さて、ホミ。色々と言いたいこと、聞きたいことがある。…………って慣れないな」
「ふふっ、私は嬉しいです。あ、何でもおっしゃってくださいね」
調度品は無駄に豪華な部屋だ。俺とホミは部屋の備え付けられた机に向かい合って座り話し合いを始める。
「まずは……すまなかった。勝手にホミの命を人質みたいにして」
開幕俺は頭を下げて謝罪した。
「そ、そんな! 頭を上げてください! 私だって分かっています、あの場を生き残るためにはああするしかなかったって」
「いや、そんなはずはない。俺の足りない頭ではあの方法しか思いつかなかっただけだ。他人の命を勝手にベットした時点で下策も下策だ。もっと上手い方法があったはず」
しかも結局相手には筒抜けだった。まぬけにも程がある。
「それは……私だって自分が今日殺される予定だったなんて知りませんでした。サトルさんが想定できなくても仕方ありません」
「そうか……やつらが言ってた事について、ホミも何も知らないんだな」
「はい。ここ最近素の私はもう死んだように仮の存在であるワガママな姫を言われるがままにずっと演じていたので……そんな崖っぷちな状況であったことすら気付いてませんでした」
「いや、それが当然の防衛反応だ。心を持たないよう徹底的にいじめ抜かれていたんだからな。むしろ今ちゃんと言葉を交わせることが奇跡だ」
「そうですね……魅了スキルを受けて以来、私の感情が色付くように復活して……本当にサトルさんには感謝してもしきれません」
人形に感情はない。そこに魅了スキルで強制的に好意という感情を思い出させた結果が今というわけか。
「やつらはパレードの大観衆の前でホミを殺すつもりだったと言った。そう考えると思い当たる点がいくつかある」
「……? 何ですか、それは?」
「まずパレードのときの二人だ。ホミの話だと外に出るときは必ず二人のどちらかが付いて、命令に無いことをしないか見張っていたって話だったけど……あのパレードのとき近くに二人ともいなかっただろ?」
「! そういえば今までにないことでした!」
「二人はもうホミが逆らうつもりが無いこと見抜いていたのと……ホミを殺す際に起きる戦闘に巻き込まれるのを恐れて離れていたんだろう」
「前者はその通りですが……後者は遠くから弓矢や魔法で狙撃するなどの暗殺にすれば避けられませんか?」
ホミは自分の殺し方という物騒な話題にも積極的に意見してくれる。
「無理だ。暗殺なんて誰もが考えることを近衛兵が警戒しないわけないだろう。ホミを守る近衛兵はやつらでも排除できない存在だ。ホミを使って命令しようにも、自分の警備を減らせとかあまりに不自然だしな。だったらどうするか、物量で押すしかない」
「物量で……」
「やつらは実行部隊を手配してホミを殺させるつもりだったんだろう。そしてそいつらがどこにいたのかは分かっている。ちょうど俺が魅了スキルをかけたポイントだ」
男性ばかりが集まっていてリオも不自然だと言っていたが……観衆に扮した襲撃部隊が集まっていたのだと考えると辻褄が合う。実際柄の悪い男たちばっかりだったし。
「あの場所で私を……」
「ちょうど御輿が曲がる場所だしな。直線よりも曲がり角の方が多くの部隊を配置できるし、曲がった瞬間背後から襲撃することも出来る。警備に当たっていた近衛兵と激しい戦闘になると読んだ二人は近づかないようにしていた」
「ですが私が今もこうして生きているのは……」
「俺が魅了スキルを発動したせいだろうな。おそらく襲撃する直前だったんだと思う。予定にないトラブル、しかも近衛兵も警戒態勢に入っていて無理に動くわけにも行かない。どうするか迷っているその隙に、ホミが俺を捕らえてさっさとその場を去った。さっきも言ったようにちょうど二人が近くにいなくて、ホミの暴走を止めるものがいなかったのも上手く働いたな」
振り返ってみると曲芸的な綱渡りだった。
魅了スキルを発動するのが後少しでも遅れていたらホミはもちろん俺も襲撃に巻き込まれていただろうし、気まぐれで二人が近くにいればホミの暴走を止めて襲撃が予定通り実行されただろう。
「私は……サトルさんに助けられていたんですね」
「偶然だ、偶然。意図したところは全く無い」
「それでもサトルさんのおかげであることは間違いありません。ありがとうございます」
ホミが頭を下げる。ずいぶん好意的な解釈だが……まあそもそも魅了スキルで好意を持たれているしな。
「しかし、そうなるとやつらの目的についても考え直さないとな。
二人はホミを隠れ蓑にして、民から巻き上げた重税で私腹を肥やすつもりだと俺は思っていた。
だとしたら二人が直接ホミを殺すように動く必要はない。限界まで搾り切って、音を上げた民が蜂起したところで自分たちだけトンズラすればいい。このタイミングで切り捨てるのは不自然だ」
「二人の目的ですか……私もサトルさんと同じようにお金のためだけに動いていると思っていたんですが……」
「何か他の目的が……特にオルトの方にあるんだろう。ナキナはオルトに従っているだけって感じで、ホミを大勢の前で殺したがっていたり、色々注文付けていたのはあっちだったしな」
オルトの態度は……総じて自分の評判を気にしているようだった。そのためにホミをこの場で殺せず、万が一を考えて俺も殺さなかった。
だとしたらやつの目的は……一体何なんだ?
「状況確認も大事ですが、ところでこれからどうするつもりですか」
ホミが口を開く。
「どうするというと?」
「二人は去ってくれましたが私たちがこの部屋から出れたわけでもありません。サトルさんはブラフも疑われて本当いつ殺されるか分かりません」
「ホミだって危ない立場だぞ」
「私のことはどうでもいいんです。元より民のことを省みない独裁者として、ろくな死に方は出来ないと覚悟していました。しかしサトルさんは……察するにガードの固い私から渡世の宝玉を手に入れるために魅了スキルをかけたんでしょう?」
「その通りだ。まあ思い当たるか」
「そんな巻き込まれただけなのに死ぬなんて駄目です。……いざとなったら私はどうなってもいいから、サトルさんだけでも助けるように二人に申して」
「それは止めとけ。どうせ無視されるか、最悪聞き入れたフリしてホミの見えないところで俺が殺されるだけだ」
現在は危うくも踏みとどまっている状況だ。あまり突ついて欲しくない。
「でしたらどうすればいいんですか……? 魅了スキルの影響だって事は分かっています。それでも……こんなに好きになった人を失ったら……また大事な人を失ったら……私は耐えられません!!」
涙目になりながら訴えるホミ。
好意を持った相手というのもあるんだろうが、俺を助けるために自分がどうなってもいいと。その自己犠牲的行動にはシンパシーを感じる。
だが、その根幹は正反対といっても良いところだ。他者を尊重するがあまり自身の優先順位が下がっているホミに対し、俺は他者などどうでもよくただ単に自分が嫌なだけ。
俺はどこに行っても役立たずな人間だが、ホミは執政者の素質として素晴らしいものだ。もし誰の影響も受けずこの独裁都市を治めていたら、大いに発展していただろう。
そんな人が俺のために犠牲になるなんてあってはならない。
「助かるときは二人でだ、ホミ」
「ですがその方法が……」
「大丈夫だ。あともうちょっと待ってれば俺の仲間の二人が助けに来る」
「仲間……ですか?」
「ああ。いきなりホミに連れ去られて何も話は出来てないんだが、それでもずっと帰ってこなかったら不審に思うはず。そしたら二人でこの神殿に乗り込んでくるはずだ」
「そ、そんな頼もしい仲間が……ですけど駄目です。神殿は常に近衛兵が警備しています。侵入者の排除となれば、ナキナは何も知らない近衛兵を自由に動かせます。そしてナキナ自身もすさまじい強さです。たった二人では捕らえられるに決まって……」
「あーそれはたぶん大丈夫だ。近衛兵が束になってかかってきても相手にすらなんねーよ」
近衛兵もかなりの練度で、ナキナに至ってはリオと同格だろうが、それでも竜闘士のユウカの相手になるとは思えない。
「………………」
ホミは目を丸くしている。
「何だ、そんなに驚いたのか? っていうか、女神様の末裔の……大巫女だったか、なら知ってんだろ守護者って竜闘士の存在も」
「守護者様の力を引き継いだ者がサトルさんの近くに……それなら分かりますが……私が驚いたのはそちらではありません」
「ん?」
「サトルさんがその人を随分と信頼されているんだなと思いまして……失礼ながら、サトルさんはあまり人に心を許さないタイプだと思っていましたから」
「いや失礼じゃねえよ、実際その通りだし。それに俺はユウカを信頼してるんじゃなくて………………あれ、どう思ってるんだ……?」
自分のことなのに分からなくなる。
でも俺は確かにユウカならきっと助けに来るだろう、と信じて疑っていなかった。
これが信頼……? ……いや、違う計算だ。
ユウカとリオには魅了スキルがかかっている。好意を持った相手を助けようとするのは当然の思考だ。
その考えが俺の思考の裏にあったから助けに来ると思った。そういうことだ。うん、違いない。
「その仲間の人はユウカっていうんですか」
ホミが俯きながら聞いてくる。
「ああ、竜闘士の力を授かっていてな」
「もう一人はどうなんですか?」
「魔導士の力を持ったリオだ」
「なるほど…………察するに二人とも女性ですよね?」
顔を上げるホミ。さっきまでと違って、その目は虚ろで……。
「…………」
あれ、なんかホミからすごい圧力が……。
「私と二人きりなのに他の女性のことを考えていたんですか、サトルさん」
「え、いや、どうやってこの状況から脱するかって話で……」
「答えてください」
「否定はしません」
そうだ、大人しくなっていたが、魅了スキルをかけた直後の様子から分かるようにホミの気質はヤンデレだ。
もしかしたらヤバいスイッチを踏んだかもしれない。
「………………。ところでサトルさん、お腹空きませんか?」
ただの話題転換のはずなのに、もう怖い。
「もうすっかり夜だしな、減ったけど」
「オルトとナキナは忙しい様子でした。二人の監視無く外に出してもらえるとは思えませんので、この部屋で夕食はどうにかしないといけません」
「え、それって大丈夫なのか?」
「ミニキッチンがあるので大丈夫です。二人も私に餓死されても困るでしょうので、定期的に食材も補充してくれています」
「そっか、なら安心……」
「ですから今日は私が腕によりをかけて作りますね。サトルさんの血となり肉となる料理を、私の愛情とほんの少しの…………とにかく待っててください」
「いやいやいや、安心できるか!!」
どう考えても自分の髪の毛や血液を入れられる流れだ。全力で止めにかかる。
「どうして止めるんですか! サトルさんが他の女のことを考えられないようにするだけです!」
「違うな、薬の方か! ヤバさは全く変わらないけどな! 断固拒否する!!」
その後ドタバタがあって、埒があかないと判断した俺は魅了スキルの命令まで繰り出す。するとどうやらホミは愛情込めた絶品の料理で、胃袋を鷲掴みにして自分のことだけを考えさせるつもりだったとのことだ。紛らわしいが……まあそうか、そんな猟奇的なことを考える子じゃないよな、うん。
そういうことなのでミニキッチンに立ってもらって……念のためにその様子をずっと監視して……そして出てきた料理に俺は舌鼓を打つ。
「ほんとうまいな!」
「喜んでもらって良かったです。……これでサトルさんの中に私の…………」
「え、まさか…………いや、大丈夫だよな。ずっと見張ってたし、ああ」
捕らえられているとは思えない和気藹々とした時間を二人で過ごした。
緊張感が無いかもしれないが……後はユウカとリオが助けに来るのを待つだけだ。予想だにしない襲撃を受けて吠え面をかくオルトとナキナの姿が今から楽しみだ。
粛正した二人の近衛兵の後始末を終えたナキナは確認も終える。
「やはりそうか。どこかで見たガキだとは思ったが、一週間ほど前に竜闘士と魔導士の仲間と共に都市にやってきた…………ガキはどうでもいいが、このデタラメな力を持った二人は対策しないとな……」