ー舞妓ちゃんー五ー
日ンなか、京極の洋服屋さんを見てまわり、お滝さんお母さんは、いろいろと見立ててくれて、ご飯を食べてから、巽橋に向かいました。
なにより、京舞は井上流のお師匠さんに習わなければなりません。
井上流のお師匠さんの家は、花見の小路の白川巽橋下ルにあります。(ウソ)
「ほなら、あしたここに挨拶にこよな。」
「へえ、わかりました。」
そこへ、からりと格子戸が開いて、中からおばあさんが出て来はりました。
「あ・六代目のお師匠はん、えろうご無沙汰してしもて。」
お滝さんお母さんは、あわてて頭を下げました。
「おや、三味線の、お滝はんお師匠はんやないの。ご無沙汰どすなあ。その子は?」
「へえ、今日からウチで預かることになりましたにゃわ。みどり言います。よろしゅうお頼の申します。明日、ご挨拶に伺おう、思うてましたんやわ。」
「そう、うん、ええ目ェしたはりますなあ。これは、お滝はん、ひらいもんかもせえしまへんえ。」
ウチ、まだぐりぐりメガネどすねやけど、ホンマに見えてはるんやろか?
「そうどすか?おおきに、ありがとうございます。ほら、みどりちゃんも、ごあいさつして。」
ウチは、大あわてで最敬礼しました。
「く・倉橋みどりどす。よろしゅうお頼の申します。」
「?祇園の娘?」
六代目お師匠はんは、首をかしげてウチを見ました。
「へえ、団栗橋のそばで育ちました。」
「まあ、あっちは宮川町やないの、なんで花見の師匠が?」
「和泉屋の透吾ぼんが、ウチに連れてきてましたよって、そのご縁で。」
「まあ、透吾ぼんの…」
お師匠はんは、まぶしいものを見るように、目を細めて、ウチを見つめました。
「それで、ぼんは?」
「へえ、いまだに…」
「そうどすか、見かけたらウチとこに寄るよう、言うとくなはれ。」
「申しつかりました。ほな、明日参じますよって、よろしゅうお頼の申します。」
「へえ、ほなまた。」
六代目お師匠はんは、そのまますたすたと巽橋を渡って行かはりました。
石畳の巽橋界隈は、巽大明神を中心に、観光客にも人気のスポットです。
格子戸がならび、昔ながらの町屋が建ち並ぶ、写真にもうってつけの通りです。
お母さんは、ウチの肩に手を置いて、言わはりました。
「ほな帰ろか。そろそろ、ほかの妓も、まわししてはるやろ。紹介せなあかんしな。」
「へえ、わかりました。」
花見の小路を南に下って、一力さん・祇園甲部の前から西へ。
松本屋は、建仁寺の背中あたりにあります。
「ただいま、帰りました。」
お母さんが中に声をかけると、中からは、小夜さんが出てきはりました。
「おかえりやす、お母さん。あら?みどりさんやないの、ご無沙汰してます。このたびは、たいへんどしたなあ。」
小夜さんは、この秋舞妓さんに店だししはって、千代菊さんと言わはります
「こちらこそ、ご無沙汰してしもて、お姉さん、よろしゅうお頼の申します。」
「お姉さん?」
「ああ、二人は顔見知りやったね。こんど、ウチで預かることになった、みどりちゃんや。いろいろ教えてあげてな。」
「へえ、そしたら、仕込みさんどすか?」
「そうえ、今日から住み込みしはるよって、部屋へ案内してあげて。荷物を置いたら、ウチの部屋へ、みんな集めて。」
「へえ、わかりました。」
舞子デビューしたと言っても、千代菊さんは、ここでは一番下っ端ですから、細々したことも言いつけられるようです。
「はあ、これでやっとウチも、お姉さんやわ。みどりさん、けっこうきついことも言われるけど、辛抱してね。」
千代菊さんは、ウチより年下ですが、店だしした以上、お姉さんです。
「へえ、覚悟してきました。ウチ、天涯孤独になりましたにゃわ。そやし、舞妓さんデビューせんことには、行きも戻りもできしまへんにゃ。」
「ひゃ~、えらい意気込みやわあ。」
「うふふ、お互い透吾ぼんとは、縁が深いんやし、仲良うしたってください。」
「ホンマやね。こちらこそよろしゅう。」
二人で、頭を下げあって、笑いあいました。
「ここやよ。まあ、あんまり広うはないけど、住めば都言うしな。ほな、荷物置いて、お母さんとこ行こか。」
千代菊さんは、先に立って階段を降りました。
お母さんの部屋は、八畳間で長火鉢が置いてありました。
いま、大きいお姉さん(菜乃香)と、小さいお姉さん(菜乃菊)が、入ってきはりました。
「今日からウチに預かることになった、みどりちゃんや。みんな、早う一人前になるよう、鍛えてあげて。」
ウチは、あわてて頭を畳にこすりつけました。
「倉橋みどりです、お姉さんがた、よろしゅうお頼申します。」
「ふうん、あんた、そのメガネはいただけへんなあ、それ、取れるんか?」
小さいお姉さんが、きりっとした声で言わはりました。
「まあ、菜乃菊ちゃん、そないにきっぱりと…」
大きいお姉さんは、おっとりとした口調で、小さいお姉さんに言わはりました。
「琴江はん、お茶五ついれてー。」
お母さんが、奥に向かって声をかけると、程なく六十がらみのおばさんが、お茶を持って現れました。
お母さんは、お茶を一口飲むと、ウチに聞きました。
「ほんで、透吾ぼんからは、なにか習うてはるの?」
「へえ、少し。」
「どんなんを?」
ウチは、指を折って答えました。
「梅の実…」
「ぶー!」
お母さんと、お姉さんたちは、いっせいにお茶を吹き出しました。
「う・梅の実ぃ?ホンマに?」
大きいお姉さんは、目を丸くして聞き返しました。
「へえ、梅の実どす、ほかには笹の葉・菜の花・鳥追い・松の木…」
「ちょ、松の木ぃ?」
小さいお姉さんも聞き返しはりました。
「ウチまんだ松ノ木は、お師匠さんから手直しされてますぇ…」
「そやにゃあ、うちも鳥追いは苦手で…」
二人は、顔を見合わせてため息をつきました。
「へえ、それと、黒髪…」
『く・クロかみぃ!』
全員の目がテンになりました。
「ほ・ホンマに透吾ぼんは、そんなもの教えたんかいな?あんた、てんご言うてるんとちがうやろな。」
「へえ、透吾ぼんからは、そう聞いてますけど。」
お母さんは、持っていた湯飲みを、長火鉢に降ろすと、座り直して言いました。
「ほなら、ちょっとここで聞かせてもらおか。できるか?」
「へえ、よろしおす。」
ウチは、お母さんから渡された、練習用の三味線を構えました。
「ふうん…」(けっこう様になってはるやないの。)
千代菊さんが、声を出さはります。
「ほなら、何を?」
「でけるもん全部や。」
「わかりました、ほなら梅の実から…」
「透吾ぼんが、前に居てるつもりでな。」
「へえ。」
ウチは、少し息を吸い込むと、透吾ぼんから習ったものを、いちから弾きました。
全部弾き終わると、大きいお姉さんは、ほうとため息をつきました。
「ようここまで…透吾ぼんにはホンマに驚かされますなあ、お母さん。」
「…ホンマや。こんな素人に、ここまで弾かせるやなんて、この目で見ても信じられへんわ。」
「いや、これが素人芸やったら、ウチら何を習うてたんやろ。」
小さいお姉さんは、さっきの冷たい目からは、想像できへんような、丸い目で言わはりました。
「そやし、ウチが覚えているのんは、これだけどす。」
「あのな、みどりちゃん。」
千代菊さんが、口を開かはりました。
「お姉さんたちは、あんたのお三味線は、プロ並みや・言うてはるのんえ。いや、もしかしたらそれ以上やわ。」
「そうどすやろか?ウチは、透吾ぼんに教えてもうた通りに弾いただけどすえ。」
「それが、とんでもないことやとは、自分ではわからしまへんのやろなあ。」
「?」
「あんたは、透吾ぼんの弾いたとおりに、弾いてみせたんやろ?」
「そうどす。」
「そんなん、ウチでもでけしませんわ。あんたの手ぇは、魔法の手ぇや。曲調もテンポも竿のしなりまで、完璧にコピーしたはる。そんなん、しよ思うても、とてもできしまへんえ。」
「はいはい、それまで。」
ぱんぱんと、手をたたいて、お母さんが割って入りました。
「菜の香ちゃん、どないしよ?」
「そうどすなあ、ほなら舞はウチが教えまひょ。教えがいがありますなぁ。」
「そやね、菜の菊ちゃん、謡を頼めるか?」
「へえ、そのように。」
「細かいことは、千代菊ちゃん、よろしゅうな。」
「へえ、わかりました。」
そこで、お母さんはみんなをぐっと見回して、言わはりました。
「ええか、このみどりちゃんを一年以内に、舞子ちゃんとして店だしさせます。石にかじりついても実現させるように。」
「い・一年以内にどすか?」
菜の香さんお姉さんは、目を丸くして聞き返しました。
「そうや、みんなええな。」
「へえ、申しつかりました。」
菜の菊さんおねえさんは、しっかりと見返して、返事しました。
「うひゃ~、大忙しどすなあ。」
「この子の三味線聞いて、できると思うた。ウチはぜったいに、やってみせます。」
お母さんは、拳を握りしめて力説しました。
「そないに力んで言わいでも…」
「い~え、姉小路のダンさんにも、約束してしもたんやから、ええか・みどりちゃん!ぜっっったいに、舞子ちゃんになるんやで!」
「わかりましたお母さん、よろしゅうお頼の申します。ウチも、石にかじりついても、やりとおします。」
「よっしゃ、ほな今夜のお座敷に、「お花」ついてる子は、そろそろまわししなはれ。みどりちゃんは、みんなの手伝いしながら、手順を覚える。」
「男衆はんは?」
「今日は、定雄さん。」
「うひゃ~、きっびしい人やさかい、みどりちゃんも気ィつけてな。」
菜の香さんお姐さんが、素っ頓狂な声を上げました。
程なく、お化粧して、男衆さんに着付けをしてもらって、千代菊さん姉さんの出陣です。
ウチが出会ったころは、仕込みさんの半だらやったけど、しっかり振り袖も伸びて、だらりの帯も、本来の長さになっています。
菜の香さんお姐さんと、菜の菊さんお姐さんもぴしっと着付けて、出かけて行かはりました。
ウチは、着替えた着物や、下着を集めて衣紋かけに通し、衣桁につるしました。
男衆の定雄さんに、お茶の用意をするため、支度部屋から出ました。
男衆さんの控えには、琴江さんがお茶を運んでくれたので、ウチはそのまま定雄さんにあいさつしました。
「こんど、こちらでご厄介になります、倉橋みどりどす。よろしゅうお頼申します。」
「立花定雄どす。仕込みさんは、たいへんやろけど、きばってええ舞子はんになっておくれやす。」
定雄さんは、ごま塩の角刈りで、紺の紬をきりりと着付け、太い眉が印象的です。
鼻筋が通って、若い頃はお姐さんに、モテはったんやろうなあ。
「おおきにありがとうございます。立花さんにはご迷惑かけるかもせえしまへんけど、堪忍したってください。」
「堅苦しいことは、言わんでもええよ。わしらは舞子ちゃんや芸妓さんのお世話するために居てるんやから。」
「はよぅ一人前になれるよう、一生懸命努めさせていただきます。」
「そうどすな、それが一番ですやろ。」
ウチは、そっと部屋を出ました。
松本屋には、下働きや下足番を含めて、八人が働いています。
男衆は、通いで二人。
もちろん、置屋には男は寝起きできませんから、下足番のおじいさんも通いです。
小母と呼ばれる、世話焼きのおばさんが、琴江さんです。
奥向きの賄いをしているのは、内藤浄美さん、出戻りさんなので、あまりそのことには触れないこと。
少し、丸い体型で、めがねをかけてはります。
目が悪くて、コンタクトも合わなかったので、芸妓になるのはあきらめたそうです。
置屋の夜は、九時を過ぎると、益々忙しくなります。
松本屋は、御茶屋でもあるので、お客様は入れ替わり入ってきはるし、お姉さんの出入りも頻繁にあります。
「みどりちゃん、今のウチにお風呂あがり。」
お母さんは、琴江さんに案内を頼んで、ウチを内風呂に入れてくれました。
「ここは、身内用でほかに、お客さん用の大きいおふろもおますねやわ。」
小母は、そう言って説明してくれました。
松本屋は、御茶屋の看板を出していますが、どちらかというと、料理旅館のような営業をしているようです。
もちろん、お料理は、仕出し屋さんからはこんでもらうのですが。
今しも、新しいお客さんのために、仕出しが運ばれてきました。
奥向きの、内藤さんがてきぱきと、女の子に指示をして、お料理を運び込んでいます。
「毎度おおきに。仕出しの松岡です。」
若い板前さんが、白い帽子を取って、挨拶してくれはりました。
丸坊主もまぶしい、粋なお兄さんです。
卵形の顔に、真っ直ぐな眉。丸い目には愛嬌があります。
「あ・今日からこちらにご厄介になってます、みどりどす。今後とも、よろしゅうお頼の申します。」
「内向きさん?」
ウチのかっこうは、動きやすいトレーナーにデニムスカート言う格好でしたので、勘違いしたようです。
「いえ、これから仕込みさんどす。」
「へえ~、そらたいへんや。俺は、松岡の次男坊で、義昭。まあ、がんばっておくれやす。」
「へえ、おおきに義昭さん。」
言ってから気がついてんけど、ウチ・お下げでぐりぐりメガネ、はずしてへんかったわ。
まあ、しばらくこのままで居よう、思いますけど。
これでは、内向きさんやと思われてもしょうがないなあ。
じたばたしてるウチに、ようやっと一二時を過ぎ、ぼちぼちお花もはねて、お姐さんたちも帰ってきはります。
一番遅いのは、舞子ちゃんの千代菊さんお姐さんです。
「いや、一時やないの、千代菊さんお姐さん、お疲れさんどす。お風呂、入らはる?」
「ああ、ただいまみどりちゃん。お風呂、顔落としたらいただきます~。」
そうとう疲れてはるなあ。
だいたい、舞子ちゃん・芸妓さんの「お花」言うたら二時間が基本やねんけど、売れっ子のお姐さんにならはると、ひと座敷十五分なんてこともあります。
そのあとの、座を盛り上げるために、ヘルプのお姐さんをお願いすることもザラやよって、売れっ子さんはそう言うコミュニケーションを繁茂に取っておくことも重要です。
「今夜のお花は、誰に助けてもうたん?」
ウチは、振り袖を片づけながら、聞きました。
「え~、田島のお座敷では、地方の桃太郎姉さんと、立ち方の照ひなお姐さん。舞子ちゃんは照駒ちゃんと、ちっさい舞子ちゃんの照雪ちゃんやった。」
「へぇ~、ぎょうさんきてもうたんどすなぁ。田島のお母さんは、どんなひとどす?」
「そやにゃ~、おたべ人形みたいに、にこにこしたお母さんやけど、それに騙されたらあかんのや。ちゃ~んと、舞子ちゃんのお行儀見てはって、あとで置屋にしっかりクギささはるもん。」
「へぇ、こわいんどすなぁ。」
うちは、千代菊さんお姐さんの、足をもみながらお座敷の話を聞かせてもらいました。
「もうええよ。あんたも、疲れてはるんやから、早う寝て。」
「へぇ、おおきに。」
「あ・そや。これ使って。」
千代菊さんお姐さんが、そう言って差し出さはったのは、箱の上に円筒形の座布団みたいなもんがついたものでした。
「なんどす?これ。」
「知らへんの?箱枕やん。こうやって、髷を結うと崩れんように箱枕でねるのんえ。今から慣れるように、これで練習しときよし。」
「へえ、おおきに。ほなら、いただいていきます。」
ウチは、もらった箱枕を抱えて、自分の部屋に戻りました。
とたんに、膝から力が抜けて、がっくり。
「つっっっっかれたぁ~」
ばたりと布団につっぷして、そのまま眠ってしまいました。