人気作と名作の違い
僕の家の近くに以前、一軒のTSUTAYAがあった。
もう潰れてしまったのだが、それはここでは重要な話ではない。
重要なのはここから先の話だ。
さて当時、僕がそのTSUTAYAに映画(洋画)を借りに行くと、そこにはお勧め映画をピックアップしてある棚が二種類あった。
「人気作ベスト20」的な棚と、「不朽の名作」的な棚との二種類だ。
「人気作」と「名作」、二つの軸で作品をお勧めしていたのだ。
「人気作」のコーナーには、例えば『ハリーポッター』だとか『パイレーツオブカリビアン』だとか『ダイハード』『007』のような、テレビCMでもお馴染みの興行成績抜群の作品群が並んでいる。
一方で「名作」のコーナーには、『カサブランカ』『チャイナタウン』『レインマン』などの必ずしも大売れはしていないかもしれないが評論家が認めるような良作や意欲作といった類の作品群が並んでいた。
「人気作」の中には「名作」もあるし、「名作」の中には「人気作」になったものもある。
『バックトゥザフューチャー』や『ゴッドファーザー』『羊たちの沈黙』などは、両方の要件を備えた作品としてあげても、異論のある人はあまりいないだろう。
ただ、両者は常に一致するわけではない。
「売れる作品」と「良い作品」は必ずしもイコールにならない。
これは宣伝の打ち方などの問題ばかりではなく、作品そのものがもつ性質によって変わってくる部分があると僕は考えている。
これは、映画をショッピングや食べ歩きなどと同じような「軽く浅く消費する娯楽」の一環として捉えているライト層と、もっとどっぷりと浸かる本格的な娯楽として楽しみたいヘビー層とで、好む作品の性質が異なってくることに原因があるのだと思っている。
前者(ライト層)が主に求めるのは、とにかく「派手さ」があって「刺激的」な作品だ。
見る前には「出オチ力が強い」ことが求められ、見ている最中には派手なカーチェイスや爆発、登場人物が死ぬような衝撃的なシーン、絵力のあるバトルシーンなどが好まれるかもしれない。
一方後者(ヘビー層)が主に求めるのは、しっかりとしたストーリーの筋だとか、幾多の映画を見てきた歴戦の猛者をも唸らせるような技巧や、新しく画期的な試みに富んだ作品であるかもしれない。
彼らは安っぽい派手さや刺激よりも、技量のある作り手による魂が乗った質実で意欲的な作りの作品を好むだろう。
僕は前者を「人気作要件」、後者を「名作要件」と呼んでいる。
あるいは前者の性質を「大衆性」などと呼んだりもしている。
大多数の「大衆」と、一部の「映画エリート」とでは好む作品傾向が変わってくるもので、前者をしっかり取り込んでいかないと「人気作」にはならないと考えている。
もちろん、作品が「人気作」と「名作」に0か1かで綺麗に切り分けられないのと同じように、見る側も「大衆」と「映画エリート」の二軸で完全に綺麗に切り分けられるわけではない。
見る側も人それぞれ程度問題で、グラデーションのどこに位置しているか、みたいなところはある。
だからあまり安易にカーチェイスだ爆発だと創作を甘く見ていても、「大衆」の心がつかめないといったことはあると思う。
例えば「しっかりしたストーリーの筋」などは、どこまでを求めるかの程度差はあれ、多くの視聴者が求めるものと言えるだろう。
さて、「小説家になろう」には「作者」と呼ばれる人種がいる。
彼らは、創作についてよく勉強している人ほど、「創作エリート」である。
出版社の「下読み」や「編集者」、あるいは「書店員」なども、それに近いものがあるだろう。
彼らがもし、「自分が面白いと思う作品」や「創作仲間から評価される作品」を作ろうとすると、どうなるか。
もちろんそれが悪いということではない。
ただもし作者が「人気作」を作りたいのであれば、「名作要件」だけでなく、「人気作要件」も視野に入れて作品を作るべきなのだと思う。
どんな「名作」でも、大衆の心をガシッと掴まないことには「人気作」にはなりえない。
「読者に見る目がない」というのが仮に事実であったとしても、そう言って創作エリートの評価しか見ようとしない作者というのは、埋もれて当然の人材ではなかろうか。
創作エリートの顔色ばかりを見て作品を作り、素人(=多くの読者)を置いてけぼりにした作品を作る作者になりたいのかどうか。
創作の「技術」は、創作エリートを唸らせるためにあるのではなく、大多数の素人を楽しませてこそ価値があるのだと僕は考えている。
「本当に良い作品は必ず評価される」という人をよく見かけるのだが、彼が言う「本当に良い作品」というのは、「ただの名作」なのか、それとも「人気作」と「名作」の両方の要件を備えた作品なのか。
この視点が抜けたまま議論が展開されることが頻繁にあるので、僕は「本当に良い作品は必ず評価される」という物言いは、必ずしも間違いとは言い切れないと思うものの、表現の仕方としてはあまり好きではない。