ー祇園祭ー弐ー
「すんまへん、お頼の申します。」
玄関から、大きな声が聞こえてきました。
「へえ、どちらさんどす?」
琴江さんが、玄関に応対に出て行きました。
「すんません、みどり姉さん、いてはりまっか?うち、マリカ言います。」
「へえ、マリカはんどすか?確かにウチにみどりさんは居てはりますけど?」
「へい、ウチはみどり姉さんの後輩にあたります、ちょっと相談ができたよって、寄らしてもらいました。」
「そうどすか?ほな、こちらで待っといなはれ、聞いてきますよって。」
琴江さんは、すぐに奥に入ってきて、ウチにたずねました。
「あねぇに言うてますけど、みどりさん、どないしはります?」
琴江さんに急かされて、玄関に出て見ると、紫ラメの特攻服を着たマリカさんでした。
「ウチが対応しまひょ。お稽古場をお借りします。」
「へえ、ほな・そうお母さんに言うときますよって。」
座敷から覗いていたお母さんは、ため息混じりに言いました。
「なんとまあ、騒々しいお嬢さんやねえ。いや~、あんな金髪、見たことないわ。」
聞こえてますがな。
お母さん金髪きらいやからなあ。
ウチは、マリカさんを連れて、お稽古場にやってきました。
おざぶを勧めて、向かいに座ると、お茶をいれました。
「そこへお座りやす。」
「へい、すんません。」
湯飲みを膝の前に置いて、マリカさんの目を見ながら切り出します。
「ほんで?どんな相談どす?」
「へい、姐さん、アタイを姐さんの弟子にしてください。」
「へ?」
「アタイ、あれからいろいろ考えて、どうしても姐さんみたいになりたいと思ったンス。だから、姐さんに弟子入りするのが、一番の早道なんじゃないかと…」
「早道ねえ…、まあ、おあがりやして。」
「へい、ありがとやんす。」
マリカさんは、湯飲みを片手で持ち上げました。
「ほんで、弟子入り言うて、なにしはるつもりやのん?舞子さんにならはるのん?」
「へ?舞妓さんですか?」
「そやろ?ウチは舞子の仕込みさんやのんよ、そのウチの弟子になりたい、言うことは、舞子になる・言うこととちがいますか?」
「はあ、そうなんスかあ?」
「そやし、舞子になるつもりがないんどしたら、弟子入りはお断りどす。」
「う~ん、そこまで考えてなかったですよう姐さ~ん。」
「アホやね、おみそ汁で顔洗って出直してきなはれ。」
「いや、そうは行かないっス。とにかく、姐さんの弟子になるって言うのが、一番の目標なンスから。だから、ぜひ舞子さんになりたいっス。」
「なんや、こじつけくさいなあ、ホンマ?」
「ホンマホンマ!ぜひお願いしまっす!」
ウチは、三日もてばええほうやと思いましたので、お母さんにそう伝えて、お稽古場に戻りました。
「ほな、ウチの弟子になる言うことで、よろしおすな?」
「へい。」
「ウチの言うことに、ちゃんと従いますか?」
「へい。」
「お返事は、『へい』やのうて、『へぇ』どす。」
「へ…へぇ。」
「よろし。ほな、今から美容院に行って、金髪は黒に戻して、パーマもストレートに戻してきとくれやす。」
「ええ~!そんなことせなあきませんの?」
「ウチの言うこと聞く、言わはったやないの。でけへんのやったら、さっさとお帰りやす。ウチも、そうそうヒマやおへんのや。」
「…わかりました。」
マリカさんは、しぶしぶ立ち上がって、お稽古場を出て行きました。
「なんや、賑やかな娘さんやねえ。あれで、舞子ちゃんになるつもりやろか?」
琴江さんが、玄関を振り返りながら言いました。
「さあ、金髪もパーマも禁止、言うたら帰って行かはったえ。これで、あきらめますやろ。あれ?お母さん。」
お稽古場には、お母さんがやってきました。
「あの子、けっこう根性ありそうやったけど、ホンマに仕込みさんになったら、けっこう面白いかもせえしまへんな。」
「そうどすやろか?いま、すごすごと引き下がっていかはったえ。」
「わからしまへん。まあ、置屋の女将のカンどすけど、あの子はモノになりますえ。」
琴江さんは、目をむいて驚きました。
「ひゃ~!あの子が?」
「賭けまひょか?」
「よろしおすな、だめな方に五千円。」
「ほな、ええ方に五千円。」
はあ、この二人は…
お姉さんたちの出陣が終わって、ウチは舞のおさらいを始めました。
カセットから流れてくる曲に合わせて舞っていると、時間の過ぎるのが早く、時刻は八時を過ぎていました。
「こんばんは。」
今日は、お座敷の予約は、一件のみなので、ほかのお客様は来ないはずですが、玄関にお客様がありました。
「はいはい、まあ!」
応対に出た琴江さんは、そう言ったきり声がしなくなりました。
「どないしやはったん?お客様ならお座敷にご案内しますけど。」
ウチが、琴江さんに声をかけると、琴江さんは気味の悪いモノでも見たような顔をして、振り返りました。
首の回る、ぎぎぎぎぎと言う音まで聞こえてきそうでした。
「?」
ウチが、暖簾から玄関を覗くと、ジーンズにトレーナーを着た、マリカさんが立っていました。
髪は黒くてストレートになっています。
「まあまあまあ!」
ウチが驚いて出てくると、ぺこりと頭を下げて、マリカさんはにかっと笑いました。
「こんなもんでどうッスかあ?てってーてきにストレートパーマかけてもらったんス。」
「まあまあ、思い切らはったねえ、マリカさん。」
「女が一度決めたことッスから。途中で投げ出す訳にはいかないッス。」
「わかりました、そこまで覚悟が決まってはるなら、もう何も言いまへん。お母さんに、お願いしまひょ。」
「へえ、お願いします。」
ウチは、お母さんの居る座敷に向かいました。
「お母さん、みどりどす。」
座敷には、琴江さんも来ていました。
「どうどす?小母、賭けはあての勝ちどすなあ。」
「くぅ~!絶対あての勝ちやと思いましたのに~。」
「お嬢さん、決心はつかはった?」
「へえ、工藤マリカです。よろしくお願いします。」
「工藤さん、親御さんは?」
「けんかして、家を飛び出してから、それっきりです。」
「そらあきませんなあ、ウチに仕込みに入るなら、ちゃんと親御さんの許可をいただかへんと…」
マリカさんは、困った顔をして、ウチを見ました。
「仲直り、しなあきませんなあ。」
「ぐ」
マリカさんは、恨めしそうにウチを見ると、顔を伏せました。
「一人とは言いません、ウチもお供します。それならよろしおすやろ?」
「ホントですか?姐さん。」
「そうどすなあ、ご両親が居てはるときに、お邪魔させてもらいまひょ。それでどうどす?お母さん。」
「そうどすな、まあ、先触れにお願いしまひょ。」
「賜りました。ほな、マリカはん、自宅の電話、教えとくなはれ。」
ウチは、マリカさんから自宅の電話番号を聞くと、すぐにかけてみました。
『工藤です、どちらさんどす?』
「へえ、ウチは祗園八坂高校の、倉橋みどりと申します。」
『倉橋さん?八坂高校?』
「へえ、マリカさんとお付き合いさせてもうてました。」
『はあ、そうですか。』
「今日、お電話させてもうたのは、マリカさんの今後のことについて、相談させてほしい思うたからなんどす。」
『今後のこと?』
「へえ、電話ではなんどすさかい、直接お目にかかってお話させていただきたいんどすけど、お父さんはあしたの夜何時ごろお帰りどす?」
『そうやねえ、七時ごろには。』
「わかりました。それでは明晩七時にお伺いさせてください。よろしおすか?」
『へえ、そない言わはんのやったら、どうぞお越しやす。』
「すんまへんなあ。そやし、マリカはんも連れて参じますよって、よろしゅうお頼の申します。」
『ホンマですか?マリカも一緒に居てるんですか?』
「へえ、今夜はウチとこでお預かりさせてください。」
『おおきに、よろしくお願いします。』
「へえ、ほな明晩。」
ちん…
「はあ、姉さんうまいもんやねえ。」
「なんでぇ?あんなん、ふつうやん。」
「いや、ふつう高校生で、あんな電話でけしませんて。」
「あんたらなあ、どんな仕付けされてますのや?電話くらい、ちゃんと話せなあかへんやないの。」
「へえ、すんません。」
「まあええわ、ほな、お風呂入りよし。今夜は、ウチの部屋でザコ寝やよ。」
「だいじょうぶですよぅ、どこでも寝られますよって、布団があるだけまともってもんです。」
「はあ、困った子ォやなあ。」
ウチは、マリカさんを連れて、お風呂に向かいました。
「うわ~、姉さん、なんや体つきが色っぽいわあ。変やなあ、あたいとそんなに変わンないと思ってたのになあ。」
「あはは、年期がちがうのんよ~、ウチは、八坂の透吾の彼女やよ。」
「うっわ~、言う言う!伝説の男やね~」
「たったいち年過ぎただけで、もう伝説かいな、透吾ぼんも面食らってはるやろなあ。」
「あはは、だってアタイら、噂でしか聞いたことあらへんもん、ここに生きた証人がいてるんやんねえ。」
「そんな大層なもんやおへんえ。」
「そんなことないっすよ、姐さんたちの青春は、アタイらの伝説になってるンですから。」
「はア?そやかて、ウチら普通の高校生やったやん。」
「普通じゃないッスよ、八坂の透吾や餃子連合の祐介や、柔道関西チャンプのあきらや、ハーレーの洋子、弓道部主将のいづみ、アイドルの可愛なんて、蒼々たるメンバーがそろっていたじゃないですか。」
「まあ、それなりにねえ、ウチなんかみそっかすやったけど。」
「姐さんは、アタイら尊敬してたっす、自力で学費稼いで、学校来てたですもん。」
「そやし、顔はしらへんかったやん。」
「それを言われると、弱いッス。」
二人は、顔を見合わせて笑いました。
お風呂から上がって、少し休んでから、お姉さんたちが帰ってくるまで、お三味線の稽古をして、待っていました。
「姐さん、すごいッス。上手なんスねえ。」
「まだまだやけどねえ、弾いてみる?」
「はい!」
ウチは、練習用の三味線を取り出して、マリカさんに渡しました。
教本を、引き出しから出して、マリカさんに見せます。
「ここを、こう押さえて、こうして持って、はい、弾いて。」
ぺぺん
「あ、音出ました。」
「音出すだけなら、だれでもできるんどす。ええ?ここにあるのがこの音で…」
そうこうしながら、夜は更けていきました。
翌日は、朝から快晴、暑くなりそうな気配です。
稚児の社参の十三ン日ですので、十一時から祗園八坂神社で神事が行われます。
マリカさん連れて、ちょっとのぞきに行きました。
マリカさんは、少し落ち着いた様子で、この分なら今夜も、なんとかなりそうです。
「あたいら、近くに住んでいても、こんなこと見たことなかったッスねえ。」
「まあ、そういうもんどすやろ。ウチの弟子になるんなら、こういうことも覚えておいて。お座敷で、ちゃんとお話できはるように。」
「そうッスね。」
「さて、そろそろ戻りますか。」
「へえ。」
花見の小路に戻ってきたウチに、お母さんは意味深な視線を寄越しました。
「マリカさん、少し休んで。」
「へえ。」
ウチは、マリカさんを部屋に上げてから、お母さんの座敷に向かいました。
「みどりどす、お母さん。」
「へえ、お入り。」
「なんどす?さいぜんのは。」
「今夜、どない話すつもりえ?」
「へえ、まあそのまま話すつもりどすけど、あきまへんか?」
「どないやろなあ?」
「まあ、普通のおうちの人に、舞妓にさす言うても、わかってもらえへんかもせえしまへんなあ。」
「まあなあ、そやし未成年のこともあるから、はっきりしとかなあかんしなあ。」
「ええやおへんか、なんぞ不都合がおしても、話してるうちには、好うなるもんどす。」
「えらい、気楽やなあ。」
「気楽どすて、そんなもん。人の生き死にやあるまいし、たいがいそれ以上のことは、おへんもんどす。山より大きい獅子は、出ェしまへん。」
「ホンマに、あんたは…肝っ玉だけなら、どこの女将にも負けへんねぇ。」
「人の生き死にを、目の前で見てきた強みどすなあ。ほな、いなしてもらいます。お昼、これからどすにゃ。」
「わかった、後はまかせるし。」
「そのほうがよろしおす。ウチに秘策ありやし~。」
ウチは、ひらひらと手を振りながら退場しました。
「へえへえ、お姐さんにお任せしますがな、ほなお茶にしよ~。」
ウチは、マリカさんとお昼を済ませて、女紅場へ向かいました。
「紘子ちゃん。」
「みどりちゃん、変なお弟子さんができたんやてぇ?」
「うわ~!もう、噂になってはるし。」
「なあなあ、どうなん?」
「ホンマ、変なお弟子さんができた。」
「ふうん、ほんでどないすんのん?」
「しゃあないやろ?めんどう見な。【窮鳥懐に入らずんば猟師これを助く】言うやおへんか。」
「なんやそのお経みたいなん?」
「紘子ちゃん、あんた諺くらい覚えておかなあかんえ。困ったトリさんが、懐に入ってきたら、トリを捕まえる猟師でも、助けてしまうやないのっていうお話。」
「そうか~。」
「そうかって…紘子ちゃん新聞とか読んでへんの?」
「うん。」
「それで、お客さんの話題に、ついていけるの?お姐さんとかみとうみやす、きっとどこかで新聞読んで勉強してはるえ。」
「そうなんや~そやし、みどりちゃん、自分の勉強もあるのに、お弟子さんやなんて体もたへんなあ。」
「ま、そう長いことやないやろなあ。」
「そうなん?」
「そうそう。さ、お仕舞{能}さんの教室に行こ。」
あぶないあぶない、舞子ネットワークの早いこと、目だたへんように気ィつけへんとなあ。
「ただいま帰りました~。」
女紅場から帰って、お母さんの部屋を覗くと、マリカさんが居てはりました。
「あ・お姐さん、おかえりやすぅ。」
「へ?マリカちゃん、上手やないの。」
「いままで、お母さんに特訓してもうてましたん。」
「どや?あての仕込みは?」
「いやすごいわぁ!ネイティブやないの。」
「いや、ネイティブて…ウチも京都の生まれやし、言葉直せば京都言葉どすやん。」
「そらそうやけど、見違えたわ。」
「ほな、今夜に合わせて、マリカちゃんの髪、したってな。」
「へえ、承知しました。」
「お姐さん、よろしゅうお頼の申します。」
「そうどすな、ほなお風呂いただいてから、作戦をお話しまひょ。」
「へえ。」
「ほな、お母さん、お風呂いただきます。」
「ああ、今日はお客さん居てへんよって、大きいお風呂使うてもええよ。」
「うわあ!うれしい。マリカちゃん、はよ行こ。」
ウチは、急いで部屋に戻ると、着替えを持ってお風呂場に向かいました。
脱衣場にはすでに、お姐さんたちの衣装がありました。
「お姐さん、一緒させてもうて、よろしおす?」
「ええよ、ウチら、もう上がるところやよって、はよしぃ。」
「へえ、おおきに。ほな、マリカちゃん、お邪魔しよ。」
「へえ、お姐さん。」
ウチらは、手早く着ているものを脱ぐと、お風呂の中に向かいました。
「ひゃ~、お昼のお花やて、川床なんてかなわへんわ。」
菜乃菊さんお姐さんが、湯船から上がるところでした。
真っ白で、メロンのような胸が、ふるる~んと揺れます。
「うわ、菜乃菊さんお姐さん、すごい胸やわあ、うらやましぃ~。」
マリカさんが、目を丸くして言います。
「これがぁ?」
「そですぅ、すっごくりっぱやないですかぁ、かっこええし、あこがれますぅ。」
「ふう…ん、ま・まあそんなら、おきばりやす。」
菜乃菊さんおねえさん、ネコのうんこふんだような、変な顔しています。
「へえ、こんど秘訣をおしえてくださいね~、お姐さん。」
菜乃菊さんお姐さんは、上機嫌でお風呂を出て行きました。
「あんた、口がうまいなあ。」
「なんで?ウチ、ホンマのことしか言うてませんえ。」
そらそうなんやろうけど、人をノせるテクニックには、天性のものがあるんとちがう?
「さて、早ぅあがって、お姉さんたちのごはんにしよか。」
「へえ、わかりました。」
ウチらは、手早くお風呂を済ますと、台所に向かいました。
お母さんが、ウチの三つ編みを見ながら言いました。
「みどりちゃんも、そろそろちゃんとせえへんとあかんなあ。」
「へ?ちゃんと?」
「ああ・うん。割れしのぶに結って、半だらしめて、見習いさんに出ななぁ。」
「ホンマ?ホンマに?」
「うん、マリカちゃんのことが、ちゃんとしたら、相談しよなあ。」
ウチは、突然のお母さんの言葉に、ほほが熱くなりました。
「そやし、舞妓試験のお知らせ、来てはったえ。よう見て、準備してや。」
「いや、お姉さん、良かったわあ。おめでとうさんどす。」
「そんな、マリカちゃん、まんだ早いわなぁ。」
「そんなもん、もう受かったようなもんどす。余裕余裕!」
「あんたなあ、受けるのはウチなんやけどなあ。」
ウチは、夏の白い一重を、きっちりとマリカさんに着せて、髪はしっかり三つ編みに結い上げました。
「ええか?ほな作戦はこうや、あんたん家に着いたら、あんたはしゃべらんでもええわ。ウチがみんな話しするさかい。そやし、何言われても、ハラ立てずに頭下げて辛抱するんやで。ええな?」
マリカさんは、なにやら酢を飲んだような顔をしていますが、かまわず続けました。
「お父さんとか、お母さんとか、言いたいこともおますやろ。全部吐き出して、すっきりしてもらうんが今夜の目的や。そやさかい、腹の立つこといっぱい言われるやろうけど、でけん辛抱もするんやよ。」
「へ・へゑ。」
「よっしゃ、約束や。ちょっとでも言い返してみい、あんた破門やからな。」
「は・破門て…お姉さん。」
ウチは、マリカさんの目をしっかり見据えて、立ち上がりました。
「よっしゃ、ほな出陣やでぇ。」
ウチは、マリカさんを連れて、玄関を出ました。
お揃いの桐の下駄が、ころころと通りの石畳に響きます。
マリカさんのお家は、西洞院通りに面した、西洞院三条郵便局の傍にありました。
烏丸通から三条通を通って、堀川通りへ向かう途中にあります。
近くには、元本能寺町と言って、『本能寺の変』で焼け落ちた本能寺が建っていた場所があります。
時刻は六時五十分。
「こんばんはぁ、お頼申します~。」
ウチは、ガラリの戸を開けて、中に声をかけました。
「へえ、おこしやす。どうぞ。」
工藤のお母さんは、ふっくらとした暖かそうな感じで、これでなんでマリカさんが、グレるんやろうと不思議に思いました。
「へえ、お邪魔させていただきます。マリカさん、お入りよし。」
ウチが招き入れると、マリカさんのほっそりした着物姿が現れました。
「まあ!」
工藤のお母さんは、声を詰まらせてマリカさんの様子を見つめました。
マリカさんは、荒っぽい言葉や態度をしなければ、見た目にも優しそうで、見る人を安心させるようななんとも言えない雰囲気があります。
通されたのは、奥の座敷でした。
ウチは、襖の前でゆっくりと頭を下げながら、言葉を継ぎました。
「夜分に恐れ入ります、倉橋みどりと申します。」
工藤のお父さんは、額の広い落ち着いた感じの人で、特に頑固そうでもありませんでした。
「よく、マリカを連れてきてくれました、ありがとうございます。」
「へえ、まあウチも行きがかり上・言う感じどすけど、窮鳥懐に入らずんばと申しますし、できる限りのことはさせてもらお思うてます。まあ、単刀直入に申し上げますけど、マリカさんは、学校退学にならはったんどすなぁ。」
「そうですが、それがなにか…?」
「いえ、実はウチ、去年の秋で八坂高校を辞めましたんどす。」
「まあ、八坂高校言うたら、大変な進学校やおへんか?」
「へえ、そうどす。そやし、ウチの母親が交通事故で他界してしもて、ウチ母子家庭どしたさかい、天涯孤独になってしもたんどす。」
「まあ、そら大変やったなあ。」
お父さんは、いきなりの話に、びっくりして顔を向けました。
「へえ、今は祗園で舞妓の仕込みを、さしてもうてます。」
「ほう、そんなことを。」
「へえ、幸い三味線だけは習ってましたよって、なんとか着いて行くことができるんどすけど、あとはもうずんべらぼんですわ、あはは…」
「あははて、あんたもたいがい神経太いなあ、たいしたもんやで。」
「ほんでまあ、いろんな経緯がありまして、マリカさんが、ウチの弟子になりたいと言わはんのどす。」
「へえ、弟子?」
「そうどす。ウチの弟子・言うことは、舞妓の仕込み・言うことどす。」
「…」
「そやし、この子を、舞妓にしてもよろしおすやろか?そのことを伺いとうて、今夜よしてもうたんどす。」
「そうは言わはるけど、この子にそんな大それたもんができますかいなあ?」
「そうどすなあ、このまんまの根性やったら、途中で折れるかもせえしまへん。そやし、根性は叩き直して、行儀も叩き込みます。」
「た…叩き込む…」
ご両親は、ウチの口から、こんな言葉がでてきたことに、目をむいて驚いています。
「あかんくてもええやおへんか、少なくとも行儀だけは教えますさかい、お嫁にだせるほどには仕込まさしてもらいます。店出しできたら儲けもん、思わはったらどうどす?」
「そんな、あんた、ウチの娘を猫の子みたいに…」
ウチは、手のひらで畳を軽く叩きました。
ぱしっと、乾いた音がします。
「今のままでは、猫の子より劣りどす。お茶のひとつもよう出せしません。挨拶ひとつでけしまへん。こんなんで、どうしてお嫁に出せます?ウチの所に転がり込んだのも、何かの縁どす。どうか、この子を仕込むこと、させとくなはれ。」
ウチは、そこで深く畳に頭をつけました。
歯に衣着せぬウチの物言いに、ご両親は絶句してしまいました。
「なにより、この子がやる気になってます。その気持ちをなんとか形にしてあげたいと思います。どうか、ウチに預けていただけませんか?」
ウチは、深々と頭を下げ、畳に額を付けました。
「どうか頭を上げておくなはれ、頭を下げてお願いせなあかんのは、わしらのほうや。見れば、ウチの娘とそうかわらへんのに、こんなしっかりした娘さんもおんのやさあ。どうか、その半分も身につくように、仕込んだってください。蹴ろうが叩こうが、好きにしてください。」
お父さんは、しっかりと頭を下げて、ウチに向かいました。
お母さんも、あわてて頭を下げます。
「よろしおす?うわあ、よかったねえマリカさん。がんばろなあ。」
「へえ、お姉さん。」
このとき、初めてマリカさんが口を開きました。
いつも、荒い言葉しか聞いたことのないご両親は、目を丸くして自分の娘を見つめました。
「こ・こんなけでも十分です!人並みに、女らしい言葉が出せるやなんて!」
「まだまだ、こんなもんやおへんえ~、三ヵ月後・半年後をみとうみやす、腰抜けますえ。それからお父さん、もうじきウチ店出ししますよって、祗園にお越しのおりには、ぜひ呼んでくださいねえ。」
ウチは、にっこり笑って、めがねをはずしました。
二人だけやない、マリカさんもびっくりして、うちの顔を見つめなおしました。
「ほんでは、これでお暇させてもらいます、今夜から仕込みさせてもらいますよって、このまま連れて帰りますけど、よろしおす?これ、連絡先どす。」
ウチは、お母さんが今夜はこちらに…とか言い出す前に、クギを刺しました。それが甘いよって、こう言う娘になんのんがわかってへんのどす。
とにかく、そのままさっさと家を出てしまいました。
「さて、タクシー拾って、帰ろうなあ。」
「もったいないよって、歩いて帰ろお姐さん。」
「ウチがお姐さんで、ホンマにええの?」
「お姐さんやないといやや。他の人ではあきませんのや。」
「わかりました、これからよろしゅうね。」
「ウチの方こそ、よろしゅうお頼の申します。ウチ、がんばります。」
「そやにゃあ、啖呵きってしもて、引っ込みつかへんもんなあ。ウチのほうこそ、きばらなあかへんなあ。」
「うちも、お姐さんに恥かかさへんよう、せいだいがんばります。」
「わかった、弱音吐かんときばるんやで、あ・栗蒸し(羊羹)や、買ってこ。」
マリカは、盛大にコケました。あんたパンツさん丸見えやし。
「お姐さん!ウチのことより、栗蒸しどすか、ひどいなあ。」
「あはは、かんにんかんにん。」
宵闇と言うほど、四条通は暗くもなく、アーケードの下を二人で歩いて帰りました。




