後悔、先に立たず③
ああ、でも、確かに『今さら』ですね。
手から伝わる温もりを辿れば、げんなりしている僕を気遣わしげに見ている大切な、大切な義弟。
正面には穏やかな笑みのお兄さんと、揺るぎない真っ直ぐな眼差しのかつての少年、静かに推移を見守ってくれる友人達。
今までの僕を否定するということは、行動に伴った結果も否定するということで、彼らとの出会いすらをも『無かった事』にする行為です。
じゃあ、この手を離せるのかと聞かれたら、答えは『否』。
彼らに干渉し関係を築いていきた以上は、取らなければならない責任があるのですから、断ち切るような真似などできるはずがありません。
そもそも責任以前に、僕も彼らもすでに生活の一部となっていて、お互いに居て当たり前の存在です。それを根こそぎ違う人物――たとえ本来の樹里子であったとしても――に挿げ代えてしまったら、途端に日常は不協和音を上げることでしょう。正したつもりが調和を乱すなど、本末転倒、笑止千万。
僕自身にしても同じです。『本当の樹里子』と入れ替わることができたとしても、周りから見ればそれは突然現れた他人も同然、本人も周囲も戸惑うだけです。それに『樹里子』を僕の中でどんなに探しても、それは『私』の目を通した樹里子にしかなりません。第一、『僕ではない樹里子』って、どういう子になっていたのでしょう……バリキャリでミステリアスな母と、二重人格か?!と聞きたくなるほど娘に甘くて息子に厳しい仕事人間の父を持つ、頭も運動神経も良い女の子……あまり好人物が想像できないのは何故ですかね……間違いなく言えるのは、『僕』又は『私』には再現不可能という事。
つまり、『私』をなぞらえていようがなんだろうが僕は『僕』にしかなれなくて、記憶を失くさない限り、このまま『前世持ちの僕』として生きていくしかない。
肝要なのは、リセットしてまで『本来あるべき十五歳』になる事では無く、前世の経験に驕らず『謙虚』になる事。
そういえば『私』の職場に、五十過ぎても「分からないから教えて」と言えるおじ様が居て、素敵だなと思っていたのを、ここにきて思い出しました。
いくつになっても人の意見を素直に聞くことのできる『謙虚さ』を見習いたいとまで思っていたのに、すっかり忘れていたなんて!
そこに到達してようやく、空回りしていた頭のねじは噛み合わさり、抜けかけた魂が胸にすとんと納まりました。
某アニメではありませんが、「僕は僕でしかない、僕はここに居てもいいんだ」の心地です。
決して補完した訳ではありませんが、また一つ前世を乗り越えた気がします。
転生した弊害は、何段階あるんでしょうね。
生まれ変わった事を認識して、受け入れて、乗り越える。ここまでに十五年掛かりました。今後も壁にぶち当たらないとも言い切れないあたり、前世と共に要らぬ苦悩を背負い込んだものです。記憶があっても無くても、なんらかの悩みが生じるなんて、上手く出来ているなー。人生経験が何年あろうと、後悔や懊悩と無縁では居られないなんて。転生チートって、物語の中だけなのでしょうね。
我知らず笑みが零れます。
それは苦笑に近かったかも知れませんが、強張りの取れた自然な発露でした。
僕の腕を掴む手に力が入ったと思ったら、誰かに抱き締められ、さらに別な手が頭を混ぜ返します。
「おかえり。そして、卒業おめでとう」
甘さよりも安堵が勝った囁きでした。
その言葉を合図に、鬨の声のような歓声が沸き上がります。
「おめでとう」「ありがとう」の嵐の中、これだけは伝えなくてはと、抱き付いている体を引き剥がしにかかります。頭を撫でていた人と腕に抱き付いている子が手を貸してくれました。お陰で適切な距離を得られます。
向き合った相手は僕を尊重してくれて、話し始めを笑顔で促してくれました。
ですから、安心して切り出します。
「雅臣さん、母校の先生を貶めた発言は撤回して頂けますか?」
「というと?」
「大人げない下衆の発言ではなく、最後の指導だったと僕は受け止めています。恩師の裏の無い懸念を、恥ずかしながら僕が曲解して、深く考え過ぎてしまっただけなんです。だから……」
「キリィがそう言うのなら。確かに、その場に立ち会っていない私が批判するのは、筋違いだったねぇ。私の方が邪推していたようだ」
同じ教職にある身の人らしく、皆まで言わずとも意を汲んで、濁した語尾を引き取ってくれました。
「分かってもらえて良かった。あと、公開プロポーズの方も……」
すんなり訂正して貰えたので、もう一つの憂事も容易く解消されるだろうと口にします。
が、柔和な笑顔で遮られてしまいました。
「それは破棄しないよ」
また煙に巻く口上が返ってくるのかとグッタリ思いながら、一応の牽制をしておきましょう。
「話をややこしくしないで下さいよ」
直後に、思わぬ援護射撃が得られます。
「キリの高校生活を乱す発言は慎め」
「おっさん、キィちゃんにベタベタし過ぎ。キモい、しつこい、引き下がれ」
さすがの舌先三寸も、三方向からやり込められては形無しです。
苦く笑って肩を竦めています。
面白いのか嬉しいのか楽しいのか、晴れやかなのか清々しいのか、なんとも言い難い明るい気分の笑いが込み上げてきました。
屈託ない僕の笑い声に、驚いた顔をしていた周囲もいつしかつられて、笑いの渦が生まれます。
各々、肩や腕を組んだり手を繋いだり、かなりの人数がじゃれ合うようにして中学校を後にしました。
後悔先に立たず。
一度きりの人生、ウジウジしてたら、もったいない!
なるようになるしかないのさ、ケ・セラ・セラ。
こうして僕の、いや僕達の卒業式は、幕を閉じました。




