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春の春菜の二年坂  作者: とめきち
15/20

ー祇園祭ー壱ー


 梅雨も明けて、蒸しむしとした日が続く七月、烏丸通りには祇園祭の装いで、けっこうな賑わいです。

 七月のひと月のあいだは、祇園祭一色で、行事は知っているもの、知らないものまで、毎日あるのです。

 御輿洗いに宵山、山矛巡航、花笠巡航などなど、華やかで華麗なものばかりが映像としてもてはやされていますが、実に神事ですので本当は、厳かにあるべきものなのです。

 また、祇園祭は「はも祭り」言うくらい、はものおいしくなる季節でもあります。

 はもの甘辛ぅ焼いたんを食べると、夏が来たなあと思います。


 ま・お祭りは何であっても楽しいものです。


 ここ松本屋でも、花笠の準備は着々と進んでいます。

 花傘と言うのは、「後のまつり」の巡行が十七日の山鉾巡行と合併したので、山鉾の古い形態を再現するためにはじめられました。

 二十四日に、花傘の十余基を先頭にして、花街の芸妓・舞妓の踊り、鷺舞、六斎念仏、子供御輿、祇園ばやし、稚児など総勢千人の行列が進む、たいそう華やかな祭りです。


『橋の上に降りた鳥は何んの鳥、河ささぎの、河ささぎの、ヤァ河ささぎ、鷺が橋を渡した、鷺が橋を渡した、時雨の雨に濡れ鳥、鳥、ヤァ河ささぎ』

(鷺舞)


「世間様は、祇園祭や言うて、浮かれてはるけど、ウチらはあっつい着物で歩かなあかへんのやで、迷惑な話や。」

 千代菊さんお姉さんは、ぶーぶー言いながらお座敷の支度をしたはります。

「まあ、お座敷に入れば、クーラー効いてはるんやさかい、ええやおへんか?」

「そこまでの道中がかなんの、蒸しむしの花見の小路やら装束着けて歩いてみなはれ、そらお化粧も流れて、『のっぺらぼう』みたいになるんどすえ。節分のお化けやないっちゅうんや!」

(祗園では、節分に芸舞妓が扮装をする、おばけという行事があります。)

「あはは、そらいっぺん見てみとおすなあ。」

「そうやって笑っといなはれ、来年はみどりちゃんも、おんなじメに会うんやから。」

「うひゃ~!考えてませんどした。」

「あほやね。」

「ひどいなあ、お姉さん。」

 それでも、千代菊さんお姉さんは、びしいっとキメて、昼のお座敷(しかも川床!)に出陣するのでした。


 ウチは、お姉さんたちを見送ったあと、お稽古場にとって返して、お三味線の練習を始めました。

 午後の祇園は、蒸し暑くて、一雨ほしいところです。

 庭木も心なしか疲れたようすで、しんなりと枝がたれています。

 垣根の向こうを、ぼんやり眺めていると、垣根の頭より低い頭が、ぴょんぴょんと跳んでいるのが見えました。

 ウチは、三味線を弾きながら、それをじっと見ていると、ざりざりと音がして、そのあとぴょこりと顔が出てきました。

「あれまあ、いづみちゃん。」

「えへへ、三味線の音がしたから、こっちに来たんや。」

「なにも、そんなとこから覗かぁでも、裏木戸から入ればええやん。」

「鍵かかってたえ。」

「ホンマ?ほな、開けるわ。」

 ウチは、つっかけをはいて、裏庭を横切りました。

 いづみちゃんは、そこらにあったビールの箱を、踏み台にしたようです。


 木戸のかんぬきを開けて、いづみちゃんを招き入れました。

「どんな様子?」

「へえ、もうだいぶん慣れたし、レパートリーも増えましたんどす。」

「そう?つらいことはない?」

「自分で決めたんどす、それは口にでけしませんわなあ。」

 ウチは、ころころと笑って見せました。

 いづみちゃんは、しばらくウチの顔を見つめていましたが、深く息を吐き出して言いました。

「そらそうやなぁ、ウチは受験勉強に飽きて、みどりちゃんの顔見にきたんやけど、それも贅沢言うもんやなあ。」

「それもええんと違いますか?疲れたら、休めばええんどす。透吾ぼんも、よう言うてはったやないですか。」

「そうかなあ、友美ちゃんの三十五ン日<さんじゅうごんち>も出てこず、百ン日<ひゃくんち>の法要にも出てこおへんくて、あいつ何処にいてるんやろ?」

「そのうち出てきますがな、心配せんと待っとけばええんとちゃいますか?」


「なんや、みどりちゃん、しっかりしてきたなあ。自信がある言うか、落ち着いてはる言うか…」

 ウチは、少し考えていましたが、やがてにっこりと笑いました。

「そうどすなあ、ウチの周りにはウチより大人なひとばっかりやよって、考え方も変わってくるのかもせえしまへん。」

「そやなあ、ウチの周りは子供ばっかりやもん、世間が狭いなあ。」

「ええやおへんか?子供でいてもええうちは、子供のままで。いやでもトシとらはったら、大人にならはんねんもん。」

「そやなあ、ウチは橘重工三千人の生活をみなあかへんねん。ウチは一人娘やよってなぁ。そやし、そんなこと、今から考えてもしょうがないもんなあ。」

「そやろ?だれか、いづみちゃんの助けになる人が現れるかもしれへんし、それはいづみちゃんが大学出はって、仕事してからでも、遅ぅはないもんやと、ウチは思う。」

「はあ、少し気ぃが楽になったわ。」

「お役に立てたら、ありがたいことどす。」

「こんなこと、今は、みどりちゃんしか相談でけへん。厳しい現実やもん。」

「そやなあ、今度、大瀧の若旦那さんが来はったたら、お話してみるとええわ。」


「大瀧の?ひょっとして、金融業の?」

「そうそう、なんや、外国でお金貸してはるみたいやねえ。」

「しらへんの?大瀧言うたら、金融大手の『はなさき銀行』やん。そら、外国でも手広ぅしてはるはずや。大瀧の若旦那言うたら、その中でもやり手で通ってはるえ。まだ、三十そこそこなんやろ、どんな人?ハンサム?独身?」

「そうやなあ、お髭が似合うハンサムやよ。歳は二十九やそうやよ。お年のわりに、老けた感じやけど、がっしりした背の高い人。結婚はしてへんらしいわ。」

「ええなあ、お近づきになりたいわあ。」

「なんやそれ?十二も年上やん。大人と子供やよ。」

「そんなん、社会に出れば気にならへん差ァやん。それより、やり手実業家言うのんが重要なんやて。」

「そう言うもんどすやろか?」

「そうそう。」

「へえ~」


「これでもウチは、アタマ使ってるんやから。跡取り娘は大変なんやよ。」

「ほな、こんどおいやしたら、いづみちゃんにも連絡入れよなぁ。」

「お願い。」

 なんや怪しい雲行きどすけど、いづみちゃんの頼みやし、やってみよ思います。

 これも『ご縁』言うもんどすし、仲が好ぅなれば、ええこともおす。

 舞妓ちゃんは、携帯で連絡が入ることも多い、言うことで、ウチもお母さんから携帯を持たされています。

 早ぅから慣れておくことや言うてはります。

 ウチは、いづみちゃんの携帯番号を、ウチの携帯に入れておきました。

 こんど、大瀧の若旦那さんの携帯も聞いておこうと思います。


 ウチが、いづみちゃんを送り出すと、松岡の次男坊の義昭さんが、坊主頭を光らせながらやってきました。

「あ、義昭さん、こんにちは。」

「こんにちは、みどりちゃん。琴江さん居てはる?」

「へえ、奥に。」

「お・ほなお邪魔します。あれ?別嬪さんがもう一人居てはるやん、仕込みさん?」

「この子は、ウチの同級生。ちょっと遊びに来たん。」

「へえ、俺は松岡義昭、よろしく。」

「あ、橘いづみどす。」

 義昭さんは、軽く頭を下げて奥へと入って行きました。

 ぶっきらぼうな態度をとるときは、義昭さんが照れているときです。

 きっと後で、いづみちゃんのこと聞かれるんやろうなあ。

「ほなまたね。」

「へえ、受験勉強・きばっておくれやす。」


 ウチといづみちゃんは、手を振って別れました。


「なあなあ、みどりちゃん、あの子どこの子やねん?」

 ほらきた!

「あ?あの子は橘重工の一人娘やよ。高嶺の花やねえ。」

「うっひゃ~、ものすごい高さやないか。」

「そうそう、従業員三千人、家族は一万人、食べさす気ィがなかったら、手ェは出せませんな。」

「ホンマやなあ。俺は、もっと身近な子がええなあ。」

「あほ、そんなことゆって、舞妓ちゃんに手ェ出したらあかんよ。」

「うわ~、ものすごいクギの刺し方!五寸釘でももう少し優しいわ。」

「修業の身ィやったら、そのことだけ考えてはったら?」

「うぎゃ~」

 変な声を出しながら、義昭さんは帰って行きました。

「ちょっと、今の義昭さんやないの。」


 浴衣姿の菜の菊さんお姉さんが、ウチの後ろから声をかけてきました。

「へえ、そうどす。なんや、琴江さんに御用があって。」

「そう?あんたもドンなやなあ、あの子、遠まわしに、あんたがええって、言うてはったんえ。」

「ひゃ~!そうどすか?ウチぜんぜんわからしまへんどしたわ。」

「ほんまにもう、そやし舞妓ちゃんの仕込みに、色恋はご法度どすさかい、気ィつけとくなはれ。」

「へえ、承知しました。おおきに、お姉さん。」

 小さいお姉さんは、頷いて中に入りました。

 そうか~、義昭さんがねえ?ま・タイプやないもん、なびきそうもないわなあ。

 笛の音と鐘の音が、物悲しく響く祇園囃子の音色に彩られて、初夏の風が加茂の川面を渡って往きます。

 去年の今頃は、学校で夏休みの計画に、盛り上がっていました。友美ちゃんのやさしい笑顔がありました。



 世の中には、許せることと許せないことがあることを知りました。



 ウチから、友美ちゃんを奪った人を、ウチは生涯、許せへんやろうと思います。



 アカンし、思い出したら涙が出てきた。


 ウチは、そっとつっかけをはいて、表に出ました。

 建仁寺裏の新道児童館のすみには、夕暮れに西日が揺らすブランコがありました。

 ウチは、そのブランコを見つめながら、握りしめた手のひらを、ゆっくりと開いたのでした。

「あかんなあ、爪・食い込んでるし。まだまだ修行が足りんなあ。」

 ここから宮川町の、ウチが住んでいたアパートは、目ェと鼻のさきにあります。

 からころとつっかけを鳴らして、縄手通りを北に向かってそぞろ歩くと、ちゃんこの天山さんやきんなべさんを通り、やがて団栗通りに出ます。

 ウチは、わざと反対の道をたどって、川端通りに出て、西に渡りました。

 寺町通りと仏光寺通りがぶつかるところに、前に勤めていたコンビニがあります。


「こんにちわぁ。」

「あら~、みどりちゃん、おこしやすぅ。様子はどうどす?」

「へえ、奥さん、順調どす。みなさん、お変わりおへんか?」

「そらもう、旦那はんも山田くんも、元気にしたはります。」

「そうどすか?近いようでも、なかなかここまで来れませんよって、かんにんしとくれやす。」

「なに言うてんのん、便りのないのはよい便り言うやおへんか。みどりちゃんが、おきばりやしたらそれでええんどす。」

「すんまへん、おくさん。」

 ウチは、千代菊さんお姉さんのお土産に、ポテチを二つ買ってコンビニを出ました。

 そろそろお姉さんたちの出陣の時刻なことに気がついて、慌ててもときた道を、走って帰りました。


 案の定、みなさん出陣前の腹拵え中で、ウチも給仕に加わりました。

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