ー舞妓ちゃんー四ー
陽が昇るのを待って、洋子ちゃんと姉小路の旦那さんを訪ねました。
ウチは、無理言うて、松本屋のお滝さんお母さんにも来てもらいました。
「やっぱり!あのひとはどうもいけ好かへん、思うてましたんや。旦那はん、とっとと警察に突きだしとくなはれ。」
松本屋のお母さんは、えらい勢いで憤慨したはります。
「まあまあ、腹が立つのはわしも同様やが、未遂やったんやから、そうも怒らいでもええ。この騒ぎでは、家庭内でも一騒動やろ。そやし、学校はどないする?ここから、八坂高校に通ってもええねんやよ。」
「いいえ、旦那さん。ウチ・いろいろ考えてみたんどすけど、松本屋さんから、舞子に出してもらえませんやろか。」
和泉屋の旦那さんは、ウチの顔を覗き込んで言いました。
「本気か、みどりちゃん。」
「へえ、本気どす。ウチもう十七どすけど、できますやろか。お三味線は、透吾ぼんから習うてます。」
ウチは、お滝さんお母さんに向かって、まっすぐ言いました。
「そら、昔とちごうて、今は二十歳で舞子してはる妓ォも居てるくらいやから、遅い言うこともないけど…」
「ウチも祇園で育った娘です。それはじゅうじゅうわかってます。そやし、一年辛抱して、店だしでけしませんでしたら、諦めます。」
「一年て、そら法外やわ。」
「お滝、どうやろ。乗りかかった船や、わしが後見するさかい、面倒みたってくれへんか?あかへんかったら、ワシがうちの娘として引き取るよって。」
「まあ、片岡のダンさんが言うことやさかい、ウチには否やはありまへん。そやし、一年は弱音吐かんと辛抱しぃや。」
「へえ、心得てます。」
洋子ちゃんが心配そうに声をかけました。
「ホンマに、学校やめるん?」
「ウチ、自立したい。幸い、祇園は昔から自立した女の生きる場所やもん。一人では、なんにもでけへんけど、女同士助け合って行けば、何とかなると思うし。だいたい、学校とお稽古と、両立してるヒマは、ウチにはあらしませんもん。」
「あんたは、ホンマ小さい見かけによらず、芯がしっかりしてるなあ。」
洋子ちゃんは、一つうなずいて言葉を継ぎました。
「わかった、ウチでできることなら、何でも言って。応援するし。」
「おおきに。そやし、いやなこと頼むけど、いずみちゃんと可愛ちゃんには、洋子ちゃんから伝えてもらえる?」
「そやな、決心が鈍ってもあかんし。よっしゃ、まかしとき。」
ウチは、もう一度お母さんに向き直って、深く頭を下げました。
「お母さん、よろしゅうおたの申します。」
お滝さんお母さんは、ため息をひとつついて、口を開きました。
「まあ、言葉から教えんでもええだけ、早いわな。わかりました、旦那はん・お引き受けいたします。」
「すまんな、お滝。十分ではないかもせぇへんけど、できる限り援助させてもらうさかい。」
「なんの、これで、一年でモノになるなら、お買い得どっしゃろ。ウチとしては大儲けどす。今は、舞子ちゃんも千代菊一人しか居てしまへんし、芸妓も菜乃香や菜乃菊のほかは、ええ妓が居てしまへんよって。」
「そら寂しいこっちゃなあ。ほな、いっちょきばってもらおかな。なあ、みどりちゃん。」
「へえ、きばります。」
ウチは、旦那さんの妙な励ましに、笑顔で答えました。
「そやし、みどりちゃん、着替えとかありますか?」
ウチは、持ってきたスポーツバッグを持ち上げて見せました。
「持ってこれた荷物は、これだけどす。もう、着の身着のままどすわ。あはは。」
姉小路和泉屋の旦那さんは、きりりと目を引き締めて、言わはりました。
「お滝、後でまた相談しよ。ええな。」
「へえ、承知しました。ほな、ちょっと買い物にいかしてもらいます。」
「みどりちゃん、これ持ってお行き。当座の服とかいるやろ。」
旦那さんは、ぽち袋を差し出してくれはりました。
「ええんどすか?ウチも、少しくらいは…」
「ええんや、ずっと透吾の面倒を見てくれたんやろ。そやし、ウチの嫁も同然やわ。遠慮せんと持って行き。」
(知ってはる…ウチとぼんぼんの関係を、わかってはるんや…)
「…おおきに、ありがとうございます。」
ウチは、不覚にも涙があふれてきて、こまりました。
父親って、ええもんどす。
透吾はんのヒネクレもん。
早う出ておいなはれ、こんなええお父さんを、心配させて。
「みどりちゃん、これも持ってお行き。ウチの若いときの着物やよって、もう着ぃへんし。ちゃんと、洗い張りしてあるさかい。」
御料ンさんも、奥から出てきはりました。
「ホンマに、こんな小さい子ぉに、手ぇ出そうやなんて、許せませんなあ。よしよし、こわかったやろ、なぁ。」
御料ンさんは、ウチを抱きしめて、背中をさすってくれはりました。
「御料ンさん、そんなんされたらウチ、泣いてしまいます。」
やわらかい胸に抱き留められて、ホンマにウチは泣きそうでした。
「ああ、かんにんな。お滝はん、どうぞよろしゅうおたの申します。」
「まかしとくなはれ、すぐにでも厳しゅう稽古つけさせていただきます。」
お母さんは、笑顔に涙を浮かべて、泣き笑いの顔でした。