転移した魔王、無事地球に帰還しました!
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1
ついにこの日が来た。
待ち望んでいたこの日が。
まさに万感の思いだった。
この<魔界>と呼ばれる異世界に、交通事故直後に転移してから苦節三〇年。
六道春こと俺は、ついにこれから地球に帰ることができるのだ。
これまでのことを思い出しただけで涙が出そうだ。
がんばって、がんばって生き抜いてきたのだ。
見ろ! この魔界の凄まじさを!
大地は茶色く荒れ果て、空は紫色の分厚い雲がいつも、どこまでも覆っている。
遠くにはまるで剣山のごとく鋭く生えそろった山脈が連なり、その周囲を怪鳥が躍ってる。
所かまわず瘴気が溢れ、ところどころに毒の沼地が広がっていた。
簡単に言うところの、人が魔界と聞かされて想像する世界そのまんまである。
ひ弱な人間だった俺には、それはもう過酷な場所だった。
魔界には肥沃な大地など極々一部にしか存在しないため、それを求めて魔界中の生物がその場所を争っていたのだ。
もちろんやつらには、その場所を仲良く分けようなどと言う発想は一切ない。奪い奪われ、殺し殺されが日常なのだ。暴力至上主義である。
もちろんそんな中では地球への帰還の方法などを探す余裕などまるでなく、その日その日を生きるので精いっぱいだった。
荒れ果てた大地でも生えるよう変化した草木をそのまま食らい、過酷な環境でも生きながらえるよう進化したグロテスクな虫や野獣を貪った。
そして、他のやつらに殺されないように必死に体を鍛えた。
そのせいなのか、俺の肉体はこっちに来てから少し成長した程度でなぜか成長が止まり、今でも高校生で通じそうだ。
そしてどうやら俺には戦いの才能があったようで、そうして生活しているうちに少しずつ舎弟が増えてゆき、気が付いたら大きな集団の長となっていて、いつの間にか魔王を名乗ることになり、そしてついには魔界全土を統一するにまで至った。
ほんっとうにきつかった。
死にそうになった回数など、両手の指の数を一〇倍にしてもまだ利かない。というか実際に何度か死んでる。
その度に奇跡としか言いようがない偶然で生き返ったが。
ここまで来たのは本当に運が良かったとしか思えない。運だけが良かったとは口が裂けても言えないが、運が良かったのは確かだ。
少しでも歯車が噛み違えば、魔界統一の玉座に座っているのは別の人物になっていただろう。
一番危なかったのはあの時だな。
作った国が、一度内乱で崩壊したとき。
逃げてる最中、本当に生きた心地がしなかった。
あれ? 死んだんだっけ?
まあ、そのことはともかく。
そして魔界を統一し、危険が無くなった俺は地球への帰還について本格的に研究を進め、今に至るというわけである。
俺と長い間一緒にいた部下や仲間たちとの別れを惜しむ気持ちもある。
しかし、俺は地球に帰りたかった。
それをモチベーションにこれまで頑張ってきたのだ。
今更この決定を変更するつもりはない。
国は部下たちに任せてきた。
しばらくは俺がいるように偽装するだろうが、しばらくしたら死んだかどこかに旅立ったという事になるだろう。
さて、では地球に帰るとしようか。
この方法は一方通行で、また魔界に戻ることはできない。
俺は、両手で自分の頬を張る。
よし!
さらばだ、魔界よ!
2
私は廊下を早足で歩いていた。
「出現情報は!」
隣を歩く部下の男に早口で尋ねる。
「はい! 八王子市上空の<異界門>からはランクCが二体とランクDが三体、E以下がおよそ二〇体。練馬区がD一体にE以下が五体。江戸川区にE以下がおよそ一五体です」
「……練馬と江戸川はともかく、八王子は常駐戦力じゃ対処できない可能性があるわ。念のためC級ライセンスを持つ戦闘員を三名急行させて頂戴」
男はそれに応じると、すぐさま電話をかけ始めた。
二十七年前、突如世界中に出現した<異界門>。それはこの宇宙とは違う全く別の異世界、<異界>とこの地球をつなぐ穴だった。
世界中から前触れもなく開けては閉じてを繰り返す異界門からは異界の住人が舞い降り、人類に攻撃が開始された。
既存の物理法則を完全否定するその異形の輩には兵器の効き目が非常に悪く、当時の人類は劣勢に立たされた。
人類はそれを打開すべく様々な打開策を模索したが失敗に終わる。
しかし遂に人々は、自らに友好的な異界の者を召喚し契約を結んで力を借り受けることができるシステムの構築に成功した。
地球にも様々な国や思想があるように、異界でも人類に敵対的な者もいれば友好的な者もいたのである。
そして、異界の者の力を借りた人間たちが次々と生まれた。
<術師>の出現であった。
異界の者の力を借り受けた術師たちは異界門から出現する侵略者を次々と打倒していく。
それに伴い、地球各国の戦力の中心は軍事兵器から徐々に術師へと変遷していくことになる。
しかし、それにもある転機が訪れる。
中東のとある小国に、恐ろしく強い術師が出現したのだ。いわゆる特級戦力の出現である。
ミサイルや砲撃などの軍事兵器がまるで効かず、その火力は町一つを一瞬で壊滅させた。
それに焦ったのはアメリカ、ロシア、中国などの世界の列強諸国であった。
今までの軍戦力の要は国の経済力と技術力、しかし術師の戦闘力の高さはそれらと共にその術師自身の才能が大きくかかわってくる。つまり、辺境の国や思わぬところから強大な戦力が現れることになるのだ。
このままでは術師のせいで、かろうじて保たれている現在の軍事的均衡が崩れ、大国の地位が揺るぎそして最悪の場合第三次世界大戦が起こりかねない。
それを恐れた列強は、「術師は異界に対する人類の切り札であり、人類同士の争いに介入すべきではない」という主張のもと術師を軍事から切り離すことに成功した。
そうして出来上がったのが、世界術師連盟だった。
国連の下部組織である国際異界対策機関の管轄にあるこの組織は、術師にその強さごとに階級をつけたライセンスを発行し、それを持っているものを国連公認の正式な術師として扱った。
階級は上からS、AAA、AA、A、B、C、D、E、Fの九種類。
異界の侵略者に対してもその脅威度に合わせて同様のランク付けが行われ、自分のランクと同格以下の相手との戦闘にのみ出動が許可される。
「有川支部長、到着しました」
「ええ」
部下の声に応えると、私は表情を引き締めて目の前の扉をくぐった。
3
俺は森の中にいた。
辺りをきょろきょろと見まわし、次いで大きく息を吸い込む。
緑と土の香りだ。魔界の荒野は言わずもがな、その中にある限られた肥沃な大地ともまた違う自然にあふれたとても豊かな香りがした。
ここは森の中というだけで、地理的にどこなのかは全く分からない。そもそも、ここが地球なのかさえも確認してみないことには不明なのだが、俺は不思議とこの場所が地球なのだと確信していた。
帰ってきたのだと体がうれしさに震えていたのだ。
ただ、まずは人里に降りてみなくては分からないな。
俺は人の気配を探して、それを知覚した方へと足を進めてゆく。
森を抜けると、目の前には高さ二メートル程の木が等間隔に植わっている場所に出た。どうやら、果樹園のようだ。遠くには二車線の道路、車道が見える。
……ここは、どこかの田舎なのだろうか?
できれば日本に着いていればいいと思う。例えそうでなくとも、今の俺ならばその身一つで空を飛べば、さほど時間もかからずに日本に帰ることもできるだろうが。
お邪魔します、と断りを入れて俺は果樹園の中を進んでいき、車道に出た。
道を挟んで反対側には一軒家が建っていて、その横は畑と……公園?
その横には、自動販売機。
……自動販売機!?
俺は反射的にそこに走り寄る。
するとその自販機の左下にあるアクリル板の中には、”日本語”で描かれたジュースの広告が張られていた。
「~~~~~~~ッッ!」
声にならない雄たけびを上げる。
両腕はガッツポーズをとって、天へと突き上げられていた。
日本だ、ここは日本だっ!
やっとここまで帰ってきたんだ!
そうしてテンションを上げたままひとしきりに喜びに浸ると、落ち着きを取り戻す。
無性にジュースが、あの合成甘味料の入った平べったい味をした炭酸飲料を飲みたくなったが、今はお金を持っていないので、涙を呑んで断念する。
ごほん。
さて、まずはここがどこなのか知りたいところだ。
人に聞けばすぐにわかると思うが、生憎目に見えるところに人影は無い。
しかしだからといって、場所を聞くためだけに家の中から人を呼び出すというのも気が引けた。
そうして辺りを見回していると、少し離れたところにバス停があるのを見つけた。ベンチが並んでいて、木材のにトタンの屋根と壁が張られた、雨をしのげる田舎のバス停といった感じの場所だ。
もしかしたら、あそこの案内を見ればここの地名が分かるかもしれない。
俺はそう思ってバス停の近くまで寄る。
バス停に書かれた地名は、正直さっぱり分からなかったが一つだけ知っている地名があった。
「八王子駅行、か……」
八王子は確か東京都にある地名だったはず。
俺は地方の出身だからあまり自信は無いけど、そうだったはずだ。
こんな田舎っぽいところ、東京にあるんだな。知らなかった。
「そうかぁ……、これからどうしようかなぁ」
俺はバス停にあるベンチに、どさりと腰を落として背もたれに腕をかけた。
とりあえず知りたいことが知れて、脱力した感じだ。
三〇年たってるんだよなあ。
俺はバス停の休憩所の壁に掛かっていたカレンダーをチラリと見る。
そこには二〇五六年と書かれており、今は十一月だということが分かっただけだった。
俺が転移したのは二〇二六年。キッチリとこちらも三〇年の時間が流れている。
俺としては、早く帰れるよう頑張ったつもりだけど、それでも三〇年はでかい。
時代が移り変わるには十分な時間だ。
戸籍もどうせすでに死亡扱いになっているだろうし、そもそも俺は、高校生くらいの見た目にもかかわらず実際の歳は四十六歳。完全に中年だ。
だから、俺はこの日本では「三〇年前に事故で死んだ六道春」にはなれない。「高校生くらいの年齢の六道春」になるしかないのだ。
転移したときにあった事故で、両親は死んだ。大型トラックと正面衝突したのだ。後部座席に座っていた俺がこんなことになってるのに、運転席と助手席に座っていた両親が生きていられるはずがない。
もちろん、両親も魔界に転移したかもしれないと思って調べたことはあったが、それは逆に両親が死んだことが確定された事実だと調査の先に判明しただけだった。
まあ、そのことはすでに吹っ切れている。
全員死ぬところだったと思えば、俺だけが助かったのは僥倖だったのだろう。
祖父母も転移する前にすでに亡くなっていたし、頼れるほどに交流があった親戚は俺にはいなかった。
つまるところ、だ。
俺には、日本に居場所が無い。
はあ……、とため息を吐く。
どうにかなるだろうとは思う。
魔界に転移した当時は居場所なんて全くなかったし、それに比べれば古いといえどすでにある程度の知識を持っている日本で居場所を作ることはそう難しくないだろう。
車の走る音が聞こえると、目の前のバス停にバスが止まった。
俺がバス停にいたから止まったようだ。
そのまま行っていいと声をかけようとするが、まてよと考える。
故郷である地方に行っても帰る場所は無いしこのまま東京で暮らそうか。するとまずは都市部に向かいたいところだけど、方向分からないしこのバス乗るのが手っ取り早いかもしれない。
……お金がないけど、そこは魔法でちょちょいとごまかすことにしよう。
ちょっと申し訳ないが。
コラテラルダメージ、コラテラルダメージ。致し方ない犠牲である。
俺はそう決めると、意気揚々とバスに乗り込んだ。
運転席のすぐ後ろ辺りの席に座り込む。
窓の枠に肘をついて、手に顎を乗せて外の景色を眺める。
発車したバスは、どんどんと進んでいき少しもしないうちに人の多く住む住宅街に入っていった。
学生服を着た集団がバスの横の歩道を通り過ぎる。
学生かあ。
……高校生活、途中までしかできなかったし、またやりたいな。
いや、やろうか。どうせ他にやることなんかないし、もう一回学生をするのもいい。
俺の実年齢を考えれば、おっさんが高校に通うという完全に事案な状況になるが、男というものは、心はいつまでも少年だから問題は無い、と言い訳することにする。
しかし、東京の高校なんてどんなところがあるか全く分からない。
「運転手さん、東京の高校ってどんなところがありますか?」
俺はバスの運転手のおじさんに話しかけた。
「うん? ……ああ、お客さんは来年高校生かい? ……そうだねぇ、やっぱりこの辺りで高校と言ったらやっぱりあそこかねぇ。うーんと、なんて言ったかな。理術……理術、そう理術第三高校だったかな。そこがやっぱり有名だねぇ」
なるほど、理術第三高校か……
不良が溜まっているような荒れた高校じゃなければ正直どこでもいいし、最初に名前を聞いた縁ってことでそこに入学してみようかな。
ただ、差し当たっての問題はお金が全くないというところか。
日雇いのバイトでもして、小金を稼ぐか。少しは持っていた方が何かと便利だろうし。
そのとき。
バスの外で、複数の爆発音が聞こえた。
遠くのようだが、連続して爆発が起こり続けている。
普通の日本人なら驚くところかもしれないが、俺は魔界の暴力的な生活に慣れきっていたため驚くことは無かった。
「……なんだ?」
俺は疑問の声を出しつつも、それが何の音か何となく予感した。
それは非常に嫌な想像だったが、正直とても聞きなれた音だったのだ。
そう、それはまるで、凝縮された魔力を纏った一撃と一撃が激突したような……
俺は窓の外に目を向ける。
するとはるか上空、遠くの空で何かが複数飛び回っているのが目についた。
常人の目では点のようにしか見えないだろうが、魔界を統一した魔王の魔眼ははっきりとその姿をとらえることができる。
剣や槍を持った人間たちと、それに相対する漆黒の肌に捻じれた角を持つ怪物……
それらが空中を飛び回りながら、戦闘を行っていた。
打ち合う剣と怪物の拳、応酬される炎や光刃。地上からも幾つもの光の筋が怪物に放たれている。
……おかしい。
俺は服の袖で自分の目を擦る。
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
そしてもう一回遠くの空を見上げた。……相変わらず複数の影が空を飛び回って戦っている。
本当におかしいな。
俺は地球に戻ってきたはずだ。俺の記憶が正しければ、地球はこんな、人が空を飛び回りながら魔法のような攻撃を怪物に打ち出すようなことはしなかったはずなのに。
あれか? 俺は地球に帰ったと思ったら実はまだ魔界にいたという事か? それとも、また地球とも魔界とも違う第三の世界に来てしまったということなのか?
……取り合えず、このことを知ってそうな人に聞いてみよう。
「ねえ、運転手さん。……あの、空を飛び回ってるのって何? 何かのデモンストレーション?」
「うん? ……ああ、あれかい。あれはね、異界の侵略者から地上を守るために世界術師連盟の術師たちが戦ってるんだ。あれ、お客さんは見たことないの?」
「……初めて見ました」
世界術師連盟? 術師? 何のことかさっぱりわからん。
や、やはりあれか、俺は帰る場所を間違えてしまったのか。俺の知っている地球と類似点が多すぎて気が付かなかった。……どうしよう、早く本当の地球に帰りたいがちょっと方法が思いつかない。一体本物の地球はどこにあるんだ……
「たしか、二十七年前だったよねぇ。世界中に異界門が開いて異界から侵略者が地球に侵攻してきたのは……、お客さんはそのころまだ生まれてないから知らないと思うけど、当時はそりゃあもう混乱したもんさ。もう世界中大パニックでね、今でこそ落ち着いちゃあいるけどねぇ……」
そこから興が乗ってきたのか、運転手のおじさんはその時の様子やどうやって人類がそれを切り抜けてきたのかなどを、自分の憶測や巷で語られる都市伝説のような内容を交えながら語っていった。
二十七年前という事は、俺が転移してからだいたい三年後か。まさか地球がそんなことになっているとは……
まじ、かよ……
俺は顎が外れるんじゃないかというほどに愕然としてしまった。
そんなことになっているとはさすがに考え付かなかった。平和な日常を求めてこの地球に帰ってきたというのに、まさかこの地球自体が平和と遠い状態になっているとは……
異界が現れた当時よりは遥かに落ち着いた状態になっているらしいのだが、そのさらに前である平和な日本の光景が色濃く脳裏に残っている俺としては、少し受け入れがたいものがあった。
どうしようか。のんびり普通の生活を送ろうと思っていたのに、どうやら俺の考える普通の生活を送れるか正直分からなくなってきた。
とはいえ、魔界に帰るのは論外だ。そもそももう戻れないし、仮に戻れたとしてもちょっと肩がぶつかっただけで殴り合いの喧嘩に発展するようなのが日常である魔界になんか正直戻りたくない。俺もあっちでは起きてる時間のほとんどを、喧嘩か戦争で過ごしてたからなあ。もうあんなのは十分である。
とはいえ、面倒くさいことになりそうだ。
余り当たってほしくない類の予感がして、俺はいまだに戦いを続ける上空の光景を眺めながら、そっと息を吐いた。
4
俺は朝日を浴びながら、目を覚ました。
布団の上で上半身を起こし、大口を開けながら間抜け面であくびをして、両腕を上に突きあげて背中を伸ばす。
ここは六畳一間のワンルーム。
畳が敷き詰められ、その畳は火で焼けて茶色く変色していた。曇りガラスになっている唯一の窓にはカーテンが無い。そして部屋の隅にあるカラーボックスには、限界まで漫画とラノベ、そしてアニメのブルーレイディスクがテレビがあるわけでもないのに並べられていた。
……衝動買いとは、恐ろしいものである。
ここは、俺が借りた部屋だ。
あの後八王子駅に降り立った俺は、とりあえず住民票と本籍を取得することにした。もともと住んでいた地方の住所を使って、魔力で偽の転出証明書などの書類を作り出し、引っ越しと偽って新たな証明書を八王子市役所で取得した。その際、職員を少し魔法で操ったが、まあ致し方ないことだ。
そして次に、これまた魔力で八王子市の住民票などの書類を作り出し(お金が無かったから、市役所で発行できなかった)敷金礼金ゼロの格安アパートを借りることにした。一五歳で登録していたから、親の同意書なども偽造することになったが、ここまで偽装まみれならもはや些細なことである。
そしてその後は、まず理術第三高校とやらの入学に向けて準備をしながら日雇いのバイトを続けつつ、たまに三〇年間待ち望んだ秋葉原へ買い物に出かけ、入学試験を受けつつ週払いのバイトを行っていた。
入学試験が最大の難関だったが、何とか乗り切ることができたと思う。正直学校の勉強なんて三〇年前にやったきりだったからほとんど覚えてなかったが、それでも俺は魔王である。肉体は極限まで鍛えられ、その性能の向上は神経系や脳にまで及んでいた。
つまるところ、記憶力や思考速度などに限り俺はとても頭が良かったのだ。
なぜか体力試験まであったが、それも他の受験者を参考に常識の範疇で収まるように調整した。
そして今日は待ち望んだ合格発表日だ。インターネットや高校の敷地でも合否の確認はできるが、同日必着で通知が学校から届くようなので、俺はそれを待つことにした。
今日のバイトを終わらせてから帰るころにはすでに届いていることだろう。
俺は布団から起き上がると、ひとまず台所で顔を洗ってから夜に作り置きしておいたおかずとタイマーで炊いた米をかっ込んで、仕事用のバックを持って外に出た。
今はすでに一月の真冬。
地球に戻ってきてからは二ヵ月が経っている。
この警備のバイトもすでに一ヵ月はやっているのだから、もう慣れたものだ。
警備員のバイトは基本的に十八歳以下の高校生は行うことができないのだが、それはこれ、十九歳に偽造した証明書を使ったから問題ない。
無いったら無いのだ。
今日は駐車場の警備だ。
警備員の制服に防寒着を着て、反射材を使ったベストを羽織って誘導棒を持つ。
そして誘導棒を振りながら駐車場の出入り口で車の誘導だ。
腕を振って、車道の車を入り口に誘導する。
歩行者がなかなか途切れずに、長時間車を待たせてしまい多少の嫌味を言われるが、まあいつものことだ。いちいち気にしない。
警備員っていうのは、はたから見ると突っ立ってるだけでお金がもらえる楽な仕事だと思われがちだが、実はそうじゃない。
休憩時間は少なく、朝から晩まで突っ立ってるから足が非常に痛くなる。それに今は冬だから、体中にカイロを張り付けておかないと寒くてやっていられないのだ。
警備業界はそのあまりの仕事の辛さから、離職率が非常に高くいつも人材不足なのである。正社員でも入社してから数か月で辞める者も多いというのだから、よほどなのだろう。
まあ俺にとっては、疲れると言っても三日三晩剣を振り続けるような戦場ほどじゃないし、寒いと言っても酸素や窒素すら液体となる魔界の氷雪地帯ほどじゃないから問題なく耐えられるが。
そういえば魔界で思い出したが、そのことで一つ懸念があるのだ。
それについて語るのであれば、まずは異界のことから説明すべきだろう。俺は三〇年前から変わってしまったこの世界を知るために、異界について調べていた。
現れたのは二十七年前。最初に被害があったのはヨーロッパにあるとある小都市で、今は異界門と呼ばれる次元の境目から異形の集団が現れたのが始まりらしい。
軍が異形の集団を駆逐するまでにその小都市は壊滅的な被害を出してしまったようだ。
まあ、それから各国がとった対策とか、術師の誕生とかいろいろあるのだが、俺が注目しているのはそこじゃない。
ただ異界と呼ばれている地球とは異なる世界だが、どうやらそれは一つではないらしい。
今確認されている異界は、全部で五つ。
天使やキューピット、戦乙女の起源と言われている天族の住まう<天界>、
精霊や妖精、悪霊の起源と言われている精霊族の住まう<精霊界>、
西洋の竜や東洋の龍の起源と言われている竜族の住まう<竜界>、
妖怪や怪異、中国などの神獣の起源と言われている幽幻族の住まう<幽幻界>、
そして、悪魔や吸血鬼、鬼などの起源と言われている魔族の住まう<魔界>、である。
そう、魔界だ。
いや、まあ、そうだと言っても名前が同じなだけで全くの別物という可能性の方が高い。
俺は少し前まで魔界で活動していて、しかもそこを統一した王だったのだ。別の世界へ移動しそこを襲撃しているなどという事があったなら、必ず俺の耳に入っているはずだ。
特に俺は、魔界とは別の世界である地球に帰る方法を探すために長い間調査と研究を続けていたのだから、そんなことに気が付かないなんてことはあり得ない。
だから、ちがう魔界なのだろう。だが少し興味があるところだ。
今日の仕事もそろそろ終わるころだ。
まだ日は高いが、どうやら雇い主の都合とやらで早く終わるらしい。
現場の隊長から無線で作業終了の連絡が入り、俺は振っていた誘導棒を下した。
さて、今日は早く終わったことだし何しようか。秋葉にでも行くかな? と考えていると、遠くの方から非常に懐かしい力の波動を感じ取った。
「これは、魔力……?」
いや、ありえない。
俺のいた魔界であればともかく、地球に魔力など存在しないのだ。
でもさっき感じ取ったものは確かに魔力。
俺はその正体を確かめずにはいられなかった。俺はすぐに制服から私服に着替えると、荷物をまとめ走り出す。
たどり着いたのは、品川駅近くのビル街だった。
近くにきたら確実に感じ取ることができるようになった。魔力の波動はちょうど品川駅の上空を中心として周囲にあふれ出ているようだ。首を上に曲げてそこを見ると、その魔力の中心には不思議なものがあった。
まるで空間がひび割れ裂けているように歪んで押し広がり、その裂け目からは真っ黒な闇が覗いていた。
あれがおそらく、異界門と呼ばれるものなのだろう。
魔力の発生源は、おそらくその奥。
暗黒の向こう側から広がっている。
俺が呆けたようにソレを見ていると、その裂け目から何かがヌルリと姿を現した。
それは、巨大な竜の頭だった。
黒い鱗を紫に光らせたその竜は、次いで首、腕、胴と裂け目から這い出し、尻尾までが全て露わになると空間を震わせる程の雄叫びを空に放った。
そして、喉を震わせながら不可思議な音を出した。
異界門からの、侵略者である。
俺の周囲にいた人々は、そのあまりの事態に腰を抜かし者もいれば、どうにかして少しでも遠くに逃げようと走り出す者もいた。
全ての車は止まって交通は完全にマヒし、品川駅は叫び声に包まれた。
町中にあるスピーカーからはサイレンが鳴り響き、避難を促すアナウンスが流れている。
そんな状況に回りが包まれようとも、俺はその場に突っ立ったままだった。
逃げ惑う人の流れに逆らうように、その場から動けなかったのだ。
なぜか。それは、俺には理解できたからだ、あの音を。
あの空に浮かぶ巨大な竜が発した、不可思議な音。
あんなに慣れ親しんだそれに、俺が気が付かないはずはないのだ。
あれは、数か月前に俺が置いてきたもの。
この地球には、存在しないはずの言語。
魔界で使われていた言葉だった。
空中にいる竜は言った。
『ここが人間の住む世界か』と。
いくら、同じ魔界と表現される世界と言えど、俺の過ごした魔界と異界門の向かい側にある魔界、どちらもが同じ言語であるという事などありえない。
奴には少し聞くことができたようだ。
しかし、そうなると奴の竜の姿。あれに少し心当たりがある。
俺のいた魔界でいうところの<邪竜種>という種類にあの姿は酷似している。邪竜種の中にも様々な<闇竜族>や<魔氷竜族>などの種族が枝分かれしているのだが、そこまでは分からない。
しかしあれが邪竜種だというのなら少しまずい。
邪竜種は魔界の中でも強靭な肉体と膨大な魔力で戦闘に秀でた強力な種族の一つだ。ここから感じる奴の魔力の強さから考えると、あれが暴れればこの町どころか東京二十三区全域が火の海に沈みかねない。
あれはどうにかして拘束するか、倒してしまうべきだ。
ただ、今の俺ではあれに対処できるだけの力は無い。
魔界の王にしては、力が小さい?
そうではない。
俺の力にはとある制限があるのだ。
ここではそれを取り払うわけにはいかない。
俺は町の各所に設置されている監視カメラに目を向ける。
どうにか、あれらの視界の外に行かなくてはならない。ただ、町中にある全ての監視カメラの位置を把握している時間は無い。
俺は近くにあるビルの中に飛び込むと、その中にあるトイレの中に駆け込む。
そして、自分の体に隠蔽の魔法をかけた。
光が通り抜けて姿が透明になり、風が通り抜けて気配が無くなる。
俺の体から発せられる魔力や赤外線などのあらゆるエネルギーも遮断されるため探知魔法に引っかかることもない。
これで周りから俺の姿を見られることは無くなった。
俺はすぐさまトイレを出て、ビル街の車道に立った。
人々はすでにどこかへ逃げているようで、この場所に俺以外の人影は無い。
監視カメラには魔法の力でもう俺の姿は映っていない。これなら心置きなく戦える。
俺は魔法で浮き上がると、空中に飛び上がる。
周囲はビルから青空となり、東京の都市は遥か下に見えた。
そして竜の前まで停止する。
全長一〇〇メートルにも達しそうな巨竜は地上を睥睨し、どこを攻撃しようか思案している様子だった。
やらせねーよ。
俺は透明の状態のまま、体から魔力を迸らせる。
竜は俺の魔力に気づいたようで、透明になっている俺の付近に目線を飛ばし警戒するような仕草を見せる。
俺はそれに構わず、力を行使した。
ドクン、と体が脈打ち熱を持つ。
体がメリメリと音を立てたと思うと、徐々に体が大きくなっていく。
俺の力は<形態変化>。
肉体に特定の魔力を巡らせることによって肉体を改変し、その力を増大させる。
早い話、ゲームとかでラスボスがよくやる変身である。
いかにも魔王らしい力だと思う。
魔界で戦いを経験するうちに開発した、俺だけの力だ。
この力は、普段の人間の姿を<第一形態>とし、第二第三と変身を重ねるたびに莫大に力が増大する。
ただ、この相手には<第二形態>で事足りるか。
俺の体は徐々に大きくなっていくごとに溢れ出る魔力が莫大なものになってゆく。
肉体の成長が終わったころには内包された魔力の量は、目の前の竜の物より幾分か多くなっていた。
俺は隠蔽の魔法を晴らす。
するとそこにあったのは、今までの俺の姿とは全く異なったものだった。
身長は三メートルを超すほどにまで大きくなり、その肌は闇のような黒。
その巨体は荒縄の如く引き締まり、強靭な筋肉の鎧を纏っていた。
背中からは大きな蝙蝠の羽が六枚生え、羽の関節からは鉤爪が伸びる。
両脚は膝上あたりから黒い鱗が生え揃い、竜の物のようになっていてナイフよりも鋭い鉤爪が生える。
両腕は肩下から獣の灰毛が生えて、手は毛が覆われたまま狼男のように五指には鋭い爪が伸びていた。
灰色となった髪は滑らかに伸びて、足に届くほどに長くなっている。
大きく捻じれた黄土色の二本の角は、こめかみから伸びて天を突く。
両目は赤く輝き、唇からは長い牙が覗いた。
その相貌は普段の俺に比べて非常に整ったものになっているが、俺と血縁関係にあるのではと想像するほどには面影がある。
胸の中央にある横一文字の線――いや、瞼が開き、握り拳よりも大きな眼球が現れる。それは顔の両目と同じく赤色に輝いて、その瞳の中には緻密な魔方陣が幾重にも躍っていた。
体の周囲は凝縮された魔力の圧で紫色の光が浮かび、景色が歪む。
第二形態・<悪魔ノ形態>
魔界で魔王プリクベラムを名乗っていた、六道春が最も多用した形態であった。
意識が「六道春」から「プリクべラム」へと切り替わる。
とは言っても、たいしたことではない。
会社に出社したときやネット投稿用の動画を撮るときに、気持ちを切り替えたりするだろう。つまりはそれである。
俺は職業人なのだ。仕事はきちんとやり遂げるタイプであるし、それにある程度のプライドも持っている。
「一般市民・六道春」から「魔王・プリクべラム」へと気持ちを切り替え、俺はこれより魔王として振舞おう。
俺は大きくなった体で目の前の竜を見つめる。
視界の端に、千切れた服の無残な姿が風に乗って飛んで行ったのが見えた。
……しまった。
服を着ていたのを忘れていた。
ま、まあ大丈夫だ。こんなこともあろうかと、空間に干渉する魔法で予備の服をいつも亜空間に用意してある。
ドブに落ちた服の代金のことは考えないようにしよう。
意識を切り替え努めて竜を見ると、どうやらあちらもこちらを観察しているらしく俺の体を無遠慮に眺めていた。
『その魔力……貴様も魔界の民のようじゃな』
竜が魔界の言葉で俺に話しかける。
『そのことについて、一つ質問がある』
俺も魔界の言葉を使って答える。
最初に転移したとき、苦労して覚えたものだ。
俺が保護された集落のばあちゃん、本当にスパルタだったからな。言葉覚えるだけで死ぬかと思ったほどに。
『プリクべラムの名を知っているか?』
俺が魔界で使っていた名前。
六道春という名前は、本当に俺の周囲にいた極僅かの者しか知らない極秘事項。対外的には俺はプリクべラムという名前を使っていたのだ。……名前の由来は、よくゲームで使っていたハンドルネームをそのまま使っただけだが。
『……貴様、この儂を馬鹿にしておるのか?』
『どういうことだ? つまり、知らないと?』
『それを馬鹿にしておると言っておる……!』
なぜ怒っている?
いまいち要領を得ない。
もう少し強く聞き出せば分かるだろうか。
『つまり、知らないと解釈していいか?』
『……いつまでもふざけおって!』
竜の目が輝き、顎が噛み締められて牙が音を立てる。
口の間からは炎が漏れ出していた。
そして、叫ぶほどの大声で言い放つ。
『それ程聞きたいのなら教えてやろう! 大魔王プリクべラム様とはかつての大昔、一万年前に魔界全土を平定しその統一の玉座に座られた唯一にして無二のお方である! 魔界全民に豊穣を与え、卑劣なる魔神を討ち果たし、大いなる海へと旅立ったお方よ。そのように気安くお呼びできる名ではないぞ、貴様も魔界の民であるならば敬称の一つでも付けんか!』
ふむ、と鼻を鳴らして、俺は考え込むように手を顎に添えた。
しかしそれとは裏腹に、頭の中は混乱の嵐が吹き荒れていた。
一万年前とはなんだ。
俺がいたのが一万年前の魔界だというのか。
同じ名前の他人という可能性は……ないだろう、それにしては行動が似通りすぎている。俺が行ったのは魔界の統一もそうだが、魔界全体の食糧事情の改善も行ったし、魔神を名乗るくそ野郎も葬っている。
ならばパラレルワールドにいる別の俺という線はどうだ。
……いや、そんな風に色々な可能性を考えればキリがないか。
こいつの言うプリクべラムが俺自身であると仮定して行動していくのが一番無難だろう。
違ったら違ったで、笑い話にでもすればいい。
これで一応知りたいことは知れた。
……余りにも信じがたい内容ではあるが。
俺は目の前にチラリと目を向ける。
あとはグルグル唸っているこの竜をどうするかだが……
このまま放っておくわけにはいかない、こいつが下の都市にでも攻撃を放ったらそれだけで大災害が起きる。
いつ来るかも分からない世界術師連合とやらのエージェントの到着を待っていることなどできないし、仮に来たとしてこいつを相手に、町に被害を出さずに戦闘を終えられるほどの力量を持ったエージェントだとも限らない。
というか、エージェントがきたら見た目が完全に異形である俺まで攻撃されそうだ。
そしてどうやら、こいつは俺の質問のせいで少々気が立っているようだし、ここは俺がこいつを拘束してからそのまま異界門の向こうまで投げ捨てて、お帰り願うのが一番ましな選択だろう。
最も、説得して帰ってもらうのが一番穏便ではあるが……
「さて、こちらのきけたいことは聞けた。礼を言おう。さて、ここで貴殿に一つ頼みがあるのだが……どうかこのまま魔界に帰ってはくれないか? 無用な戦いは避けたいのだ」
「ほう……? いう事においてそれとは、片腹痛いわい! この儂に勝てるつもりか、ならばその傲慢叩き潰してくれるわッ!」
やはりダメか。
こちらが上から目線であることもあるかもしれないが、魔界ではこのぐらい強気にいかないとこちらが舐められるだけであまりいいことがなかった。
結局のところ、魔界ではこのくらい敵対的な状況になるとどんな対応をしても基本的に争いを避けられないので、順当と言ったところかもしれない。魔界の者たちは皆、血の気が多く暴力至上主義なのだ。
黒い竜は、口元を光らせたと思うと次の瞬間、闇色の魔力光線を顎の間から発射した。
荒れ狂う闇の竜巻のような魔砲。
角度は地上と並行より少し上向き。
町に着弾することは無いと判断し、直径五メートルに達するそれをスルリと回避する。
そして攻撃の直後の隙を狙って、背中に生えた六枚の羽を無限に伸ばし縄のように竜の体を拘束した。
突然のことに竜はもがいて抵抗するが、羽が千切れる様子は無い。
ならばと爪を振り上げて断ち切ろうとする。
しかし、俺の胸に埋められた巨大な魔眼が光り輝いたかと思うと、竜はその動きを完全に止められてしまう。
麻痺の魔眼。
俺の魔眼に込められた数ある力の一つだ。
別名、停止の魔眼とも呼ばれる。
これで拘束は完了した。
麻痺の魔眼は強力な分、発動に数瞬のためが発生するため万全を期すために相手の行動を阻害し、こちらから気をそらす必要があったのだ。
これであとは、いまだに開きっぱなしの異界門の中にこいつを放り込むだけ。
俺は竜を羽で縛ったまま、異界門の近くに寄っていく。
「ま、待ってくれんか!」
竜から声をかけられる。
どうやら、喉と口の一部だけ魔眼の力を自力解呪したようだ。
しかし他の体の部位の解呪はできない様子である。
目に見えるその魔力は弱々しく、ずいぶんと消耗しているように見える。
すでに影響下に置かれた魔法を自力で解くのは難しく、非常に大きな力が必要だからだろう。
「それほどまでの力、感服いたした! ひいてはこの儂を貴方様の配下にしてはいただけませぬか!」
俺の体が固まった。
そして自分の引っ張る黒い竜をいぶかしげに見る。
なぜ、いきなりそのようなことを……
少し考えてから、いやとかぶりを振る。
魔族ではこれが普通なのだった、ここしばらく……数年は戦闘らしい戦闘をしていなかったので忘れていたが、これが魔族の考え方だ。
魔族というのは基本的に、チンピラとゴロツキとヤクザの寄せ集めの様な種族なのだが、同時に力の信奉者だ。
それはなにも、自分自身の力だけに留まらず他人に対してもであり、単純に<力>を信仰していると言ってもいい。
喧嘩っ早く、すぐに殺し合いの戦闘に発展する魔族だが、その分自分を打ち負かしたものには一定の敬意を払う者が多い。
得に戦闘で相手を殺さずに無力化した場合、それは手加減ができる程に実力差が開いているという事で自分を倒した相手を敬いその支配下に入ろうとする。
なかまになりたそうにこちらをみている、というやつである。
面倒なこともあるが、俺は魔族のこの性質のおかげで、三〇年も経たないという短い期間で魔界を統一できたと言ってもいい。
だからあまり無下にはしたくないのだが……
「すまないが、それは不可能だ」
「そんなっ! なにとぞ、なにとぞよろしくお願い申し上げまする!」
「私は現在、この人間の住まう世界に居を置いている。この世界はお前を許容しないであろうし、その巨体では隠れることもままならん。ゆえに、不可能だと言っているのだ」
この世界、地球は異界の発見とそれとの接触で多少なりとも変容したようだが、それでも異界の住人をそのまま住まわせるほど寛容にはなっていないのは調べて分かったし、それもあって俺はこの力を公にせず普通の人間として暮らしているのだ。
術師という存在との契約という形であれば話は別だろうが、力を重んずる魔族が人間と容易に契約することは無いだろう。
俺は、少なくとも現在異界の住人と契約を交わす気はない。
仮に隠れることが可能ならばまだ検討の余地があったが、この全長一〇〇メートルの巨体が隠れて生活できるような場所は、少なくとも日本国内には心当たりはない。
「そうなのでしたら、儂は<魔人形態>を使えますので隠れることは可能でございまする!」
「……魔人形態、か……」
聞いたことが無い。
いや、竜の話が本当であるなら、俺がいた魔界は今の一万年前であるし新たな技術が開発されていても不思議ではないか……
「そうでございまする! 魔人形態は人間の姿によく似ております故、隠れることは可能と愚考いたします」
「……ふむ、よしやってみろ。」
俺は魔眼を解呪し、羽の拘束を解く。
そして自分と竜の体が完全に入るように立方体の結界を構築する。
光や空気はもちろん、魔力や熱なども完全に遮る、遮断の結界である。
ただ、光だけは結界外に出ることができないだけで外から入ることはできるので、結界の中から外の景色を見ることは可能だ。
魔人形態とやらで潜入するならば、おそらく行われているだろう世界術師機関や政府の監視から姿が見えないようにした方がいいだろう。
結界が構築され、黒竜はそれを確認すると体の中に力を籠めるしぐさをする。
すると、体からまばゆい閃光が放たれる。
そしてそれはどんどんと光量を増していく。
これを見ていて、ふと思いついたことがある。
これと似たような状況を、俺はマンガやアニメでよく知っている。
そう、例えばアニメではこんな場面になった時、変身した後現れるのは美しい少女で、そこから主人公との物語が始まったりするのだ。
主人公の家に居候して、同じ学校に通い、何かの事件に巻き込まれたりして絆を深めていき、最終的には感動的なゴールインを……
俺ももしかしたら、その恩恵に預かれるのではないだろうか。
夢が広がるというものだ。
周囲を染め上げる閃光が晴れると、そこには一人の人間が浮かんでいた。
さて、どんな姿をしているのやら……
そこにいたのは、白く長い髪に、同じく長く白い髭の人物。
顔には無数の深い皺を持ち、腰は大きく曲がっていた。
その姿は、好々爺とした一人の老人だった。
「この姿であれば、この人間の町であれば潜むことも可能でありましょうぞ」
老人はそう自信ありげに言い切った。
「美少女になって出直してこい」
交代を要求する。
5
東京都内にある、世界術師連盟の指令室。
連盟の日本地域東京支部でもあるこのビルの一室はいま、慌ただしい喧噪に満たされていた。
日本中に設置されている異界門探知機が、強力な空間振動を捉えたからだった。
緊急連絡で呼ばれた私は、そこに踏み込むなり近くにいた職員に問いただす。
「現在の状況は?」
「有川支部長! 現在は、非常にまずい状況です。空間振動が感知されてからわずか三分、すでに異界門が開かれております!」
なんてこと……
私は歯を食いしばる。
あり得ないことだった。
異界門が開かれる前に空間振動と呼ばれる空間の波が必ず起こる。
これは世界を接続するための余波のようなものだと言われている。
その空間振動が感知されてから異界門が作り出されるまでにかかる時間は、一時間から三時間。
これまでの二十七年間、それに例外は無かった。
研究などで明らかにされたわけでは無く、ただの統計でしかなかったが、空間を裂いて世界を繋ぐのにはやはり相応の時間がかかるのだろうと、私を含め誰もがそう考えていた。
しかしその常識は、私の目の前であざ笑うように崩れ去った。
「住民の避難は!?」
「まだです! おそらくそろそろ放送が始まるかと」
「なんてことなの……」
いままでは空間振動が始まってから異界門が開かれる時間に余裕があった関係上、振動の感知から避難放送まで僅かといえどタイムラグがあった。
それでも五分もかからず放送は始まるが、感知から僅か三分に異界門が開かれるという前代未聞の早さに対してでは遅すぎた。
根拠もないただの経験だけを判断基準にしていた自分の無能さに、自らを罵りたくなる。
「場所は品川の上空、高度三〇〇メートルほどになります。感知されるエネルギーが魔力であることから、異界門から現れるであろう対象は魔界の住民である、魔族だと思われます」
「魔族……、考え得る限り最悪の選択ね」
私の苦みの乗る言葉に、同じく渋面を作る職員。
異界の者たちは、その世界ごとにその性質の傾向が異なっている。
その中でも魔族は総じて暴力的な傾向があり、それでいて享楽的な者が多い。
つまり、戦闘が長引いた場合、五つの異界の者の中で周辺被害が最も多くなるのが魔界の魔族なのだ。
破壊に快感を覚える者も多いので、避難がが遅れているであろう現在その被害は計り知れないものとなるだろう。
「エージェントの到着は?」
「はい。現在緊急回線にて要請を行っておりますが、なにぶん異界門の出現時間がこれまでにない早さですので、おそらく異界の侵略者の出現には間に合わないかと……」
「そうね……」
その時指令室に、あれを見ろ! という声が響く。
私はその声に振り返る。
そこにあるのは壁一面の巨大スクリーン。
様々な情報や映像を映しだすそこには、恐ろしいものが映し出されていた。
東京都市上空、青い空に浮かぶ黒い亀裂である異界門。
そこから覗いていたのは、黒い巨竜の頭だった。
「なっ……!」
私は息を飲んだ。
画面越しに見ただけで分かるその強大さ。
何かの間違いだと思いたかった。
黒い鱗を紫に光らせたその竜は、次いで首、腕、胴と裂け目から這い出し、尻尾までが全て露わになると空間を震わせる程の雄叫びを放つ。
そのあまりの威圧感に、映像にもかかわらず身が仰け反った。
あらゆる攻撃を弾きそうな分厚い鱗に、すべてを噛み砕きそうな大きな顎。
大きな翼が、大空に羽ばたく。
「――対象のエネルギーを観測! 種別は魔力、エネルギー量はランクAAと推測されます!」
悲鳴のような報告に、私は顔が歪むのを止められなかった。
ランクAA。
このランクは、通常火器どころか艦砲や巡航ミサイルですら無傷で防ぎきる。
唯一効果があるのは核兵器ぐらいで、それでも直撃を受けたとして戦闘を継続できる程度の傷をつけるのがせいぜいだ。
そしてその攻撃は一つ一つが戦術級の兵器に匹敵しかねない。
この異界の生物特有の圧倒的な戦闘能力こそが、三〇年前までの兵器を旧時代の遺物と化した原因である。
マンハッタン宣言によって術師の戦争での参加は禁止されたが、それでも世界中の軍事や戦争に与えた影響は大きい。
しかし異界の中でも、ランクAAの領域にまで達する者は非常に少ないと予想されている。
日本でも一〇〇万人いる術師のうち、ランクAA以上の力を持った者は二〇人に満たないのである。
つまり、目の前に映し出された黒い巨竜に真正面から戦闘を行えるのは二〇人もおらず、そしてその内一人を除いて全員が関東地方にはいない。
普段であれば少なくとも3人はいるのだが、今はとある事情により一人だけ。
「……私が出ます。準備をしなさい」
「し、しかし支部長は確かにランクAAですが……」
私の言葉に職員は言葉を濁らせる。
理由は分かる。
私は確かに日本にわずかしかいないAAの一人だが、その力は支援に秀でていて直接戦闘では一段も二段も落ちる。
そもそも、このランク付けに関しても、同ランクの敵に対して戦闘許可が出るだけであって必ず勝てるわけではない。
むしろ負ける確率の方が高いだろう。
力は同程度であっても、たいていこちらには守るべきものがあるからだ。
私がランクAAに確実に勝てるなら、すでにランクAAAに格上げされていることだろう。
しかし、それでも私が出るしかない。
私であれば時間を稼ぐことくらいはできるだろうが、他の者ではそれも難しい。
おそらく私は死ぬだろうが、守ることが私の仕事だ。
夫と娘を置いて逝くのは抵抗がある。そして私には約束が、やるべきことがある。
でも、私が出れば、何人もの人々が助かる。
それだけでも私は救われる。
私が覚悟を固めたその時、またもや悲鳴のような叫びが指令室に響き渡った。
「もう一つの高エネルギー体を観測! 種別は魔力! これは……、ランクAA高位! そのエネルギー量はランクAAAに匹敵しかねません!」
顔から血の気が引いていくのが分かった。
祈るようにスクリーンに目を向けると、そこに映っていたのは竜だけではなかった。
黒い色をした人型の異形がいた。
天を突く両角に、長い髪。
獣の両腕を持ち、竜の両足を生やしている。
胸の中心には巨大な魔眼。
自然体でただ浮かんでいるだけの悪魔のような男は、しかしその姿に隙が見えなかった。
私は、自分の体が膝から崩れ落ちるのを耐えるだけで精いっぱいだった。
先ほど固めた覚悟が、ぼろぼろと崩れ落ちる音が聞こえた。
しかし、どういう事だろうか。
向かい合った二体の魔族は、しばらくそのままだったと思うと、いきなり戦いだしたのだ。
それに対して疑問を持ったのもそうだが、その瞬間ホッとしたのも事実だった。
私はその自分自身の心の動きに、口の中から苦いものが走ったが、そのすぐ後に顔を青くした。
二体がこのまま戦い続けたらどうなる?
おそらく魔族が周辺被害を気にすることなどないだろう。
そうなれば、いったいどれほどの範囲に瓦礫の山が積みあがることになるのだろうか。
奴らに勝つことはできなくても、流れ弾を防ぐことくらいなら私にもできる。
私は踵を返し、現場に向かおうとするが、呼び止められる。
「有川支部長、あれを!」
職員が指さすスクリーン。
早く行かなければならない焦燥を抑えながら、私はそこを見た。
そして、その光景に目を見張る。
画面の中では、悪魔の魔族が竜の魔族を身動きが取れないように拘束していた。
馬鹿なッ!?
あの二体の魔族にそれほど大きなエネルギーの違いは無かったはず。
異界の者たちは、その内包するエネルギー量が戦闘能力に直結する。
戦闘技術を高める程、そのエネルギー量も比例して増大していくからだ。
それなのに、これほど早く決着がつくなんて……
そこで、ハッとなって確認する。
「周辺被害の状況は!?」
「グリーンです! 周辺被害は発生しておりません!」
その報告にホッとする。
どうやら本当に一瞬で片が付いたらしい。
悪魔は竜に攻撃する間もなく圧倒したのだろう。
でも、と私は気を引き締める。
脅威がなくなったわけではない。
ランクAAAに匹敵するほどの存在がまだいるのだから。
しかしなぜ拘束したのか。殺さない理由が何かあるのだろうか。
そう考えていると、急に魔族二体が見えなくなった。
二体と異界門が黒い立方体に包まれたからだ。
「これは……結界? いったいなぜ? ……解析を急ぎなさい!」
「ダメです! 探知機、解析機の一切が反応しません! そこにあるはずなのに、捉えられません!?」
どういうことだろうか。
……いや、確か聞いたことがある。超高位の結界術にそのようなものがあったはずだ。
しかしそれは入念な準備の下、大人数で行う儀式術だったはず。
それをこんなに簡単に行うなんて……
それから私たちは様々な方法を試したが、それは全て空振りに終わった。
そしてしばらく時間がたった後、結界は解除され、その中にいたはずの魔族二体と異界門は跡形もなく姿を消していた。
探知機からも、二体の魔族の行方は掴めなかった。
私は溜息を吐いて、後処理に着手することになった。
さて、これはどう報告したものか……
6
俺は六畳一間の自分の家で、封筒を片手に息を整えていた。
そして腹に力をため、封筒の中身を一気に引き抜く!
すぐさま目を皿にして書類の内容に目を走らせた。
「えっと……、あなたは西暦二〇五七年度国立理術第三高等学校入学試験に合格しましたことを通知いたします……」
よっしゃー! とガッツポーズをとる。
まさか本当に合格できるとは思わなかった。
もちろん試験に向かうために一生懸命勉強したし、身体能力試験ではちょっとずるだったかもしれないがいくつかの受験者の結果を盗み見してそれより少しだけいい結果が出るように調整した。
でも、半分記念受験のようなものだと思っていたので、棚ぼた的な嬉しさもあった。
今年本気でそこを受験して落ちた人には申し訳ないが、俺はこれまで三〇年間苦労してきたのだから少しぐらいいい目を見てもいいだろう。
来年頑張ってほしい。……いや、大学受験か?……まあいいか。
「おお! それは喜ばしいことですな! このシュルデンリッターも鼻が高いというものですぞ!」
そう鼻高々に嬉し声を上げる者が一人。
なるべくそちらを見ないようにしていたのだが、しょうがなく視線を向けるようにした。
「それで……、なんでここにいるんだ? お前は」
「それはもちろん、あなた様にお仕えするためでございまする」
ブスッとした俺の声に、まるで堪えていないかのようなじじ……シュルデンリッター。
そう、この黒竜の爺さんはシュルデンリッターという名前らしい。
かっこいい名前がちょっと羨ましいが、それは今はどうでもいい。
「いや、そういうのいいから。というか、ついさっき会ったばっかの爺さんと六畳一間で同棲とか死んでも嫌だからな」
「はっはっは、問題ありませぬ。儂のことは置物とでも思っていただければ……」
シュルデンリッターはそう言うや否や、着物のような衣服をいきなり脱ぎ始めると、褌一丁となって部屋の隅に向かう。
そして、ギシギシと音が鳴りそうな強靭で分厚い筋肉を強調する、ボディビルのサイドチェストポーズを決めた。
「……」
俺は無言でそれを見つめる。
ポーズを決めた筋肉の塊はピクリとも動かない。
いや、いまニカッと音が聞こえてきそうな感じで笑った。
それを見た俺は、一切の躊躇なく転移魔法で奴を玄関の外に飛ばした。
そして窓から外を見る。
ああ……太陽の光が目に染みるぜ……
玄関から扉を叩く音と、何か人の声が聞こえるがおそらく幻聴だろう。
高校かあ……三〇年ぶりだな。
楽しみだ。
――――To Be Continued……?
お読みくださりありがとうございます!
面白かったのであれば嬉しいです。
この作品は作者が帰還物が読みたくて書いたものです。
勇者の帰還物はよく見ますが、魔王の帰還物は見ませんので書いてみたくなりました。
これからも短編を定期的に投稿していくことになると思いますので、もしそれ読んでみたいという方がいらっしゃれば、ブックマークかお気に入りユーザー登録よろしくお願いします!
感想や評価もよろしければお願いします!
特に感想は「面白かった!」の一言でも非常に嬉しいのでぜひ……
※学校名が○○のままになっていましたので、修正させていただきました。不完全なものを投稿してしまい大変申し訳ありませんでした。
では1~5の行動をお選びください。
1.なかなか良いものであったぞよ
→評価欄をポチポチっと……
2.他の短編とやらも読んでやっても良いぞ……?
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3.面白いンゴ! これは感想書くしかないンゴ!
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4.もっといい書き方がある、意見せずにはいられない……ッ!(質問もok)
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5.ゴミがッ!
→ブラウザバック
それでは、また別の短編でお会いしましょう。
上七川春木
※追記(2018/9/29)新しい小説を投稿できず申し訳ありません。現在忙しく執筆時間が取れない状況です。それでもどうにかして投稿したいと思っておりますので、お待ちいただきたいです。よろしくお願いします。
※追記(2019/9/3)短編程度の長さの小説を投稿しました。
タイトル「スケルトンから始まる化物道」
URL:https://ncode.syosetu.com/n2808fp/
他の短めの作品も近々アップする予定です。