ー舞妓ー弐ー
「しのぶちゃん、紘子ちゃん、合格おめでとうさんどす。」
九月になって、女紅場には舞妓試験の結果が知らされていました。
「みどりちゃんこそ、トップ合格やて?」
「なんでぇ?成績やら発表されてへんやない。」
「そんな情報、どっかから洩れてくるもんやてぇ。ええふうに解釈したったらええねんや。」
「紘子ちゃんらしい、豪快な解釈やなあ。」
「そやそや、ま・みどりちゃんがトップなんは、当然のことやけどなあ。舞も三味線も、人三十倍がんばってはったやん。」
「おおきに、紘子ちゃん。そやし、今年の仕込みちゃんは、十二人どすやろ?そんな中で、一番もビリもないわなあ。みんな、一緒に店出ししよなあ。」
三人は手を握り合って、約束を固めたのでした。
「さて、舞妓試験も無事通過したし、そろそろみどりちゃんも割れ忍にしよかー。」
お母さんは、気軽にそう言いました。
「へ?もう?」
ウチは、驚いてお母さんの顔に向き直りました。
「ええやん。もうはい十カ月経ってんねんよ。約束の日ぃまで、あと少しや。明日から、見習いの半だら、行くことにする。」
「お、おかあさん、半だらてそんな簡単に決めてええんどすか?」
「簡単やないよ。もう三月も考えて、いつ出そうかいなあと、迷ってきやんやさぁ。」
「へえ、そうどすか?」
「そやし、匡さんとこ行って、髪結っておいなはれ。明日から、菜の香の後について、見習いさんにいくんやで。」
話しはさっさと決まって行きました。ちゅ~か、お母さんは、ずっと前から決めてはったみたいやねんけど。
「いよいよみどりちゃんも店出しだなあ。よくがんばったもんだ、よかったなあ。」
匡さんは、細いからだを曲げながら、ウチの頭をなぶってはります。
「へえ、ホンマに外に出してもええんどすやろか?」
「だいじょうぶ、僕とこに入ってくる噂では、一等がみどりちゃん、二等が幸松<ゆきまつ>(置屋の屋号)のアヤコちゃん、てなぐあいでさ。前評判は上々だよ!」
「そうどすやろかン?」
「そうそう、秋志野さんお姉さんなんか、ベタほめだよ。」
「そら身内びいきと言うもんどす。」
「ちがうよ~、秋志野さんお姉さんは、そんなことで人褒めないお人だよ。自信もっていいよ。僕のとこには、祗園じゅうの芸舞妓さんがやってくるんだから、情報は確かだよ。心配ご無用。」
なんや、そんなに持ち上げられたら、くすぐったいし、冷や汗は出るし。
「よしよし、ほら仕上がった。店出しのときは、腕によりかけて頭したげるから、楽しみにしててや。」下手な祇園ことばで、元気づける匡さん。
「へえ、おおきに。もいっちょきばってきます。」
「その意気だ。これからがスタートラインだね、舞妓になることが目標じゃない、それはステップだからな。」
そやかて、それすらもウチにはいっぱいいっぱいや、言うてんにゃ。
それでも、店出しするしか、ウチには道が開けることがないんや。
ウチは、ぐっと拳を握り締めて、空を睨みました。
「あ、雀や。」
上を向いていたウチは、横からかけられた声に、地面に戻ってきました。
「みどりちゃん、もうはい店出しか?」
「あ、義昭さん、こんにちはぁ。うん、明日から『半だら』やて。さっき、お母さんから言われて、アタマしにきたん。」
「そうかあ、いよいよ『半だら』かあ。なんや、嬉しいような、もったいないような、変な気分やなあ。」
「あらまあ、なんで義昭さんが、もったいない気分にならはんの?」
「いやまあ、なんや遠い所に行ってしまうような、寂しい気分になんにゃさあ。」
「そうどすやろか?」
そやし、このメガネをはずすのが、いっとうしんどいハナシなんやけど。
まあ、ここまで来たら、それも気合や。ウチは、えいやっとメガネをはずしました。
顔も塗ってせえしまへんよって、たぶん知り合い以外は気がつかへんやろ。
ウチは、胸を張って花見小路を進みました。
「ただいまぁ。」
ウチが松本屋に帰ると、琴江さんが出迎えてくれました。
「おかえりやす、まあ、きれいやねえ。」
「おおきに、お母さんは?」
「座敷で華活けてはるわ。」
「おおきに。」
ウチが、玄関を上がると、マリカちゃんがやってきました。
「いや、お姉さん、もう割れ忍にしはったん?わあ、ええなあ、似合うわぁ。」
「マリカちゃんも、もうじきできはるわ、あんじょうきばってや。」
「へぇ、そらもう、鼻血がでるほどがんばってますけど、なかなかお姉さんには追い着けませんなあ。」
「あはは、そらそうや。それが、お姉さん言うもんとちがいますか?」
「あ、そ~か~。って、それやったら、困りますやん。追い着け追い越せって、はっぱかけてはったンは、どなたでしたっけ?」
「あはは、そんなこと言うた~?」
二人は、掛け合い漫才みたいに、座敷に向かいました。
「お母さん、でけました。」
「おや、早かったねえ、まあまあ、よう似合わはること。やっぱり、あんたは舞妓が天職やわ。」
「へえ、おおきに。」
「ほな、ちょっとええ着物<べべ>着て、姉小路に行っといやす。」
「姉小路?」
マリカちゃんが聞き返します。
「そうや、姉小路のダンさんは、みどりちゃんの後見人やし、親も同然のお人やねんから、義理は曲げたらあかんえ。」
「わかりました、どれ着たらええんどす?」
「そやなあ、せっかくの半だらやし、振袖…は早いなあ、そこのよそ行きでええわ、ちょっと華やかなんがええなあ…」
お母さんは、桃色がかった可愛らしい一重の着物を持って、出て来はりました。
「これ着て、行っといやす。向こうの御料ンさんにもきちんと挨拶してくるんやで。」
「へえ、わかりました。」
「マリカちゃん、お供しといやす。」
「へえ、ウチも?」
「そや、まあ洋服でもええやろ、あんた着物着るのんへたやし、来年までに上手にならはったらええねん。」
「うっわ~、言われてますなぁ。」
「そう思ったら、もうちょっと気ィ入れて、精進しよし。」
ウチは、つい小言が出てしまいました。
「はあい、精進します~。」
マリカちゃんは、ぺろっと舌を出しながら、笑いました。
「みどりちゃんが店出しかあ、早いもんやなあ。」
姉小路の旦那さんは、目を細めてウチを見ました。
「店出し言うても、まだ半だらやもん、店出し予備軍言うことです。まあ、髪結いましたよって、ご挨拶に伺いましたんどすけど。」
「そらよう来てくれたなぁ。きれいやなあ、かわええなあ。こら、ええ舞妓ちゃんにならはるで~。なあ、お母ちゃん。」
「そうどすなぁ、ウチの娘は、立派な舞妓ちゃんにならはりますやろ。」
ウチのこと、いっつもうちの子やて言うてくれはる、御料ンさんの優しい目。
あ・アカン泪出てきてしもた。
「そやそや、ご飯食べていきよし。お瀧にはワシから電話しとくさかい。もうはい、そのつもりで出してはるやろけどな。」
「そんな、ええんどすか?」
「ええんやて、明日はだれの席に行くんや?」
「へぇ、テーラー美幸の旦那さんどす。」
「あっこか、勘衛門のやつ、豪勢やないか。よし、わかった。たんとお花付けるように言っておくわ。」
「あれまあ、旦那はん、お手柔らかに。」
「そやにゃ~、お母ちゃん、一本つけてや~。」
「はいはい、マリカちゃん、かんにんしてなぁ、旦那はん・みどりちゃんのお酌で呑むのんが、大好きやねんよ。」
「へえ、そうなん?そら、どうしてもご飯いただいて帰らへんとあかんねえ。ねえ、お姉さん。」
「あんた、楽しんではるやろ。」
「いいンええ、どのくらいでお姉さんが泣くやろなんて、ち~っとも思ってせえしまへんえ~。」
「思てるやないの、この子は。」
ウチが手ェ振り上げて言うと、マリカちゃんは顔の前で手を振りながら言いました。
「あはは、思てへん思てへん。」
ああもう!アカン!
ぱた…ぱたぱたぱた
ウチの目から泪がこぼれて、畳を濡らしました。
「だ…旦那<だん>さん、御料<ごりょ>ンさん…」
「ああ、もうええて、泣きないなこの子は。ほら、泪拭いて。」
御料ンさんは、懐からハンカチを出して、ウチの顔をぬぐってくれはりました。
「ほら、みどりちゃん、こっち来てご飯作るの手伝ぅて。」
「へえ、わかりました。」
「あ、ウチも手伝います。」
「マリカちゃんは、お父さんの相手お願い。」
ウチは、思わずお父さんと、言っていました。
「あ・しもた。」
「ええんや、お父さんで。」
杯を持ち上げて、口に運びながら、ぼそりと口にした旦那さんは、下を向きました。
「ほなウチも!お父さん、もう一杯いかがどす?」
マリカは、場の雰囲気を察して、思い切り明るく、お銚子を持ち上げたのでした。
「お?おおう、ほなもらおかなぁ。あ、マリカちゃん、ここにニキビ出てんで、チョコ食べたやろ。」
「あ、いややわあ旦那さん、そうゆうことは黙っときよし。」
「なんやぁ?賑やかやな。」
わかっていても、どきりとする声です。透吾ぼんとそっくりの低い声。
「おう、大吾、お帰り。」
「お帰りやす、若旦那はん。」
「あ、マリカちゃん、こんばんは。」
「お姉さんもいたはりますえ。」
「そう、今日はどうしたの?」
「へえ、ウチが髪の毛結ぅたよって、お披露目に来ましたん。」
台所から、ウチが声をかけると、大吾さんは体の向きを変えて、ウチの顔を見ました。
「あ、ホンマや。舞妓ちゃんになったはる。」
「いややわぁもう、てんご言わはって。」
てんぷらの皿を持って、台所から上がってきたウチは、旦那さんの前に皿を置きました。
「大吾さん、ごはんは?」
「ああ、食べる。」
「へえ、わかりました。」
「なんやな、こうして娘がおるのも、ええもんやなー。いっそ、どっちかヨメにこんかな~。」
「あきません、旦那さん。お姉さんには、ちゃんと舞妓ちゃんになってもらわな、ウチが弟子入りした甲斐がおへん。」
「そうか~?」
ウチも続けて言いました。
「そうどす、それに、大吾はん、さくらちゃんのこと、どないするつもりどす?休みたんびに、どこぞに遊びに連れて行ってはんの、ちゃんと知ってますえ。」
「うわ、ばれてはんの?あちゃ~。」
「あちゃ~、やおへんの。オクテのドンカンかと思ったら、ちゃ~んとすることしてはんにゃもん、隅に置けへんねえ。」
大吾さんは、両親の前で話が変な風にふられるので、口をつぐんでしまいました。
「あれで、ええとこのお嬢さんやねんから、悪いことしたらあかんよ。」
「いや、それはわかってるし、第一、あの子はまだ高校生やないか。」
「その高校生を、遊びに連れて行ってはんのは、どこのどなたはんどす?」
「や、そやから、僕は…」
話は、きな臭くなってきました。
「まあまあ、お姉さん、色恋の話は、祇園では口つぐむんが、慣わしどす。ほっておいたらどないどす?」
マリカは、すまして旦那さんにお酌しています。
「そ・そうやね、そねぇに言われたら、ウチ口出しでけへんやないの。」
「マリカちゃん、みどりちゃんはウチの子やねんから、もっと攻めてもええねんよ。」
「御料ンさん。」
「行儀の悪いお兄ちゃんは、妹がお説教したらなアカンねんよ。」
「さあ、お母さんのお許しも出たとこやし、こらしめたろかいなあ、ねえ、お兄ちゃん。」
「うわ、いもうと萌え~!」
大吾は、両手をあげて降参しました。
「なに言うてまんにゃもう!ほんで、どこまで行かはったんかなぁ?ねえ、お・に・い・ちゃ・ん?」
大吾は冷や汗を書きながら、じりじりと後に下がります。
「ね~え。」
「う…USJに…」
「へえ、大吾さんにしては、めずらしなあ。ウニ●―サルスタヂオですかいな。って!そう言う行くとちゃうやろ!」
「うえ、かんにんやてぇ。」
「へ~、ほな人に言えへんようなことしてはんにゃ、ふう~ん。」
「うえ~。」
大吾は頭をかかえました。
「ひゃ~、こらたいしたもんや。お母さん、こらホンモノどすえ。」
「そうやろか~ン?いっつも、肝心なことは教えてくれはらへんねんもん。」
「そやそや、どないしやはるつもり?」
「う、マリカちゃん、助けて~な。」
大吾は、宗介の隣に座るマリカに、助けを求めました。
「あれまあ、ウチも女性陣に一票っと。」
「そんな~。」
「お兄ちゃん、もうはい決めてはんにゃろ?供に白髪のはえるまでって。」
「僕ひとり決めてもなあ、二人で決めることやしなぁ…」
「そら、おとこはんに言ってもらわな、女の立場としては困りますわなぁ。」
「そう言うもんか?」
「そう言うモンどす。」
大吾は、じっと考え込むふうでした。
「いややな~、大吾がそんなこと考えるトシかいな、こらワシらトシとるわなあ。」
「いややわあ、お父さん。さくらちゃん、千代菊さんお姉さんの同級生やよ。卒業まで、まだ、二年おますがな。」
「ああ、そうか~、その間に大吾がふられるかもせえしまへんもんな。」
「なんで、そこで僕がフられることになるんですか。」
「いや、だってなあ、大吾からフる、言うのんも想像がつかんもんなあ。」
「どわ~!」
大吾は盛大にコケたのでした。
「あはは、またコケてはる。」
マリカの明るい声に、場はいっそう明るく華やいだのでした。
こう言うところを見ると、ホンマにマリカちゃんは、お座敷向きやと思います。気が利いてて、明るくて。
透吾ぼん抜きの、明るい食卓。いま、なにしてはんにゃろ?どこに居てはんにゃろ?
ウチは、姿の見えない透吾ぼんの影を、手探りで探しているようで、手ごたえのなさに唇をかみました。
あんたはウチの青春やった。
歌の文句やないけど、透吾ぼんに出会ってから今まで、ホンマにウチは楽しかった。
友美ちゃんと並んで帰る道々、話したこと。
いづみちゃんの弓道の、試合の応援に行ったこと。
あきらくんの柔道の応援に行ったこと。
陽子ちゃんのバイクやさんで、みんなでスイカを食べたこと。
みんな、ひとコマひとコマ覚えてる。
心が、体が、細胞の隅々まであの人を覚えている。
それほど愛している。
だから、忘れない。
忘れるくらいなら、こんなに愛したりしない。泣けるほど愛したりしない。
放課後の教室で笑う透吾ぼん。
明るい日差しで照らされた透吾ぼん。
砂浜の松林で、ウチの膝枕で眠る透吾ぼん。
ウチの胸の中で、堰を切ったように泣き声をあげる透吾ぼん。
たった一年半、それでもかけがえのない一年半やった。
大阪の海は、悲しい色やね。
ちょぉまちいな、ちゃうちゃう、そらちゃうて。
そやし、目標言うもんは、その時々でどんどん進化(進化や!)するもんや。
引っ込み思案で、ビビリのウチが、こうして人前で踊れるようになったんも、ウチの進化や。
ウチの目標は、もう一度透吾ぼんの子供を授かることや。
こんどこそ絶対!
絶対だいじにして、しっかり産んだる!
ビンボー人は、頑丈なんやってことを、再認識させたるんや。
「まあ!お姉さん、そねぇにはっきりと…」
マリカちゃんは、顔を赤くしてウチを見ました。
「へ?ウチ、声に出してた?」
「そらもうはっきりと、ぜったい大事にして、しっかり産んだるって。」
「あらま~。」




