ー春のをどりー弐ー
そろそろ髪も伸びて、ウチら三人は割れしのぶにできるほどになっていました。
あいかわらずの三つ編みで、お稽古着姿のウチは、縄手通りを南に下って、花見の小路に向かったのでした。
縄手通りと四条通の交差点、大和小路交番の前を通りかかると、交番の中から白い服を着た女の人が飛び出してきました。
「うっせえなあ!マッポのくせに黙ってろよ!」
「なまいき言うんやない。こんど、このへんうろうろしてたら、逮捕するよってな!」
「へん!うぜぇんだよ!腐れマッポがよ!」
「あ!」
女の人が振り回した手が、ウチのこめかみに当たりました。
「あ?とれえやつ、だっせ~。」
「言うことは、それだけどすか?」
「あ?なんだよ。」
「ええトシさらかいて、つっぱりどすか?情けない。スジも通せへん半端モンが、偉そうな顔して歩かんといておくれやす。」
「なんだとお!」
白い服は、つなぎのナッパ服で、背中には紫ラメで『夜露死苦』と書かれています。
髪は、金髪に染めて、根本には黒い毛が見えています。
いわゆるプリンあたま。
やっすい染髪料つこうてはるんやろなあ。
アシには、小さくてヒールの細いサンダル。
「安っぽいツッパリの脅しくらいで、ビビるとでも思っといやすのか?親のスネ囓りの分際で、えっらそうに。ウチをビビらすなら、餃子連合でも連れておいなはれ。」
「な…」
「ほら、人の顔に手ェ当てたんやさかい、『ごめんなさい』は?そんなことも言えへんのどすか?アホなツッパリどすなあ。」
「なんだと・ゴルゥア!」
「あ~、安い脅しには、あくびがでますわな。もう帰ってもよろしおすえ、あんたから『ごめんなさい』が聞けるとも思えまへんよって。頭も躾も悪い女には、安い男はんしか寄ってきまへんやろなぁ、ほほほ…。」
ひらひらと、手のひらを振って「しっしっ」と追い払うと…
「んだとお!」
ついに切れた彼女は、ウチにつかみかかってきました。
「うきゃ!」
カウンター気味に出した手のひらが、彼女のあごに当たりました。
「うえ!」
頭をくらくらと揺すりながら、座り込んだまま、彼女は動かなくなりました。
「あれまあ、こんなところでおねむどすか?しょうおへんなあ、ほな、さいなら。」
うまく行ったので、ウチはそそくさと帰ってきました。
どきどき。
「お母さん、ただいま。」
「お帰り、秋志野さん姉さんが来てはるえ。今日は、約束あったかいな?」
「なかったと思うわ。なんやろ?」
ウチは、慌てて座敷に向かいました。
座敷には、きりりと正座して、秋志野さんお姉さんが座ってはりました。
「お姉さん、こねぇに急にお越して、なんどすやろ?ウチ、なんぞ不調法でもしましたやろか?」
秋志野さんお姉さんは、いつものきっちりした物言いで、ずばりと口にしました。
「話言うのは、他でもおへん。みどりちゃん、あんたなあ、本格的にお三味線で身ィ立てる気ィおへんか?」
「へ?お三味でどすか?そらまたどうしてどす?」
「いや、あんたが舞妓になりたい言うことも、十分承知してますけどな、なにせいウチとこも跡継ぎがおへん、ゆくゆくはウチの後を継いでくれへんかと思うてな。」
「へえ、そらありがたいお話どすなあ。そやし、ウチはこの松本屋で、透吾ぼんを待たなあかしまへん。お姉さんは、まだまだ若いンどすよって、あわてて跡継ぎさんを決めェでもええ思いますにゃわ。」
「そうか?」
「へえ、ウチのできることなら、せいだいさせてもうてもええ、思いますけど。この家を出ることはできしまへんにゃ。」
「そうか…透吾ぼんを持ち出されると、あても弱いとこがおますにゃなあ。あの子こそ、あての跡継ぎやと思うてたんどす。そやし、女の子であの手ェに出会えるとは思うてもみまへんどしたさかい、あわててしもたんは、あての勇み足やったかいなあ?」
「そんなに誉めてもうて、おおきに。ウチは、まだまだ精進せなあきしまへん。この話は、また十年後にでも出してくれはると、うれしい思います。」
「あんた、あてにまだ十年きばれて言いはるのんか?年寄りを労わる言う気持ちはないのんかいな?」
「三尺定規で、びしびししてはる人が、そんな簡単に、トシ取りますかいな。十年たってもまだ、しゃんしゃんしてはるに決まってますやん。」
ウチは、甘えた声で、秋志野さんお姉さんに言いました。
「ほんまにこの子は…どれ、ついでに今日の出来を見せてもらいまひょ。ちょうどお稽古帰りで、お三味持ってはるし。」
「うひゃ~、ヤブヘビやあ!」
そう言いながら、ウチはいそいそと、お三味線を出しました。
きびしくても、秋志野さんお姉さんのお稽古は、どんどん身につくのがわかって、嬉しくなります。
他の子たちは、もう五年も十年も稽古したはるんやから、その何倍も練習せな追いつき追い越しでけしまへんにゃ。
ウチのお稽古の音を聞いて、お母さんがお茶を持って現れました。
「秋志野さんお姉さん、ごくろうはんどす。お茶でもあがっておくれやす。」
「あ、こらお母さん、いつもすんまへんなあ。今日は、見事に振られてしまいましたわ。」
「なんどす?」
「いや、あての跡継ぎにみどりさんをもらえんかと思いましてな、内諾だけでもとっとこ思うたんどすわ。そやし、この子はこの家をでることはかなん、言わはって。顔に似合わん頑固なとこがおすにゃなあ。」
お母さんは、目を丸くして驚きました。
「まあ、この子は…そうどすか、祇園でも名高い秋志野さんお姉さんが、太鼓判くださるならこんな嬉しいことはおへん。そやし、せめて舞妓・芸妓をして、一人前に暮らせるようになってからにしとくなはれ。この子は、天涯孤独な身の上どすさかいに。」
「そうどすにゃわ。いまも、この子におんなじこと言われましたん。あては、まだ十年現役でがんばらなあかんそうどすわ。」
「まあ、この子はそんな失礼な。」
「ええんどす。いっそう張り合いができた言うもんどす。十年と言わず、二十年でもきばってみせますよって、お母さん、この子をあての跡継ぎ候補にさしとくなはれ。」
「そこまで見込んでくれはったんなら、あても気ィ入れて仕込みさせてもらいます。楽しみどすなあ、この子の将来が。」
ウチは、こんなに贔屓にしてもうて、ホンマにええんやろかと、つい疑ってしまいました。
お滝さんお母さんにも、いやというほど可愛がってもらって、姉小路の旦那さんにも助けてもらって、いま、秋志野さんお姉さんまで、人の運命と言うものはわからんもんどす。
「透吾ぼんが、居てくれはったおかげどす。ウチの今があるのは。」
「そうやな、透吾ぼんがいてはらへんかったら、あてもみどりちゃんのこと知らへんまんまやったと思うわ。透吾ぼんが、稽古つけてくれたよって、みどりちゃんの今があるんやわなあ。」
半年過ぎて、ウチのレパートリーは飛躍的に増え、舞もたくさん覚えました。
毎日、三人のお姉さんに、入れ替わり立ち代り稽古を見てもらい、お母さんから立ち居振る舞いや三味線を習い、秋志野さんお姉さんのシゴキに耐えてきたことが、だんだん形になって見えてきたこと、ホンマに嬉しくてたまりません。




