煙が目に沁みる⑥
雅臣編は、終了です。
な、長かった……
「え、もう?」
無意識な縋る瞳は、年上なのに母性本能をくすぐります。
が、僕には耐性がありますからね!すげなくも断りますよ。NO ! と言える日本人ですから。
「あのですね、僕は中学生なんです。帰りが遅いと心配性の弟がどうなるか……」
元祖・母性本能くすぐりマシーンが涙目で見上げてくるのが脳裏に浮かび、語尾が鈍ってしまいました。恐るべき破壊力……!
洸のウルルン上目遣い(妄想)に身悶える僕と対照的に、会話を続ける糸口を見つけて顔を綻ばせる雅臣さん。
「弟が居るんだ」
まだ話し足りなそうなそぶりに、手を繋がれたまま腰を戻してしまいました。
蛇足とは分かっていながら、少し続けましょうか。
決して弟自慢をしたいからでは、ないったらない。
「そうなんです。これがもう生意気で可愛いのなんのって。健やかにすくすくと成長中なんです。だから雅臣さんも、前向きになったのでしたら、そのまますくすくと前進して下さい」
「……ありがとう」
返ってきた穏やかな笑みに、僕の老婆心が疼きます。
「ただ、運命の相手かどうか、想いを試してばかりいてもダメですよ?」
「心当たりでも?」
二心なく訊かれて思い出されたのは、かつての『私』。
「僕のぜ――――親戚の小母さんが言ってました。試してばかりじゃ逃げられるだけだって」
自分でもわかる程、苦い笑みが滲み出ます。
今度は怪訝な声で、探るように訊かれました。
「その方は?」
「アラフォーまで独身でした」
「今もお一人で?」
「もういません。亡くなりました」
「その小母さんのこと、好きだったの?」
苦々しい僕と、間合いを探る雅臣さん。
面持ちの割にあっさりとした遣り取りは数度重ねられ、最後の質問に僕の表情はごっそりと抜けおちました。
「――さあ?好きも嫌いもなく、自己中な人だったとは思うかな。試して逃げられたら、相手が自分に相応しくなかったと嘯いて、一生を任せられる人が居ないと嘆いて、友達と兄弟と甥姪が居れば寂しくないと強がって、一人暮らしの部屋に絶望して、酒飲んで枕を濡らして。無知で怠惰で傲慢で恥ばかりの人生を送った、どうしようもなく自分大好きな寂しがり屋でしたよ」
吐き捨てた僕に届いたのは、
「すいぶんな言いようだねぇ……今度は私が胸を貸す番かな?」
意外なほど優しい言葉でした。
「え?」
何故かぼやけて視界の悪い目を瞬き、いつの間にか足元まで落ちていた視線を上げます。
「気付いてないの?君、泣いているよ」
注がれていたのは、どこまでも暖かな眼差し。
凍えそうだった心に、温もりが沁みてきます。
その心地よさに気を取られ、繋がれたままだった手が雅臣さんの口元に寄せられるのを、ただ見ていました。
チュッと触れた唇の感触で、我に返ります。
「泣いてなんかいませんよ。これは、涙なんかじゃありませんっ」
慌てて自分の手を取り返し、火照る頬を誤魔化すために、ちょっと乱暴に目元を拭いました。
久しぶりに前世を思い出したせいか、感情が高ぶってしまったようです。未熟者ですね。
ティッシュを頂いたり、タオルを借りたり、保冷剤までお借りして、一通り落ち着いたので、辞去のご挨拶をば。
「却ってお世話になりました。今度こそ帰ります」
ペコリと頭を下げると、眉目は切なげなのに口元だけ微笑んで、彼も立ち上がりました。
「途中まででも、送るよ」
言われてハタと気が付きます。
ここ、どこでしょう?
「……ご好意ありがたく……」
自分の方向音痴っぷりに、さすがに恥ずかしくなりました。
ニッコリ笑みの雅臣さんにエスコートされて、まずは玄関へ向かいます。
居間を出た所で、今気付いた、と言わんばかりに彼が振り返りました。
「そういえば……私は君の名前を聞いても良いのかな?」
「良いですよー。キリコです。樹木の『樹』に『里』の『子』どもです」
「樹里子ちゃん、ね。『ちゃん』と言うより『さん』の方がいいかな?」
「どちらでも、お好きなように」
ダラダラと会話をしながら、玄関で靴を履きます。
「じゃあ……キリィ」
立ち上がった不意を突かれ、耳に吐息と共に吹き込まれました。
瞬間、ぶわっと鳥肌が立ちます。
反射的に耳を押さえて、体を捻りながら飛び退きました。
「うっわ!耳元で囁くとか、どんだけですか?!しかも、あだ名になってるしっ」
ドアを背に、間近で涼しげに立つ相手を睨みつけます。
が、露ほども悪びれず、にこやかに笑い返されました。
「待たずに求めてみただけ」
「手近で済まさないで下さいっ」
「Something here inside Cannot be denied(心の中にあるものを 否定はできないよ)」
甘い声で紡がれる、僕が教えた歌詞の一節。
切り返すことができず両耳を押さえ嫌々をする僕を囲うように、ドアに手を着いて身を寄せてきました。
慌てて手を突っ張り、不埒な振る舞いを阻止します。
それ以上強引に迫ってこないのは救いですが……
「とにかく離れて!」
「つれないなぁ。そんな所も良いけれどね」
「はぁ?断固拒否されて喜ぶなんて、貴方マゾですか?マゾだったんですね?!」
「キリィが与えてくれるのなら、苦痛すらも甘受するよ?」
や ー め ー て ー !
「おまわりさーん!ここに変態がいますよー!!」
架空の公僕に助けを求めてようやく、明るい笑顔のまま離れてくれました。
玄関も開け放ち、妖しい空気を孕んだ密室から解放されます。
どうやら、からかわれただけのようですね。
「本当に君は愉快な子だねぇ。ますます……おや?」
くすくす笑いが途切れたので、並んで歩く相手を見上げました。
首を傾げて目で問うと、雅臣さんから消えかけた笑みが戻り、僕の背筋に悪寒が走ります。
「私の初恋は、君かも知れないねぇ」
「はいぃ?!貴方の恋の炎は消えたばかりですよね?何回初恋をする気ですか?ってか、もしかして毎回初恋なんですか?!」
「嫌だなぁ。いくら私でも、初恋をリセットはしないよ?自分から好きになったのが初めてな、だ・け」
慄然としている僕に、笑みを深めた色気ダダ漏れ男から、追加の爆弾が投下されました。
「初恋は、こじらせると危険らしいよ?よろしくね、キリィ」
あれ?この人、こんな感じだったっけ?
なんだか……
彼 の 煙 が 目 に 沁 み る




