ー春のをどりー壱ー
祇園甲部に、華やかなポスターが張り出されると、いよいよ春になったのだと、こころもうきうきしてきます。
ウチは、女紅場で仲良くなった、しのぶちゃんと紘子ちゃんと、巽橋に居ました。
「ねえねえ、こんどのをどりの表紙、だれやろなあ?」
ウチが、聞いてみると、待ってましたとばかりに、二人は目を輝かせました。
「そら、照る雛さん姉さんやないの?」
紘子ちゃんは、興味津々で言いました。
「豆よしさん姉さんやわ。」
しのぶちゃんも心当たりがあるらしく、自慢そうに言いました。
どちらのお姉さんも、お花トップを争ってはる、超売れっ子さんどす。
そして、どちらもいずれアヤメかカキツバタ、甲乙つけがたい美人でもあります。
「みどりちゃんは、どう思う?」
「さあ?ウチはこの世界に入って、日が浅いよって、ようわからしまへん。」
「まあ、そらそうやねえ、それでもお三味線では、ウチみどりちゃんに追いつけへん。あんたのお三味線は、年季の入った玄人さんみたいやもん。」
「そうそう、秋志野さんお姉さんが付きっきりで教えてくれはるやなんて、うらやましいわあ。」
「代われるものなら、代わってほしいわ…秋志野さんお姉さんが、どんだけ厳しいか、紘子ちゃんは知らへんから、ウチ、血ィ吐きそうやわ。」
紘子ちゃんは、引きつったように顔をゆがめて聞きました。
「そ、そんなに厳しいの?」
しのぶちゃんも、細い目をおびえさせて聞きました。
「秋志野さんお姉さんって、六十越えてはるんやろ?」
「三尺の物差し持って、びしびし手の甲をたたくのんえ、帰りには真っ赤やわ。」
「うげ、ウチそんなん耐えられへんわ。」
「こわ~。」
「そやし、透吾ぼんの名前出されたら、逃げることもできひん。難儀やなあ。」
「その、透吾ぼんって、どんなひとやの?たまに、お姉さんたちが話してはるけど。」
「うんうん、謎の人やわあ。」
「そうか、しのぶちゃんも紘子ちゃんも、地方<よそ>の子やよって、透吾ぼんと会ったことがないんや…」
「そうなん、みどりちゃんは、知ってはるの?」
「知らへんわけないやん、ウチのええ人やもん。」
「しょえ~!うっそつけえ~!」
しのぶちゃんは、つい地が出てしまい、関東弁が出ています。
「あれ?千代菊さんお姉さんも、そんなこと言ってはったえ。襟換えは、透吾ぼんにしてもらうんや~って。」
「まあ、千代菊さんお姉さんは…ウチより年は下やけど、この世界は長いしなぁ。お三味線は、ウチより長いこと習ってはるよって、透吾ぼんとも、よう練習してはったもん。」
「ふうん、ほんで、どっちがホントやのん?わくわく。」
「さあねえ、どっちやろ?」
ウチは、年上の余裕で、二人に笑って見せました。
三人は、お稽古の帰りで、お三味線を抱えていましたから、巽橋の傍らで話していると、通行人の邪魔になってしまいました。
少しずれて、赤い毛氈の引いてある、床几に腰掛けて、話の続きをすることにしました。
着物を着た女の子が、三人並んでいるところは、いかにも京都らしいかもしれません。
「なあなあ、ホントのところはどうなん?もちろん、みどりちゃんの勝ちやろ?」
紘子ちゃんは、目をきらきらさせて聞いてきます。
「あのなあ、透吾ぼんと、ウチと、千代菊さんお姉さんとの間には、ふかくてなが~い話があるのんよ。それこそ、文庫本十冊分くらいは。」
「ふうん、そうなんや…」
「ちょっとはしょって、話してくれへん?」
しのぶちゃんは、現代っ子らしい軽さで、口を挟みました。
「あんまり、内情のわかってへん人に話したら、うまく伝わるかわからへんからなあ。」
「そんな深草の名産やあるまいし。せっしょうなこと言わんと、な・な?」
※注)深草は団扇の産地です。
「はあ、しょうおへんなあ。ウチの鳥追い、聞いたことあるやろ?」
「うん、お師匠さんが誉めてはった。あれは、ええお手本やて。」
「あの鳥追いは、透吾ぼんに教えてもらったんや。」
「ふうん、透吾ぼんって、お三味線が上手やったん?」
「そうや、高校に入った頃には、もう小さい生徒さんを教えてはったん、小っさいお師匠はんって呼ばれてはったもん。」
「へえ、秋志野さんお姉さんとも、いっしょやったん?」
「ううん、そのころ秋志野さんお姉さんは、現場で活躍してはったから、ウチとはウチとこのお母さんの縁続きやわ。ただ、透吾ぼんのお手には、注目してはったみたい。」
「なるほど、ほんで透吾ぼんとは、どういうなれそめやったん?」
紘子ちゃんは、ちょっと濃いめの眉をぴくぴくさせながら、ウチの顔を覗き込んでいます。
「そうやね、ウチは高校に入った頃は、引っ込み思案で、あんまり人と話すのが、好きやなかったんよ。母子家庭やし、お弁当食べるときも、いっつも隅っこで小さくなってたんよ。」
「ふうん、そうなんや。」
「そんなウチを、見ていてくれたのが透吾ぼんやったの。なにかと、仲間に誘ってくれて、お弁当も一緒に食べてくれて、ウチがどんだけ嬉しかったかわかる?」
二人は神妙な顔で、うなずきました。
「そのうち、友美ちゃんや、いづみちゃん、洋子ちゃん、可愛ちゃんが話しするようになって、ウチはみんなの中に入っていったんよ。」
「そやし、去年の夏、友美ちゃんが亡くなって…」
「ええ!どうして!」
「まあ、表向きは交通事故、言うことになってはるけど、いろいろ事情があってな、そのころ透吾ぼんは、友美ちゃんとつきあってて、もう・荒れてなあ。」
「そらそうやろなあ。」
「十日ほど家にも帰らんと、ふらふら歩き回ってはったんや。ウチが見つけたときには、そこらじゅうぼろぼろで、自分でごはんも食べられへんくらいで…」
二人は、声も出なくなっていました。
「ウチがごはんを食べさせて、お風呂に入れて、一緒に寝て、やっと人並みになっていかはったんえ。そやし、自分を取り戻さはったころ、またふらりとおらへんようになって、今はどこに居てはるやらわからしまへん。」
二人は、複雑な顔で、ウチの顔を覗き込みました。
「そ・そんな重たい話やったん?」
「まあねぇ、ウチにとっては、なんとも言えへん話やねえ。そやし、ウチは学校やめて、ここで透吾ぼんを待つことにしたんえ。」
「すごいなあ、みどりちゃんは。よう、そこまで決心しはったもんやわ。」
「そやし、この秋に母親が亡くなってしもて、ウチは天涯孤独の身の上になってしもたしな、これしかしょうがおへんかったんよ。」
しのぶちゃんは、目に涙までためて、ウチに言いました。
「そやなあ、透吾ぼんが、早う帰ってきはるとええなあ。」
「そうやね、ウチもその日を待ってるわ。」
辰巳神社の前にある床几の上で、ウチら三人は顔を見合わせたのでした。
ウチは、三味線を取り出して、撥をあてがいました。
「鳥追い、聞いて。」
二人は、うなずきました。
白川の水面に舞い散る桜のように、鳥追いの音が流れて行きました。
知らず知らずのうちに、ウチらの周りには観光客が集まっていて、びっくり。
お店の中から、大将が出てきはって言いました。
「お姐さん、練習熱心もええけど、これやったらウチの客引きになってしまうえ。家に帰ってからしたほうが、ええんとちがう?」
「へえ、えろうすんまへん。」
うちらは、あわてて三味線をしまうと、駆け足で巽橋をわたったのでした。




