ー年の瀬ー参ー
「おまっとうさんどす、お姉さん。」
千代菊さんお姉さんが、声をかけると菜乃香・菜乃菊さんお姉さんが振り返ってほほえみました。
一行は、タクシーに乗り込むと、某都ホテルを目指したのでした。
祇園から蹴上までは十分もかからず到着しました。
タクシーの後部座席で、菜乃香お姉さんと菜乃菊お姉さんに挟まれて、ウチは、頭がどこかに当たらないかと、気が気ではありませんでした。
「そんなに固くならへんでもええのに。」
そうは言っても、初めての髪型ですし、お正月さんでも日本髪なんて、結ったことがありませんから、ホンマに必死でした。
蹴上では、ホテルのロビーに、大滝の若旦那さんが待って居てはりました。
「ようこそ、ありがとう、みなさん。」
若旦那さんの言葉に、大きいお姉さんが優雅に受け答えました。
「へえ、お招きしてくれはっておおきに。大滝の若旦那さん。遠慮のう寄せてもらいました。」
「いやいや、こちらこそ無理を言ってすみません。お客さんも、間もなくお越しですので、よろしくお願いしますよ。」
「へえ、承知いたしました。若旦那さん、見とうみやす、この子が春菜どす。」
大滝の若旦那さんは、目を丸くしてウチを見つめました。
「想像以上だ、この子は売れるね。」
「そうどすやろ?若旦那さんはお目が高ぅおすなあ。」
千代菊さんお姉さんが、ころころと笑いながら、言いました。
「いやほんとにびっくりしましたよ。これで今夜の接待もいただいたようなものです。」
「おやぁ?ほならウチらは、お入り用やおへんようどすなあ。菜乃菊ちゃん、ウチらお茶飲んで帰ろか?」
「そうどすなあ、お姉さんの言やはるとおりどす。春菜はんを届けましたよって、早々にお暇しまひょ。」
「いやだなあ、お二人が居て、初めてお座敷が成り立つんじゃないですか、意地悪言わないでお願いしますよ。」
「ほほほ、大滝の若旦那さんが困ってはるよって、このくらいでかんにんしたげよかなぁ、菜乃菊ちゃん。」
「へえ、お姉さん。」
大滝の若旦那さんは、冷や汗を拭いながら、頭をかいてはります。
ウチらは、すぐに控えの部屋に通されて、お三味線や太鼓の用意を始めました。
程なく、地方の秋志野さんお姉さん、鳴り物の志乃李さんお姐さんも通されて、準備万端整いました。
「菜乃香さん、この子は?見慣れへん子やねぇ、仕込みさん?」
「へえ、ウチの妹になる予定の、春菜どす。よろしゅうお引き回しを。」
「は、春菜どす。秋志野さんお姉さん、志乃李さんお姐さん、よろしゅうお頼の申します。」
「これは、ひらいもんやねえ。ええ舞子ちゃんになるえ。」
秋志野さんお姉さんが、目を細めてウチのことを見ました。
志乃李さんお姐さんは、ウチのお三味線に目を留めました。
「これは…透吾ぼんのお三味線やないの。」
実は、ウチの三味線は透吾ぼんのお下がりどす。
「へぇ、この子は透吾ぼんの直弟子どすさかい、お手もよう似てますえ。」
菜乃香さんお姉さんが、ウチの肩を両手で持って自慢そうに言いました。
「へぇ、ひとつ聞いてみはります?」
「なにができはる?」
「そうどすなぁ、鳥追いでもどうどす?」
「ほなそれを。」
「へえ、春菜ちゃん、できるな。」
ウチは、ひとつうなずいて、透吾ぼんの三味線を持ち上げると、膝に乗せました。
最初の一弦を弾いたとき、秋志野さんお姉さんが細い目を開きました。
「これは…透吾ぼんのお手…」
ウチが半分も弾かないうちに、秋志野さんお姉さんは片手をあげて制止しました。
「ようわかりました。あとでお滝さんお母さんにはウチからご挨拶にあがりますよって。よろしゅうお伝えくださいね。」
秋志野さんお姉さんは、訳知り顔に菜乃香さんお姐さんに言いました。
間もなく、仲居さんが控えにやってきて、ウチらをお座敷に案内してくれはりました。
「こんばんわぁ、お頼の申しますぅ。」
襖の前に勢揃いして、一斉に三つ指をつきます。
「おお、よかった。時間ぴったりですね。よろしくお願いしますよ。」
「大瀧の若旦那はん、こんばんは。お呼びいただいて、おおきに。」
大瀧の若旦那はんのお客さんは、大きなおなかをした茶色い髪のおじさまと、金髪の五〇がらみのおばさまでした。
「こちらは、アルザスのジャン・ポールさんと奥様のソニアさんです、よろしく。」
大瀧の若旦那はんが、ウチに向かって首を振るので、お姐さんたちに目で合図して前に出ました。
『こんばんは、旦那はん奥さん。ウチらはお二人の、お接待をしに寄せてもろてます。』
『まあ、KYOUTOのMAIKOは、フランス語も話せるの?』
『いえ、ここではウチだけどす。それでは、皆様を歓迎して、私たちの舞をご披露いたします。』
ウチと千代菊さんお姐さんで、「祇園小唄」を披露しました。
『とれびやん!お人形が動いているようだわ。ねえ・あなた。』
『ほんとうにね、すばらしいよ、ムッシュオオタキ。今夜は誘ってくれてありがとう。』
「…、と言うてはります。」
「そう、喜んでいただいて、私も嬉しいですよ。」
お座敷では、お客様に自宅にいてはるように、くつろいでいただくのが、芸舞子のつとめどす。
お酒もすすみ、お座敷遊びをすることになりました。
ウチは、あんまりよう知らへんので、そばで通訳しながら見ていることにしました。
遊びは、「こんぴらふねふね」です。
金毘羅船の御唄に合わせて、交互に手を置き、手を取りつ取られつする単純なお遊びです。
ですが、これがまた奥が深こぉて、なかなかうまくできません。
ジャンの旦那はんは、体をよじって変な格好になるし、ソニアさんお母さんは、それを見て涙を流して笑わはるし。
おかげで、地方のお姉さんまで笑ってしもて、こんぴらふねぇえふねぇえと、お三味線が泳ぐ始末でした。
それでも、楽しい時間はすぐに過ぎてしまって、二時間はあっと言う間でした。
お客様三人は、そろってホテルのバーへ移動するそうで、ウチは玄関まで見送ろうと、立ち上がりました。
「あ、春菜さん、このまま通訳に付いてきてくれませんか?」
ウチは、咄嗟に返事できず、大きいお姉さんを振り返りました。
「えらい不調法ですんませんなぁ、旦那はん。この子は半だらでもおへんのやし、どうか今夜はこれでかんにんしとくれやす。」
「そうか…残念だな。でも、ありがたかったよ。また、店だししたら頼んでもいいかな?」
「へえおおきに。どうぞ、ご贔屓にお頼もうします。」
菜乃香さんお姉さんは、にこにこと頷いて言いました。
お姐さんたちは、そのままタクシーに乗って、それぞれのお座敷に散って行き、ウチは一人で松本屋へと帰りました。
「お帰り、どうやった?」
「へえ、万事ことなく納まりました。お客様も喜んでくれはりました。」
「そうか~、よかった~。」
お滝さんお母さんは、心底安心したようで、胸をなで下ろしていました。
「そやし、あんたもごくろうさんやったな。もう着物脱いでもええよ。疲れたやろ?」
「それが、お母さん。ちっとも疲れてしませんのや。不思議どすなぁ。」
「ふうん、ホンマにあんたには天職かもせえしまへんな。あ・写真撮っとこ。あとで、見比べるとおもしろいえ~。」
ウチは、お母さんと一緒に写真を撮ってもらったのでした。
初めての半だらは、あっという間に過ぎてしまいましたが、得がたい体験だったと思います。
「どうやった?初めての半だらは。」
お母さんが、着物を畳みながら聞きました。
「いやもうあっという間で、なにしてたかわからしまへんにゃ。ウチ、どないしてたんどすやろ?」
「菜乃香ちゃんが言うには、ちゃんと通訳できてたそうやよ。」
「へぇ、そんならよろしおすにゃけど、もうばれへんかとヒヤヒヤもんどしたわ。」
「あはは、わざわざ都ホテルにしてもぅたんやさかい、心配いらへんわ。」
ウチは、髪もすぐに崩して、お風呂に入りました。
「ぷう、おもしろかったぁ。早く、本物になりたいなぁ。」
湯船には、ぽっかりとウチの胸が浮かんでいます。
「透吾ぼん…」
自分の胸を抱きしめて、いなくなった人を思い出します。
ウチの胸に顔をうずめて、いつまでも泣いていた男の子。
筒井筒を失って、自分の存在すらなくしたように街を彷徨って、やっとたどり着いたのがウチの処でした。
その時には、自分でごはんも食べられないほどで、ウチがお風呂に入れて、ご飯を食べさせてあげたのでした。
ウチが抱きしめてあげると、透吾ぼんは堰を切ったように泣き崩れ、子供のようにウチにすがったのでした。
このとき、ウチははじめて、慟哭と言うものを見たのです。
魂の半分を持って行かれたように、力なく、すがるものさえない状態。
『ウチが許してあげるから、ウチが許してあげるから、安心して。』
ウチは、自らの体で透吾を慰めるしか方法を知りませんでした。
それから十日あまり、透吾の世話をして、姉小路和泉屋へ連絡を入れましたが、その後透吾はふらりと居なくなってしまいました。
「いまごろ、どこに居てはるんやろ…」
頭と顔を、念入りに洗い、さっぱりとして部屋に戻りました。
「春菜ちゃん、あした普通のかっこうで通訳できるか?」
「へ?ウチがどすか?」
「そうなんや、どうしてもあの通訳がええて、フランスのお客さんが言わはんにゃと。どないしょ?」
「そらもう大瀧の若旦那さんのお頼みやったら、断る義理はおへんのと違いますか?」
「そやなぁ、あてとしても断りとうはないけどなあ。」
「ほならええですやん。やりましょ。」
「ええのか?」
「そのかわり、お下げでぐりぐりメガネどすけど?」
「まあええわ、ほな大瀧の若旦那さんには、お返事しとくよって。」
「へえ、よろしゅう。」
どちらにせよ、お手伝いせんことには、納まりがつかへんやろうし、大瀧の若旦那さんのお仕事なら、よろこんでやらさせてもらおうと思いました。
翌日は、朝からいいお天気で、ウチは普段着の黄八丈に、赤い帯を締めて出かけることにしました。
大瀧の若旦那さんは、夕べから都ホテルに泊まってはるよってに、タクシーで向かいます。
「おはようさんどすー。大瀧の若旦那さん、今日もよろしゅうお頼もうしますー。」
ウチの格好を見て、ジャンさんもソニアさんも、驚いてはりました。知らない人には、夜と昼のギャップが、信じられへんらしいのです。
「実は、僕はこっちの春菜ちゃんのほうが、気に入っているんだけどね。」
大瀧の若旦那さんは、照れたような顔をして、言わはるもんやから、こっちのほうが照れてしまうわ。
なにより、ふつうの格好でも舞子は舞子、ちゃんとお接待せなあきません。
大瀧の若旦那さんと話し合って、一行はまず、清水寺に向かいました。
知恩院前でタクシーを降りると、円山公園を抜けて、八坂神社、月真院、高台寺、霊山観音を越えて、二年坂・三年坂・清水坂と、もっともポピュラーな観光ルートとなります。
京都は、歩いてゆっくりと観光しはるのが、いちばんやとおもいます。
相変わらずの風雅堂さんとか、がらくたさんとか、ジャンさんは嬉しそうにカメラを構え、ソニアさんもポーズをとってはります。
『こちらが清水寺どす、外国の人たちにも有名な、木組みの舞台は、この足の下にあるんどす。ここからは、京都の街が一望できます。どうぞ、振り返っておくれやす。』
二人は振り返ると、感嘆のため息をつきました。
子安の塔から音羽の瀧を回って、舞台の下に出ると、見上げたジャンさんは、目を丸くして『トレビヤン!』と言っていました。
茶碗坂からタクシーに乗って、三十三間堂に向かいました。
『ここの仏様は、観音様で、全部で千体ございます。昔から自分の顔と同じ観音様が居てはると言われています。柱と柱の間が三十三あることから、三十三 間堂と呼ばれていますけど、本当は蓮華王院というのが正式です。』
『ほほう、ソニア、君の顔もあるかな?』
『日本の仏像なんだから、外国人はいないでしょう?』
板張りの廊下は静かで、ぴいんと空気が張りつめているようでした。
長い外縁に沿って、白砂のお庭があって、その長さにお二人は驚いた様子でした。
平安神宮、金閣寺(鹿苑寺)、二条城など主立った建物を案内すると、お二人は大変満足した様子でした。
ウチは、修学旅行みたいやなあと、密かに思っていたのですが、外国の人にはめずらしんやろなあ。
夕方に近くなって、ウチはお二人を寺町京極に誘いました。
「寺町かい?」
「へえ、錦市場を見ていただこう、思うてます。」
「ふうん、気に入るかなあ?」
「せっかくの年末どすさかい、こうした生活の場所も見てもらうと、ええと思いますえ。」
「わかった、まかせるよ。」
『ここは、なんですか?』
『京都のマルシェどす。変わったものも、ぎょうさんおすさかい、よう見ていっておくれやす。きっと楽しおすえ。』
『たくさん人がいるわね。』
『なんだか、いい臭いがするぞ。』
お二人は、市場の様子が気に入ったようです。
『なんだか、みんな生き生きしているね。』
『そうね、なにか買おうかしら?』
『それなら、この卵巻きさんはいかがどす?ウチのおすすめどす。』
『これが?ふつうの卵を焼いたものみたいだけど…』
ソニアさんは、不思議そうにケースを覗き込みました。
ウチは、お店のお母さんにお願いして、卵を切ってもらいました。
『おひとつどうぞ、ものは試し。食べてみてください。』
二人は、恐る恐る爪楊枝を持って、卵を取り上げました。
『セ・ボン!おいしいわ。』
さすがに奥様は、毎日お料理してはるので、卵のおいしさがわかるようです。
『きめが細かくて、なめらかで、どうしたらこんな卵ができるのかしら?』
『卵を、細かい網で濾してから、出汁を加えて焼くのです。』
『帰ったら、作ってみるわ。』
ソニアさんは、だし巻き卵がかなり気に入ったようです。
新年を間近に控えた錦市場は、活気にあふれて、行き交う人たちもとても楽しそうでした。
「あら、みどりちゃん。」
「あ、姉小路の御料ンさん、こんにちは。」
「お客様?」
「へえ、大瀧の若旦那さんと、そのお客様どす。今日は、ご案内してきました。」
「そうどすか?姉小路で、小さな呉服の店をさせてもうてます、片岡と申します。どうぞごひいきに。」
「大瀧です、どうぞよろしく。」
「ほな、おじゃましてもなんどすさかい、いなしてもらいます。」
「あいそなしですんまへん、御料ンさん。」
姉小路の御料ンさんは、そそくさと路地を抜けていかはりました。
「なかなかできる奥様だね。」
「へえ、そうどす。あれで、肝もすわってはります。」
「そうだろうなあ、さて、帰ろうか。」
「へえ、わかりました。」
ウチは、二人に帰ることを告げました。
「ああ、春菜ちゃん、ごはん食べしていこう、こっちだよ。」
大瀧の若旦那さんは、ウチたちを手招きして、三条へ抜けました。




