32話 推理
「スパイかは分からないが先月当商会の機密情報を漏洩させていた職員を解雇したところだ。その後被害の続報はないため解決したとの見解を出している」
オンカラ会長の発言は公式を意識したものだ。
確たる証拠もないのにリバイス商会のスパイだと名指しして、批判するわけにはいかない。状況的に違いないとしても。
「本質は違うでしょう。もう何年も前からスパイを捕まえても、新たなスパイが出てくる状況に陥っているんですよね?」
サトル君の言葉は建前をやめて本音で話すようにオンカラ会長に要求している。
「……そういえば君たちの世話をしていたのはあやつだったか。全く、口が軽い」
情報源に思い当たるオンカラ会長。
「どこで知ったかは関係ないでしょう。返事はどうなんですか?」
ともすれば話題を逸らそうとする意図には乗らず、サトル君は強く切り込む。
「……少し考えさせてくれないか」
オンカラ会長は待ったをかけた。
サトル君が本当にスパイ騒動を解決できるのか、だとしてそれは宝玉の代金と釣り合うのか、もしかしたら何か裏の意図があるのではないか……と色々な計算が巡っているのだろう。
「すいません、性急すぎましたね。考えが付くまで待ちましょう」
サトル君の表情は相変わらず無だ。何を思っているのか全く読みとれない。
会話が止まったところで、リオが口を開いた。
「サトルさん、やっぱり先ほどの受付さんとの話聞いていたんですね。ソファーに座って寝ているように見えましたが」
「狸寝入りだったからな。やっぱり、ってことは気づいていたのか」
「はい。見破るコツは喉です。人間は寝ているとき唾が出ないんですよ。だから唾を飲み込む仕草があったら、その人は狸寝入りをしているってことです」
「そうなのか……今後は参考にしよう」
へえ、そうなんだ。リオの豆知識を私も脳内メモに書き込む。
……って、今の知識サトル君が知ってたらこの前私が酔ったときの狸寝入りもバレていたよね。危ない、危ない。
「でもどういうことなの、サトル君。ドラゴンの交渉で入ったお金があるから、それを使ってさっさと次の渡世の宝玉を探しに行った方がいいんじゃなかったの?」
私はサトル君に心変わりの理由を問いただす。
「それには前提があるだろ?」
「前提?」
「スパイを捜すのは俺のスキルを使っても時間がかかるから、って前提だ。逆に時間がかからないならスパイを見つけた方が節約できて得だろ」
「えっと、ということは……もしかしてサトル君はもう既にこの騒動の犯人に検討が付いてるってこと?」
「ああ。今まで聞いた話とさっきの話を統合して考えたら分かった」
「だ、誰なの!? それにまだ何も調べていないのに……」
淡々と話すサトル君に、私は驚くと同時に不可解な気持ちになった。
私たちのアドバンテージはサトル君の魅了スキルを使って、女性相手に嘘を吐かせない捜査が出来るところのはずだ。
なのにサトル君は魅了スキルをまだ一度も使っていないこの段階で犯人が分かったと言っている。
話を聞いただけで分かるような簡単な事件なら、どうして商会は今まで犯人を捕まえることが出来なかったのか。
逆にどうしてサトル君は犯人が分かったのか。
「…………」
何か嫌な予感がした。
「すまない。待たせたな、少年」
と、そのタイミングで整理が付いたのか、オンカラ会長が口を開いた。
「結論は出ましたか?」
「ここからは建前を捨てて本音で話そう。この場に私たちしかいないことだし、君たちが外に漏らすことはしないと信頼してのことでもある」
「もちろんです」
「確かに数年前からリバイス商会によるものだと思われるスパイには悩まされていたのだ。一時期経営が傾きかけたくらいだからな。何人かは捕まえているが、対症療法にしかなっていない。本当に完全な解決が出来るならば、それは渡世の宝玉を譲るほどに価値のある行いだ」
「ということは……」
「君の提案を条件付きで呑もう」
「ありがとうございます。……それで条件とは何でしょうか?」
「君の見解をこの場で語って欲しいということだ。あまりにも的外れな場合、調査を任せるわけには行かないからな」
「ごもっともですね。分かりました、俺の考えを……何なら犯人の指摘までここで終わらせましょうか」
「犯人が……もう分かっているというのか?」
先ほどの私たちの会話は聞こえてなかったようで、オンカラ会長は驚いている。
「ええ。順を追って話しましょう」
サトル君は指3本立てる。
「今回のスパイ騒動、詳細は皆さん知っていると思うので省きます。注目するべきポイントは三つ。『捕まった者は自分がスパイだと認めなかったこと』『別の犯罪が同時に発覚したこと』『何度捕まえても新たにスパイが出てくること』です」
「……? 別に認めないのが普通じゃないの? それにスパイするくらいだから別の犯罪していてもおかしくないし」
「そうだな、ユウカ。前者二つはそうおかしいことではない。だから最初は『何度捕まえても新たにスパイが出てくること』これについて考えたいと思います」
「続けてくれ」
オンカラ会長が先を促す。
「じゃあ質問だ、ユウカ。どうして何度捕まえても新たにスパイが出てくるんだと思うか」
「それは……リバイス商会の人が、スパイが捕まる度にオンカラ商会の職員に対して寝返り工作を行うから……じゃないの?」
受付の人との結論を私は話す。
「考えられる可能性の一つだな。オンカラ商会も現在この方向で調査しているんでしょう?」
「外聞が悪いから世間には秘密にしてくれ」
オンカラ会長が暗に認める。
「さて、リバイス商会がオンカラ商会に対して寝返り工作を行っていると仮定して……この場合困難な問題があります。リオなら気づいているんじゃないか?」
「……ええ。リバイス商会は寝返り工作を行う対象をどのように選定しているのか、ということですよね?」
「どういうこと?」
私は聞き返す。
「例えばユウカがオンカラ商会の職員だったら、機密情報を売ってくれないかと頼まれたときどうする?」
「そんなの『悪いことは出来ません!』って突っぱねるに決まってるよ!」
「ああ。このように正義感や、商会に対する忠誠心の強いやつに対しての寝返り工作は失敗するってことだ。そしてそんなこと頼んできたやつを逆に調査して、リバイス商会の手の者だったと逆に暴いてしまえばいい」
「そっか……そんなリスクがあるんだ」
納得する。
「でも現在オンカラ商会の調査は滞っている。つまりリバイス商会の寝返り工作らしきものを受けた職員はいないということですね?」
「ああ。聞き取り調査をしたが、そのような話を受けた者はいないようだ」
「だったら機密情報を売ってくれそうな人間に絞って寝返り工作を仕掛ければいいんじゃないの? 実際、これまでに見つかったスパイって業務上の横領だったり別の犯罪をしていたような人たちなんでしょ?」
私の意見にはリオが答えた。
「それだとリバイス商会はどうしてスパイに寝返らせる前から、犯罪をしている職員を突き止められたのかという疑問が上がります。それだって重要な内部情報ですから」
「内部情報を売らせる前から、内部情報に精通しているってこと……? おかしいね」
「商会でもその壁にぶち当たっているところでな。……しかし他に有力な可能性が思いつかないため、地道な調査を続けているところだ」
このスパイ騒動の難解さをやっと認識したところで。
「卵が先か、鶏が先か……哲学の問題ですが、そのような難解な出来事が現実に起こることはそうそうありません。
だったら疑うべきは前提の部分。
そもそもリバイス商会は寝返り工作を仕掛けていないんじゃないでしょうか?」
サトル君が問題を一刀両断した。
「寝返り工作していない……って、じゃあどうなるの?」
「リバイス商会はオンカラ商会の内部にスパイを潜入させているってことだ」
「スパイの潜入……でも、これまでに何人も捕まっているよね」
「それは全員偽物だ」
「偽物!?」
話の展開が急になってきた。
「ああ。今までに捕まったのは、真のスパイによって仕立て上げられた偽のスパイだ」
「で、でもそんな突拍子もない可能性……」
「何言ってるんだ。証拠はあるだろ。捕まった者は自分がスパイだと認めなかった、って。認めなかったんじゃなくて、本当にスパイじゃなかったんだ」
「じゃあ嘘を吐いてたんじゃなくて、本当のことを言ってたってわけ!?」
スパイだから口が固いんだと思ってたのに、そんな裏があるとは。
「全員が別の犯罪をしていたのも当然だ。真のスパイはオンカラ商会の内部情報に精通しているはず。だから犯罪をしている職員を狙って、自分の身代わりとなるスパイに仕立て上げたんだ」
「他に悪いことをしている人間だから、認めないけどスパイ行為もしていたに違いない……って思わせるために?」
「そうだろうな。そして偽のスパイが捕まる度に真のスパイは情報漏洩を止めた。そいつが本当にスパイだったと思わせるための罠としてな」
サトル君によって真実が明らかになっていくことに私はドキドキする。
しかし、それは私だけだったようだ。
「すまないが、少年。君の考えには一つ抜けているところがあるぞ」
「何ですか?」
「それは真のスパイが仕掛けた偽の証拠に私たちが騙されているというところだ」
「…………」
オンカラ会長がサトル君の考えを否定する。
「情報漏洩の対処には私直属の調査会が当たっている。ヘレスをリーダーに置いたメンバーたちの技量は疑うまでもない」
「……」
「その者たちが偽のスパイに誘導されることなどあるはずがない。逆に仕掛けを見抜いて真のスパイに辿り着くはずだ。つまり君の考えは間違っている」
オンカラ会長の指摘。ヘレスさんをよっぽど信頼しているのが伝わってくる。
「リオも同じ考えなのか?」
「……その通りですね」
リオも頷く。
どうやら私以外の二人は、サトル君が語った真実をとっくに想定していて、間違っていると判断していたようだった。
「えっと……だったら、やっぱりリバイス商会が寝返り工作を仕掛けていたってこと……?」
何が正しいのか、分からない。
ぐるぐると思考が堂々巡り始めたところで。
「はぁ……だから誰も今まで解決できなかったのか」
サトル君は大きく溜め息を吐いた。
「あー……少年、どういうことかね?」
含まれた嘲りの意図に、怒りより先に困惑した様子のオンカラ会長。
「すいません、失礼でしたね。ですが商業の世界を、情ではなく数字や策謀が支配する世界を生き抜いてきたはずの商会長ともあろう人がそこで思考停止しているとは思ってもみなくて」
そしてサトル君はとんでもないことを言い出した。
「調査会なら真のスパイに騙されるはずがない? だったら真のスパイが調査会の内部にいたらどうなるんですか? 騙し放題ですよね?」
「な……?」
「え?」
「やはり……」
告げられた言葉を噛み砕こうとするオンカラ会長、私、リオの前で。
「発動、『魅了』スキル」
サトル君はその身に宿すただ一つのスキルの発動を宣告した。
「えっ!? どうしてこのタイミングで……」
これで二回目となる魅了スキルの発動。ピンク色の光が部屋を埋めて対象を虜状態にする。
効果範囲となる5m以内にいるのは――。
オンカラ会長は男性のため条件に当てはまらない。
私はサトル君に特別な行為を抱いているため今回も不発。
リオは既に魅了スキルにかかっているため意味はない。
だから、最後の一人。
「っ……!?」
ここまでずっと黙って話を聞いていたヘレスさんだ。
そして魅了スキルも成功しただろう。効果範囲の周囲5m内だし、対象の『魅力的だと思う異性』もヘレスさんは私から見ても綺麗な人だし当てはまるはず。
「こ、これは……」
ヘレスさんが顔を横に振って何かに抗おうとしている。
虜になった時点で、術者のサトル君に好意を持つはず。リオが子作り発言をしてしまったくらいだ。好意から衝動的な行動に移ろうとするのを押しとどめようとしているのだろう。
そしてもちろん魅了スキルの効果はそれだけではない。
「ヘレスさん、命令です。これから質問には必ず真実で答えてください」
サトル君の目的は最初からこれだったのだろう。
魅了スキルによって嘘を吐けないようにして。
「あなたがリバイス商会のスパイなんですよね?」
犯人に自白を促す。
「私は……くっ!」
意志に反して話し出した口を手で塞ぐことでヘレスさんは抵抗する。
「命令です。口から手を離してください。発言の邪魔となる行動をしないでください」
しかしサトル君は無慈悲で。
「もう一回質問します。あなたがリバイス商会のスパイなんですよね?」
「…………はい」
ヘレスさんは容疑を認めた。
「ど、どういうことだ……ヘレス。そんな……う、嘘だよな?」
オンカラ会長はその光景にただただ狼狽えていた。