『彼女』と『僕』
唐突ですが、僕には生まれる前からの記憶があります。
いわゆる前世の記憶とやらが。
『彼女』は『僕』より年上で、『彼女』が目覚めた時、少し他人事のようでした。
覚醒時を含めた『彼女』の事を、『彼女』の言葉通りにお伝えするならば――――
自分は最初、事故にでも遭ったのかと思った。
深い眠りの名残を引きずるように意識は混濁していて、焦点は上手く合わないし、体も動かない、言葉も紡げない。
何事かと焦ったね。
で、うめき声を聞きつけた女の人に「キーちゃんはお腹空いたのかな?」と、抱き上げられた。
胸元を肌蹴させた彼女の乳首を、口に含まされた時に気付いた。
あれ?生まれ変わったんじゃないか、って。
生物の反射として乳を飲んでいる間、覚えていることをつらつらとでも挙げ連ねようとした。
けれど、意外に思考が纏まらない。
懸命に吸って、満腹になると眠くなって、不快感で目覚める。
どんなに内心焦っても、纏まった考察の時間が取れやしない。
そんな事を繰り返して結局、数日かけても成果はあんまり芳しくなかった。
とりあえず曖昧で断片的な記憶を総合すると、どうやら前世は40歳手前位の独身女性だったみたい。
普通の人だったと思う。
朝起きて会社行って自炊して寝る。
週末には溜まった家事をこなし、甥っ子姪っ子へのプレゼントを考えては季節を感じ年を数える、そんな生活。
その人生がいつ、なぜ終わったのかはついに思い出せなかったけど、転生したということはそう言うことなのだろう。
特に未練も執着もない人生だったようで、悲嘆にくれることもなかった。
前世の両親に対する申し訳なさとかも無かったので、きっと見送った後だったのだろう。
記憶にもないし身を裂かれる想いも感じないので、恐らく子どもは居なかったようだ。
友人や兄弟、思い出せないだけで居たかも知れない旦那か恋人などは悲しませたと思うけれども、日々の生活に紛らわされて薄れていく程度だと思う。
職場には、突然ひとり減って人員的な迷惑はかけただろうけど、お局事務員ごときがやっていた仕事などなんぼでも挿げ代えは利く。時が解決してくれただろう。
何はともあれ、世界が混乱するような衝撃や終わらせられない程の悲しみを与える存在では、残念ながら無かったんじゃないかな。
くよくよと悩んでいても時間は過ぎ、新しく生まれ変わった女児の体も日々生命活動を営んでゆく。
なので今生を前向きに捉え、乳児であるがゆえの羞恥の洗礼も受け入れよう。
ぶっちゃけ、生まれ変わったものは仕方ないじゃないか。
幸い(?)超能力関係は持ち合わせていないようだし、ガツガツと勉強する気も無い。
人生をやり直す?そこまで前世の生き方に執着なんかないですよ。
子どもは子どもらしく、今生は今生なりに。
何もかもが新鮮で楽しい時期は一瞬で、黄金期を満喫しないなんてありえないよね。
ならば、おばちゃん根性で幼少期を堪能させて頂きますともさ!
(物理的な)第二の人生を、余さず享受し尽くさなきゃ、もったいない!!
そう開き直った。
――――とのことで、要約しますと前世(推定)アラフォーの(名前を思い出せない)おばちゃんが、青野 樹里子として転生した、そういうことなのです。
蛇足ですが、なぜ自称が『僕』なのか。
幼い子が自分の事を『私』と言う訳がありません。
かといって母が呼びかける「キーちゃん」を使うには、40歳手前までの人生経験を持つ元・おばちゃんの意識が邪魔をしました。
苦肉の策と言うかちょっとした悪戯心から、父が甘ったるく呼びかける「僕のお姫様」などの「僕の~」を自分の名前と勘違いしたように見せかけて「『僕のお姫様』は~」と使っていましたら、意外に好評でそれが定着してしまったわけなのです。
年頃になったら『私』に移行しようとは思っているのですが、今のところ何故か評判が良いので、そのまま使って今に至ります。