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春の春菜の二年坂  作者: とめきち
11/20

ー年の瀬ー参ー

「おまっとうさんどす、お姉さん。」

 千代菊さんお姉さんが、声をかけると菜乃香・菜乃菊さんお姉さんが振り返ってほほえみました。

 一行は、タクシーに乗り込むと、某都ホテルを目指したのでした。

 祇園から蹴上までは十分もかからず到着しました。

 タクシーの後部座席で、菜乃香お姉さんと菜乃菊お姉さんに挟まれて、ウチは、頭がどこかに当たらないかと、気が気ではありませんでした。

「そんなに固くならへんでもええのに。」

 そうは言っても、初めての髪型ですし、お正月さんでも日本髪なんて、結ったことがありませんから、ホンマに必死でした。

 蹴上では、ホテルのロビーに、大滝の若旦那さんが待って居てはりました。

「ようこそ、ありがとう、みなさん。」


 若旦那さんの言葉に、大きいお姉さんが優雅に受け答えました。


「へえ、お招きしてくれはっておおきに。大滝の若旦那さん。遠慮のう寄せてもらいました。」

「いやいや、こちらこそ無理を言ってすみません。お客さんも、間もなくお越しですので、よろしくお願いしますよ。」

「へえ、承知いたしました。若旦那さん、見とうみやす、この子が春菜どす。」

 大滝の若旦那さんは、目を丸くしてウチを見つめました。

「想像以上だ、この子は売れるね。」

「そうどすやろ?若旦那さんはお目が高ぅおすなあ。」

 千代菊さんお姉さんが、ころころと笑いながら、言いました。

「いやほんとにびっくりしましたよ。これで今夜の接待もいただいたようなものです。」

「おやぁ?ほならウチらは、お入り用やおへんようどすなあ。菜乃菊ちゃん、ウチらお茶飲んで帰ろか?」

「そうどすなあ、お姉さんの言やはるとおりどす。春菜はんを届けましたよって、早々にお暇しまひょ。」

「いやだなあ、お二人が居て、初めてお座敷が成り立つんじゃないですか、意地悪言わないでお願いしますよ。」

「ほほほ、大滝の若旦那さんが困ってはるよって、このくらいでかんにんしたげよかなぁ、菜乃菊ちゃん。」

「へえ、お姉さん。」


 大滝の若旦那さんは、冷や汗を拭いながら、頭をかいてはります。

 ウチらは、すぐに控えの部屋に通されて、お三味線や太鼓の用意(まわし)を始めました。

 程なく、地方の秋志野さんお姉さん、鳴り物の志乃李さんお姐さんも通されて、準備万端整いました。

「菜乃香さん、この子は?見慣れへん子やねぇ、仕込みさん?」

「へえ、ウチの妹になる予定の、春菜どす。よろしゅうお引き回しを。」

「は、春菜どす。秋志野さんお姉さん、志乃李さんお姐さん、よろしゅうお頼の申します。」

「これは、ひらいもんやねえ。ええ舞子ちゃんになるえ。」

 秋志野さんお姉さんが、目を細めてウチのことを見ました。

 志乃李さんお姐さんは、ウチのお三味線に目を留めました。


「これは…透吾ぼんのお三味線やないの。」

 実は、ウチの三味線は透吾ぼんのお下がりどす。


「へぇ、この子は透吾ぼんの直弟子どすさかい、お手もよう似てますえ。」

 菜乃香さんお姉さんが、ウチの肩を両手で持って自慢そうに言いました。

「へぇ、ひとつ聞いてみはります?」

「なにができはる?」

「そうどすなぁ、鳥追いでもどうどす?」

「ほなそれを。」

「へえ、春菜ちゃん、できるな。」

 ウチは、ひとつうなずいて、透吾ぼんの三味線を持ち上げると、膝に乗せました。


 最初の一弦を弾いたとき、秋志野さんお姉さんが細い目を開きました。

「これは…透吾ぼんのお手…」

 ウチが半分も弾かないうちに、秋志野さんお姉さんは片手をあげて制止しました。

「ようわかりました。あとでお滝さんお母さんにはウチからご挨拶にあがりますよって。よろしゅうお伝えくださいね。」

 秋志野さんお姉さんは、訳知り顔に菜乃香さんお姐さんに言いました。

 間もなく、仲居さんが控えにやってきて、ウチらをお座敷に案内してくれはりました。

「こんばんわぁ、お頼の申しますぅ。」

 襖の前に勢揃いして、一斉に三つ指をつきます。

「おお、よかった。時間ぴったりですね。よろしくお願いしますよ。」

「大瀧の若旦那はん、こんばんは。お呼びいただいて、おおきに。」


 大瀧の若旦那はんのお客さんは、大きなおなかをした茶色い髪のおじさまと、金髪の五〇がらみのおばさまでした。

「こちらは、アルザスのジャン・ポールさんと奥様のソニアさんです、よろしく。」

 大瀧の若旦那はんが、ウチに向かって首を振るので、お姐さんたちに目で合図して前に出ました。

『こんばんは、旦那はん奥さん。ウチらはお二人の、お接待をしに寄せてもろてます。』

『まあ、KYOUTOのMAIKOは、フランス語も話せるの?』

『いえ、ここではウチだけどす。それでは、皆様を歓迎して、私たちの舞をご披露いたします。』

 ウチと千代菊さんお姐さんで、「祇園小唄」を披露しました。

『とれびやん!お人形が動いているようだわ。ねえ・あなた。』

『ほんとうにね、すばらしいよ、ムッシュオオタキ。今夜は誘ってくれてありがとう。』

「…、と言うてはります。」

「そう、喜んでいただいて、私も嬉しいですよ。」


 お座敷では、お客様に自宅にいてはるように、くつろいでいただくのが、芸舞子のつとめどす。

 お酒もすすみ、お座敷遊びをすることになりました。

 ウチは、あんまりよう知らへんので、そばで通訳しながら見ていることにしました。

 遊びは、「こんぴらふねふね」です。

 金毘羅船の御唄に合わせて、交互に手を置き、手を取りつ取られつする単純なお遊びです。

 ですが、これがまた奥が深こぉて、なかなかうまくできません。

 ジャンの旦那はんは、体をよじって変な格好になるし、ソニアさんお母さんは、それを見て涙を流して笑わはるし。

 おかげで、地方のお姉さんまで笑ってしもて、こんぴらふねぇえふねぇえと、お三味線が泳ぐ始末でした。

 それでも、楽しい時間はすぐに過ぎてしまって、二時間はあっと言う間でした。


 お客様三人は、そろってホテルのバーへ移動するそうで、ウチは玄関まで見送ろうと、立ち上がりました。

「あ、春菜さん、このまま通訳に付いてきてくれませんか?」

 ウチは、咄嗟に返事できず、大きいお姉さんを振り返りました。

「えらい不調法ですんませんなぁ、旦那はん。この子は半だらでもおへんのやし、どうか今夜はこれでかんにんしとくれやす。」

「そうか…残念だな。でも、ありがたかったよ。また、店だししたら頼んでもいいかな?」

「へえおおきに。どうぞ、ご贔屓にお頼もうします。」

 菜乃香さんお姉さんは、にこにこと頷いて言いました。


 お姐さんたちは、そのままタクシーに乗って、それぞれのお座敷に散って行き、ウチは一人で松本屋へと帰りました。

「お帰り、どうやった?」

「へえ、万事ことなく納まりました。お客様も喜んでくれはりました。」

「そうか~、よかった~。」

 お滝さんお母さんは、心底安心したようで、胸をなで下ろしていました。

「そやし、あんたもごくろうさんやったな。もう着物脱いでもええよ。疲れたやろ?」

「それが、お母さん。ちっとも疲れてしませんのや。不思議どすなぁ。」

「ふうん、ホンマにあんたには天職かもせえしまへんな。あ・写真撮っとこ。あとで、見比べるとおもしろいえ~。」

 ウチは、お母さんと一緒に写真を撮ってもらったのでした。

 初めての半だらは、あっという間に過ぎてしまいましたが、得がたい体験だったと思います。

「どうやった?初めての半だらは。」

 お母さんが、着物を畳みながら聞きました。

「いやもうあっという間で、なにしてたかわからしまへんにゃ。ウチ、どないしてたんどすやろ?」

「菜乃香ちゃんが言うには、ちゃんと通訳できてたそうやよ。」

「へぇ、そんならよろしおすにゃけど、もうばれへんかとヒヤヒヤもんどしたわ。」

「あはは、わざわざ都ホテルにしてもぅたんやさかい、心配いらへんわ。」


 ウチは、髪もすぐに崩して、お風呂に入りました。


「ぷう、おもしろかったぁ。早く、本物になりたいなぁ。」

 湯船には、ぽっかりとウチの胸が浮かんでいます。

「透吾ぼん…」

 自分の胸を抱きしめて、いなくなった人を思い出します。

 ウチの胸に顔をうずめて、いつまでも泣いていた男の子。

 筒井筒(おさななじみ)を失って、自分の存在すらなくしたように街を彷徨って、やっとたどり着いたのがウチの処でした。

 その時には、自分でごはんも食べられないほどで、ウチがお風呂に入れて、ご飯を食べさせてあげたのでした。

 ウチが抱きしめてあげると、透吾ぼんは堰を切ったように泣き崩れ、子供のようにウチにすがったのでした。

 このとき、ウチははじめて、慟哭と言うものを見たのです。

 魂の半分を持って行かれたように、力なく、すがるものさえない状態。



『ウチが許してあげるから、ウチが許してあげるから、安心して。』



 ウチは、自らの体で透吾を慰めるしか方法を知りませんでした。

 それから十日あまり、透吾の世話をして、姉小路和泉屋へ連絡を入れましたが、その後透吾はふらりと居なくなってしまいました。



「いまごろ、どこに居てはるんやろ…」

 頭と顔を、念入りに洗い、さっぱりとして部屋に戻りました。

「春菜ちゃん、あした普通のかっこうで通訳できるか?」

「へ?ウチがどすか?」

「そうなんや、どうしてもあの通訳がええて、フランスのお客さんが言わはんにゃと。どないしょ?」

「そらもう大瀧の若旦那さんのお頼みやったら、断る義理はおへんのと違いますか?」

「そやなぁ、あてとしても断りとうはないけどなあ。」

「ほならええですやん。やりましょ。」

「ええのか?」

「そのかわり、お下げでぐりぐりメガネどすけど?」

「まあええわ、ほな大瀧の若旦那さんには、お返事しとくよって。」

「へえ、よろしゅう。」


 どちらにせよ、お手伝いせんことには、納まりがつかへんやろうし、大瀧の若旦那さんのお仕事なら、よろこんでやらさせてもらおうと思いました。

 翌日は、朝からいいお天気で、ウチは普段着の黄八丈に、赤い帯を締めて出かけることにしました。

 大瀧の若旦那さんは、夕べから都ホテルに泊まってはるよってに、タクシーで向かいます。

「おはようさんどすー。大瀧の若旦那さん、今日もよろしゅうお頼もうしますー。」

 ウチの格好を見て、ジャンさんもソニアさんも、驚いてはりました。知らない人には、夜と昼のギャップが、信じられへんらしいのです。

「実は、僕はこっちの春菜ちゃんのほうが、気に入っているんだけどね。」

 大瀧の若旦那さんは、照れたような顔をして、言わはるもんやから、こっちのほうが照れてしまうわ。

 なにより、ふつうの格好でも舞子は舞子、ちゃんとお接待せなあきません。

 大瀧の若旦那さんと話し合って、一行はまず、清水寺に向かいました。

 知恩院前でタクシーを降りると、円山公園を抜けて、八坂神社、月真院、高台寺、霊山観音を越えて、二年坂・三年坂・清水坂と、もっともポピュラーな観光ルートとなります。

 京都は、歩いてゆっくりと観光しはるのが、いちばんやとおもいます。

 相変わらずの風雅堂さんとか、がらくたさんとか、ジャンさんは嬉しそうにカメラを構え、ソニアさんもポーズをとってはります。

『こちらが清水寺どす、外国の人たちにも有名な、木組みの舞台は、この足の下にあるんどす。ここからは、京都の街が一望できます。どうぞ、振り返っておくれやす。』


 二人は振り返ると、感嘆のため息をつきました。

 子安の塔から音羽の瀧を回って、舞台の下に出ると、見上げたジャンさんは、目を丸くして『トレビヤン!』と言っていました。

 茶碗坂からタクシーに乗って、三十三間堂に向かいました。

『ここの仏様は、観音様で、全部で千体ございます。昔から自分の顔と同じ観音様が居てはると言われています。柱と柱の間が三十三あることから、三十三 間堂と呼ばれていますけど、本当は蓮華王院というのが正式です。』

『ほほう、ソニア、君の顔もあるかな?』

『日本の仏像なんだから、外国人はいないでしょう?』

 板張りの廊下は静かで、ぴいんと空気が張りつめているようでした。

 長い外縁に沿って、白砂のお庭があって、その長さにお二人は驚いた様子でした。

 平安神宮、金閣寺(鹿苑寺)、二条城など主立った建物を案内すると、お二人は大変満足した様子でした。

 ウチは、修学旅行みたいやなあと、密かに思っていたのですが、外国の人にはめずらしんやろなあ。


 夕方に近くなって、ウチはお二人を寺町京極に誘いました。

「寺町かい?」

「へえ、錦市場を見ていただこう、思うてます。」

「ふうん、気に入るかなあ?」

「せっかくの年末どすさかい、こうした生活の場所も見てもらうと、ええと思いますえ。」

「わかった、まかせるよ。」

『ここは、なんですか?』

『京都のマルシェどす。変わったものも、ぎょうさんおすさかい、よう見ていっておくれやす。きっと楽しおすえ。』

『たくさん人がいるわね。』

『なんだか、いい臭いがするぞ。』

 お二人は、市場の様子が気に入ったようです。



『なんだか、みんな生き生きしているね。』

『そうね、なにか買おうかしら?』

『それなら、この卵巻きさんはいかがどす?ウチのおすすめどす。』

『これが?ふつうの卵を焼いたものみたいだけど…』

 ソニアさんは、不思議そうにケースを覗き込みました。

 ウチは、お店のお母さんにお願いして、卵を切ってもらいました。

『おひとつどうぞ、ものは試し。食べてみてください。』

 二人は、恐る恐る爪楊枝を持って、卵を取り上げました。

『セ・ボン!おいしいわ。』

 さすがに奥様は、毎日お料理してはるので、卵のおいしさがわかるようです。

『きめが細かくて、なめらかで、どうしたらこんな卵ができるのかしら?』

『卵を、細かい網で濾してから、出汁を加えて焼くのです。』

『帰ったら、作ってみるわ。』

 ソニアさんは、だし巻き卵がかなり気に入ったようです。



 新年を間近に控えた錦市場は、活気にあふれて、行き交う人たちもとても楽しそうでした。



「あら、みどりちゃん。」

「あ、姉小路の御料ンさん、こんにちは。」

「お客様?」

「へえ、大瀧の若旦那さんと、そのお客様どす。今日は、ご案内してきました。」

「そうどすか?姉小路で、小さな呉服の店をさせてもうてます、片岡と申します。どうぞごひいきに。」

「大瀧です、どうぞよろしく。」

「ほな、おじゃましてもなんどすさかい、いなしてもらいます。」

「あいそなしですんまへん、御料ンさん。」

 姉小路の御料ンさんは、そそくさと路地を抜けていかはりました。

「なかなかできる奥様だね。」

「へえ、そうどす。あれで、肝もすわってはります。」

「そうだろうなあ、さて、帰ろうか。」

「へえ、わかりました。」

 ウチは、二人に帰ることを告げました。


「ああ、春菜ちゃん、ごはん食べしていこう、こっちだよ。」

 大瀧の若旦那さんは、ウチたちを手招きして、三条へ抜けました。

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