煙が目に沁みる⑤
※不妊や障害児に関する表現が、触れる程度に出て来ます。あくまで「そういう可能性もある」という意味で引用していますが、不快に思われる方はご注意下さい。
※前話、参照で掲載致しました「煙が目に沁みる」の和訳の歌詞ですが、運営側からご指摘を頂き、削除致しました。ご了承下さい。
そんな疑いまみれの目をしなくても。
グラスを渡した姿勢のままこちらを窺っている人に、素知らぬ顔で返してやります。
「なら、なおさら女を見る目を養わないと!」
ニッと不敵に笑いかけると、あからさまにホッとした顔をしました。
それを取り繕うように、彼は眉を下げ苦笑いに変えます。
「耳に痛いね」
そう言って、隣に腰を下ろしてきました。
「それは追々ですね。本題は、胸を貸す必要があるかどうか、ですよ。薄ーい胸ですが、無いよりはましだと思いません?」
大げさに手を広げ、おどけて見せました。
見開かれた目が考え込むようにゆっくりと長い睫毛の陰に隠れ、次いで口元に微笑を滲ませ僕を見てきた時、その透明感のある笑顔に、ちょっとドキッとしたのは秘密です。
「では、お言葉に甘えて借りようかな」
借りると言いながら、包み込まれたのは僕でした。
ま、それもアリですね。
腕はだらりと下げて、雅臣さんの胸に頭を預けます。
「心に傷を負った時、温もりを求めるのは動物の本能らしいですよ」
思ったことが、そのまま口から出ていました。
「そうなんだ」
相槌を打つ彼の声は、胸越しにも聞こえて少しくぐもっています。
なかなか甘く柔らかい響きに、耳だけでなく首筋までくすぐったくなりそうです。
「そうなんですよ。だから、雅臣さんが刹那的な関係(推定)を重ねたのにも、意味はあるんです。ってか、意味を見つけて「踏み台にする?」」
二人の声が重なりました。
「分かってきたじゃないですか」
僕は笑いをこらえて嘯きます。
雅臣さんのクツクツという笑いの振動は、耳たぶを震わせて伝わってきました。
「本当に、立場が逆だね」
「慰めるのに、年齢は関係ありません」
「そう、かも、知れないねえ」
肩口に顔を埋められ、僕を抱え込む腕に少し力が籠ります。
なんとなく洸を寝かし付けていた頃が思い出され、腕を伸ばしてお兄さんの背中をポンポンと叩きました。
肩を濡らす雅臣さんに、静かに語りかけるように持論を展開してみます。
「子どもって、五体満足で生まれるだけで『奇跡』なんですよ。奇跡だなんて陳腐な言葉だけど、どんなに頑張っても残念ながら授からない人も居ますし、授かったとしてもいわゆる健常児と呼ばれない子どもも一定数居ます。そんな可能性を掻い潜って不自由なく産まれ、事故や病気などの万難をやり過ごして成長し、天文学的な偶然が重なって対の相手を見つける。奇跡的に生まれ育った二人が出会って、また奇跡を起こすんです。そう考えると、何の苦労もせずに奇跡を起こす相手と出会って対をなすとは、とても思えないわけで。言い換えれば、数度の過ちなんてあって当たり前。むしろ、何事もなく出合って添い遂げられることの方が、『奇跡的』だとは思いませんか?」
「奇跡、か。私にも起きるのか――――起こせるのか」
身をすり寄せながら呟いた雅臣さんが、耳近くまで顔を上げ、睦言のように囁いてきました。
「君の高めの声、心地良いね。すごく安心する。新しい扉を開きそうだよ。もう少ししたら低くなるのかと思うと、残念な気もするね」
異な事をおっしゃりやがります。
「低く?むしろ高くなると思いますよ?」
「え?変声期って……」
僕の訂正のどこに驚いたのか、身を離しマジマジと顔を見て来ました。
押しの強い笑顔で、重ねて確認をします。
「女子は高くなりますよ、ね?」
「えっ?」
「『えっ?』って、なんですか?」
笑みを深めたら、戸惑いから一転、ハッと何かに思い至った顔をして、目をそろりそろりと外していきました。
ここは追撃する所ですよね?
明確な返答を求めて、質問を繰り返しましょう。
「『えっ?』って、なんですか?」
逃 が し ま せ ん よ ?
目力込めて穴があくほどマジ見していると、顔がどんどん明後日の方向へ向いてゆき、咳払い一つで仕切り直されてしまいました。
「わ、私は運命の相手に出逢えるのかな」
あからさまな話題の転換。
表情の変化から、ある程度の心情が察せられましたので、ここは引いてやりましょう。
僕は大人ですからね。ええ。なにせ前世はおばちゃんですし。
詳らかにしてトラウマを抉られたくないなんて、思ってなんかいませんよ?
ってか、涙が止まったのなら、密着するのをやめません?
ごちゃごちゃと考えながらも口は動きます。
「運命は待つものではなく、見つけるものですよ?寄って来る中から選ぶから失敗を重ねたんじゃないですか?求めよ、さらば与えられん!」
「じゃあ、私は君を……って、痛いっ!」
さっきまでの自分の勘違いを払拭するためか、芝居がかった甘やかな空気を漏らして来たので一発食らわせてやりました。
僕が女子だと分かった途端にこれですか?!
「なに絶壁相手に発情しているんですか。やっぱりロリコンなんですか?変態ですか、そうですか」
ずりずりと身を離しながら捲し立てると、憂いのない顔で笑われました。
「手厳しいなぁ。さっきまでは甘えさせてくれたのに」
そう言って頬に手を差し向けて来ます。
すかさず叩き落としてやりましたが。
「立ち直った相手に掛ける情けは無いです!」
「立ち直った、のかな?」
叩かれた手を擦りながら、無自覚に問い返してきました。
「少なくとも、道路に飛び出そうとした直後から見ると、色気が三割増しになってます」
「色気?」
口元に手を添え、ゆったりと首を傾げます。
長い紫の髪がさらりと流れるのも相まって、なにげない仕草すら匂い立つようです。
「煙が晴れて、スッキリした顔をしているってことですよ」
「スッキリ……しているかも知れない……ずっと、晴れたことなどなかったのに……」
一人ごちるその表情にも、陰は見当たりません。
これならもう、大丈夫でしょう。
「涙を流すってことは、心の澱を流すってことですからね。無事、消火できたようでなによりです。じゃ、僕はこれで帰りますね」
一安心した僕が腰を浮かせると、手を取られました。




