ー舞妓ー参ー
見習い茶屋の上がりで、障子を開けると、開口一番!
「ありゃ~、なんちゅうきれいな仕込みちゃんやあ。こら楽しみやなあ。」
テーラー御幸の旦那さんは、ウチが菜の香さんお姉さんの後から座敷にあがるなり、声を上げました。
「まあ、旦那はん、ウチらおまけどすか?」
「なに言うてんねん、菜の香ちゃんがいてるから、仕込みちゃんも一人前になんにゃろ~?そう、ツノ出しなや~。」
「へえへえ、そうどすな。ほな、一献。」
「おう、よしよし。ほんで、この子は?」
「へえ、ウチの妹で、春菜どす。春菜ちゃん、テーラー御幸の旦那はんどす。」
「はは、春菜どす、どうぞよろしゅうお頼のもうします~。」
「ははは、かわええなあ。店出し一番はだれや?光栄なやっちゃなあ。」
「へえ、姉小路の和泉屋の旦那さんどす。」
「宗介か、あいつやるなあ。」
菜の香さんお姉さんが、注釈します。
「和泉屋の旦那はんは、この子の後見人どすさかい。」
「そうか~、よ~し、今夜はみんなに大入袋やろ!ほれほれ、手ェ出せ手ェ出せ。」
テーラー御幸の旦那さんは、上機嫌で大入り袋を振りまきました。
「ほんで、春菜ちゃんはなにができるんや?祇園小唄はマスターしたか?」
「へえ、ウチはドンなどすさかい、なかなか覚えが悪うて。」
「そうか~、なにが得意なんや?」
「へえまあ、お三味線なら人並みにでけるようになりました。」
「そうかそうか、店出しまでには、勉強せなあかんなあ。」
菜の香さんお姉さんは、いたずらを思いつかはったようです。
「ほなら旦那さん、春菜ちゃんのお三味線でも聞いてみはります?」
「へ?そやなあ、まあしょうないなあ、練習のつもりで弾いてみ。よかったらなんぞええもんあげよか。」
「どすて。春菜ちゃん、お三味線聞いてもらい。」
「へえ、ほなら鳥追いでも。」
「そやにゃ~、ほなひとつ頼むし。」
ウチは、この日のために用意した、透吾ぼんの三味線を取り出しました。
「まあ、それは…」
「へえ、そうどす。」
二人の遣り取りに、旦那さんは首をかしげました。
「ダンさん、これは姉小路の、透吾ぼんのお三味線どす。」
「へえ~、透吾ぼんの。」
ウチが、ついっと指を滑らせると、糸が音を紡ぎます。
「なんとまあ、これは、見習いの舞妓ちゃんの出す音とちがうぞ。」
「そらそうどす、この子は秋志野さんお姉さんが、跡取りに欲しいて言わはるほどの弾き手どすにゃ。」
「秋志野が?ほなら、名人級やんか。こらたいそなもんやで。」
御幸の旦那さんは、くいっと杯を干しました。
「舞いは、ウチと千代菊で仕込みました。謡いと仕舞いは、菜の菊が教えました。お三味線は、秋志野さんお姉さんとウチのお母さんがみっちり仕込みました。」
「おいおい、そんな英才教育されてきとるんか、こら明日店出ししてもええレベルやないか。」
「まあ、そうどす。松本屋の最終兵器どす~。」
ウチが、お三味線を弾き終わると、御幸の旦那さんは手招きしました。
「よ~う精進したなァ、ご褒美や。」
旦那さんの手には、ぽち袋がありました。
ウチの手に握らせて、感激してはります。
「今年は舞妓も豊作で、年末までに七人店出しするそうやが、あんたが一番やろ。ワシ、いままで舞妓ちゃんは、たくさん見てきたが、あんたほどの弾き手はおらなんだ。」
ウチの顔を正面から見て、真面目な顔で言わはんにゃもんで、どう言ってええかわかりません。
「こんな妓の、最初の座敷に当たって、こんな幸運はないで!末代まで自慢できるわ。」
「へえ、おおきにありがとうございます。」
ウチは、素直にお礼を言いました。
「菜の香、ええ妓を育てたな、お前にもご褒美や!」
「あれまあ、ダンさん、ウチご褒美もらうの、初めてやねえ。」
「そうイケズ言うな。」
場に笑いが満ちました。
「他には何が弾けるんや?」
「へえまあ、いろいろと。」
「よし、今夜は春菜ちゃんの三味線で呑むことにするわ。」
こうして、ウチの見習いは始まったのでした。
照ひろ、豆しのと言えば、言わずとしれた同期のさくら。
紘子ちゃんと、しのぶちゃんです。
ふたりは、結い上げた髪を見せに、松本屋にやってきました。
「どやどや~、ウチの『われしのぶ』~。今日からウチは、照ひろやっよ~!」
「紘子ちゃんったら~、そんなおっき声で~。」
「しのぶちゃんこそ、いやいや、豆しのさんお姉さんこそ、声おっきぃで~。」
松本屋の勝手口で、きゃらきゃらと光があふれるような声がします。
「あれまあ、紘子さんお姉さん、しのぶさんお姉さん、ようおこしやすぅ~。」
「あ、マリカちゃんや~、どうどう?『割れしのぶ』~。」
「あ~、ホンマや、お二人とも髪結ってはる!いや、お似合いやわ~。」
「そやろ?みどりちゃんに見せに来たんえ。」
「わかりました、ほな、お姉さん呼んできますよって、中にあがってお待ちください。」
二人は、子犬のような目をして、上がり框に乗りました。
「いや、にぎやかやと思ったら、やっぱり紘子ちゃんとしのぶちゃんやあ、こんにちわぁ。今日はどないしたん?」
割れしのぶに結った髪と、白い一重。
めがねを外した様子は、二人に見せたことがありませんでした。
「うっっっわあ~。」
紘子ちゃんは、ぽかんと口をあけています。
「あれまあ、二人も『割れしのぶ』やん。あがって、お茶でもお上がりやす。」
「へ、へえ、そうどすなあ。」
「お、おじゃまします~。」
ふたりは、かくかくと機械仕掛けみたいに、座敷に上がりました。
「いや~、びっくりしたわぁ、みどりちゃんって、メガネ取らはると、まるで別人やんかさぁ。」
「そうやわぁ、声聞くまでだれかわからんかったやん。」
「そうどすやろか~、体型が変わった訳でもないのに。」
「そら反則やて~、いくらお約束言うてもやなあ、この差はなんなんやあ~!」
そこへ、お茶を持ってマリカちゃんがやってきました。
「そら、照ひろさんお姉さん、春菜さんお姉さんは、かくしだまっちゅうもんどっせ。」
「なんやのその、かくしダマ言うもんは。」
「あはは~、ウチにもようわからしまへんにゃけど、なんやそれっぽいどすやろ?」
「そらまあ、そう言われてみると、そうかもせえしまへんな。」
「マリカちゃん…」
「なんどす?豆しのさんお姉さん。」
「そやし、なんで舞子の仕込みさんのお茶菓子が、ナマ八つ橋やのん?」
「あ、へえ、五条坂でいただきましてん。たまには、舞子も京都の名物、食べてみてもえんとちゃいますか?」
「そらそうどすけど~。」
「そやそや~、舞子が八つ橋の味も知らんと、お花もらえますかいな。」
「あ、千代菊さんお姉さん。」
千代菊さんお姉さんは、八つ橋を持ち上げて、ぱくりと食べてしまいました。
「そやし、今年の大文字は、よう晴れてくれて、よろしおしたなあ。」
「へえ、今年は友美ちゃんの一周忌やし、ウチの母の百箇日どしたさかい、えろうしんみりしてしもて。」
「ああ、そうやねえ。あんたにとっては、大変なトシやったんやもんなあ。」
「そうどす、そやしみんな集まって、楽しくお精霊さんを送ることができました。晴れてくれて、よろしおした。」
「ほんまになぁ、友美さんは、ホンマにええお人で、きれいな人やったなあ。ウチ、あの人のお三味線が好きやった。」
お茶碗持って、しみじみと言わはる千代菊さんお姉さんは、トシに似合わへん、大人びた横顔をしてました。(千代菊さんお姐さんは十七です。)
みんな、友美ちゃんの死について、思うところも多かったと思いますが、ウチはすべてをありのままに受け入れようと思います。
「千代菊さんお姉さん、そうどすなぁ、なんや優しゅうて、味があって、ええ音してましたなぁ。」
「ウチらがこうして思い出話してるやなんて、あの世の人は知らへんのやろなあ。」
「ホンマや。奇遇言えば奇遇なんやね~、お姉さん、最初ウチのこといじめたろて、思うたやろ。」
「いや、ホンマ。あんたが学生さんのまんまやったら、いじめてたやろな~。」
「人生って、わからんもんやね、こうして二人でお茶飲む日が来るやなんてねえ。」
「なにしんみりしてまんにゃ、なあなあ、みんなでお昼しにいかへん?」
紘子ちゃんの声に、千代菊さんお姉さんがぴくんとしました。
「そやさあ、みんな髪結ったお祝いに、千代菊さんお姉さんがおごったげるわあ。カサブランカ行こう!」
「カサブランカ?」
ウチが聞くと、お姉さんはうなずいて、立ち上がりました。
「なんや、カサブランカ知らんかなあ?ちょっと入ったとこにあるけど、おいしいよ~。さあさあ、みんな行こ!」
皆は連れだって、川端丸太町にあるレストランに向かったのでした。
昔ながらの洋食屋さんの作りで、網あぶらで巻いたハンバーグがおいしいお店でした。
「あ~あ~、そんな食べ方したらあかんよ、舞妓ちゃんは、普通の人の四分の一にすんねん。な、こう。」
千代菊さんお姉さんは、ナイフで器用にハンバーグを切り分けて、口の真ん中に運びました。
「な、こうすると、紅がとれへんねんよ、これも立派なマナーやよってな、よう覚えとき。」
あまりに小さいので、みんな四苦八苦しています。
「時間がかかってもええから、なるべく小さくして食べるんよ。お客さんと一緒の時は、食べ切れへんかったら、あきらめるの。なかなか時間に余裕のあるお客さんばっかりやないよってな。」
うっわ~、長いセリフ。
「今日は、時間があるよって、ゆっくりしっかり食べてこうねえ。」
「千代菊さんお姉さん、おおきに。」
なんや、いちばん喜んではるのは、マリカちゃんやないかなあ?しかも大口あけて食べてはるし。
そやしもうはい、一重の着物も一人で着られるようになって、歩く姿もサマになってはります。
ま、あいかわらず舞もお三味線<しゃみ>もずんべらぼんやけど、まあ、うまくすれば年明けには、そこそこかっこもついてきはるやろ。そこまで引き上げてあげるつもりどす。
約束の十一月まで、あと一ヶ月。
ウチのほうこそ、ものになってるんやろか?
「あたりまえやん、もうはい十分舞妓でやっていけるよって、試験に合格してんにゃ。アホなこと考えてんと、自信持ちよし。」
「そうどすか?」
「そやてやあ、照ひろちゃんの舞い、ようなったやん。豆しのちゃんのお三味線、聞かせるようになったやん。心配せんでも、人の世のことは、人の世でなんとかなるようにでけてるんや。山より大きい獅子は出ェへん。」
「またまた~、お姉さんそれ、透吾ぼんの口癖やないですか~。」
「あ、ばれた?まあええやん?」
「そうどすなあ、あんなにずんべらぼんやった、マリカちゃんの三味線が、ちゃんと曲に聞こえるようにならはったもん。」
「お姉さん、そらひどいわあ。」
マリカちゃんは、ぷくっとふくれて、ウチを見ました。
「そやそや、マリカちゃんのお三味線も、聞こえるようになったし、なにより、春菜ちゃんの舞は、見違えるようやわ。」
「へえ、おおきに。」
「そやさかい、みんな、店出ししても、精進やで。これからが、スタートライン。」
「あ、髪結いの匡さんも、そないなことゆうてました。」
「あちゃ~、みんな、言うこといっしょやなあ。まずいまずい。」
「あはは~、そやし千代菊さんお姉さんの舞は、一見の価値アリやね。祇園の舞妓の中でも、一・二やないですか?」
「そやにゃ~、照雛ちゃんにはかなわんな~、あの子は華があるもんな~。」
「そうどすか?」
照ひろちゃんは、自分の身内やもんやから、にこにこしています。
「豆よしさんお姉さんの謡も、かなりのもんやしな~、なかなか一番ゆうもんは、取れへんねえ。」
「そんなもんどすか?」
豆しのちゃんは、首を傾げて聞きました。
「そやそや、伝説の峯子さんお姉さんみたいに、六年連続お花トップなんて、オニみたいな偉業は、しよ思うてもできるようなもんやおへんわなあ。」
「そら千代菊さんお姉さん、むちゃくちゃですがな、そんな記録破れるようなもんとちゃいますえ。」
「春菜ちゃん、今からそんな弱気でどないすんのん?ウチが、やぶったる~って具合に、ならへんもんかな?」
「うが~、そら殺生ちゃいますか?千代菊さんお姉さんがあかへんもんを、どねぇにしてウチができるんどす?」
「そうかなあ?照ひろちゃん、どねぇに思う?できると思わん?」
「はあ、やってみぃひんことには、なんとも言いようがおへん。そやけど、春菜ちゃんなら、できるかもせえしまへんなあ。」
紘子ちゃんは、濃い目の眉を持ち上げて言いました。
ウチは、勢い込んで言いました。
「ちょお待って、なんでそこでウチが出てきまんにゃ。」
「いや、そやしぃウチも、春菜ちゃんがメガネはずすと、こねぇに別嬪さんになるやなんて知れへなんだもん。こら、反則どす。」
「あ、それは、ウチもそう思います。ちょっと反則どすやんなあ。」
豆しのちゃんも、口を尖らせます。
「あはは~、実はウチもそう思たんや。メガネつけると、死ぬほど地味なくせに、メガネ取ったら、まるきりお人形やんなあ。それも、どっちかゆうたらフランス人形。」
千代菊さんお姉さんは、あいかわらず歯に衣着せぬ物言い。
「もう!知らんし。」
ウチがふくれて見せると、三人は吹き出しました。
「だいたい、春菜さんお姉さんの、顔があかんにゃわ。たいがい、そこそこで止めとけばええものを、なにをここまできれいにしたはんにゃろ。」
「マリカちゃんの言うことに一票!あんた、きれいすぎ。」
「照ひろちゃん、言いすぎ。」
「こら一本とられましたかなあ。」
『あははははは』
みな、おおはしゃぎ。
「ま、なんにせよ、この秋は店出しのラッシュが来るなあ。みんな、おきばりやして。」
『へえ、おおきに。』
「なんでマリカちゃんまで、そこでおおきに言うかなあ?」
「えへへ、つい流れに乗ってしもて。」
「あいかわらずの、軽いノリやなあ。」
舞子ちゃん予備軍は、声をそろえて笑いました。




