ー春のをどりー参ー
千代菊さんお姉さんの春のをどりは、初日からの出ェで、準備に大忙しでした。
帯やの襦袢やの、そこらじゅうにちらけてはって、あとで片づけるのにも一苦労。
それが、毎日続いて、その後お座敷もかかって、ホンマ・舞妓ちゃんって、体力勝負やわあ。
いっつも思うけど、あのをどりの最初の掛け声は、「みやこおどりはぁ~」って言ってから、全員で「よ~いやさぁ~」って言わはんの.このまえ聞いてみたら、みんな「よ~いやきゃ~!」って言ってはんにゃて。
どこまでがお遊びやら、わからへんわ。
「ああ、いそがし!お姉さん、後半でうらやましいわあ。」
千代菊さんお姉さんは、菜の香さんお姉さんに言いました。
「あほやね、新前のうちは前半でもまれたほうがええにゃわ。後半になってみ、目ェの肥えたお客さんがたんと来はって、あとのお座敷でさんざん批評聞かされるんにゃわ。」
「うひゃ~、そらかなんなあ。そしたら、今のうちに、楽しとこ。」
「そやそや、そないしとき。そやし、後半の照る雛ちゃんの舞は、いっぺん見ておくとええよぉ。絶対参考にならはるから。」
「そねえにええんどすか?」
ウチが、襦袢を畳みながら聞くと、菜の香さんお姉さんは、にんまり笑って言いました。
「これが、舞妓の一番絞り言うもんどす。あんたは、お三味線<しゃみ>ほど舞が上手やおへんよって、いっぺん覗いておきよし。そら、腰が抜けますゑ。」
「そんなもんどすか…」
「そらそんなもんどす。『舞の照る雛』言うのんは、伊達やおへんえ。」
「はあ、ウチ・舞子で一番上手に舞うのは、千代菊さんお姉さんやと思ってましたわ。」
「千代菊ちゃんは、三番目。豆よしちゃんが二番目。お花ではちょっと差ァつけられてしもたね。」
「しょうおへんやろ、なんやあの子ら、妙に華がおすのやもん。」
千代菊さんお姉さんは、悔しそうにつぶやきました。
「それだけやないえ、二人とも新聞読んだり、ニュース見たり、本読んだりと、勉強してはるもん。千代菊ちゃんも、新聞くらい読みよし、話題が少ないのはマイナスやよ。」
「へえ、わかりました…」
千代菊さんお姉さんが、新聞読んだりして努力しているのは、知っていましたから、ちょっと悔しいのだろうと思います。
お姉さんたちが新聞読まはるのは、いつものことでしたので、気にもしていませんでしたが、お客様の話題について行けないようでは、舞子は務まらないのだとわかりました。
「みどりちゃんも、新聞くらいは読む習慣を身につけなあかんえ。」
「へえ、わかりました。精進します。」
千代菊さんお姉さんが、華が…と言っていたのも、あながち逃げ口上ではなく、あの二人には確かに歩いているだけで、雰囲気が伝わってきます。
「くやしいけどな、もって産まれた華だけは、どねぇにしても越えることがでけへん、努力に着いてこぉへんもんもおますにゃ。」
千代菊さんお姐さんは、シンからくやしそうに、唇を噛みしめました。
「そやし、みどりちゃんにはぜったい華がある!みとおみやす、みどりちゃんが店だししたら、ぜったいウチがお花いちばんを、取らせるんや。」
千代菊さんお姐さんは、両の拳を握りしめて、天井を見上げました。
「うきゃ~!お姐さん、しごき踏んではるし~!」
ウチは、持ち上げかけたしごきが、ぴんと伸びるので、あわてて大声を上げてしまいました。
朝から大忙しで準備して、おさらいして、祇園甲部歌舞練場にはいると、さらに戦場の様相が濃くなります。
ウチは、千代菊さんお姐さんの後について、をどりの様子を舞台袖から、見せてもらうことにしました。
去年の今頃みんなに内緒で、透吾ぼんに連れてきてもらったことが、思い出されます。
宮川町の歌舞練場に、近いところに住んでいたのですが、家が貧しかったので「をどり」は見たことがありませんでした。
華やかで、楽しくて、こんな世界もあるのだなあと、夢中になって見たこと、隣に座る透吾ぼんの体温が伝わってきたこと、今でも胸にきゅうんと甘いものが走ります。
もっとも、そのあと透吾ぼんの、知り合いの舞子ちゃんが大勢集まって、えろうイケズされたんやけど。
ともかく、お抹茶のお接待当番が終わると、すぐに舞台が始まりますので、舞台袖に行き着くまでに息が切れます。
舞妓ちゃんは、忙しいことこのうえなく、端で見ていてもはらはらするくらいタイトな時間割でした。
ようやっと、「よーいやきゃ~!」です。
真っ暗な舞台袖に、一斉に明かりがともると、お囃子が始まります。
お囃子も、今日はようそろっていて、音の通りも良くて、いい出だしだと思いました。
やがて、照よしさんお姉さんのソロ。
「あ、振りまちごうた。」
千代菊さんお姉さんは、照よしさんお姉さんの舞を見ながら、小さくつぶやきました。
「まちごうたん?」
「少しな、ウチも気をつけよ。」
ウチは、今年のパンフレットをぱらぱらとめくっていて、どきりとしました。
「千代菊さんお姉さん、これ…」
もっと小さな声で、呼ぶと、ページを開いて見せました。
「うわ、なんやこれ、あんたやないの。」
そのページには、片隅に姉小路和泉屋の宣伝が入っていたのですが、そこに使ってある写真が、なんとウチの舞子姿でした。
「どないしょ?ばれてまうやろか?」
「だんないて、こんな小さい写真、わかるわけないやん。」
「そやかて…」
「大きい顔しとき、下手に騒ぎ立てると、余計に目立つよって。」
「…」
そらそうやなあ、こんな小さい写真やし、だれも気ぃつかへんわ。
てなこと思って、その日は帰ったのですが、そのあと祇園甲部と姉小路和泉屋には、あの舞子はだれやと、ずいぶん問い合わせの電話があったそうです。
もちろん、誰かはわからしまへんやろうけど、冷や汗もんどした。
そのあとしばらくは、祇園ではこの話題が続いたのですが、結局はモデルさんやろうと言うことで、話は七十五日も持ちはしませんでした。
ウチは、一ヶ月の公演が終わるまで、お姉さんたちのお手伝いで、へとへとになってしまったのですが、それでも稽古は休みになりません。
その上、お遣いもこなして、庭掃除もして、仕込みちゃんはたいへんやあ。
てか、ウチの体力のほうが、尋常やないんと違うやろか?
いましも、縄手通りの藤村屋さんに、ところてんを買いに来たんどすけど、居ましたわなあ。
銀ラメ紫ラメ。
あはは~、三人も居てはる。
「待ってたよ。ここに居りゃあ、通るだろうと思ってたんだよ。」
「へえ、ごくろうはんどすなあ。何日待ってはったん?」
「う、十五ン日…って、そんなことは、どうでもええんや。この前言ってたろう、餃子連合連れてこいって!連れて来たぜ。」
「ひゃ~!執念深いお姉さんどすなあ。ほんで?どちらさんが、餃子連合さんどすか?」
「姐さん、よろしくお願いします。」
「ああ、あたしが…あれ?みどりちゃん?」
「あれまあ、蘭子さん、お久しゅう。お元気どした?」
「ああ、元気さあ。透吾さんは、あれからどう?」
「それが、なかなかみつからへんの。ウチも、いろいろ忙しいよってなあ。」
「そうか~、まあ、困ったことがあったら、なんでも言ってよ。あたしたちは、いつまでも味方だよ。」
「おおきに。あんまり気ィ使わんといてなぁ、ウチと蘭子さんの仲やない、透吾ぼんにも、会えたらよろしゅう言うときますさかい。」
「そうだね、その前にっと…」
ごん!
渾身のノーテンド突き!
「うあちゃ~!」
「このスカタン!相手見てケンカ売るんだね!この子は、あたしの友達で、みどりちゃんって言うんだよ!苦労してるんだから、つまんないことでからむんじゃないよ。」
「ええ~!そうなんスかあ?」
「アホ!あんたが百人束になったって、この子のド根性<しょっぽね>にかなうわけないやん。」
「まあまあ、蘭子さん、そのくらいで。」
「いや、こいつはウチの後輩で、マリカって言うんだけどさ、もう軽くてどうしょうもないやつなんだよ。」
「軽いって言わないでくださいよう。」
「じゃあ、なんていうんだよ!ラーマ?」
「うひゃ~!」
「根性入れ直してやる!腹筋千回!」
「うわ~ん!姐さん、助けてくださいよう。死んじゃいますよう!」
「あら?まだ『ごめんなさい』は、聞いてへんよ。」
「うわ~!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいいい~!」
「蘭子さん、その子のしたことは、もう許してあげますよって、堪忍したげて。」
「そう?みどりちゃんにそう言われちゃ、勘弁してやるか。マリカ!お礼いっときな。」
「へえ、姐さん、おおきに。」
「へえ、もうええんどす。蘭子さん、この子いくつどす?」
「ああ、十六。高校クビになっちまったから、いまプータロだけどさ。」
「まあ、そうどすか?なにしはったん?」
「ああ、ちょいとケンカに巻き込まれてさ、そいつだけ逃げそこねちまったのさ。」
「まあ、残念なことどすなあ。ほいで?今はバイトでもしてはるの?」
「面目ねえ、なにもしてへん。」
「そうか~、どこか当てでもあったらよろしおすのやけど…」
「まあ、こいつのことは、アタシらにまかせといて、みどりちゃんは舞妓さんの仕込み、きばってよ。」
「そうどすなあ、餅は餅屋…言いますさかいなあ。」
「そのとおり、ま・あんたは透吾さんの帰りを待つって言う、仕事もあるしね。」
「まあ、それは仕事どすか?」
「あはは~、まあいいじゃん。ほな、こいつは連れて帰るし。またね~。」
「へえ、ごきげんよろしゅう。」
二人は、縄手通りを下がって、四条通を西に向かいました。
ウチは、縄手通りを上がって、藤村屋に入ったのでした。
「みどりちゃん、いまガラの悪そうなのんと、話してへんかった?」
藤村屋のご主人が心配そうに聞きました。
「へえ、たいしたことおへんえ。」
「そうか~?気ィつけんとなあ。」
「そうします~。」
一方、四条のクマドナルドに入った二人です。
「せんぱ~い、あの人、すごい人なんですねえ。」
「まあな、あたいらハンパもんが、束になってかかってもびくともしやしないよ。あれは、八坂の透吾のオンナのひとりだぜえ。」
「うえ~、嵯峨野終舞を一人でぶっつぶしたって言う、あの?」
「そだよ~、かっこよかったよ~。あたしゃ、ガラにもなく、ときめいちまってさあ。たまんなかったよ~。」
「いいなぁ、あたいらなんか、抗争もな~んもあらしまへんもん、ヒマなもんやわ~。」
「それでええんちゃう?好きなように走れるし。」
「ほんでも、大津の方から石山サンダースがでばってきますよぅ。」
「へえ、石山のマコも引退だろうに。」
「マコさんッスか?」
「あとは、高槻の柴山カスミだな。」
「高槻のアローズですか。」
「ま、なんにぜよ、ウチらももうじき引退だしな、あとは、お前らでうまくやんな。」
「へえ、そうですねえ…、センパイ・みどりさんの置屋って、祇園ですか?」
「ああ、甲部の松本屋さんだろ?建仁寺の北だよ。」
「そうなんスかあ。あこがれるっスねえ。」
「へ?舞子ちゃんにかい?」
「いやあ、イキじゃないスかあ。」
「あんたも、意外な一面だね。」
「そっすね。ただ、ぶらぶらしてるあたいらとは、世界がちがうっスねえ。」
「そりゃそうだ、あのこは、何にでも本気だもんさ、お前みたいに中途半端じゃないよね。」
「…」
マリカはなにやら、一生懸命考えていましたが、そのうち脳天から黒煙が上がって、オーバーヒートしました。
ぷしゅ~




