129話 気配
それから数日経った。
「………………」
授業を終えて放課後、俺は学園の図書室にいた。
学園の規模同様に図書室も広く、それでいて雰囲気が生み出す静けさが気に入っているスポットだ。本の虫である俺は圧倒的な蔵書数に目を輝かせていただろう。
いつもならば。
「はぁ……」
机に置いた本はさっきからページがめくられていない。
頬杖付く俺の視線の先は窓の外、中庭で修練している実戦科コースの生徒たちに向けられていた。二チームに分かれて模擬戦をしているようだ。女子の姿しか見当たらないので、男子はどこかで別のカリキュラムを行っているのだろう。
と、そんなどうでもいいことを考えていた。
ここ数日、俺の生活は全く変わり映えの無いものだった。
日中は初等部に交わり魔法習得の授業。無心に頑張った結果、俺も魔素を取り込み魔法を発動させる事に成功していた。一度コツをつかめば後は早いもので、火球だけでなく初級レベルの魔法は大体使えるようになっていた。
そして放課後は授業で躓いたところがあれば図書室で復習を、そうでなくとも図書室に来てぼーっとしていた。
夜になれば寮の自室に戻り何もすること無くただ眠る。
繰り返しの日々は時間の進みを早く感じさせてくれた。
時間とは万能薬だ。どれだけ傷ついたとしても癒してくれる。
あれだけ重かった俺の心も今ではすっかり元に戻った。
『本当に?』
すっかり聞き慣れた幼女の声が俺の核心を突く。
「……ははっ、そんなはず無いだろ」
俺は疑問に思うことなくそれに答えて。
「ここにいたのか」
そのとき現実に声がかかった。
「っ!?」
あわてて振り向くとそこにいたのは。
「探したぞ少年。それにしても妙な気配を感じるが……」
伝説の傭兵ガランであった。
「くっ……!」
「そう身構えるな、少年。この場で争うつもりはない。図書室ではお静かに、だ」
イスを倒れそうな勢いで引き飛ばしながら立ち上がった俺に対して、ガランは両手を広げて戦う意志が無いジェスチャーを取る。
……まあそうだな。もしやつが俺をどうにかするつもりなら声なんてかけないし、そもそも竜闘士相手に俺ごときが抵抗して何になる。
「だったらどういうつもりだ?」
俺はイスに座り直して聞いた。
「様子を見に来ただけだ」
「偵察か」
「そうとも言う。しかしこの気配は……」
思案顔になったガランはいぶかしげな視線を最初俺に向けて、次に俺の後方の何もない空間に向ける。
「そういやさっき妙な気配とか言ってたな。言っとくけど俺は何もしてないぞ」
両手をホールドアップしてこちらも戦う意志が無いことを示す。何か反攻の意志ありと見なされて竜闘士の逆鱗に触れたら一巻の終わりだ。
「それくらいは分かっている。私が気になるのは………………ふむ、消えたか? しかし……」
ガランは首を捻っている。
その雰囲気からして俺自身ではない何かが気になっているようだが……あいにくまるで心当たりが無い。
「まあいい。ところで少年、こんなところで燻ってていいのか?」
「何の話だ?」
「……何だ、知らないのか。今や学園中の話題となっているぞ、ある研究室から研究物資と研究員一人が忽然と消えたと」
「それは……」
抽象的に話しているが……やつの口から出てきたという事はつまりそういうことだろう。
魔族レイリが化けた研究員によって渡世の宝玉が奪われたと。
「魔導士の少女の提言により厳重に警戒していた中での犯行だ。犯人は物理的にも魔法的にも痕跡を残していない。躍起となって消えた犯人を追っているそうだが、果たして見つかるかどうか」
「人事のように言うが、あんたはその裏側を知っているんじゃないのか?」
「いや。今回私たちはそれぞれ独立して動いている。レイリの思惑は知るところではない」
「……まあ知っていたとしてもそういうだろうし、意味無い問いだったな」
「そうだな」
ガランが返答して……しばらく無言の空間が続く。再び口を開いたのはガランの方だった。
「行かないのか?」
「どこに」
「研究室に。少年たちが所持する宝玉が奪われた事態、一大事だと思うが」
「あー……そうだな。行くべきなんだろうが……」
「……」
「まあ、リオならすぐ気付いて取り返すだろ。消えた人間が一人じゃなくて、二人であることくらい」
話を聞いただけで俺が解ける問題に、リオが気付けないとは思わない。
「信頼……もあるのだろうが、ただの投げやりにも見える」
「そうだな……正直言うと今は宝玉のことすらどうでもいいと思ってしまってる。というか逆に質問だ。どうしてそう俺のことを気にする?」
「理解できない挙動をする敵に気を付けるのは当然だろう。腑抜けた様子に見せて裏では、と警戒したがどうやらそうでもないようだな」
「ああ、演技でもなく今の俺は腑抜けてるだろうよ」
「ここ数日竜闘士の少女、魔導士の少女どちらとも話していないのは、何らかの策でも別行動でもなくただの仲違いであると」
「……あんた意外と目敏いんだな。もっと豪快な性格だと思っていたよ」
「状況を掴めない傭兵は戦場で生き残れない。当然のことだ」
ガランに言われたとおり、あの日拒絶してから俺はユウカ、リオどちらとも一度も話していない。今さらどのような口を聞けばいいというのか。
その点では敵でありどう思われてもいいガランの方が話しやすいくらいだ。
「なるほど、理性的な言動をするから忘れていたが少年は15、6くらいの歳だったな。青春真っ盛りだ」
「知ったような口聞くんだな」
「何、十分に知っている。理屈的でない行動をしてしまう。それが若者の特権であり、青春だ。輝かしいばかりだ」
「大人は大変なんだな」
「少年も大きくなれば分かる」
「そうなんだろうが…………俺が知りたいのは未来じゃなくて、今だ。俺はどう行動するのが正解だったんだ? 正解なんだ?」
「考えの出発段階から間違っているな。この世に正解なんてものは存在しない。とはいえそのような問答をしたいのではないのだろう」
「……ああ、その通りだよ」
やけに真摯に答えてくれるガランに、つい俺は心からの訴えをしてしまう。
そして。
「そうだな……ちょうど約束していたしいいだろう」
「何の話だ?」
「私が経験してきたことを話そう。少年たちの現状の参考になるかは分からないがな」
「本当に関係なさそうだが」
「まあ聞いておけ、年寄りの昔話を聞くスキルは社会に出てからも役に立つぞ」
長話をするつもりなのかガランは近くの机のイスを二つ引いてその内の一つに座る。
そうして唐突に紐解かれるのだった。
伝説の傭兵と呼ばれる男の、過去が。




