33話 衝突
「ふぅ……」
俺は一息つく。
推理の披露から犯人の指摘も終わって、探偵の役目も終わり。
後は犯人が勝手に自供してくれるものだと思っていたのだが。
「申し訳ありません……申し訳ありません……!!」
「違う! 私はそのような言葉を聞きたいのではない!!」
謝り倒すヘレスさんに、混乱しているオンカラ会長を見るにどうやらもう一働きしないといけないようだ。
「ヘレスさん、命令です。あなたがリバイス商会のスパイであるという確固たる証拠を持ってきてください」
俺は魅了スキルによる命令を出す。
ちなみに毎回『命令です』と前置きするのには理由がある。魅了スキルの命令は対象が認識する事が必要だからだ。
『~~してください』だけでは、対象が『これはお願いかな? 命令じゃないよね?』と自己の認識を操ることで命令をすり抜けられる可能性がある。それを防ぐために一番いいのは命令形で強く『~~しろ』と言うことなのだが、目上の人にそのような口調を使うのも良くない。
だから『命令です』と言うことで逃れられないようにしているのだ。
「分かりました」
命令に従い会長室を出て証拠を取りに行くヘレスさんを見送る。
「少年……どういうことだ? ヘレスが……商会を苦しめていたスパイだったと? そんな……そんなことあるはずが……そうだ、何か変なスキルを使っていたな? それでヘレスを操って、あのような発言をさせた……そうに違いないんだろう?」
オンカラ会長はどうしても信頼していた人に裏切られていたという事実を受け入れられないようだ。仕方ないので俺はステータス画面を開いてみせる。
「これが先ほどは見せられなかった俺のステータスです。他言無用でお願いします。ご覧のように初期職の『冒険者』で戦闘力は無いですし、スキルも一つだけです。しかしその『魅了』スキルがとても強力な代物で……詳細がこれです」
「魅了……異性を虜にして……命令に従わせる……?」
スキルの詳細を読むオンカラ会長からして、やはり魅了スキルのことを知らなかったようだ。
「これでヘレスさんに真実を語らせたというわけです。命令した内容も聞こえてましたよね?」
「そう……だが。なら、あのヘレスは別物だ……私と共に難局を乗り越えたヘレスは別にいるんだ……どこかで入れ替わったんだ……そうに違いない」
あー今度はそうやって逃避するのか。だが、それは無いと分かっている。
「ヘレスさんは最初からスパイとして活動していたはずですよ。ヘレスさんが会長の右腕に付いた10年前とリバイス商会の発足が10年前で一致していますから。新参のリバイス商会が破竹の勢いで発展したのは、ヘレスさんが右腕に付いたことで得たオンカラ商会全体のノウハウを横流ししたからだと思います」
「そんなはずが…………」
否定の言葉が弱くなった。
これでヘレスさんが最初から自分を騙すために近付いてきたのだと理解しただろう。関係が幻想だったと分かっただろう。
これでオンカラ会長を救うことが出来たな。
俺は達成感を覚えていた。
ユウカに言ったように、俺は受付の人の話を盗み聞きした時点でヘレスさんがスパイだと分かっていたが、別に暴くつもりはなかったのだ。
わざわざ指摘するのも面倒だったし、商会がこれからも苦しもうが俺にはどうでもいい。渡世の宝玉の交渉さえ終わらせれば今後関わることの無い相手だからだ。
しかし、オンカラ会長とヘレスさんの絆を見て気が変わった。
オンカラ会長が騙されているのにヘレスさんを信頼している姿が……過去の俺、『あの子』に騙されているのに好きになってしまった俺に、重なって見えたのだ。
だから幻想から解放するために、こうして現実を見せた。
これで俺のように、オンカラ会長のヘレスさんに対する気持ちも尽きるだろう。
もちろん傷は大きいはずだ。
俺は自己否定でそれをどうにかしたが、オンカラ会長ならいくらでも癒す手段はあるだろう。その気になれば新たな相手も見つかるだろう。50のおっさんでも絶大な権力に金があるのだから。
俺のように恋愛アンチになってしまう可能性もあるが……まあそれも仕方ない。あのまま騙され続けるよりは良い。
さて、オンカラ会長は何を選ぶのか。俺の目に映った光景は――。
「ヘレス……」
未だに騙された相手を呼ぶ姿だった。
「あれ……?」
それは予想外だった。
……あーでも、そっか。俺の言葉だけじゃ弱かったのか。俺よりも長く10年騙されていたのだ。簡単に夢からは覚めないのだろう。
ヘレスさんが戻ってきて、裏切りの証拠をきちんと突きつける必要がありそうだ。
仕方ない、と待つ体勢に入った俺に。
「間違ってる……サトル君は間違っているよ!!」
ユウカが激昂した。
「……俺が間違っている? いやいや、そんなことないだろ。ちゃんと推理は説明した、論理に欠落はないはず。いや、そこに間違いがあろうと関係ないんだ。ユウカも魅了スキルの効果は分かっているだろ。虜になったヘレスさんは真実を語るんだから、スパイであることに間違いは――――」
「そんなことはどうでもいいのっ!! どうしてサトル君は二人の様子を見ていたはずなのにヘレスさんを疑ったの!?」
俺の答えを聞いてますますヒートアップするユウカ。地雷を踏んでしまったか?
しかし、ユウカの言葉の意味が分からない。説明を聞けそうにもないし……こういうときは。
「リオ。ユウカは何を言いたいんだ?」
「ヘレスさんはオンカラ会長と10年を共にした相棒です。強い絆で結ばれているのは、端から見た私たちでも分かりましたよね?」
「そうだな」
「ならば普通はその人が裏切っているなんて考えない……いや、考えたくないものです。なのに平然と疑ったサトルさんは間違っている……とユウカは、そして私も言いたいのです」
「……そういうことか」
話は分かった。
納得は一切無かった。
「ユウカ。実際ヘレスさんは裏切ってたじゃないか。だったら疑って当然だろ」
「違う! そっちが先じゃない!! ヘレスさんを疑う気持ちがなければ、裏切りに気づけるはずがないもん!!」
「っ……それは……」
「サトル君はそもそも人を信じるつもりが無いんでしょ!!」
「…………」
ユウカの言葉はいやに刺さった。
あの夜、死にかけた俺は、人を信じられるようになりたい、と誓った。
なのに今、俺は人を信じるつもりがないとユウカに指摘されて……それを認めていた。
全く変わっていない自分のズボラさを図星で指摘された俺は……ついむきになって言い返した。
「……だったら何だよ。俺が人を信じて、誰も疑わないで、オンカラ会長はヘレスさんに騙され続ける方が良かったっていうのかよ!」
「そういうこと言ってるんじゃないってば! 私はサトル君自身について言ってるの!」
「ならその通りだよ! いつか裏切られるくらいなら、信じない方がマシじゃねえか! 人を信じたから、二人だってこんな状況になってるんだろ!!」
オンカラ会長の落ち込んでいる姿で俺の正当性を証明する。
しかし。
「そっか……。サトル君のスタンスは別にして、スパイであることを見抜いたのはすごいと思ってたけど……別に気づいたんじゃなくて、ただ否定したのが当たっただけなんだね」
「え……?」
「だって裏切った裏切られたしか見えていなくて、二人の本当の思いなんて全く考えてないんでしょ?」
そのときヘレスさんがその手に自分がスパイである証拠を持って会長室に戻ってきた。
「ヘレスさん、質問に答えてください」
ユウカがその前に立つ。
「あなたは会長を騙すことに心苦しさを感じていませんでしたか?」
「……最初はありませんでした。私はそのためにオンカラ商会に潜り込んだのですから」
「ではその後はどうだったんですか?」
「……一緒に働くにつれて、会長を支える日々が続くにつれて、会長の信頼を寄せられることになって、心苦しくなったのは事実です」
「それでもやめるわけにはいけない事情があったんですよね?」
「……はい。リバイス商会の会長に私は恩義がある身で、その人に従ってずっと生きていました。オンカラ商会に潜入することも命令されたことです。
心苦しさを感じたある日、スパイ活動をやめたいと私は初めて反抗しました。
しかし返事は『情が移ったか。だが、今さらそんなことが出来るわけない。いいか、勝手に情報の横流しをやめてみろ。そのときはおまえがスパイだったってことをバラして、オンカラ商会に居れなくするからな』と」
「脅されていたんですか」
「そうなったら……私はどこにも居場所が無くなります。だから私は……!」
自分を抱きしめて震え出すヘレスさん。
その彼女を包み込むように背後から抱きしめる者がいた。
「もう良い、ヘレスよ」
「会長……」
「私は盲目的に信頼して……おまえの苦しみに気づけていなかったのだな」
「会長が悪いのではありません! 全ては私がしたことです! 今まで商会に莫大な損害を与えて……」
「償えば良いだけだ、私も協力しよう。それよりもこれからについてだ。私はおまえに秘書を続けてもらいたいと思っている」
「本気ですか……?」
「もちろんだ。私を支えられる者がおまえ以外におるわけ無かろう」
「しかし、私はスパイで……商会を裏切っていて……みなさんにどう説明すればいいのか……それにリバイス商会の会長を…………」
「大事なのはそのようなことではない。ヘレス、おまえの気持ちだ」
「私も…………叶うことなら、これからも会長の側にいたいです……」
「そうか。その言葉さえあればどうにでもなる」
「会長……!」
ヘレスさんは体の向きを反転させて、オンカラ会長と正面から抱き合う。
「うん、うん……!」
見守るユウカは涙ぐんでいて。
「何だよ……これ……」
目の前で何が行われているのか。俺には理解しがたかった。
騙しているのに思い続けて。
騙されていたのに思い続けて。
そんな光景、想像したこともなかった。
「…………」
だったら俺が間違っていたっていうのかよ。
騙されていたからってすぐに思いを捨てたことが。
「サトルさんの負け、ですね」
気づくとリオが近くまで来ていた。
「リオ……勝ち負けの問題じゃないだろ」
「そうですか? 当のサトルさんが敗北感を持っていると思いますが」
「……ふん。だったらまだ分かんねえぞ。ヘレスさんの今の話が全部会長を欺くための嘘だったって可能性もある」
「それはないですね。同じく魅了スキルにかかっているから、何となく分かるんです。サトルさんがヘレスさんに最初にした命令『質問には必ず真実で答えてください』はおそらくまだ有効ですから」
「…………」
「何なら命令すればいいじゃないですか。今の話が本当だったのか答えろって」
「……分かったよ、俺の負けだ」
「ふふっ、勝ち負けの問題じゃなかったんじゃないですか?」
無駄な抵抗を諦めて俺が両手を上げるとリオは愉快そうに微笑む。
こうして紆余曲折があったものの、二つ目の渡世の宝玉を手に入れるための話は幕を閉じた。
次が二章最終話です。