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春の春菜の二年坂  作者: とめきち
18/20

ー舞妓ー弐ー


「しのぶちゃん、紘子ちゃん、合格おめでとうさんどす。」

 九月になって、女紅場には舞妓試験の結果が知らされていました。

「みどりちゃんこそ、トップ合格やて?」

「なんでぇ?成績やら発表されてへんやない。」

「そんな情報、どっかから洩れてくるもんやてぇ。ええふうに解釈したったらええねんや。」

「紘子ちゃんらしい、豪快な解釈やなあ。」

「そやそや、ま・みどりちゃんがトップなんは、当然のことやけどなあ。舞も三味線も、人三十倍がんばってはったやん。」

「おおきに、紘子ちゃん。そやし、今年の仕込みちゃんは、十二人どすやろ?そんな中で、一番もビリもないわなあ。みんな、一緒に店出ししよなあ。」

 三人は手を握り合って、約束を固めたのでした。



「さて、舞妓試験も無事通過したし、そろそろみどりちゃんも割れ忍にしよかー。」

 お母さんは、気軽にそう言いました。

「へ?もう?」

 ウチは、驚いてお母さんの顔に向き直りました。

「ええやん。もうはい十カ月経ってんねんよ。約束の日ぃまで、あと少しや。明日から、見習いの半だら、行くことにする。」

「お、おかあさん、半だらてそんな簡単に決めてええんどすか?」

「簡単やないよ。もう三月も考えて、いつ出そうかいなあと、迷ってきやんやさぁ。」

「へえ、そうどすか?」

「そやし、匡さんとこ行って、髪結っておいなはれ。明日から、菜の香の後について、見習いさんにいくんやで。」

 話しはさっさと決まって行きました。ちゅ~か、お母さんは、ずっと前から決めてはったみたいやねんけど。

「いよいよみどりちゃんも店出しだなあ。よくがんばったもんだ、よかったなあ。」

 匡さんは、細いからだを曲げながら、ウチの頭をなぶってはります。

「へえ、ホンマに外に出してもええんどすやろか?」

「だいじょうぶ、僕とこに入ってくる噂では、一等がみどりちゃん、二等が幸松<ゆきまつ>(置屋の屋号)のアヤコちゃん、てなぐあいでさ。前評判は上々だよ!」

「そうどすやろかン?」



「そうそう、秋志野さんお姉さんなんか、ベタほめだよ。」

「そら身内びいきと言うもんどす。」

「ちがうよ~、秋志野さんお姉さんは、そんなことで人褒めないお人だよ。自信もっていいよ。僕のとこには、祗園じゅうの芸舞妓さんがやってくるんだから、情報は確かだよ。心配ご無用。」

 なんや、そんなに持ち上げられたら、くすぐったいし、冷や汗は出るし。

「よしよし、ほら仕上がった。店出しのときは、腕によりかけて頭したげるから、楽しみにしててや。」下手な祇園ことばで、元気づける匡さん。

「へえ、おおきに。もいっちょきばってきます。」

「その意気だ。これからがスタートラインだね、舞妓になることが目標じゃない、それはステップだからな。」

 そやかて、それすらもウチにはいっぱいいっぱいや、言うてんにゃ。

 それでも、店出しするしか、ウチには道が開けることがないんや。

 ウチは、ぐっと拳を握り締めて、空を睨みました。


「あ、雀や。」


 上を向いていたウチは、横からかけられた声に、地面に戻ってきました。

「みどりちゃん、もうはい店出しか?」

「あ、義昭さん、こんにちはぁ。うん、明日から『半だら』やて。さっき、お母さんから言われて、アタマしにきたん。」

「そうかあ、いよいよ『半だら』かあ。なんや、嬉しいような、もったいないような、変な気分やなあ。」

「あらまあ、なんで義昭さんが、もったいない気分にならはんの?」

「いやまあ、なんや遠い所に行ってしまうような、寂しい気分になんにゃさあ。」

「そうどすやろか?」

 そやし、このメガネをはずすのが、いっとうしんどいハナシなんやけど。

 まあ、ここまで来たら、それも気合や。ウチは、えいやっとメガネをはずしました。

 顔も塗ってせえしまへんよって、たぶん知り合い以外は気がつかへんやろ。

 ウチは、胸を張って花見小路を進みました。

「ただいまぁ。」

 ウチが松本屋に帰ると、琴江さんが出迎えてくれました。


「おかえりやす、まあ、きれいやねえ。」

「おおきに、お母さんは?」

「座敷で華活けてはるわ。」

「おおきに。」

 ウチが、玄関を上がると、マリカちゃんがやってきました。

「いや、お姉さん、もう割れ忍にしはったん?わあ、ええなあ、似合うわぁ。」

「マリカちゃんも、もうじきできはるわ、あんじょうきばってや。」

「へぇ、そらもう、鼻血がでるほどがんばってますけど、なかなかお姉さんには追い着けませんなあ。」

「あはは、そらそうや。それが、お姉さん言うもんとちがいますか?」

「あ、そ~か~。って、それやったら、困りますやん。追い着け追い越せって、はっぱかけてはったンは、どなたでしたっけ?」

「あはは、そんなこと言うた~?」

 二人は、掛け合い漫才みたいに、座敷に向かいました。



「お母さん、でけました。」

「おや、早かったねえ、まあまあ、よう似合わはること。やっぱり、あんたは舞妓が天職やわ。」

「へえ、おおきに。」

「ほな、ちょっとええ着物<べべ>着て、姉小路に行っといやす。」

「姉小路?」

 マリカちゃんが聞き返します。

「そうや、姉小路のダンさんは、みどりちゃんの後見人やし、親も同然のお人やねんから、義理は曲げたらあかんえ。」

「わかりました、どれ着たらええんどす?」

「そやなあ、せっかくの半だらやし、振袖…は早いなあ、そこのよそ行きでええわ、ちょっと華やかなんがええなあ…」

 お母さんは、桃色がかった可愛らしい一重の着物を持って、出て来はりました。

「これ着て、行っといやす。向こうの御料ンさんにもきちんと挨拶してくるんやで。」

「へえ、わかりました。」

「マリカちゃん、お供しといやす。」

「へえ、ウチも?」


「そや、まあ洋服でもええやろ、あんた着物着るのんへたやし、来年までに上手にならはったらええねん。」

「うっわ~、言われてますなぁ。」

「そう思ったら、もうちょっと気ィ入れて、精進しよし。」

 ウチは、つい小言が出てしまいました。

「はあい、精進します~。」

 マリカちゃんは、ぺろっと舌を出しながら、笑いました。

「みどりちゃんが店出しかあ、早いもんやなあ。」

 姉小路の旦那さんは、目を細めてウチを見ました。

「店出し言うても、まだ半だらやもん、店出し予備軍言うことです。まあ、髪結いましたよって、ご挨拶に伺いましたんどすけど。」

「そらよう来てくれたなぁ。きれいやなあ、かわええなあ。こら、ええ舞妓ちゃんにならはるで~。なあ、お母ちゃん。」

「そうどすなぁ、ウチの娘は、立派な舞妓ちゃんにならはりますやろ。」

 ウチのこと、いっつもうちの子やて言うてくれはる、御料ンさんの優しい目。



 あ・アカン泪出てきてしもた。



「そやそや、ご飯食べていきよし。お瀧にはワシから電話しとくさかい。もうはい、そのつもりで出してはるやろけどな。」

「そんな、ええんどすか?」

「ええんやて、明日はだれの席に行くんや?」

「へぇ、テーラー美幸の旦那さんどす。」

「あっこか、勘衛門のやつ、豪勢やないか。よし、わかった。たんとお花付けるように言っておくわ。」

「あれまあ、旦那はん、お手柔らかに。」

「そやにゃ~、お母ちゃん、一本つけてや~。」

「はいはい、マリカちゃん、かんにんしてなぁ、旦那はん・みどりちゃんのお酌で呑むのんが、大好きやねんよ。」

「へえ、そうなん?そら、どうしてもご飯いただいて帰らへんとあかんねえ。ねえ、お姉さん。」

「あんた、楽しんではるやろ。」



「いいンええ、どのくらいでお姉さんが泣くやろなんて、ち~っとも思ってせえしまへんえ~。」



「思てるやないの、この子は。」

 ウチが手ェ振り上げて言うと、マリカちゃんは顔の前で手を振りながら言いました。

「あはは、思てへん思てへん。」

 ああもう!アカン!

 ぱた…ぱたぱたぱた

 ウチの目から泪がこぼれて、畳を濡らしました。

「だ…旦那<だん>さん、御料<ごりょ>ンさん…」

「ああ、もうええて、泣きないなこの子は。ほら、泪拭いて。」

 御料ンさんは、懐からハンカチを出して、ウチの顔をぬぐってくれはりました。

「ほら、みどりちゃん、こっち来てご飯作るの手伝ぅて。」

「へえ、わかりました。」

「あ、ウチも手伝います。」

「マリカちゃんは、お父さんの相手お願い。」


 ウチは、思わずお父さんと、言っていました。


「あ・しもた。」

「ええんや、お父さんで。」

 杯を持ち上げて、口に運びながら、ぼそりと口にした旦那さんは、下を向きました。

「ほなウチも!お父さん、もう一杯いかがどす?」

 マリカは、場の雰囲気を察して、思い切り明るく、お銚子を持ち上げたのでした。

「お?おおう、ほなもらおかなぁ。あ、マリカちゃん、ここにニキビ出てんで、チョコ食べたやろ。」

「あ、いややわあ旦那さん、そうゆうことは黙っときよし。」

「なんやぁ?賑やかやな。」

 わかっていても、どきりとする声です。透吾ぼんとそっくりの低い声。

「おう、大吾、お帰り。」

「お帰りやす、若旦那はん。」

「あ、マリカちゃん、こんばんは。」

「お姉さんもいたはりますえ。」


「そう、今日はどうしたの?」

「へえ、ウチが髪の毛結ぅたよって、お披露目に来ましたん。」

 台所から、ウチが声をかけると、大吾さんは体の向きを変えて、ウチの顔を見ました。


「あ、ホンマや。舞妓ちゃんになったはる。」


「いややわぁもう、てんご言わはって。」

 てんぷらの皿を持って、台所から上がってきたウチは、旦那さんの前に皿を置きました。

「大吾さん、ごはんは?」

「ああ、食べる。」

「へえ、わかりました。」

「なんやな、こうして娘がおるのも、ええもんやなー。いっそ、どっちかヨメにこんかな~。」

「あきません、旦那さん。お姉さんには、ちゃんと舞妓ちゃんになってもらわな、ウチが弟子入りした甲斐がおへん。」

「そうか~?」

 ウチも続けて言いました。

「そうどす、それに、大吾はん、さくらちゃんのこと、どないするつもりどす?休みたんびに、どこぞに遊びに連れて行ってはんの、ちゃんと知ってますえ。」

「うわ、ばれてはんの?あちゃ~。」


「あちゃ~、やおへんの。オクテのドンカンかと思ったら、ちゃ~んとすることしてはんにゃもん、隅に置けへんねえ。」


 大吾さんは、両親の前で話が変な風にふられるので、口をつぐんでしまいました。

「あれで、ええとこのお嬢さんやねんから、悪いことしたらあかんよ。」

「いや、それはわかってるし、第一、あの子はまだ高校生やないか。」

「その高校生を、遊びに連れて行ってはんのは、どこのどなたはんどす?」

「や、そやから、僕は…」

 話は、きな臭くなってきました。

「まあまあ、お姉さん、色恋の話は、祇園では口つぐむんが、慣わしどす。ほっておいたらどないどす?」

 マリカは、すまして旦那さんにお酌しています。

「そ・そうやね、そねぇに言われたら、ウチ口出しでけへんやないの。」

「マリカちゃん、みどりちゃんはウチの子やねんから、もっと攻めてもええねんよ。」

「御料ンさん。」


「行儀の悪いお兄ちゃんは、妹がお説教したらなアカンねんよ。」

「さあ、お母さんのお許しも出たとこやし、こらしめたろかいなあ、ねえ、お兄ちゃん。」

「うわ、いもうと萌え~!」

 大吾は、両手をあげて降参しました。

「なに言うてまんにゃもう!ほんで、どこまで行かはったんかなぁ?ねえ、お・に・い・ちゃ・ん?」

 大吾は冷や汗を書きながら、じりじりと後に下がります。

「ね~え。」

「う…USJに…」

「へえ、大吾さんにしては、めずらしなあ。ウニ●―サルスタヂオですかいな。って!そう言う行くとちゃうやろ!」

「うえ、かんにんやてぇ。」

「へ~、ほな人に言えへんようなことしてはんにゃ、ふう~ん。」

「うえ~。」


 大吾は頭をかかえました。


「ひゃ~、こらたいしたもんや。お母さん、こらホンモノどすえ。」

「そうやろか~ン?いっつも、肝心なことは教えてくれはらへんねんもん。」

「そやそや、どないしやはるつもり?」

「う、マリカちゃん、助けて~な。」

 大吾は、宗介の隣に座るマリカに、助けを求めました。

「あれまあ、ウチも女性陣に一票っと。」

「そんな~。」

「お兄ちゃん、もうはい決めてはんにゃろ?供に白髪のはえるまでって。」

「僕ひとり決めてもなあ、二人で決めることやしなぁ…」

「そら、おとこはんに言ってもらわな、女の立場としては困りますわなぁ。」

「そう言うもんか?」

「そう言うモンどす。」

 大吾は、じっと考え込むふうでした。


「いややな~、大吾がそんなこと考えるトシかいな、こらワシらトシとるわなあ。」


「いややわあ、お父さん。さくらちゃん、千代菊さんお姉さんの同級生やよ。卒業まで、まだ、二年おますがな。」

「ああ、そうか~、その間に大吾がふられるかもせえしまへんもんな。」

「なんで、そこで僕がフられることになるんですか。」

「いや、だってなあ、大吾からフる、言うのんも想像がつかんもんなあ。」

「どわ~!」

 大吾は盛大にコケたのでした。

「あはは、またコケてはる。」

 マリカの明るい声に、場はいっそう明るく華やいだのでした。

 こう言うところを見ると、ホンマにマリカちゃんは、お座敷向きやと思います。気が利いてて、明るくて。

 透吾ぼん抜きの、明るい食卓。いま、なにしてはんにゃろ?どこに居てはんにゃろ?

 ウチは、姿の見えない透吾ぼんの影を、手探りで探しているようで、手ごたえのなさに唇をかみました。



 あんたはウチの青春やった。



 歌の文句やないけど、透吾ぼんに出会ってから今まで、ホンマにウチは楽しかった。

 友美ちゃんと並んで帰る道々、話したこと。

 いづみちゃんの弓道の、試合の応援に行ったこと。

 あきらくんの柔道の応援に行ったこと。

 陽子ちゃんのバイクやさんで、みんなでスイカを食べたこと。

 みんな、ひとコマひとコマ覚えてる。

 心が、体が、細胞の隅々まであの人を覚えている。

 それほど愛している。

 

 だから、忘れない。


 忘れるくらいなら、こんなに愛したりしない。泣けるほど愛したりしない。


 放課後の教室で笑う透吾ぼん。

 明るい日差しで照らされた透吾ぼん。

 砂浜の松林で、ウチの膝枕で眠る透吾ぼん。

 ウチの胸の中で、堰を切ったように泣き声をあげる透吾ぼん。

 たった一年半、それでもかけがえのない一年半やった。


 大阪の海は、悲しい色やね。


 ちょぉまちいな、ちゃうちゃう、そらちゃうて。

 そやし、目標言うもんは、その時々でどんどん進化(進化や!)するもんや。

 引っ込み思案で、ビビリのウチが、こうして人前で踊れるようになったんも、ウチの進化や。

 ウチの目標は、もう一度透吾ぼんの子供を授かることや。

 こんどこそ絶対!

 絶対だいじにして、しっかり産んだる!

 ビンボー人は、頑丈なんやってことを、再認識させたるんや。

「まあ!お姉さん、そねぇにはっきりと…」

 マリカちゃんは、顔を赤くしてウチを見ました。

「へ?ウチ、声に出してた?」

「そらもうはっきりと、ぜったい大事にして、しっかり産んだるって。」

「あらま~。」

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