ー舞妓ちゃんー参ー
右も左もわからへん城陽市で、まわりは真っ暗。
京都市内と比べて、このあたりは車の通りも少なく、街灯もあまりありません。
途方に暮れるとは、このことです。
とぼとぼと川の土手を抜け、明るい道に出たところで、公衆電話を見つけました。
「こう言うときは、やっぱし洋子ちゃんかなぁ?まだ起きてはるとええんやけど…」
ウチは、覚えている電話番号を、プッシュしました。今どきににせへん、携帯さんも持ってへんのはご愛嬌。ビンボの勝ちやん。
「はいはい、どなたさん?」
「あ・ウチ、みどりです。」
「みどりちゃん!どないしたん?もう夜中の二時やで。」
「えへへ~、ちょっとごたごたしてしもて。家を飛び出してきたんよ。助けて。」
「わかった。そこの目印は?」
「えっとね、わからへん。」
「アホやな、電信柱に何々町って書いてあるよって、見とぅみ。」
「あ、わかった、城陽市○○町二丁目やわ。ふうん、こねぇになってんにゃ。」
「よ~し、そのそばにファミレスとかない?看板が光ってるやつ。」
「ああ、あるある。デミーズ。」
「そこでええわ。さっさと入って、マネージャーに待ち合わせやて言うて、頼むんやで。ウチが行くまで待っててや。ええか、こう言うときはだれでも頼って、なんとかするもんなんや。恥ずかしいとか、迷惑やろとか考えたらあかんよ。」
「うん、わかった。ええよ、いま・ぐりぐりメガネとお下げやよって。」
「わかった、大至急行く!」
電話を切って、ぽくぽくとデミーズに向かいました。
洋子ちゃんの声を聴いて安心したこともあって、足取りは軽くなりました。
友達ってありがたいもんどす。
国道二十四号線でしょうか、道に沿った歩道を進むと、大きなトラックが何台も行き過ぎていきました。
(後で調べると、国道三〇七号と二十四号が交差するところでした。)
制服姿で深夜に、デミーズに座っていると、けっこう目立つのか、じろじろと遠慮のない視線が寄ってきます。
これからのことを、どうしたらええのんか、考える時間は十分にありました。
荷物を確認すると、母の貯金通帳や財布、保険の証書など、必要なものはすべて入っていましたから、ほっとしました。
「あ・教科書が入ってはるわ。」
これでドつかれたおじさんが災難やな。
こればかりは仕方がありません。
学校の鞄も、そのまま置いてきたようで、まいった・まいった。
それでも、ノートや着替えや、そんなものがごっちゃに入っているので、それをごそごそあさっていてたら…
透吾ぼんの写真を見つけました。
珍しい、ウチとのツーショットでした。
夏の写真。
透吾ぼんは日に焼けて、ウチはビンボくさいスクール水着。
冗談で、ウチの肩を抱いてはる。
あちこちささくれて、毛玉みたいになってるスクール水着が、恥ずかしかった。
ああ、胸ないなあ。
「透吾ぼんや…」
きゅうんと、胸が締め付けられます。
なにやら、たんと昔のような、すぐ昨日のような、へんな気分です。
頼んだコーヒーを待つ間に、金髪の男の子が近寄って来ました。
「なあなあ、家出してきたん?」
小さな声でささやくので、一瞬聞き取りが遅くなりましたが、言っていることの意味はわかりました。
「家出?ああ、このかっこう。うん、家出してきたわ~あはは。」
「行くとこないんなら…」
ウチは、いきなり右手を出して、言葉をさえぎりました。
「あんた、この人がだれかわかる?」
「え?」
ウチの差し出した写真を見て、顔色が変わったところを見ると、一応知ってはるようです。
「一応知ってはるようやなぁ。」
ウチは、にやりと笑って見せて、言いました。
「八坂の透吾の女と知って、そういうこと言うんやったら、それ相応の覚悟がおすのやろなあ?」
男の子は、ぶるぶると震えてきました。
「これからも、このへんでブイブイ言わしたろと思うてはるんなら、さっさとあっちへお戻り。見逃してあげるから。」
男の子は、青い顔をしてかくかくうなずきました。
「あ、あんたこれ頼むし。」
ウチは、ちょうどやってきた、コーヒーのレシートを押し付けてやりました。
「あんたの名前は?あとで透吾に、おごってもうたって言うから。」
「なな…ナナシで、けけけっこうです~。」
男の子は、レシート持って、すっとんで帰りました。
もっと高いもの注文すればよかった。
あまりに色々なことが、いっぺんに起こったので、頭が混乱しています。
そやし、あんまり時間もないことやし、このさきどうしたらええのか…。
ウチは、思案を始めました。
このままやったら、いずれ連れ戻されるか、手込めにされるか、あんまりええ未来は見えてきません。
ウチは、ノートに丸やら線やら書き込んで、方策を練ることにしました。
洋子ちゃんがくるまでに、少しでも方向付けがしたかったんどす。
やがて、コーヒーのお代わりは三杯を過ぎました。
ついでに、金髪ボーイがパフェやのハンバーグやの持ってきて、「姐さん姐さん」言うもんやから、同席を許しました。
いっぱい食べて、おなかも脹れて眠たくなってしまったわ。
この時点でウチは今後の計画を、練り上げました。
そうして、一時間もすると、派手なエンジン音が聞こえてきました。
ばばっばばっと言う、独特の排気音は、洋子ちゃんのバイク(ハーレー)です。
からんとベルが鳴って、洋子ちゃんが店に入ってきたときは、たった一日経っただけなのに、涙が浮かんできました。
「どないしたん、こんな夜中に。って言うか、なに?そいつ。」
「えへへ~、ちょっとお友達になってん。あ・おおきに、迎えが来たわ。」
金髪ボーイは、明るく手を振りました。
「えへへ、おじさんに夜這いかけられてしもた。」
「え~?なんやそれぇ!」
あまり大声で言うので、お店の中がいっせいに振り返りました。
「ちょっと、洋子ちゃん声が大きい。」
「ちっくしょ~、今からドつき回しにいったろか!」
「そらどうかと思うけど、姉小路の旦那さんに相談せぇへんとあかんね。」
「まあ、そうやね。とにかく帰ろう。ほら、上着とスラックス持ってきた。ヘルメットもね。」
「おおきに、かんにんえ。」
「アホ、それ言うなって、電話で言うたやろ。こんなん、お互い様いうもんやで。それに、友美ちゃんのことが、あったばかりや。この上、あんたになにかあったら、ウチは透吾に、どない言うて言い訳したらええの。」
「えへへ…」
洋子ちゃんのぶっきらぼうな言葉は、ウチの胸にしみました。
知らず、涙がこぼれます。
ウチは、トイレでスラックスに履き替えると、洋子ちゃんの上着に袖を通しました。
「なんや大きいなあ。」
「しゃあないやん、身長が十五センチも違うんやから。」
「いや、お尻がな…」
「そ・れ・は・い・う・な。」
こうして、ウチはその夜、京都の白川天王町の洋子ちゃんの家に戻って来たのでした。